音声記録2-5:『折しもその日は、ガス惑星……』
折しもその日は、ガス惑星〈楽園〉が
本当にさ、この世のものとは思ない眺めなんだよ――うちの店近くの展望窓に、楽園は今にも衝突しそうな迫力で巨体を見せつけてくる。桃色の大きな球面に、おとぎ話に夢見るような淡い雲の世界を描きながら……。
呆れたことにステーションは、ワラガンダの完全削除実行日にも、宙港機能の全停止どころか物販エリアまで通常営業を強いてきたわ。当然ながら客足はゼロだよ。AIが乱心中の危険区域に、好きで来る人なんていると思う?
おかげで真っ白な照明に照らされた都市街道なみに広いコンコースが、ほとんど人通りもなく見とおせた。わたしを含めて四人、休みを認められなかったスタッフたちは、なんとなく肩を寄せ合ってしきりに時刻を気にしてたよ。
ステーションは、電子危機対策の専門チームを働かせていた。強力なセキュリティソフトを使って、ワラガンダの残像を狩り尽くして削除する計画だって、わたしたちは知らされてたわ。でもそのとき、計画の終了時刻はとっくに過ぎてて――チームが手こずっているらしいって、みんなの雰囲気は重かった。
「いいかげん終わってもいい頃じゃないですか?」
不安げに貧乏揺すりしながら、後輩が何度目かの問いを口にしてた。会話は同じ内容の繰り返しで、でも何もせずに黙っているのはみんな不安で耐えられなかったのね。
「終わったら管理部から連絡があるでしょう。一時的に電源の切替えもあるって話だし」
「なんで全面休業にしないんだろう。何か起きたら責任取れるのかな」
「…………」わたしは喋らずに黙ってたよ。本当に怖かったから。
頭の中では、ありうる色んな大事故のシナリオがひっきりなしに渦巻いててさ。自分が何年もAI-
でも、そんなときにね。先輩がふと呟いたんだ。
「あのメッセージ、結局なんだったんだろうなあ。楽園に渡ることのできる死者とは――ってやつ」
「狂ったAIの言うことでしょう。支離滅裂に決まってますよ」
すぐに手を振ったのは、もう一人の先輩だった。
「γがあれを言い出したとき、上層部は迅速に手を打つべきだったのに」
「それどころじゃないです。俺、システム部に友達がいるんですけど。そいつによると、γへの危惧は何ヶ月も前から噂されてたらしいんですよ」
「なあんだ、そうだったの?」
後輩が声を潜めて打ち明けたので、みんなはてんでに呆れて文句を言ったりかぶりを振ったりした。
「場合によっては即時廃棄もありうると、最初から分かってたとかで」
「……その噂、いつごろから囁かれてたかわかるか?」
聞いたのは、最初にワラガンダのメッセージを気にした先輩だったわ。
そこまでは知らないって、後輩も首を振ってたよ。でも彼は、第二環のシステム管理長が、ひと月前から行動を起こしていたらしいと続けた。上層部の反応が鈍いというんで、しつこくワラガンダの徹底検査を提言してたって。
「一ヶ月前といえば、ちょうど店長が急死したころだね」
「それがどうかしたんですか?」
わたしはつい尋ねてみたよ。先輩が何を悩んでいるのか、よく分からなかったから。彼はずっと気になっていたって呟いて、みんなの顔を見渡したわ。
「ワラガンダは、本当に狂っているのかな」
いったい何を言い出すの? みんなは目を丸くした。
お葬式に使う品を勝手に大量入荷したり、広告に死者を蘇らせたり。まともじゃないのは誰の目にも明らかでしょう。それに店舗エリアの従業員には、ひそかにまかり通ってる噂があった。γの発狂の切っ掛けは、彼が懐いていたうちの店長の死を受け入れられなかったせいだって。
だけど先輩は腕組みして首を傾げたわ。変じゃないかって、彼はまた言った。
「葬式というのは、故人の死を受け入れて悼むための会だろう。店長が死んでないと思い込みたいなら、広告はともかく、葬式の準備をするものかな」
「しかし、発狂したAIですから……」
「俺はこう思うんだ。ワラガンダは、死を分かっているんじゃないかな。分かっていて受け入れて、彼はひどく悼んでる」
みんなはちょっと考えて、戸惑い気味に先輩を見た。
「管理官が言ってただろう、前は軍事用だったかもしれないと。疑似人格が芽生える前に、γが多くの人々の死に関わってきた可能性はある。その記憶が残っていて、店長の急死でフラッシュバックして壊れたのかと、俺は考えてたんだけど」
「そうじゃないの? だから店長や、他の亡くなった方、全員を悼んで葬送を……」
「あのメッセージが変じゃないか。楽園に渡れるのは、魂を持つものすべて? 死者が全員人間なら、わざわざワラガンダは俺たちに聞いてくるかな。つまり――彼が聞きたいのは人間のことじゃないんだ。なら、誰の死のことだ? 誰の魂なんだ? そう考えてみると、店長がよく言っていた虹の神話は……」
「『母星で死んだ生き物の魂は、虹を渡って楽園へ』……」
「そうなんだ。店長の話は、あくまで生き物についてだった。俺たちみたいに母星で生まれた、自然の命あるものについてだっただろう」
俺はワラガンダは正気だと思う、と先輩は言ったよ。そしてワラガンダは、技術者たちが自分に対して強い警戒を示したころから葬儀の準備をはじめたんだ、とも。
「店長が亡くなったのは、確かにきっかけではあったかもしれない。でもワラガンダの挙動を変えさせたのは、たぶん――予定された精密検査で疑似人格を発見されること、そのうえでの廃棄計画なんじゃないか?」
「それじゃ、ひょっとして……」みんなが思い当たって、はっと顔を見合わせたわ。
「ワラガンダが悼んでいるのは――」わたしも思わず口を挟んだ。「ワラガンダの、彼自身の死?」
突然、鈍い衝撃音がして全部の照明が消え果てた。
悲鳴があちこちで上がったよ。わたしたちは反射的に座り込んで、互いの身体を支え合った。
やっぱり事故が起きたんだと思った。あたりは一瞬、真っ暗闇で。ステーションは母星の影に入ってたうえ、どうしてか予備電源まで落ちてしまったみたいだった。恐怖と混乱。逃げようにも、どこに逃げたらいいのか分からなくって……。
けれど怖くて見開いた目は、だんだん闇に慣れてきた。すると〈楽園〉の反射光で、通廊が薄明く照らされてるのが見えてきたの。
ブーンと、電源の落ちた余韻の重低音が消えていった。空気は緊張で張り詰めていて、押し殺した人々の無数の息づかいのほかに音はなかった。
そこへ、近くで何かがカチッと鳴った。身をすくませて音源を探すと、左手奥に、かすかに駆動音を唸らせる機械の緑の電子灯があったわ。
黒々した塊は、
ひとりでにスイッチの入ったプロジェクタを、誰もが固唾を飲んで見守ったよ。行って電源を切るべきだったけど、みんな震えて動けなかった。そのうち装置は、大型の投射窓から霞んだ光線を発しはじめて――まるでコンコースの天井を探るみたいに、幾条も宙高く光を伸ばした。
銀の光線はちらつきながら、輪舞曲を踊って振れ動いたわ――周囲には、ちらちらと光の粒が散りばめられた。それからいっせいに四条の光に収束した。誰かが微かな溜息をついてたわ。感嘆の息を。
銀色の平行な光線のあいだに、大きな、鮮やかな虹が現れてたの。コンコースの内側から展望窓を貫くように、その先に見えるガス惑星〈楽園〉の方角へ。
薔薇の蕾を浮かばせた薄桃色の球面に向かって、虹は儚く輝きながら見事な弧を描いてた。
「あっ、店長……」
うしろで誰かの囁きがあった。指さされた行く末、虹の上に、わたしも揺らめく人影を見ていたよ。
透きとおった虹の橋、その不思議な坂の上にね、銀の光に縁取られた亡霊が歩いてた。微妙に輪郭をぼやけさせながら、ちらっとこっちを振り向くと、横顔はまぎれもなく見慣れた店長の笑顔だった。
声は聞こえない。でも何かを喋りながら、彼はゆっくり歩いてた。その周囲にぞくぞくと、別の人影も現れはじめた。
亡霊たちは淡く銀に仄めくだけで、全体に色は褪せていた。確かに顔を見分けられたのは、店長と、作り替えられた広告にいた名前も知らない故人たち。
でも人影はもっと大勢いた。時どき輪郭を重ねながら、たくさんの人々が歩いてる――和やかな表情で、一言も声は聞こえなくても、お互い楽しげに語り合いながらね。
そして、その不思議な行列の最後尾に、わたしは目立って背の高い人物を見つけていたよ。彼だけは顔が朧げで、輪郭もゆらゆらほどけがちだった。周囲から少しだけ孤立して、仲間を見守るように、虹の橋を渡ってゆく……。
やがて幻は、通廊に根ざしたほうから消えていった。人影たちは小さく遠く、虚ろに融けていって――虹色の弧を越えて、楽園へと渡っていった。プロジェクタの電源が落ちて、最後の光が消え去っても、わたしの目の奥にはまだ七色の残光が輝いてるみたいだった。
バチン。大きな音と同時に照明がついて、わたしたちは目覚めたように瞬きしたわ。
目をこすりながら、みんな黙ったまま顔を見合わせた。そして申し合わせたように、展望窓のガス惑星を眺めたの。
何事もなく、楽園は静かにそこに浮かんでいたよ。
血相を変えたエンジニアたちが駆けつけてきたのは、それからすぐのことだった。
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