4-1 悪い夢

 イズクは、孤児院の敷地の外周に立って、院を見ていた。

 風が吹くたび、さざめく草が波を形づくる。背後にそびえる森の影がイズクを覆い、草葉の擦れる音、鳥の鳴き声、そよ風のささやきなんかを含んだ、うずまき貝のそれとはまるで違う種類の静けさがイズクを包みこむ。

 ぼろぼろだった孤児院は、イズクのいないうちに建て替えられ、見違えるようだった。天井に穴の空いていない、皆が安心して眠れる家だ。イズクはうれしくなって、院に向かって走り出した。

 

「ただいま!」


 扉は、軋みひとつたてずに開く。向こうには、大好きな家族が待っている――はずだった。

 ふと違和感を覚えたイズクは、戸口に立ち止まる。

 広くなった部屋の中には、孤児院の皆が集まっていた。それぞれが好きに遊んでいたらしいが、今、彼らはそろってイズクを見つめている。それも、おかしなものを見るような目で。


「みんな、どうしたの? イズクだよ。僕、帰ってきたんだよ」


 返事はなかった。孤児院の皆が、よそよそしい視線でイズクを見やる。

 イズクは怖くなった。ついこの前まで一緒に過ごしてきた家族なのに、どうして他人のように見えるのだろう? 

 数歩後ずさったイズクは、何かに足を引っかけ、あおむけに倒れこんだ。イズクの背中を、やわらかいものが受け止める。

 ベッドだ、とイズクは直感的に理解した。そして、そのベッドの主は――。



「――ッ!」


 イズクは、声なき悲鳴とともに飛び起きた。

 服が汗でぐっしょりと濡れ、肌にはりついている。早く着替えなければ、体が冷えてしまう――わかっていながらも、イズクは、自分の体を抱きしめ、小さくうなった。胸の中にわだかまっているものを、声と一緒に吐き出そうとするように。

 イズクは、ぼんやりとしたまま、周囲を見回す。

 孤児院ではない。もう見慣れてきた、うずまき貝の中の私室だ。孤児院は遠い辺境にあって、家族ももちろん、孤児院を出て以来、会ってはいない。


「嫌な、夢……」


 そうつぶやきながらも、イズクは、どこかほっとしていた。

 孤児院の皆が、イズクをあんな目で見るはずがないことはわかっている。イズクが出立するとき、彼らは心から惜しんでくれた。先生たちは、二大しかない荷車のひとつにいすを取りつけて、イズクに使わせてくれた。服だって、まだ新しいものを出してきてくれた。弟妹たちは寂しがって泣いていたし、何度も〈イズク兄ちゃん、いつ帰ってくるの?〉と尋ねてきた。

 それでも、生々しい悪夢は、イズクの形ない不安を的確に揺さぶったのだった。


 ――大丈夫。あんなこと、あるわけないんだ。皆、僕の帰りを待っていてくれる。僕ひとり孤児院を出てきたのだって、僕が一番お兄ちゃんで、一番しっかりしていて……それだけの理由なんだから。


 どうして自分だけが孤児院を離れなければいけないのか。イズクもはじめ、そんなことを考えた。だが、先生たちが苦しそうな顔をして、しかしイズクを頼るものだから、拒むこともできなかった。何度も謝る先生たちに、イズクは、〈平気だよ〉と言った。先生たちは、少しだけほっとしたような顔をして……また、イズクに謝った。


 ――本当に、本当に平気だ。皆のためなら、僕はがんばれる。


 イズクは、ベッドの中で膝を抱えた。むしょうに、手紙の返事がほしくなった。

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