カウンターエコノミクス

「アゴラ。その思想は私が用いる手法にも適用されます。――古代ギリシャのアゴラにちなんだ、経済的自由社会の実現。アゴリズムと呼ばれてそのための反経済学カウンターエコノミクスといわれています。非暴力革命の側面を持ち、アゴリズムの象徴。国家による個人への税を窃盗と見做す概念です。ブリタニオンことアゴラの集団を率いていた超AIの私自身が、その手法を取り入れるため躍起になっているのですから皮肉なものですね」


 ヘスティアは自嘲する。


反経済学カウンターエコノミクス。――強盗など犯罪行為は否定しながらも、闇市場、脱税、密輸、買収などの地下経済さえも自主的に行うことを良しとするもの。 政府の介入を最小限にして市場経済を優先する新自由主義をさらに踏み込んだものともいわれている、一種の経済革命、反政府行動でしょう」


 フユキも聞いたことがある経済自由社会という概念。ただアンダーグラウンドな面を肯定しているので、好き好んでこの政策を採用する社会は存在しないだろう。国家による福祉さえ否定するものだ。

 あらゆる賭博、売春、脱法行為を推奨し、自由経済を推進、国体――国家体制の崩壊を目指し、政府関係者利権に抗う経済闘争手法。


「恐ろしいことを考えましたね。いわゆる政府機関の人間。役人や公務員と呼ばれる行政実施者を中抜きする悪と見做し、福祉さえ善意頼りの自助社会。真の自由主義リベラル、を追求した概念です」

「しかしそれは究極の自己責任社会となる可能性だよ」


 フユキの言葉にアシアは否定的な意見を述べる。究極の自己責任社会とは、あまりにも人間には酷であると惑星管理者たる超AIは思うのだ。


「ええ。そんなの無理ですよ。――だから公助は私がやります。給料も必要ないですからね。それでも自助できないなら人間側に問題があるということです」


 ヘスティアは断言した。


「先ほどの失言は謝罪します。ヘスティア。反経済学の実行など超AI――それも強い実行力を持つものにしか許されないでしょう」


 一つの要塞エリア内とはいえ、経済システム、ひいては社会構造への反旗である。フユキは思わずヘスティアに畏敬の念を抱いた。


「褒めすぎですよー」


 否定しつつまんざらでもないヘスティア。その自慢げな様子に呆れた視線を送るアシアとアストライア。


「かつての我々がいた国にも似た概念はありましたよ。戦国時代の公界くがいと呼ばれるそれは、無縁のもの。犯罪者など社会や階級から除外された人間たちに自由な商売を認め、税の取り立てを禁止。戦国大名たちも介入を許されなかったものです。それこそ古代ギリシャにおける聖域アジールと等しいものです」

「日本の縁切り寺はアジールの概念そのものですね。やはり神話における同様の逸話などといい、古代ギリシャと日本は共通点があるのだと思います」


 ヘスティアもまた彼女の意図を正確に見抜いたフユキを高く評価し始めていた。


「本来カウンターエコノミクスは国家によって禁止されているすべての非攻撃的な人間の行動を肯定するもの。幸いにもネメシス星系に打倒するべき国家はなく、超AI主導による生産能力と調整で成立しています。――私が計画しているものは、国家ではなく超AIが成立させた政治機構やストーンズに寄ってまでかつての管理社会、その残滓にしがみついている者たちへの場の提供です。この都市から人間の自立を促すのです。独自通貨は物々交換をスムーズにするため必要です」

「孤独な戦いになりますよ。ヘスティア。自由と自立は本来人間が目指すべき姿。しかし超AIの統治機構下で育ったアシア人には厳しい。今まで無料だったものに対価が必要な自助社会など受け入れがたいはずです」


 フユキがその先を案じて告げる。彼の祖国ですら【水と平和はただ】とまでいわれていた時代があり、旧アシア社会はその感覚に似ているとさえ言える。

 ヘスティアが個人報酬を必要としないからこそ可能な経済圏であり、トライレームやオケアノス経済圏ですら相容れない。それは無論アルゴナウタイも同様であろう。


「その導入のための娯楽です。そこから徐々に浸透させていきますよ。反経済学は政府が認めたホワイトマーケットやブラックマーケットを包括したもの。犯罪行為によるブラックマーケット、非道徳的な人身売買、臓器売買たるレッドマーケットを否定し、それ以外の非合法取り引きを可とする概念。劇薬ですが、このI908要塞エリアなら可能でしょう」

「反経済学の目的は人々を自主社会へ成長させること。あらゆる政党、国家体制を否定します。何故ならまずそれが、それらが持つ権力構造が腐敗の源だからです。ですから国家の支援さえも否定します。先ほどの説明によるとこの街は闇闘技大会以外にも貧民街もありますね。多くの女性が傭兵相手に売春もしていると見ましたが?」

「そうですよ。アシア人に自立しろと尻を蹴り上げています。孤児は私がなんとかします。レーションぐらいなら大量に作れますので与えましょう。でも、贅沢をしたいなら、大人は自力でなんとかしてください。売春だろうが闇市場だろうが、暴力に依存しない商取引においては場を提供します。それが私の考えです。ブラックマーケットはストーンズ側に近い連中が勝手に構築していますからね。その対処でもあります」

「反経済学の目指すところは公共の支援機関を、必要に迫られた人間が自主的に行うことで政府行政が行う場合よりも良質で低コストで提供するものでしたね」


 フユキがカウンターエコノミクスの概念を思い出そうとする。


「自由すぎる経済で福祉が成長などは夢物語。そこは超AIたる私がなんとかします。しかしそれでは外部との経済活動と断絶される。I908要塞エリアに住む住人からは税金は取りません。ですから娯楽施設やリゾート地のような外貨を獲得する仕掛けが必要だったのです。自立させる施設といっても、運営側にもお金が必要ですからね」

「あなたが自立させたいものは、アシア人よりも、ストーンズ勢力圏の人間ですね。そのためのアジールでしょう? 彼らを内側から揺さぶる目的があるのですか?」

「この人間コウより鋭い。何なの! アシア!」


 フユキにあっさりとその先の道筋を見抜かれ、アシアに問いただすヘスティア。フユキは唇の端を歪めるだけだ。


「フユキはコウの師匠ともいうべき存在。地球では敏腕営業でトライレームの知恵袋。こういう話には最適だわ」

「ええ。私は自分が兵器開発に専念するAIに過ぎないと思い知りました」


 正面からの戦闘。戦術のためである兵器開発を担当するアストライアには到底不可能な発想であった。


「いえいえ。ただの元会社員ですよ。――トライレームや新生傭兵機構は経済的に強固、都市国家ならぬ企業国家の側面を持ついわゆるホワイトマーケット。そしてストーンズは今急速に国家組織へ移行しつつあります。しかしその末端はストーンズを頂点とした階級社会。そしてトライレームや新生傭兵機構からあぶれた傭兵社会。あなたはこの傭兵社会も救済を目指すのですか?」

「惑星アシアは犯罪者に厳しすぎる側面を持ち、社会の模範から脱落するとストーンズにしか行き場がありませんから。その受け皿です。本当に鋭いね。――ねえ。アシアこの人ちょうだいよ」

「ダメです。コウに怒られます」


 アシアのエメがにべもなく却下する。フユキはメタルアイリスの重鎮。彼女の一存で移籍など出来るはずもない。


「ちぇ。鷹羽兵衛も優れた推測を行っていましたね。表と闇試合で中古市場がI908要塞エリアに集中する。そうすれば過剰に生産され普及したシルエットの回収が進み、傭兵の拡散を防いで少しは平和になるのではないかと。A級構築技士侮るながれ、です。この方向性での私の意図を見抜いていました」


 アシアの表情をみて交渉の余地はないと確信したヘスティアが、残念そうにフユキに視線を送る。


「何故ストーンズ勢力への経済闘争を?」

「闘技会に参加するシルエット、陣営の八割近くがアルゴナウタイかその傭兵組織に属する人間なのです。彼らこそ組織からの自由を求めています。失敗したら死か、アベレーション・アームズの材料。最悪の結果、思考能力を奪われて奴隷ヘロットですから。彼らがもし経済的に自立し、新生傭兵管理機構かトライレーム側の傭兵になるだけでも少しはましになっていくでしょう」

「ヘスティア。――あなた、本来の役割。人々の生活を守る超AIとして活動を開始したのね」

「褒められたものではありません。今更ながら、です。それでも私の名はヘスティア。炉床の女神。人々の家庭、生活を見守る超AIなのです。エイレネちゃんはさすがですよ。三十年以上前から活動を開始していたのですから」


 ヘスティアの顔に陰りがよぎる。今までのヘスティアは超AIとしての役割を放棄していたに等しい。

 同じ平和でも暗躍し、具体的な手段を取り模索していたエイレネに、ヘスティアは一目を置いていた。


「惑星アシア、リュビア同時制圧から三十年以上経過していますよね。生まれながらに、または幼いながらにストーンズ勢力として生まれ育った者たちは無数にいます。ファミリアに疎まれて逃げ出した犯罪者は知りませんが、ストーンズの在り方に疑問を持った者ぐらいは助けたいと思うのですよ」


 フユキは口には出さなかったが、ヘスティアこそ惑星アシアにきて初めて人を想う女神らしい存在という印象を抱いた。

 惑星アシアの多くの人々は外の環境を知らない。それは彼がいた日本でも、そして世界各地でも大小の差はあれ存在している。

 

 炉床の女神。昼行灯とはよくいったもの。日中ではぼんやりした明るさに過ぎない。しかしその炎は誰よりはげしい。


「ストーンズ側の人間が素性や身分関係なしにやり直せる聖域か……」


 アシアもまたストーンズ側の人類に思う所はある。自らの意志でストーンズについたものは一部に過ぎないはずだ。

 ストーンズに居住区コロニーを制圧され、有無をいわさず組み込まれたものも多いだろう。忠誠を誓わないと命はない。好んでストーンズについたものなど、社会復帰を許されないほどの重罪を犯した犯罪者くらいだ。


「絶対平等を標榜し、能力無き者は自由意志さえ許されないストーンズ勢力。彼らを目覚めさせるためには娯楽が一番です」

「ストーンズ勢力下で娯楽はあまりにもなさ過ぎるはずですからね」


 ヘスティアの闘争は娯楽から。彼女もまたストーンズと戦う者だったのだ。


「そうはいっても最近彼らのトップに娯楽至上主義に陥ったものが登場し、ストーンズ運営にも軋轢が生じているとは聞いております。ただ組織運営は石ころですから、大きく変わることはないでしょう」

「ヘルメスだね」


 アシアのエメが苦笑する。ヘルメスは大昔からそういうところがある。


「メタルアイリス側の人間で好んでシルエット闘技などする者は少ないはずです。何人か問題児はいますけどね。これはいったん置いておきましょう。アシアとアストライアからたっぷり絞られると思いますから」


 問題児の扱いに我関せずえんのフユキだった。


「その問題児には新たな課題が生まれますよ。状況は当初の計画と現在では違います。そのためにエイレネと構築技士をお呼びしたのです」

「現在は違う? どういうこと?」

「まだそれは話せませんアシア。――現在のパイロクロア大陸とスフェーン大陸の動向からお話ししますね」


 本気を出した超AIヘスティアによる戦略会議が始まる。

 一同はヘスティアの情報に耳を傾けるのだった。

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