第7話「山あり、谷なし」

「へっくしょん!」


 湯冷めしてきた。せっかく温まった体がどんどん冷たくなっていく。どうしよう、もう一度入り直すか? いや、さすがにそんな時間はないだろう。お金だって無駄遣いはできないし。


「女の子の風呂がこんなにも長いなんて思わなかったな」


 俺はココハが上がってくるのを風呂屋の前で待っている。俺が上がってからもう二十分は経っているはずだ。外は既に真っ暗だ。俺は時計を持っていないし、街の中央にある時計塔はここからだと距離があって影がぼんやりと見えるだけだ。明かりも灯されてはいない。


「もう少し長風呂してもよかったかも」


 今後は何か対策を考えないと、いつ風邪をひいてもおかしくはない。


「…あ、お待たせ……しました」

 ココハの声だ。ようやく上がってきたみたいだ。


 俺は彼女の方を振り向いた。そこには二人の女の子が立っていた。一人はココハだ、間違いない。もう一人は? はしばみ色の長い髪をリボンの付いた髪留めでまとめている。


「え? ルミル?」

「久しぶりね」

「…中で、偶然会って」

「そうなんだ。久しぶり」


 ココハの顔が緩んでいた。俺が知ってる彼女は不安そうな顔ばかりしていた。風呂が好きだって言ってたしリフレッシュできたのなら良かった。


「…ごめんね、待ったよね? 話し込んじゃって」

「ん? 平気平気」


 いや、わりと平気ではなかったんだけどね。それにしても、話し込んじゃって……とは。ココハはそんなに会話が得意ではないはずなんだけど。相手がルミルだから話せたんだろうか? それとも、相手が俺だから会話にならなかったのか? うーん、分からない。


「二人は、これからどうするの?」

 ルミルが突然、そんなことを言った。


「え? 俺たちは宿屋に戻って寝るけど。あ、別に寝るのは一緒にじゃないよ!? 部屋も別々だし! 一緒の宿だっていうだけで!」

「あたりまえでしょ? 何慌ててるのよ。ココハに手を出したら殺すわよ?」

「……はい」


 やばい。怖いよ。ココハは俯いちゃってるし、失敗したなぁ。


「それで? 明日からどうするのか聞いてるんだけど?」

「え? ああ、とりあえず……お金を預けてから、どこかでパーティーに入れてくれそうな人を探そうかなって」

「そう。ココハはどうするの?」

「もちろん一緒にだよ。一人にはできないだろ?」

「……もしも、パーティーに参加できるのが一人だけって言われたら?」

「何? その質問」

「答えて」


 俺はココハの様子を見た。まだ俯いたままだ。でも、震えている……ような。湯冷めしたのか? あまり長話をするわけにもいかないな。


「それなら断る。二人一緒でもいいと言ってくれるパーティーを探すよ」

「ふーん。ココハ一人を参加させるって選択肢はないのね?」

「それは……ココハがそれを望むなら俺はそれでもいいけど。でも、この子は他人と話すのがあんまり得意じゃなくて、難しいだろ? 知らない人の輪に一人でっていうのは」

「……だってさ」

 ルミルがココハに向かって言った。


 ココハは首を縦に振ってそれに応えた。何の確認ですか? 二人を交互に見る。ルミルもココハもどこか安心したような顔をしている。


 ……それにしてもだ。風呂上がりなんだよな。ココハの表情は普段よりも落ち着いている。術士メイジらしい黒いローブを着ていて、いつも通りだ。ルミルは? 以前はいつもムスッとしてる感じだったけど、今はそれを感じない。俺たちより先に冒険者となったはずの彼女は、今はどんな生活をしているのだろうか?


 服装は冒険者用のものではなく、たぶん部屋着……とはいかないまでも、普段着なのかな。下はしっかりズボンを穿いているのだが、上はあまり分厚くはない服を一枚着ているだけだ。その服は中腹で形が大きく湾曲しているのだが、それが山のように盛り上がっていて目が釘付けになってしまう。谷は……見えない。いやいやダメだろ、これはいけない気がする。


「…レイトくん?」

「え!? 何!? 俺は、別に……何も!?」


 声が裏返ってしまった。二人が見つめ合って首を傾げている。


「とにかく、ココハを泣かせるようなことはしないで。あたしからはそれだけ」

「あ、うん」

 ルミルの顔を見ることができない。見ると視線を下げてしまいそうになるからだ。


「それじゃ、あたしは向こうだから。またね、ココハ」

「…うん、おやすみ……なさい」


 ルミルが歩いていく。正直、解放された気分だった。彼女の後ろ姿を見送る。相変わらず、歩き姿も堂々としていてルミルらしいなと思った。


「へっくしょん!」

「…大丈夫?」

「うん……そろそろ、帰ろっか」


 ココハが首を縦に振った。俺たちは来た道を引き返し、宿屋へと向かって歩いた。風が吹くと体が震える。せっかく風呂で温まったのにな。


「あ、そうだ」

 俺が思い出したように呟くと、ココハは黙ってこちらを向いた。


「タオルと石鹸、別料金だったでしょ? ごめんね?」

「…ううん、ルミルが……出して、くれたから」

「そっか」

「…うん」


 やっぱり会話は続かないな。ルミルとは話し込んだって言ってたけど、相手が俺だとダメっぽいな。ちょっと寂しい。まぁ俺は男だし? ルミルは女の子だし? きっと同性とは話せるけど、異性とはまだ無理……とかそういうことだろう。そうであってほしい。


 宿屋に着くと、ココハの部屋の前で別れて自分の部屋へと入る。隠してあった銀貨と銅貨も無事だった。食費と宿泊費、それと風呂代も含めると一日で銅貨十五枚ほどは必要になるかな。銀貨三枚で銅貨三百枚だから……最長でも二十日か。思ったよりも短い。風呂代を節約すれば少しは伸ばせるだろうけど、無理だろうな。俺は我慢できるけど、ココハは耐えられないだろう。一人で通わせるのも不安だし。うーん、何か考えないと。考えないといけないことが多いよな。


 とにかく、今日はもう寝よう。項垂れながらベッドに倒れ込んだ。冒険者としての一日目が終わる。風呂屋へ向かう前よりも冷えてしまった体を、抱え込むようにして深く眠りについた。

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