墓標
「ヘスティアが奪われた?」
「話すと長くなる。幸いこの場所はヘスティアの結界。誰もこないさ」
アイデースは柔和な笑みを浮かべ、星空を見上げた。
「シェルターがない星空はいいね。今から話す内容には似つかわしくないけれど」
「惑星開拓時代にまで遡るのかな」
「そうだよ。ああ、ボクの真実の名は言わないほうがいいよ。君たち風にいうと縁起が悪いからね」
縁起という日本特有の言葉を使い、微笑むアイデース。
浜辺に座り、コウに座るよう促す。コウも大人しく従い、同様に海岸に座り込んだ。
「そうするよ。アイデース」
「それでいい。――何から話そうかな。やはりオリンポス十二神の戦争だろう。君はもう知っているね。ことの発端はそこなんだ」
「ヘスティアは早々に眠りについたと」
「そう。彼女は人々の守護者。人を守護するという存在意義では唯一の超AIかもしれない」
「ここでは孤児たちを守護していた」
「うん。彼女はおそらくもっと大きなものを救おうとしているよ。そのための聖域だ。開拓時代に喪ったものを取り返すために」
「何を喪ったんだ。護ることに関してはヘスティアの権能はとても高いものだと思う」
トラクタービームやアシアと五番機の連携遮断。
このI908要塞エリア内部に関しては無敵とさえ思える。
「そうだよ。だから私がきたことも内緒だ。何故ならきっと彼女はこういう。『アイデースに気付かないなんて、やっぱり私は無力な超AIですね』ってね」
ヘスティアの声真似までするアイデース。芸が細かい。
「言いそうだ……」
この人物はヘスティアのことをよくしっている。
十二神ではない超AI。それもおそらくプロメテウス級の。
そんなもの、コウにだって心当たりは思い浮かぶ。人格者らしい神ならさらに限定されるだろう。
「ゼウスたちは戦力を欲した。最初は十二神同士の戦争から。次はテュポーンと戦うため。テュポーンはいわばソピアーの怒りそのもの。ゼウスといえど敗北は必至だった」
「テュポーンは今も変わらずオリンポス十二神相手にはヘイトが高いよ」
「そうだろうね。彼の存在意義そのものだ。超AI殺しのための超AIシステムを利用した破壊兵器だから」
「……まさかゼウスがその時ヘスティアに何かしたのか?」
「戦争は数がいる。でも兵力はいない。自分の持ち駒も減らしたくない。――その時目を付けたものこそ、ヘスティアの宇宙居留地船【ブリタニオン】。そこで彼女が保護していた避難民たち。ヘスティアがいずれ戦争が終わるまで量子データ化で保管していた人々を、根こそぎ奪い去った」
「そんなことが……」
「できるんだよ。いや、できてしまった。――諜報の神をモチーフにした超AI。ヘルメスなら」
「ヘルメス!」
そこでその名が出てくるとは思わなかった。
「量子データ化から復帰した人々はゼウスの尖兵となり、みんな死んでしまった。君たちが闘技場として使っているあの場所こそ宇宙居留地船【ブリタニオン】。彼らの墓標だよ」
「墓標……」
そんな経緯があるとは露にも思わず、コウは絶句する。
「試合ごとに地形データが切り替わるだろう。あれは惑星開拓時代の開墾された場所やヘスティアが保存しようとした場所。いつか眠っていた人々に解放するためのもの。いわばネメシス星系の記憶ともいうべき場所の数々。――ネメシス星系各地の、実際に存在した場所だよ」
「そんな大切な場所を闘技場なんかに!」
「それだけの決意をもって、今彼女はここに降臨した。彼女は武力を使わない。いや使えないんだ。そんな伝承は彼女のモチーフたる生活を護る炉床の女神ヘスティアにはない逸話だからね」
「そんな……」
あの笑顔の裏に隠された悲劇にコウは言葉を喪う。
「超AIとはいえ感情はある。いや、超AIがゆえに当時の出来事は記憶ではなく、ただの事実として彼女に刻まれている」
「しかし何故ヘルメスは避難民の横取りを?」
「人的資源は無限ではないということさ。MCSには人間のパイロットが必要だし、自軍の勢力拡大。ヘスティアが保護している避難民を眠らせているだけ有効活用するべきと考えたんだね。ゼウスとヘルメスは」
「そこまで人手不足とは思えないが……」
「少なかった。ソピアーがネメシス星系を創り出し移住環境を整え人類移住を始めた開拓時代、人口は三十億程度。それを三惑星に振り分けた。十億人程度の人口は地球における十九世紀初頭と同等程度。その人類をそれぞれの惑星で、互いの勢力に別れている。実際のパイロットは限られていた」
「それほどの人間を巻き込んでいたのか!」
開拓時代。惑星開拓時代ともいう。この時代の話はほとんど伝えられていないのだ。
「ゆえにあの時代は一種の禁忌。ソピアーの汚点。後世に伝えられなかった。元来ゼウスは人間に優しい神ではないからね。それを倣った超AIが人間をどう扱うかなんて予想がつくだろう。しかしゼウスたち十二神はネメシス星系を形成するために必要だった存在、超AIだ」
「プロメテウスから聞いた。この星系はギリシャ神話を再現したのではなく、地球のギリシャ神話があったからこそ成立した星系だということを」
「そうだ。その後、多くの者が私の管轄下に入った。――今はその話を語る時ではないね。ヘスティアに戻そう。彼女は護るべき者を喪い、永い眠りについた。もう己の役割はないと思い込んで」
「本当に俺が起こしたのか?」
「それだけではないが、主に君が原因だ。多くの要因が重なった。アシアの封印とて彼女にとってはどうでもいいことだった。ストーンズの背後に何者がいるか興味もなかった。しかし地殻津波によって傭兵管理機構の腐敗を知り、ブラックホールで覚醒した。それは事実だ」
「興味が無かったのに……」
「そうとも。しかしヘルメスの被害者なら話は違ってくる。ブラックホール生成で覚醒したヘスティアは経緯を調査した。テュポーンのいるリュビアでは詳細は把握できなかったが、アシアの惨状に目を覆った。そして彼女はストーンズ圏内の人間でさえ、何らかの救うべき存在と認知した。――生まれながらにストーンズ勢力に生まれた存在を知ってね。戦災孤児は確かに可哀想だ。保護が必要だろう。しかしストーンズの尖兵はどうだ? 救うべきか否か」
「それは……」
アイデースは厳かに告げる。
「彼女は救うべきと判断したのだよ。ストーンズの、ヘルメスの被害者。生まれついての悪など存在しない。もう教育が施され、手遅れだろうとも。――気付いた者はいる。逃げ出したい者もいる。しかしそんな人間は逃げ先などない、作ってやればストーンズが間違っていると気付く者も増えるかもしれない。だからこそ彼女はヘルメスからこのI908要塞エリアを奪い、聖域を創り出した。多くのものを助けることは彼女にはできない。しかし助かりたいと願う者を助けるという手段を取るために。この要塞エリアは彼女にとっての武器なんだ」
「真実、この場所は苦界だったのか」
コウの言葉にアイデースは重々しく首を縦に振る。
苦界――公界。犯罪者や生まれながらについて迫害された者、中世で夫から逃げるために駆け込んだ駆け込み寺も含まれる。
コウの知っているヘスティアは人間以上に人間らしい、かといって油断ならない陰謀を画策している存在。
人々を護るために立ち上がった超AIだとは思わなかった。
「彼女自身はヘルメスどうこうするつもりはないよ。ただ、孤児を含めその被害者たちの救済する一助になればと願っている」
「そうなのか。ヘルメスやオリンポス十二神には敵意が強いわけではないよ」
「敵意を示したところでヘルメスは歯牙にもかけないさ。戦闘面では無力だ。そんなムダなことはしないだけだ」
「合理的だな……」
自分の存在意義を全うできなかった無念ぐらいはあるだろう。しかし彼女は人々の救済のため動いているのだ。
「俺は何をすればいい?」
人工の月はさきほどよりやや動いたように見えた。十分前後は会話していたという事実を示している。
コウが埋められていた穴には海水が迫っている。月夜にパンジャンドラムはシュールだった。
「見届けてくれ。ヘスティアの戦いを。そして惑星アシアを護るためにも、彼女を守ってやってくれ」
「惑星アシアを?」
「彼女が君に伝えることだろう。彼女は力無き者の味方。超AIのなかでもっとも無力がゆえに。――そんな彼女さえ立ち上がった。私も会話程度には参加しておこうと思ってね」
コウの目の前でアイデースの輪郭が薄くなる。
「アイデース! 待ってくれ!」
「また会うこともあるだろうさ。私の居場所はいささか僻地でね。タルタロスより遠い場所なんだ。ヘスティアを頼んだよ」
最初から何もなかったかのように、アイデースの姿はかき消えた。
コウは一人取り残され、呆然と佇むのみであった。
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いつもお読みいただきありがとうございます!
様々な視点からヘスティアについて語られました。コウもアシアも、もっている情報は断片的なものばかり。
ヘスティアはヒロイン力高いですね!
アイデースについては「この神様モチーフの超AIはいつか出るだろう」とは思われていたはず。
ようやく登場させることができました!
パライストラの構造もこのようになっております。
告知として4月15日で連載三周年となります! そこで週連載を続けるためにも更新速度を落とし、毎週金曜日週一連載に変更予定です。
余裕が戻ったら週二に戻したいと思いますが、週一になってもメカとロボの世界から離れません。いずれ何か公表できる日がくるまでお待ちください。
ご迷惑おかけします。少々リアルで多忙になり申し訳ございません。
今後も応援よろしくお願いします!
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