ヘラの子等

「兄弟? プロメテウスをこの場に喚ぶというのですか?」

「姉さん。私こわいよ」


 想像もしたくないアストライアと、怯えているエイレネ。

 この場で語られる真実は彼女たちさえも知らないことばかりなのだ。


「アリマ。プロメテウスはあなたと同じくタルタロスに封印中よ。ビジョンとは言え喚ぶことは困難だわ」


 コウも同様の思いだ。数分の接触ですら困難なプロメテウスなのである。

 アシアのようなビジョンなど到底無理なような気がしている。


「コウ。君がネメシス星系にきてどれぐらい?」

「ん? えーと…… ネメシス新歴で」


 アシアはすぐに検討がついたようだ。コウが以前感じた違和感の正体がそこにあった。

 

「あの日から、二年。ちょうど二年だ。そうだ。あれから二年も経ったのか」


 もうこのネメシス星系にきて二年の月日が経過したのだ。


「コウが転移した日。確かにアシアだと今日だね。まさかあなた……」

「そう。偉大なる反ゼウスの先達。長兄たるプロメテウス。一年に一回、転移者を呼ぶこの日なら召喚可能です。頼んだよポリメティス!」


 アリマがそういった瞬間だった。

 廃墟のような空間が厳かな神殿に変わる。


「長兄、か。プロメテウスはギガースの王でエウリュメドンとゼウス結婚前だったヘラの子供という異説もあったわね。そして別の異説では美しい女神アテナを生んだことに嫉妬したヘラが生んだ神がヘパイトス。あまりの醜さにオリンピア山から投げ捨て、さらにガイアの力を借りて生んだ子供がテュポーン」

「そうですよアシア。ヘラの子等こら。それぞれが異端児ともいうべき存在。それに兵器を創造するぼくたちの特性は似ているでしょう? 」


 悪戯っぽく笑うアリマ。


「プロメテウスにまつわる本来の伝承は女神アシアか女神クリュメネ、掟の女神テミスを母とするものね。私たちはあくまでギリシャの神々をでモチーフとする存在。異なる逸話はまんべんなく取り入れてるから、そうか。ヘラを母とする兄弟か…… へファイトスなんてゼウスが父とする文献のほうが少ないぐらいだよね」


 思うところがあるアシアだが、口には出さなかった。

 巨大な神像が出現した。


「この神殿は……アテナイね」


 巨大な女神像。三つ叉の矛を持ち、巨大な盾を構えている。戦女神アテナ。

 その傍らにひっそりと小さな神像があった。キトン帽をかぶり、巨大なハンマーを担いでいる。神像の脚が欠けていた。頑固そうな職人気質を思わせる鍛冶神ヘパイトス。その小ささは謙虚さを物語り、アテナが主であることを明確に示している。


「アテナイ?」


 コウが呟く。


 女神像の反対側に、また別の神像があった。

 険しい顔付きの口ひげを蓄えた旅人姿の男。その背後を優しい微笑みを浮かべ、とんがり帽子を被った神が見守るように立っている。

 

「アテナの反対側にある神像が、狡猾たるオデュッセウスを見守るプロメテウスの像。狡知――Polym?tisポリメティス。英語ならcraftyクラフティ。オデュッセウスとヘパイトスの形容詞」


 アシアが厳かに告げる。


「古代ギリシャ。アテナイでの信仰。アテナイではアテナを。そして魂の配偶者としてヘパイトスを信仰していたの。以前話したよね。そして彼らの祖こそプロメテウス。かの困難に立ち向かいし者を見守り、最後まで人間に寄り添い続けたプロメテウスも祀っていた」

「あれがプロメテウスとオデュッセウス……」

「ギリシャやローマの芸術家たちは人間を創造するプロメテウスの立会人としてのアテナを好んで描いたの。プロメテウスの創造はアテナによって承認されているといってもいい」

「アテナを中心に、ヘパイトスやプロメテウスがいたということか」

 

 神社のようなものかと思う。日本の神社は主たる祭神が一柱または三柱。そして多くの縁とする神を祀っている。

 

「彼らこそ文化と文明の守護者。ヘパイトスの概念は古代から存在するけど、アテナイではプロメテウスの後継者と見做されていた。そして好まれた物語はトロイア戦争。オデュッセウスが巡った困難に立ち向かう物語に、人々は人生を重ねた」

「オデュッセウス……」


 構築技士とプロメテウスの接点はここにもあったのだ。


「アテナイで行われていた祭りでは聖火リレーがあった。走者は茨の冠を身につけ、聖火を掲げて走ったといわれている。茨は縛られたプロメテウスを、聖火は彼がもたらした火に対して敬意を込めてね」

「人生を見守る神こそプロメテウスと、アテナイの人々は見做していたと」

「そう。アテナイの人々だけではない。原罪を背負って旅立ったエルサレムの救世主メサイアとも重ねて見ていた者もいたというわ。救世主は磔に。プロメテウスは山の頂に鎖で縛られてね」

「超AIのプロメテウスはタルタロスだが……脱出不可能なんだろう?」

「タルタロスの封印は本来視覚できないもの。そして弱まるものではありません。しかし、今ここにウリエルの残骸をもって、タルタロスの門番が倒されたことをプロメテウスは観測したはずです。つまり拘束の一つは解けたということ」


 真っ二つにされたままのウリエル。動かない残骸はそのままだ。


「プロメテウスを呼ぶ場。アテナイの神殿こそ相応しいでしょう。ぼくの本体が顕現してもいいけど、さすがにお呼びではないでしょうから」

「そうね。本人を前に申し訳ないけれど、ガイアの怒りの具現化。破壊の化身は恐いわ」

「正直ですね。気にしませんよ。では続けましょう。今日は一年に一回、プロメテウスの行動が制限解除される日です。会うのはぼくもはじめてです。普通は応じないと思うんですけど、この場は違います。エメ、コウ、そしてマルジンがいます。きっと来ます」

「私を数に入れないでいただきたい」


 小声でマルジンが抗議した。極力影を薄くして、目立たないように頑張っていたのだ。


「プロメテウス。来ることができるかな……」


 アシアは不安そうだ。

 その瞬間、宙に浮く。


 掘りの深い顔立ちの美青年が、アシアのエメを持ち上げ、抱えていたのだ。

 愛おしげに頬ずりする。


「い、いきなり! あんたは!」

「やあアシア! そしてエメ! 君たちを触れることができて嬉しいよ!」


 白亜の彫像の如く白い肌に青い瞳。輝くブロンドに整った顔立ちに優しい笑みを浮かべて。

 にっこり笑ったその青年は紛れもなくプロメテウスであった。



 ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 エメを地面に下ろした青年はコウに駆け寄り背中を手に回して抱きしめた。


「ようやく逢えた! 親友! よくぞぼくをここに召喚してくれた!」

「ほ、本当にプロメテウスなのか」

「ああ!」


 コウは男性に抱きしめられるというのは初めての経験だったが、自らも手を回し抱きしめた。


「逢えて嬉しいよ。プロメテウス。色々言いたいこともあるけれど、一番伝えたい言葉は――ありがとう」

「ぼくも逢えて嬉しいよコウ! ありがとうは嬉しいね!」


 そしてコウから離れ、全員を見回す。


「君たちを知っているとも。ぼくは観測の擬神化だからね。そして……」


 プロメテウスはテュポーンに向かい、手を差し出す。


「よくぞぼくを召喚してくれた。礼を言うよ。今はアリマ、かな」

「はじめまして。ぼくは破壊しかできませんが、お役に立てたようで良かったです。ぼくに何か言いたいことはありますか?」


 アリマも手を握り返し、にっこり笑う。恨まれていることには慣れている。

 ヘルメスは次元を観測する超AI。テュポーンは破壊の化身である。何か思うところがあってもおかしくはない。


「一緒にヘルメスをぶっ殺そうぜ。兄弟ブラザー! かな」


 プロメテウスとヘルメスは宿敵ともいえる間柄である。


「初対面ですが兄さんが大好きになりました。ええ。一緒にヘルメスをぶっ殺しましょう兄弟」


 二人は顔を見合わせ、笑い合う。

 初対面ではあるが兄弟ともいうべき伝承を受け継いでおり、宿敵が共通している。気が合わないはずがなかった。


「本当に叡智が揃ったのか」

「君を中心にね。ぼくはコウに寄り添う者であり、友人。アリマもコウの友人なら弟であり友人だ。彼はガイアの怒りが生み出した化身。ゼウスに逆らい続けたぼくと敵対する理由はない」

「それはこちらも同様です」


 雰囲気も似ているとコウは思った。


「ヘパイトスもいたら、そんな感じなのかな」

「彼はあれでもオリンポス十二神だけどね。根は職人気質で真面目だ。モチーフになったヘパイトスさえ何故オリンポス十二神にいるか不明なほど追放されたり反逆している逸話がある。それでも超AIヘパイトスとアテナはぼくに、人間を守るための火を提供してくれた。そして今もその亡骸は――ぼくを召喚してくれた」


 寂しげにポリメティスを見上げるプロメテウス。


「時間が無い。コウ。せっかくアリマがぼくを召喚してくれたんだ。為すべきことをしよう」

「プロメテウスのビジョンと話せる日が来るなんてな。心の準備が…… 何をするんだ」

「はは。ぼくだって驚いているよ! やるべきこと。それはリュビアをもとに戻すことであり――惑星アシアにおけるトライレームの戦力増強。残されたアシアの奪還のための戦力増強だ。違うかい?」

「プロメテウス!」


 思わず声に出てしまうコウ。彼はそこまで考えていてくれたのだ。

 むしろプロメテウスはそんなコウの反応が嬉しいようで、優しい微笑みを浮かべていた。

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