1-3 帰りたい!
金色をおびていた光球のかがやきが、青くおだやかなものに変わる。
イズクが生まれてはじめて得た私室は、二、三人で暮らしても困らないほどの広さがあった。大人でも手足を広げて眠れそうなベッドに、木づくりのすべすべとした書き物机、イズクの持ち物をすべて詰めこんでも全然足らないような、大きなタンスが置かれている。
タンスの一番下、その奥には、手紙がひとつ横たわっていた。きっと、前にここを使っていた者――消えてしまった使用人のものだろう。イズクはぞっとして、一番下の引き出しを使うのをやめた。
イズクが荷物を広げ終えたころ、部屋に夕食が運ばれてきた。薄く切った豚肉の燻製に、豆のスープだ。
自分だけの部屋を与えられただけでなく、部屋まで食事を持ってきてもらえるなんて――うれしく思ったのもつかの間、この待遇が仕事の危険さの裏返しであることに気がついて、イズクはげんなりしてしまった。そうでなくとも、ときどき、思い出したように体が震えるというのに。
しっかりと味の付いたスープを口にふくむと、孤児院で飲んでいた、ほとんど味のしないスープのことが思い出される。肉だって、めったに食べられない高級品だ。
イズクはひざを抱え、孤児院に残してきた家族のことを考えた。弟分や妹分、先生たちも、こんな食事ができているのだろうか。お金はちゃんと届いたのだろうか。寂しがってはいないだろうか。こちらを心配してはいないだろうか。
頭の中の皆の姿に〈大丈夫〉と答えようとしたとき、イズクの中に、魔術師に見据えられた瞬間の記憶がよみがえる。全身に震えがきて、イズクはスプーンを取り落とした。
「だめ、だめだよ。震えないで。大丈夫、大丈夫だから……」
イズクは自分の体を抱きしめてくり返したが、震えは止まらない。心細さに、目の奥が熱くなるばかりだ。
――皆のいる院に帰りたい。お腹が減ってもかまわないから、もう、こんなところから逃げ出してしまいたい。
部屋から出ないよう言いつけられていなければ、せめて、孤児院から連れてきた脳天気なロックルに会いたかった。
イズクはスプーンを拾い上げ、スープを口に運んだ。きれいな黄金色をした、舌がしびれそうなほど濃いスープは、イズクが知っているどのスープとも違っていた。何度口に入れても、イズクを幸せな気持ちにはしてくれなかった。
やがて、イズクは食事の手を止めた。皿の中身は、半分以上残ったままだった。
孤児院にいたころは、いつも、お腹いっぱい食べたいと思っていたものだった。それなのに今は、ちっともそんな気になれない。
イズクは、言いつけられた通り、食器を乗せたワゴンを廊下に出してから、ベッドにあお向けになった。
ベッドはどこまでも沈み込んでしまいそうなほどやわらかかった。孤児院で使っていた、藁にシーツをかけただけのうすっぺらいマットレスとは大違いだ。
イズクは落ち着かず、何度も寝返りをうった。こんなにやわらかいベッドでは、かえって眠れる気がしなかった。転がっているというより埋もれているようで、やたらと無力感をかき立てられる。
やがて、イズクはベッドからシーツを一枚引きはがし、それに身を包んで床に転がった。幸い、じゅうたんのおかげで、床はそれほど硬くない。あおげば、ベッドと床の高低差の分、天井が遠く見えた。
孤児院の天井には、遠目にも見えるほど大きな穴がいくつもあった。そういった穴は内側から布でふさがれているのだが、これが、夜には外光を透かしてふわりと光をはなつ。皆が眠りについた雨の夜、布きれを片手に、その光を見上げる時間が、イズクは好きだった……。
イズクは、穴どころか、汚れひとつない天井を見つめた。ここでは、孤児院で見たあの光が見られることはないのだ。いいや、孤児院でさえ、もう見られないかもしれない。イズクがここにいるということは、そういうことなのだから。
ふと、あることを思いついたイズクは、気だるい体を起こした。
孤児院のみんなに、手紙を書こう。たしか、書き物机に筆記具と紙があったはずだ。手紙を書いてはいけないとも言われていない。手紙を送れば、先生たちはきっと安心するだろう。弟妹たちも喜んでくれる。
イズクは、自分にそう言い聞かせながら――本当は、ひとりでないことをたしかめたくて――、書き物机に向かった。
◆
『みんなへ
うずまき貝につきました。
まじゅつしは怖くないし、ここのごはんはとってもおいしいです。
お金はちゃんととどきましたか。ごはんとおやつはたべましたか。
へんじを待っています。
イズクより』
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