渚にて―糸車の刑
「落ちつけ。みんな話せばわかる」
コウは巨大な糸車の軸にくくりつけられている。
逆さで、だ。
「大丈夫。ほんの数メートル転がるだけだから」
ブルーがにっこり笑った。
むしろ穏やかな刑であろうと彼女は思う。
「これはアストライアが教えてくれたの。かのギリシャ初の肉親を殺した男イクシオンへの刑罰。車輪の刑。タルタロスのなかで不死のイクシオンは永遠に車輪に焼かれ続けるというわ」
「俺は不死じゃないぞ!」
「アストライアも怒っているってことだよ。コウ」
ブルーの説明にアシアのエメが補足する。
アストライアがよりにもよってパンジャンドラム。助けがないことを悟る。
「ロケットを点火するにゃ」
にゃん汰がコントローラーを操作してロケットを点火する。
砂浜をゆっくり動き出すパンジャンドラム。
「うわぁ」
かのイクシオンへの刑罰と違い、この車輪は炎に包まれてもいなければ軸の部分なので地面に触れることもない。
逆さで回されるだけだ。
花火のようなロケット噴射のあと、三メートル程度で停止するパンジャンドラム
「ごめん。俺が悪かった」
コウの悲鳴に、ブルー達の笑い声が浜辺に響いた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
パンジャンドラムから解放されたコウの下半身は砂浜に埋められている。
首まで埋めると命に関わるので温情措置だ。
「コウ。さよならだぜ……」
ヴォイもセリアンスロープたちに連行され、ユースティティア艦内に消えていった。
「ヴォイー!」
絶叫するコウに、悲しげな瞳を向けるクマだった。
浜辺で遊ぶ女性陣。
「きつい……」
コウは砂浜に埋められていおり、先ほどのパンジャンドラムが置かれている。
ネメシスの光ではなく、人工太陽が顔を照らす。
魅力的な水着の女性陣たちを地面から見上げる、いわばローアングル。
彼女たちにそんな気は一切ないだろう。しかしこれもまた一種の拷問とさえいえる。
「心を無に……」
無心になるよう目を瞑り、無念無想の境地を目指すことにした。
たまに様子を見に来るブルーたちには一切察知されはならないのだ。
「瞑想してるの? ここでお説教してもいいんだけどねー。誰かさんが勝手にでていったからなー」
アシアのエメはセパレートタイプのワンピース水着を着用している。
棒読みの口調がアシアも、そしてエメも怒っていることを如実に物語っている。
「反省している」
「うん」
「だしてくれないか」
「それは私の一存では無理だなー。みんなに確認しないといけないし」
「そんな……」
この反応はアシアとエメ、二人とも怒っているということだ。
「こんなものを作る程みんなを心配させた罰だね」
「ふと思ったけどやはりギリシャ神話にもパンジャンドラムは存在したんじゃ……」
「てい!」
アシアのエメのデコピンがコウの額を襲う。
「痛ッ」
彼女が放った全力のデコピンであった。
「次いったら砂で目潰しだから。ギリシャ神話に英国面の要素は欠片もない。いいね?」
「はい……」
「よろしい」
冗談めかしていっているが目は笑っていないアシアのエメ。
「コウの命に心配はないよ。この場所は女性スタッフ保護のため、ヘスティアが結界を張っているから。部外者は入ってくることはできない。ヘスティアの権能は結界特化といってもいいほど」
「ヘスティアと話したのか!」
「うん。私もヘスティアがもう存在していないと思っていたからびっくりしたよ。誰かさんが釣られたおかげだね!」
「すまない……」
「もうあんなことしたら駄目だよ?」
それだけいって去ってしまった。どうやらめったにないバカンスをお説教で過ごすという選択肢はないようだ。
一通り水遊びを堪能したあと、みんなに声をかける。
「そろそろ食事にしよー!」
呼びかけるアシアのエメ。その言葉を合図に皆が夕食の準備を開始。遠くで鉄板が浜辺に設置され始める。
バーンの好意で浜辺のバーベキューを楽しんでいるユースティティアのクルーたち。
男性陣もようやく下船し参加が許された。浮かれるBAS社の社員たち。
「これ美味しい!」
「肉も魚もたくさんありますよー」
「野菜も焼くにゃ」
その光景を遠目で眺めるコウ。
放置処置だ。ビッグボスの名誉がかかっているので、対外的には海遊びの罰ゲームとされている。
「コウ!」
甘い声を出して呼びかけるブルー。
「反省してる?」
「反省しています……」
「うん。わかった!」
ブルーもそれだけいって立ち去ってしまった。
バーベキューも終わり、皆が片付けに入っていく。
「放置継続なのか……」
誰もいなくなった砂浜で、コウは呆然と呟いた。
少しだけ。いやかなりバーベキューに未練を残して。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「寒いな。というか波がやばいぞ」
夜になったまま、放置状態のコウ。
渚である。満ちた海水が迫りつつある。
「怒ってたなあ……」
しみじみと呟くコウ。ヴォイが無事であることを祈るばかりだった。
「経緯をみると気味が悪いね」
コウを見下ろしている人影がいた。
見上げると、真上にある月の映像を背に、腰まで届くような黒髪が特徴的な長身の男性がいた。夜の精霊かと思うほど美しいその顔立ち。年齢さえ判別できない。
「誰だ?」
関係者以外入れないはずだ。しかしコウには眼前の男性にまったく見覚えがない。
「君たちのお目付役を仰せつかった一人だよ。ほら」
コウの腕をつかみ引っ張ると、あっさりと砂場から体が抜けた。目を見開くコウ。触られた部分は酷く冷たい。
「あれ……?」
これほど簡単に砂浜から抜けるとは思わなかったコウ。
「本気で埋めていないようだよ? 彼女たちに感謝するんだね。愛されている証だ」
「そうだな…… ――助かった。礼を言う。名前を押して貰えないか? お目付役ということは俺の名前は知っているんだろう?」
「もちろんだコウ。ここではアイデースと名乗っている。ああ、私のことはみんなにはもちろんヘスティアには内緒にしておいてくれ」
「ヘスティアに内緒? あなたも超AIなのか?」
コウの背筋が凍り付く。先ほどコウを引き上げた感触は確かに人間とは違うものだが、アシアやアリマのビジョンとはまた違うもの。
「さてね? 生きている人間かもしれないぞ」
コウの問いに何がおかしいのか、くすくす笑うアイデース。
「私は君に忠告。――いいや。お願いにきたんだよ。幸い、君が完全に一人。かの異神も傍にいないからな」
「異神?」
「人ならざる者が常に護っているよ。君のいう師匠も含めてね。彼もまたいつか巡り巡って私の管理下に置かれるだろう。だが今はその時ではない」
「……師匠のことまで」
師匠の魂ともいうべきものはいまだエメのなかにいる。とっくに消えてしまってもおかしくない状態だ。
彼の管理下になるということは――
「アシアから人間の魂は【在る】とまでは聞いているね? そこまで理解しているならそれでいい。魂までいじるなど神ならぬ身。何者でも不可能だ」
「……」
「そう警戒しないでくれたまえ。お願いといってもささやかなものだよ」
「聞こう」
見るからに美青年。ビジョンであると思われるが、夜風になびく長髪をみると欠片もそうは思えない。
ヘスティアも違和感を覚えなかったが、この自然さを演出可能なら人間の身など要らぬであろうとさえ思う。
「――そうではないコウ。彼らにとって人の身とは、何物にも代えがたいもの。何を犠牲にしても手に入れたいもの。ヘルメスが手に入れたものは三惑星に匹敵する」
「……それが定命の身でもか?」
「長いに越したことはないかもしれないね。それでもその価値は長さだけではないよ」
「そうか」
ヘルメスの肉体は修司の身。しかしその外見は見分けがつかないほどの別人だという。
「あなたがヘルメスではないだろうしな……」
「それは笑えぬ冗談だぞ」
アイデースもこの発言にはむっとしたようだ。
「いや、そんなつもりは」
コウは思う――ヘルメスはどれだけ嫌われているんだ。
「もっともそのヘルメスについてだけどね。止めて――いや、見届けて欲しいんだ。彼女の復讐を」
「復讐? 彼女とは一体誰だ?」
アシアでもアストライアでもない彼女とは。復讐者なら
「ヘスティア。かつての超AI。オリンポス十二神に全てを剥奪された存在のことだよ」
その言葉を聞いた時、コウの頭が真っ白になった。
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