音声記録4-9:『基地から連れ出されて何ヶ月……』

 基地から連れ出されて何ヶ月間か、私は会社指示で系列の病院に入院させられました。場所は環境惑星です。私は故郷を恋しく思いました。

 ともに連れてこられた同胞たちとも、引き離されてしまってもいたので。彼らは私ほど長く入院せず、あるていど回復したので帰郷したと聞かされました。しかし、そんなはずはありません。回復? 我々は怪我も病気もしていないのに。それに帰郷などとは。我々の帰る街はもうないんですよ。

 いくら医者や看護師に尋ねても、本当のことは教えてもらえませんでした。他のことはいくらか話題にしてくれる日もありました。医者によると、あのガス巨星の基地は一時閉鎖されたそうです。一時閉鎖であって、完全廃棄でないのは気になりましたけれどね。

 本社の役員が愚かでないなら、いずれはそうなるでしょう。私はまず会社に、我々の故郷の素晴らしさについて言葉を尽くして説明しましたから。間違いなく同胞たちもそうやって、あの悲劇と人々の罪を会社に知らしめたはずですよ。

 治療のとき以外は、私は窓の外をぼんやり眺めて過ごしました。でも、時が傷を癒やすという格言は、あれは嘘ですねえ。いくら時が経とうと、どんな薬を飲もうと喪失感は私を苛むばかりです。

 あの優しい潮流が奏でた音楽。あの芳醇な香り。はだを撫でる暖かな流れ、レースの揺らめく陽炎の街。繊細でどこまでも優美な同胞たちの姿、愛らしい子供たち……。

 讃えるべきは故郷でした。あれほどの美はこの銀河に二つとなかった。


『しかし、あなたの本性は宇宙の放浪者。そうですね? 思い出してください、星野があなたの属する場であり、永遠の夜こそあなたの居場所だ。あなたは輸送船団の船に産まれ、何もない宇宙の静寂でこそ落ち着く、と。そう私に教えてくれた。どうですか? それが本当のあなた自身でしょう?』


 はあ? ええ……。はい、先生。そのとおりです。

 ガス惑星の大気層は、常に猛烈に渦巻いていました。雲海の昼夜は美しかったけれど、内部の対流の勢いは恐ろしくて。本当に、私の産まれた深淵とは比べものにならなかったです。穏やかさ。穏やかさ。私を包んだ冷たい虚空には。私を包んだ甘い繭には。

 星は漆黒に瞬いたりせず、恐怖に震える嬰児の悲鳴もありません。滅んだりもしないんですよ。そう、船団には、そもそも故郷がないのですから。

 私は――わ、私は、返してほしいのですよ! 私の静寂を!

 目を閉じると、眠るとあの気味悪い屍衣のひらめきが見えるんです! か、悲しくて耐えられない。失ってしまったなんて――心のどころだったのに。私は帰りたいんです、先生。かえりたい、私が産まれたあの静けさに、あの繭の安逸に! あ、あ、あの薄金色の滑らかさといったら――。


『さ、これで涙をお拭きください。長く喋って疲れたでしょう。助手に飲み物を用意させましょう。おい、きみ、暖かいお茶を一杯――』


 す、すみません、先生。思い出すと、涙が……。本当に、こんなじゃ同胞に合わせる顔がありませんよ。もっと話さなくちゃいけないのに。

 しかし、先生にはうまく話せたと思います。そうでしょう、理解してもらえたでしょう? 我々の故郷の素晴らしさを。はるか深い祖先から編み継いだ、大切な故郷で――。


『お茶が来たよ。ついでに、この薬も飲んでいただけるかな。気分を落ち着かせて、身体を休める薬です。飲み終えたら、今日の診察はここまでにしましょう。少し疲れさせてしまったようだから』


 いいえ、私は大丈夫です、先生。疲れてなど……。それより、一刻も早く私は自分の頭を取り戻したいんです。

 たびたび頭痛が――混乱してしまって。早く自分の家へ戻りたいです。家というか、船だが。つまり糸網のことです。

 私は――独りになりたいなあ。こんな悲しみや胸の痛みに苦しまずにすむように。人間の少ない、遠い遠い場所に還りたいです。昔みたいに。静かで、静かに揺蕩たゆたっていたいです、本当に、私は――眠くなってきた。


『薬の軽い副作用です。眠気を感じるケースもあってね。大丈夫、看護師があなたの部屋まで付き添いますから』


 眠る? 夢を見たくないです。起きていていいですか?


『もちろん、かまいませんよ。睡眠サイクルには時間が早いからね。夢のことは心配しないで。あなたの脳神経の状態は常時モニターしていますから』


 ありがとうございました。またお世話になります。次もこの電報ラジオ局を使わせてもらって構いませんか? 次回はいつでしたか?


『ええと、明後日の同じ時間だったかな。はい、またお話ししましょう』


 よろしくお願いします。便利な放送局番を教えてくれて、ありがとうございます。私は故郷のことを永遠に語り継がなければならないので――では失礼します。本当に眠くなってきた……。


『…………』


『…………』


『……もしもし? 私だ。今の患者に冷凍睡眠処置を頼む。導入剤はすでに飲ませてある――いや、そのつもりだったんだが、中央星域まで眠らせることにした。あれはこの船の設備で緩和させるのは無理だ。中央でも治療できるかどうか……。

 セッション途中まではわりあいに論理性を取り戻したように思えたんだが、偽性だったな。きみもあとで高次機能野スキャンの結果を見てみてくれ。可哀想に、ぐっちゃぐちゃだよ。

 うん、奇妙な妄想だったよ……あれは妄想なのかね。他にも同じ企業から来た患者はいる? きみは紹介元の産業医に詳しい経緯を聞いてないかな。いや、紹介状にはほとんど何も……。うん、原因は不明だが、確かに侵蝕を受けたような神経損傷の痕がある。

 いや、それは問題ない。あの放送局は大昔に廃止されてるんだ。録音なんてされてないよ。そう、ただのポーズ。おっと、まだ接続してたかな? ええと、切断するには……』

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