第6話「二人の格差」

 私はレイトくんに連れられてお風呂屋さんへとやってきました。彼は私のような人間にも優しく接してくれる人。今日から冒険者になったというのに、一人で踏み出す勇気が持てず、座り込んでいた私を街まで連れて来てくれました。


 食事も宿探しも全て彼がやってくれて、私は何もできなかった。何をしたらいいのかも分からなくて。冒険者としてお仕事をしないといけないことは知っているけど、どうやってお金を稼ぐのかはよく分かっていません。動物を狩ったりするのかな? そんなことになったら、私はレイトくんに見捨てられる。だって、私は……。


 宿屋さんに着いて部屋に入ると、急に怖くなって泣けてきました。私はダメだ。長生きできない。ううん、きっと早死にする。誰も私のような人間を助けてはくれません。死ぬのは怖いし、できることなら死にたくなんてない。でも、どうすればいいの?


 泣き疲れたので寝ようと思った。そうしたら彼が呼びに来てくれました。お風呂屋さんの場所が分かったって。私はお風呂が大好き。修練室にいた時もずっとお風呂に引き籠っていたかったくらいに。温かくてポカポカになると嫌な気持ちも溶けていくような感じがするから。


「上がったら出入口で待ってるから」

 レイトくんはそう言うと、男湯の方へと入って行きました。


 私も女湯へと向かう。一刻も早くお風呂に入りたい。飛び込んでしまいたい。番台さんに入浴料の銅貨三枚を渡します。私は街で銀貨を銅貨に両替できなかったので、明日、銀行のような所へ行くまではレイトくんから借りている立場です。入り口で別れる時に彼から入浴料を渡された以外は、銅貨を一枚も持っていません。神殿を出る時に渡された銀貨三枚だけ。


 ――まさか、タオルや石鹸を買うのには銅貨二枚が別に必要だったなんて。


 どうしよう。誰かに借りる? ううん、貸してくれるわけがない。それに声をかけるのも私には無理です。レイトくんも今は入浴中だし、男湯の方へ行けるはずもない。彼が出てくるのを待つわけにもいかないし。髪も身体も洗わずに浴槽に浸かるのはマナー違反。楽しみだったけど仕方がありません。濡れたまま帰ることになってもいいから、今日はシャワーだけ浴びて帰ることにします。


「あなた、ココハ?」


 突然、自分の名前を呼ばれたので肩が跳ね上がるほど驚きました。女の人の声だったような? あたりまえです。だってここは女湯の脱衣所なんだから。恐る恐る振り返ると、そこには見覚えのある人がいました。


「…ルミル、さん?」


 彼女は私やレイトくんと同期の冒険者で、修練室では一月ほど一緒に生活をしました。彼女は弓の才能があったらしく、予定よりも早く修練を終えて神殿を出て行ってしまいました。それでも、一月も一緒にいたのだからそれなりに話もしました。というか彼女が話をしているのを、私は聞いていたというのが正しいのかもしれません。


「ごめんね、あの時は先に出て行っちゃって。あたしはどうしてもあの神殿に居続けるのが我慢できなくて。あなたのことまで考えてあげられなかったわ」


 心配してくれていたんだ。こんなときに私は返事の一つもできません。首を横に振り、何とか意思を伝えました。そして、それがもう当たり前のように受け入れられています。


「それで、どうしたの? お風呂は好きだったわよね? 入らないの?」

「…お金が、銀貨しかなくて……その、タオルと……石鹸が、買えなくて」


 たどたどしい口調になってしまったけど、何とか伝わったみたいです。ルミルさんは代わりに支払ってくれた上に「…後日、お返し……します」という私の言葉に「別にいいわよ」と言ってくれました。


 ようやくです。私はローブを脱ぎ、下着を外すとタオルと一緒に台に置かれた籠に乗せ、石鹸を持って浴室へと向かいます。扉を開けて中に入ると白い湯気に歓迎されました。そこはなかなかの大浴場でたくさんの人が利用しています。大風呂が一番人気みたいで、他にも泡がブクブクと出ているお風呂や、電気でビリビリするお風呂、外には露天風呂もあると壁に貼ってある案内板には書いてありました。


 まずは髪と身体を洗うためにシャワーを浴びます。石鹸はこれ一つしかないので、全身をこれで洗うしかありません。でもいいの。お風呂に入れたんだもの。


「ここの石鹸は髪が痛んだりしないから大丈夫よ」


 ルミルさんは私の隣に座って、長い髪を丁寧に洗っています。もう何度も訪れているのかな? 髪に石鹸を付けるのを躊躇っていた私にそう教えてくれました。私は髪が短いのですぐに洗い終わり、身体に石鹸を手で一生懸命に擦りつけます。


 ルミルさんのような長い髪に憧れはあるけど、私には似合わないと思っていて伸ばしたことはありません。記憶がないから分からないけど、きっとないだろうなと思っています。


 ふと、ルミルさんの方を見てみると、すごく大きな、白くて柔らかそうなものが二つ、胸元に張り付いています。何だろう……あれは。胸……なんだろうことは分かっているんだけど。でも、あんなにも大きいなんて。びっくり。思わず自分の胸を確認する。けして小さくはない。小さくはない……はず。まだまだ成長期。成長するはずだもん。私だって、いつかは……。


「どうかした?」

「…ううん、なんでもない……です」


 私は素早く丁寧に身体を洗うと「…先に、入ります」と伝えてから浴槽へと向かいました。大風呂の隣にあった小さめの浴槽です。足先で温度を確かめる。神殿のお風呂よりも少し熱め。ゆっくりと浸かっていきます。「…ふにゅー」と口から空気が抜けていく。肩まで浸かったら、もうお湯と同化したような気持ちになる。


「気持ちよさそうね?」


 しばらくすると、ルミルさんも同じ浴槽へと入ってきました。長かった髪が頭の後ろでクルクルと巻かれています。お湯に浸けてしまわないためです。その姿がとても色っぽくて、同性なのにドキドキしてしまいました。


 二人は無言のままお風呂を楽しんでいました。そして、ふと思ったんです。ルミルさんは私たちよりも二週間も早く冒険者になったんだもん、何かアドバイスとかをもらえないかな……と。


「…あ、あの」

 言いかけて止めてしまった。


 ルミルさんだって苦労したはずです。顔見知りとはいえ、そんなに簡単に情報を提供するでしょうか? あなたも苦労しなさいと言われて終わる気がします。そう思ったら言葉が出てこなくなってしまいました。


「なに?」

「…いえ、その……なんでも、ないです」

「何か聞きたそうだった。いいわよ、聞いても?」


 心が読まれているのかな? それとも試されてる? これはチャンスなんです。私がレイトくんに少しでも恩返しができるチャンス。もしかしたら、ルミルさんには嫌われてしまうかもしれないけど。それでも……。


「…ルミル、さんは」

「ルミルでいいわよ?」

「…え?」


 いきなり出鼻を挫かれました。ルミルでいいよ、とはどういうことだろう。私に名前を呼び捨てにしろということなのかな? でも、そんなのいいのかな……?


「あたしたち同期だし、ココハは幼く見えるけど歳はそう違わないわよね? きっと」

「…………」

「あ、難しいならいいわよ、好きに呼んで? それで……続きは?」

「…ル、ルミル……は、冒険者になって……どうしてるのかなって」


 何とか聞けました。頑張った私。ルミルさんは少し間を取ってから話を聞かせてくれました。


「最初はね、とにかく街を見て回って。それから泊まる場所を確保して。お金の計算とかをしてみて。あんまり余裕ないなーって思って。適当な冒険者を捕まえて、パーティーを勧誘している場所か人を知らないかって聞いて。そしたら、酒場に行けばそういう話はだいたい聞けるって教えてくれたわ。行ってみたら、ちょうど勧誘してる人がいてね。新人でも歓迎するっていうから付いて行ったの。そのパーティーはシシノ平原でボアー狩りを仕事にしていた。でも、すぐに抜けたわ」

「…え? どうして?」

「パーティーに嫌なやつがいたのよ。女を物みたいに扱うような、最低なやつ。そんなやつと一緒のパーティーだなんて嫌じゃない?」

「…それで、辞めちゃったんだ?」

「そうね」


 ルミルさんは大人っぽくてカッコイイけど、男性がいるとどうにもイライラしちゃうみたいです。詳しくは聞けなかったけど、修練室にいた頃にそんな話をしていた気がします。


「そのあと、神殿から指令が来てね。今はユトの丘で怪鳥バード狩りをしているパーティーに参加しているわ。指令は拒否できないみたいね。ほとんど強制参加だったけど、まぁ以前のパーティーよりはマシかな」

「…そう、なんだ」


 ルミルさんは明るく話してるけど大変だったと思います。だって一人ぼっちだし。私にはまだその大変さは分かりません。


「ココハは? 冒険者になってどうしてるの?」

「…私は今日、神殿を出てきた……ばっかりで、まだ……何も」

「そっか、一人で大丈夫だった? 良かったらあたしのパーティーに入れるように頼んでみようか?」

「…あ、えっと……レイトくんが」

「レイト? ああ、ココハに話しかけてたあいつか。あいつに何かされた?」

「…ううん、神殿を出るのが……たまたま一緒で、そのまま街も……一緒に回ってくれて、宿も……探してくれて。今は……その、向こうに……います」

 私は浴室の中央の壁を指差しました。


「え? いるの? 男湯に?」

「…うん」

「まさか、宿も一緒じゃないわよね?」

「…え、一緒だよ? 部屋は……別々、だけど」

「あたりまえじゃない、そんなの! 悪いことは言わない、別の宿に移りなさい。男と一緒なんてダメよ。危険すぎるわ!」


 ルミルさんが取り乱したように声を荒げたので少し驚きました。


「…レイトくんは、大丈夫だと……思う」

「そんなの……今だけよ」

「…………」

「まぁいいわ。とりあえず、これからどうするの? レイトと一緒にパーティーを組む予定?」

「…まだ、分かりません。私……お荷物だし」

「ココハ……もしかして、あれからずっと?」

「…うん」

「そのことについては、あたしにはしてあげられることはないけど、何か困ったことがあったら相談しに来なさい。いいわね?」

「…うん、ありがとう」


 ルミルさんは私を嫌いになるどころか心配までしてくれました。それが嬉しかった。お友達だと思っても迷惑じゃないかな? それを聞くにはまだ勇気が足りません。でもいつか、ルミルさんとはもっともっとお話しできるようになりたいな。


「さて、そろそろ上がろっか。のぼせちゃうわ」

 そう言うとルミルさんは立ち上がりました。


 その時でした。ルミルさんの大きな胸の……大きさは関係ないんだけど、左胸の下にあの青い紋様が見えたの。私たちの一番古い記憶、最初にいたあの暗闇の部屋にあった魔法陣と同じ模様。ジェニオくんの頬にも同じような紋様がありました。そして、私のお腹にもある。修練室のお風呂で気がついたんだけど、怖くて誰にも聞けていません。レイトくんにもあるのかな? やっぱり聞けないけど。


 私たちは脱衣所へと戻り、タオルで髪を拭き、身体も拭きました。下着を付けローブを着る。ルミルさんは動きやすそうな服です。私も可愛い服が欲しいな。そんな金銭的余裕はまだまだないけど。今はこうしてお風呂に入れるだけで満足です。


 ルミルさんが髪を乾かしていたので、備え付けの椅子に座って待ち、二人で一緒にお風呂屋さんを出ました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る