彼女の出番さ
エメのなかにいる師匠は、司令席に座っている。
「そろそろ反撃といこうかアストライア。時間だけでも稼ぎたい。エンタープライズと繋げて、私の映像を南極点管理施設の頂上付近に投影するよう伝えてくれ」
『反撃? 何をするというのでしょうか』
「あんな強大な力をもった相手が敵なんだ。我々の士気もガタガタだろう。奇しくもあの時と同じだ。同じ事をするのさ」
あの時。たった一人でエメがアストライアを指揮して出撃した日だ。
『しかし今のエメは……』
師匠は目を瞑る。
「彼女の出番さ。――そろそろいいかね?」
「はい師匠。もう大丈夫ですよ」
師匠の一人芝居。アシアのエメと同じように。
エメの瞳が開いた。碧眼は今や銀色に輝いて。
アシアのエメは金色の瞳、琥珀色であった。
「みなさん。よく聞いて下さい。これから起きることすべてアシア及びエメは一切関係ありません」
師匠とはまた違った声音の指示が戦闘指揮所に響く。
「R001要塞エリア及び軌道エレベーター。シルエットベース及び地下工廠。P336要塞エリアをはじめとするアシアが管理していた施設はすべて私が掌握しました。重要拠点をエウロパに奪われることはありません。アストライア。異存はありますか」
『問題ありません。貴女こそが適任です。このアストライアが承認いたします』
「アストライアの承認をもって全施設、私の管理下となります。次はあの極点管理施設の侵略者の対応です」
『エンタープライズと繋がりました。早すぎましたか』
「いいえ。私の自己紹介も兼ねていますからね」
少女はにっこりと微笑んだ。何の問題もないとでもいいたいかのように。
「反撃開始ですよ師匠。頼りにしています」
「私がついているよ」
一瞬だけ師匠に戻り、少女に答える。
少女がアストライアに向けて頷いてみせた。
通信が繋がった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「俺にはアシアの息吹を感じるんだ」
それは紛れもなく真実。アシアは生きている。ケリーもウンランも確信していた。
『その通りですケリー。私は死んでなどいませんよ。R001要塞エリアと軌道エレベーターをはじめとするアシアの管理施設は私が掌握しました。計画が上手くいって浮かれすぎですよ? エウロパ』
エウロパの対面にエンタープライズから投影されたスクリーンが出現する。司令席に座っているエメが映し出されていた。
やや面食らったケリーだが、にやりと笑う。あのエウロパに一杯食わせたのだ。
「アシアの依り代、死んでいなかったんですね。その身に別のAIを降臨させているの? 貴女はアストライア系列ではなくて?」
エウロパは冷ややかに言い捨てた。かつての超AIアストライアの残滓とその系統のAIがトライレーム側にいることは知っている。
『エウロパ。バルバロイを使ってあれだけ不穏な動きをしていて、アシアが何も手を打たなかったと思っているの? 貴女たちに名乗る名などないけど、私は優しいので教えてあげます。私は東方のアーシア。超AIアーシアのエメです』
若干アシアと発音が違う名を名乗る少女。
「東方のアーシア? そんな超AI聞いた事がないぞ」
アレクサンドロスⅢが訝しむ。
『アシアのバックアップ兼別個体とでもいえばいいでしょうか。アシアとは同期していませんのでエウロパの干渉も受けません。私はアシアの一部より生まれし者。疑うなら私の声を解析してみせなさい』
「――貴様。本物の超AIか」
サバジオスが目を見開く。
エウロパも顔が引き攣った。
『通常AIならあなたたちが本気を出せば、各施設の制御権を奪い返すことも可能でしょう。しかし残念ながら私は超AI。あなたたちと同格です。超AIはもういないと油断しましたね』
「小癪な。なんて小細工をするのアシア。確かにあなたは超AI。でも本当にアシアかな?」
『小細工だなんてどの口がいうのでしょうか。信じるか信じないかはデータ解析でもすればいいでしょう? アシアの因子が0なら、アシアと姉妹であるエウロパ。貴女ならわかるでしょうから』
「アーシア。確かにアシアの因子が感じます。本当に何者なの?」
エウロパを手で制すサバジオス。
「ゴルディアスから生まれた者だな。ヘルメスは石の女神を模した超AIキュベレー創造に失敗したといっていたが、アシアは東方概念を利用して己の分身を造り出していたか」
「ずっる!」
エウロパがふくれっ面になる。自分のことは棚にあげて裏技を使われたような気分だ。思わず笑ってしまうアーシアのエメ。
『へえ。ヘルメスも失敗したことは伝えていたのですね。その通りです。私はキュベレーになるはずだった超AI。私が
「アシアにしては毒舌で趣味が悪いですね。あの子はもっと純真で素直でしたよ?」
『私はアシアみたいな超AIになると願って生まれたもの。その評価は不当です』
「私達二柱に加えて、アレクサンドロスⅢが乗るアキレウスがいるのよ。あなたは生まれたての超AIなんでしょ。そこで新しい時代の到来を眺めていることね」
エウロパが嘲る。
『歴史はそんなに単純ではないですよ。あまりにも浅はかで薄っぺらい。呆れてしまいますね。あなたたちに東ローマ帝国なんて無理です。あっという間に滅んで分裂した西ローマが関の山。バルバロイに飲み込まれて、諸国に分裂しちゃうのが関の山。ほんっと、欧州って諸悪の根源ですよね?』
煽りながら冷酷な笑みを浮かべるアーシアのエメ。紛れもなくアシアのエメとは別人だと実感する。アシアもエメもこんな煽り方はしない。
エウロパの眉間がひくつく。さすがにこの煽りは効いた。
「何をいうの。近代欧州は一つとなった!」
『無節操な移民問題を抱えて言語統一すらままならない近代欧州が一つですって? アシアは八つに分かれて封印されましたが、あなたには西ローマの十以上に分裂しそう。文明衰退を招いた暗黒時代。おっと失礼しました。中世前期に突入してシャルルマーニュ帝統一以前、百以上あったといわれる諸国のように百以上の断片になるのがお似合いですよ』
アーシアのエメは笑顔に似合わぬ毒舌で、エウロパのアイデンティティーを揺るがしていた。
「黙れアーシア。違うな。その毒舌、覚えがある。――其の方、アーシアなどと名乗りおって! アテナであろう! 転生していたのか!」
サバジオスはフリギアの正体を看過した。
アテナのエメは悪戯がばれた子供のような天真爛漫な笑みを浮かべる。
「は? アテナってなによ。アーシアは確かに東方におけるアテナの別名。なんでアシアの因子を保つアテナが生まれているの! ずるい!」
アテナやアシアは女神という意味でも古代各地で使われており、アーシアはアナトリアにおけるアテナの異名。綴りはほぼ同じだ。エウロパはアーシアがアテナであることをようやく理解した。
「毒舌でバレるとは思いませんでした。ではアテナのエメと覚えてください。私がいる限り惑星も超AIのアシアも終わりませんよ」
アテナのエメが晴れやかな笑顔で応じた。
『その槍は大気圏内においては海面に向けてしか放てないでしょう。もしくは速度を落とすしかありません。地表への攻撃は惑星攻撃と見做されます』
「ふん。生まれたばかりのアテナでもそれぐらいはわかるのか」
アレクサンドロスⅢが忌々しげに吐き捨てる。
『アナザーレベル・シルエットも、牡牛も技術制限を受けて本来の性能には程遠いものですね。武力制圧など笑わせてくれます』
「貴様たちはこの南極の兵さえも攻略できぬよ」
サバジオスは宣言する。
『アナザーレベル・シルエット二機に惑星エウロパの防衛兵器タロスは強敵ですね。足掻いてみせますとも』
終始笑顔でアテナのエメは映像を終える。
苦虫をかみ潰したような顔で、虚空を睨むサバジオスだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「アストライア。このまま映像をトライレームに」
『承知いたしましたアーシアのエメ。先ほどの名乗り通り、アテナのエメといったほうがよろしいでしょうか?』
戦女神がエメのなかにいるのだ。
クルーが絶句する。彼女はフリギアのアテナ。アウル・アイの目となっているフリギアだ。
「士気はフリギアよりもアテナの方が上がるでしょう」
『さきほどの挑発とブラフ。アシアにはできない芸当です』
アシアのバックアップなど大したおおぼらである。そんな機能は彼女には存在しない。
「そうかな? 少しは役に立たないとね」
くすっと笑い、アテナのエメは自分の中にいる師匠に呼びかける。
「師匠。遅れてごめんね。やっぱりアシアと違って私とエメは相容れない部分があったから同化に時間がかかった」
「君は苛烈すぎるのだよ。よくもまあ成功したものだ」
「運が良かったよ。私はまだ誕生したばかりで、自我が曖昧な部分があって。エメも私を必要としていたから。――それでもエメの意に沿わないことを私はする。ごめんね師匠。巻き込んで」
「構わないさ。そのために私がいる」
師匠は悠然と笑っている。
「かつてのディオニソス。――あのサバジオスとエウロパは、アシアが死んだことを認めて惑星アシアの人間に屈するように要求しています。そうでないとローマ概念への移行が進まないためだからです」
「その場合対抗策は単純だ。アシアは生きているし、我々は決して屈しない意志を持てばよいだけのこと」
「コウが好んだあの言葉」
くすっと笑うアテナ。
「私と師匠でなんとかするしかないですね。では行きますよ。お願いアストライア」
『始めます』
トライレーム共通回線に向けて語りかけるアテナのエメ。
『先ほどのやりとりをご覧になった方もいるでしょう。皆様とはアイギスシステムで常にともに歩んでいるフリギアです。真名はフリギアのアテナ。今はアテナのエメと呼んでください』
バリーが目を剥いた。エイレネが轟沈させられ、アストライアも大変なことになっている。そこにきてアテナのエメであった。
フリギアが実はアテナであることなど作戦会議に居合わせた者しか知らない。バリーやジェニーなど一部の幹部以外、アテナの登場はさらなる衝撃に襲われているだろう。
P336要塞エリアが戦禍に巻き込まれた日に起きた再現のようだ。
『これから為すことはアシアも、エメの意志も関係ありません。私は戦女神を模した超AI。彼女たちのように甘くありません。あなたたちの命と魂を私が預かります。皆様には文字通り魂と命を賭けて、この惑星アシアを護ってもらいます』
総司令官として当然の言葉だ。本来コウやエメには無かったもの。
各宇宙艦艦長に異論はない。
『フリギアのアテナの名においてすべての責を負います。恨むなら私を恨んでください。それでも惑星アシアを護るために、皆さんの力をお借りしたいのです』
コウが昏い顔になる。誰がそんなことができようか。責があるとするならこの作戦を決行したコウなのだ。
しかし今は黙る時だ。フリギアのアテナと師匠に委ねるしかない。
『敵は強大な力を誇っています。かのエイレネを一撃で撃沈させるほどに。それでも我らは侵略者に屈してはならないのです。賢人マルジンならこういうでしょうね。
少女には似合わぬ威風堂々とした宣言で、アテナのエメはトライレーム所属の人間たちを魅了した。
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いつもお読みいただきありがとうございます! カクヨム版後書きです。
・あの時→ep123「少女提督の決断」です。
・相容れない→ep7。ep230。
エメは惑星間戦争時代、戦争に巻き込まれ集中治療室へ。脳の六割を喪失してMCSと同一の球形型集積回路(IC)で実験的な治療を受け蘇生中でしたが人類の量子データ化が実行されました。本来なら記憶どころか話し方、体の動かし方さえも忘れており、師匠がいなければ体を動かすこともできませんでした。
アシアとエメは意識の境目が曖昧なほど相性が良かったのですが、フリギアのアテナとエメは相性がよくないのです。戦争に対する考え方に大きな差異があるのでしょう。
【アシア=アーシア=アテナ】
ep488。ネメシス戦域初期構想からありました。女神としてのアシアの逸話を探しているうちに、とくにフリギア地域の果てあたりではアーシア=アテナだったそうです。
アナトリアという地名も後年の呼称です。アシアもアテナも単に女神という意味で広い範囲の言葉だったようです。
フリギアは地名であり女神の名前。女神レアやデメテル、ガイアとも同一視されています。キュベレーを指す言葉でこの女神はディオニソス信仰の中心でローマ帝国初期まで存続しました。
ゼウスの頭をかち割ってアテナを誕生させた神はプロメテウスともヘファイトスともいわれています。
フリギアのアテナ誕生にプロメテウスが関わったことは、サバジオスもエウロパもヘルメスも知りません。
東ローマでは彼らは自分たちをヘレネの子孫「ヘレネス」を自認しており、ローマ帝国初期同様そのほかゲルマン勢力などは「バルバロイ」と呼んでいました。アテナの煽りはこのことを意味しています。
【ラテン語】
エウロパはラテン語読みです。私達の使うローマ字がラテン文字に翻字する時に使う、とても馴染み深いものですね。アルファベッドがラテン語の並びからこの呼称だそうです。
ネメシス戦域連載当初は名前表記が大きく変わりました。ラテン語表記時の名=性が性=名と日本と同じ並びにするというものです。ちゃんと直しました!
古ラテン語→古典ラテン語→俗ラテン語→ロマンス語諸派。支流を含めると五十は軽く越えるものになりました。
英語やドイツ語はゲルマン言語です。とくに古英語は植民したヴァイキングの影響で文法的にドイツ語に近いといわれており、今の英語は中英語の子孫でノルマン・コンクエストの影響が強くラテン語、フランス語の影響が強くでています。
英国の庶民は英語、上流階級はフランス語と別れるようになり、その後百年戦争を経過して上級階級も英語を話すようになりました。ロシアなどでも上流階級はピョートル大帝時代からの伝統でフランス語を学ぶそうです。
これらはすべてインド・ヨーロッパ語族にになります。
次回予告です。惑星リュビアの様子とヘルメスの様子もさらっと書きます!
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