家庭不和の女神様

 パライストラの見学を終え解散することにした三人。バルドはこのまま自分の宿舎に戻るとのことだ。

 兵衛はすでにラニウスを、コウと同じ宿舎に駐機させているという。オイコスがすぐに迎えにきて、彼らはアルティスの宿舎に戻った。

 ヴォイと兵衛のファミリアのたー君が二人の機体整備を行っている。


「たー君がきてくれて助かったぜ!」

「いえいえ。どう整備しようか悩んでいたところですから。こちらも助かります」


 ヴォイと違い、たー君は丁寧な言葉遣いのハイタカ型ファミリアである。兵衛とは10年以上の付き合いになるだろう。

 兵衛は先に休むといい、宿舎に入る。コウは五番機の方針を決めるためにヴォイとたー君の三人で話し合うことにした。


「どうだった。コウ。その闇試合とやらは」

「想像以上だったよ」


 コウは興奮を若干隠しきれず、二人に語る。

 シルエットを整備する二人にも興味深い情報があり、確認のため質問が飛んでくる。


「確かに想像以上ですね。これは私もヒョウエと話し合う必要があるでしょう。ちょっと行ってきます」

「おう! 俺達もあとで作戦会議だな」

「そうですね。ヴォイさん」


 たー君が兵衛のもとに向かったことを確認し、ふと疑問に思ったことを口にする。


「なあヴォイ。ちょいとギリシャ神話の確認なんだが」

「おう! 知っている範囲なら答えるぜ!」


 ヴォイが休憩代わりに蜂蜜を飲み始めた。


「ヘスティアって神様は興行か商売の神様でもあるのか」


 ヴォイが横を向いて蜂蜜を吹きだした。

 

「ヘスティア本人にあったばかりでそれはないだろうがよー!」

「いや、商売がやけに上手だなーと」

「それはそう思うけどな! いや、またこんな話を本人に聞かれてみろ。お前、それこそヘスティアにあることないことアシアとアストライアに密告られるぜ」

「家庭不和の火種を引き起こすようなことはしないと信じたい。火の女神様だけに」

「誰が家庭不和の女神じゃーい!」


 コウがぽかっと軽く頭を殴られる。

 背後にヘスティアが目を吊り上げ、両手を腰につけて仁王立ちしていた。


「商売の神は褒め言葉としましょう! 家庭不和の女神様はさすがに聞き捨てなりませんからね!」

「言ってない! 第一なんでここにいるんだよ! 超AIが変な空耳をするな!」

「たまたまですよ、たまたま」


 目を反らしながらヘスティアが答える。その表情で全てが筒抜けだと悟るコウである。


「ごめん。用事だった。アンフィシアターの試合、まずは明日です。五番機の初陣ですね!」

「思い出したようにいうなよ。メールでいいだろ」

「誰かさんが超AIの根幹に関わるようなことを言うからです!」


 あえて空耳だと言い張っているヘスティアに、本当に完全体の超AIなのかと疑念を抱き始める二人。

 疑いの眼差しに気付き、威厳を取り戻すため話題を変えることにしたヘスティアだった。


「リングネームは表紙に騙されたナナシさんでいいでしょうか?」

「嫌だ。――せめてネームレスとかアンノウンにしてくれ」

「中二っぽくないですか。わかりました。朴念仁かエンプティにします」

「なんでそんな二択なんだ。ではエンプティで」

「決定です。異論は認めません」

「そのままじゃねーか!」


 ヴォイがあまりの安直さに、ツッコミを抑えきれなかった。


「空っぽだろ」


 地球でも自動車やバイク関係者なら、ガス欠でお馴染みの単語である。


「無人、誰もいないってことでもあるぜ」

「そうか。そのままだな…… 異論は認めない?」


 もっと真剣に考えるべきだったと若干後悔するが、もう遅いだろう。


「認めません。ニックネームの類いは悩み始めると時間もかかりますしね」


 その言葉に反論はしないコウ。そういう悩みはゲームでも多々ある。


「さて本題に入りましょう。ヘスティア自らがヘスティアを語るのです。感謝しなさい」

「いや、別にいいよ」

「……」


 無言の圧が怖かった。心なしか外気温まで下がった気さえする。


「聞いとけ、コウ」

「その熊は、最低限の処世術はあるようですね」

「聞きます」


 コウは大人しく聞くことにした。


「ふふん。――まず誤解を訂正すると興行や演劇の神様はいます。まず代表はヘルメスですね。とはいっても古代ギリシャではヘパイトス、アテナ、アポロン、アフロディーテ、そしてヘスティアなど様々なものが守護していました。芸術という文化を昇華させたギリシャ文明ならではです」

「ヘルメス。伝令の神であり、旅人や商人の守護者。諜報や盗賊なども守護すると聞いている」

「さすがのあなたも主敵になるモチーフは調べていますね。ローマ神話ではメルクリウス。ローマ人たちは北欧神話のオーディンと同種と見做しました。エジプトの偉人などとも習合され、魔術世界ではヘルメス・トリスメギストスとして伝っています」

「魔術?」

「ヘルメス・トリスメギストスは三人のヘルメス、三倍偉大なヘルメス、三重知恵のヘルメスという意。魔術の三種錬金術、占星術、神働術を司るのです。その性質は錬金術に重要な水銀の名前としても採用されました」

「そんなものが主敵か……」

「超AIヘルメス君はその伝承さえも取り込んでいますよ。ゆえにテュポーンから生き延びたのかもしれませんね。オーディン要素はちょっぴりしかないでいです」

「北欧神話の主神まで取り込むのは贅沢だろう」

「ヘスティアろくに知らないくせにオーディンには詳しいんですね!」


 他の神話に詳しいとネメシス星系のAIたちは不機嫌になる傾向がある。ヘスティアはとくに強いようだ。

 日本神話は許されるのに、と思うコウ。


「う……」


 知らないことをかなり根に持たれているようだ。コウがいた時代ではオーディンは様々なところで目にする機会があった存在だ。


「そしてヘルメスがローマ神話ではメルクリウスであると同様、ヘスティアもローマ神話に倣いウェスタと呼称され崇拝の対象となります。そもローマ建国神話のロムルスはトロイア戦争のアイネイアスに連なる者。主な神々はプロメテウスを除いてはローマ神話と対応していますからね」

「プロメテウスはなんでいないんだろう」

「諸説がありますが、その在り方がローマ人と相容れなかった、ということでしょう」


 ゼウスへの反逆、様々な欺瞞を用いてまで人類に頑なに味方するプロメテウスをローマ人が受け入れなかった。

 不思議と思う反面、やはりあの在り方は特殊なのだと改めて思うコウ。


「肝心のウェスタは特に語るべき逸話はまったくありませんけどね!」

「根に持ってるな!」

「ヘスティアより重要な位置にいるのに、ギリシャ神話より逸話がないですからね!」


 よほどとくに逸話がないという言葉が堪えたらしいヘスティア。


「そしてギリシャのオリンピック、ローマのコロッセウム。両方に通じる話としてヘスティアは登場します。――かのギリシャ、古代オリンピアにおいては聖火が掲げられ、ヘスティアとエイレネの神像が並んでいるとされています」

「そこでエイレネか。平和を希望していたのか」

「古代でさえ、オリンピック休戦と呼ばれるものが成立したのです。その影響力は計り知れない。ゆえに権力闘争の場にもなりましたけどね。オリンピックは各地で祭壇が置かれ聖火が置かれました。ヘスティアとともに祀られた神こそがプロメテウスです」

「プロメテウスが……」

「ヘスティアは動くことがない、家の中心である大切な炉床。それゆえにディオニソスに十二神の座を快く譲り渡しました。聖火とは不動の炉床、家族と過ごす日々。平和の象徴たるヘスティアから、未来に進む力であるプロメテウスの火を受け取り掲げて人間が走る。いわば人間賛歌。これが本来の聖火ランナーの意ともいえるでしょう」

「聖火ランナーは二十一世紀にもいた。そんな意味があったとは」

「プロメテウスの火は決して禁忌の火ではないのです。それこそ後世の後付け解釈です。地球の音楽家や芸術家は彼の炎を高く評価していましたよ」

「そうだったのか」


 コウのいた時代、プロメテウスの火を原子力爆弾や原発事故に擬える学者は多かった。人類が手を出してはいけない禁忌の力、その表現として用いるものも少なくなかった。

 言葉の本質、大切さを思い知るコウ。


「そして古代ローマ。共和制ローマの時代にはヘスティアはウェスタとなり本質も変わりませんが、実はローマ神話でもウェスタはほとんど出番はありません。ですがローマにとってもウェスタはもっとも重要な信仰の対象であり、その炎を絶やしてはなりませんでした」

「実体がないのに?」

「そうです。ローマ建国神話ロムロスの母親がウェスタの乙女という女神官だったからです。ウェスタの乙女は政治の中心に配置されました。厳格な貞淑を求められましたが、貴族階級に匹敵する身分でした。ローマを支えるものこそ炎であるという信仰とともに」

「扱いは別格だったんだな」

「様々な宗教祭事などは重要な行事でした。コロッセオ近くにはウェスタの神殿があります。ウェスタもまたパクスと並び立つことが多かったのです」

「そこでも平和、か」

「戦争など無いに超したことはありませんが、娯楽は必要です。聞いたことはあるでしょ? 〔パンもサーカスも〕です。ローマのコロッセオでは剣闘士の戦いが有名ですが、第一回の死亡率は10%程度、後期になるほど増えて40%前後といわれています」

「あれ? 戦えば必ずどちらかが死ぬのでは?」

「違うのです。興行、人寄せ、客を満足させるためですから。死ぬまで戦わせることはそうありません。処刑される罪人は素手でライオンやトラに食わせたそうですが、ウサギやキリンがでてきたこともあるそうですよ?」

「ウサギ……」


 それはシュールであり、笑いも起きたであろう。コロッセウムでは興行主はユーモアさも要求されたのだ。


「もっとも私はローマではなくギリシャ流でいきたいですけどね? パライストラの意味。ヘルメス君の構想とは異なりますが、表舞台が円形劇場アンフィシアターならば、あえて裏を古代ギリシャにおける総合体育学校、格闘場パライストラと名付けました。しかし裏試合の流儀こそ私はウェスタでありローマ流。貧しき人にはチャンスを。人々には娯楽を。それを徹底いたします。いずれ裏試合も含めてアンフィシアターがI908要塞エリアの代名詞になるでしょうからね」

「そこまで考えてか!」


 この施設はネメシス星系にとっては劇薬ともいうべきもの。競争を促し、闘争を推奨する。あえてラテン語が語源であるアンフィシアターをそのまま適用し、拡散することがヘスティアの狙い。

 いずれ闇試合の闘技場であるパライストラは、表のアンフィシアターの呼称が広がるにつれ、その意味も意義も統合されていくだろう。


「マーケティングにはネーミングやキャッチコピーも大事ですよ? あなたの友人ならそういうでしょうね」

「そうだな」


 彼女のいっていることはフユキのことだ。たびたび同じ内容のことは聞いている。時には宣伝戦も必要だ。


「ヘスティアを貴方にはより理解してもらう必要がありました。――では明日、五番機とエンプティのデビュー戦です。レギュレーションはメールで説明しますので!」


 ヘスティアはそう言い残して消えた。


「より理解ねえ? コウ。思ったより大事だぞ。今回の案件」

「大事であることはわかるけどな…… 調子が狂うんだよ、ヘスティア相手だと」

「それはわかるけどなー」


 こればかりはファミリアであるヴォイには何もできない。彼女がコウに何を期待し、何を教えたいのか。彼自身が解決しないといけないことだったからだ。

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