これから何をすべきか

 おばあさんの家に戻ると、泊めてもらっている部屋に入って寝ころんだ。昨日、確かにこの世界に違和感を覚えた。それは僕が、この世界の住人ではないということなのだろうか。僕はいったい何者なんだろう。昔迷い込んだという人間は、どういう人だったんだろう。なぜ自分は人間だと言ったのだろう。頭の中で自問自答を繰り返したけれど、結局この疑問をぐるぐるするだけで、全く答えは出ない。新・河原町駅というのがあったのかなかったのか、記憶もあやふやになってきて、僕がなんなのかについてそれが決定的な判断要素にはならなさそうだった。

 とりあえず、もとの世界に戻る方法を探ろう。戻らないとしても、損にはならないはずだ。そう思って、僕は、古都大学の附属図書館にいって、手当たり次第に探ってみようと思った。昔人間が来ていたのなら、何か記録も残っているかもしれない。

階段を下りて、玄関を開けると、後ろから声がして、振り返るとお姉さんがいた。

「あら、どこかへ行かはるの」

「はい、ちょっと大学に行ってみようと思います」

「そうなんや、気ぃつけてな」

 お姉さんは優しく手を振ってくれて、新婚生活を始めたばかりの夫のように顔がにやけた。

「あっ、ちょっと待って。うちも大学に行くし、一緒に行こ」

 僕が玄関のドアに手をかけたところで、慌ただしく美夏さんが階段を駆け下りてきた。



 古都大学は、下鴨神社から徒歩20分くらいのところにある。下鴨神社の表参道を抜け、そのまま南に進み、高野川にかかる橋を渡って、出町柳駅の前の道を道なりに東の方へずんずん進んでいくと、百万遍の交差点の向かい側に現れる。僕と美夏さんは、二人で並んで歩いて行った。

「大学にいって何をするんですか」

「うちは、古事記とか読もうと思ってんねん。日本人やし、日本の神話くらい知っておきたいやろ」

「そういえば附属図書館に、古事記とかの現代語訳本があったような気がする。有名な作家が翻訳したやつで、なんとか出版が出してる……」

「なんも分かってへんやん! 笠井くんは、何しに行くん」

「僕は、とりあえず附属図書館に行こうとは思ってるんだけど、よく分からない。僕は、別世界から来たかもしれんくて、もしそうだったら、そこに戻る方法に関する手がかりがなにかないかなって。サトおばあさんの話だと神話がどうのこうのって言ってたから、僕もそういう本を調べてみようかな」

「おお、そういうことならうちも協力するで」

「そう? ありがとう。ほんとに助かる。水に関するものとか、帰ることに関することとかがあったら教えてほしい。」

「けっこうアバウトやな」

 そんな感じで話していると、いつの間にか古都大学の附属図書館の前に来ていた。心配事の一つは、学生証が反応しないのではないか、ということだったけど、なんなくゲートを通ることができた。


 2階に上がり、日本文学のコーナーに行くと、彼女はまずは古事記の現代語訳を読むことにしたみたいだった。僕もそのあたりにある本を眺めていると、ある棚に「日本の神話」というタイトルの本があるのを見つけた。僕が、以前、附属図書館に来た時にこの辺りに来たことがあるけれども、こんな本はあっただろうか。その本の「はしがき」をめくってみると、

「我々の国には、古事記や日本書紀(以下「記紀」という。)があるが、それは純粋族の人たちが作った神話・歴史書である。そこでは、我々に語り継がれてきた神話はほとんどが削り取られてしまっている。そこで、私は、この国における我々の神話をここに記して遺そうと思う」

ということが書かれていた。僕は、この本を机に持っていった。

 この本には、次のような話があった。


・かつて、神は、国を作った後、神の子孫をお産みになっていき、その神々が国を作った時、人と動物は一緒に暮らしていた。しかし、人と動物の子孫たちが人側と動物側に分かれて争うようになった。このままでは、戦争になると思った神々は、一つだった世界を、人の世界と動物の世界の2つに分割した。そして神々も2つのグループに分かれてそれぞれの世界を統治した。ただ、それでも平和にはならなかった。人は動物の世界に入って、動物を襲って食べ始めた。動物も人を襲うようになった。そうして、今度は、人と動物が戦争をすることになった。そのときには、すでに、人と動物の混合したものもいた。そしてその混合族も、人に近い方と動物に近い方に分かれて戦った。そして、この戦争で人側が勝利を収めた。それで人、動物という上下関係が生まれ、そういうわけで、今では人が一番偉いことになり、人がすべての世界を支配した。純粋族の人とともに戦った、彼らに近い存在の混合族も、彼らと同様、動物の上の存在だと信じられ、純粋族とともに支配するようになった。


・人と動物が戦争をした時、人の世界を率いたオオクニヌシノミコトは、動物らに襲われ、腕に傷を負った。その傷が原因で、腕で獣化が始まったが、混合族の人の導きで、今の下鴨神社の地下にある湧き水の場所へたどり着き、そこで傷を洗うと、傷は完全に消え去り、腕はもとの形にもどった。オオクニヌシノミコトは、迎えに来た白い鹿に乗って、また戦場へ戻っていった。


・その後、神々は、純粋族の人と混合族の人との間でもこのような争いが生じないように、その間において完全に世界を分割し、互いに行きかうことができないようにした。


 かつてこの世界に来たというあの人が調べたのも、この本のことだったのかもしれない。しかし、一生懸命調べたにしては、本一冊の情報というのは、あまりにも少なすぎる。この本を読んで、帰る気がなくなってしまったんだろうか。行き交うことができないようにした、ということになっているから、そこで帰る手段はないと諦めたのだろうか。しかし、人の世界からこの世界に来てしまったのだったら、分割は不完全なもののようにも思われる。

 僕は、この本以外に何かおもしろそうなことが書いてある本がないか探してみたけど、結局何も見つからなかった。


 附属図書館から帰る時に、美夏さんに何か役立ちそうなことを読んだか聞いてみた。

「よく分からんかったんやけど、イザナギがイザナミに会いに黄泉の国へ行った帰りに、なんとか坂に行ったって書いてあったような気ぃするわ。あと、黄泉の国からの追っ手に桃を投げつけたとか。桃が悪霊邪気を祓うらしいで。なんか参考になる?」

「うん、分からんなぁ」

「せやなぁ。……あ、じゃあ、うちの友達にも聞いてみようか。うちのおばあちゃんが知ってたみたいに、おばあちゃんがなんか知ってはるかもしれへんし」

「そうか。じゃあ、お願いします」

「ええで。千円貸してもらったしな」

 美夏さんは、ニコっと笑った。

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