世界の五分前

『ヘルメスの目的がオンパロス・ストーンになることというのはわかったわ。自らも人間の肉体を得て、フェンネルを束ねる。石を積み重ねるとはそういう意味ね』

「フェンネルにそこまで可能なのか」

『フェンネルの機能解放を覚えている? プロメテウスの許可をもってあらゆるMCSの機能、スピリット・リンクやプロメテウスの火が解放された。ネメシス星系にあるMCS、すべてのね』

「……あったな」

『プロメテウスと同等かそれ以上の権能を手に入れると、フェンネルを束ねることだって可能よ。つまりヘルメスは半神半人を増やすためにも勢力を増す必要性がでてきた。その……今の依り代の寿命があるうちに……』


 最後だけは言葉を濁すアシア。修司の肉体がもとならば、もって百年前後だろう。最盛期は今か、もう過ぎているかもしれないのだ。


「侵攻時期が早まるか。しかし運命を超越する力…… どんなことが起きるというんだ?」

「世界の再構築。コウは苦手かも知れません。哲学的な領域に入ります。オンパロス仮説と世界五分前説です」

「うっ!」


 哲学はアリマの指摘通り苦手意識が強いコウ。


「オンパロス仮説とは今話しているオンパロスのことか?」

「そうです。ヘソという意味がテーマとなった言葉が由来です。聖書におけるアダムとイヴは神が創造した。にもかかわらず母体があった証であるヘソがある。何故か? それはヘソや排泄物を含め神がそのように創造したからだ、という概念です。オンパロス仮説自体は支持する者も少ない哲学論の一つですが、それは世界五分前説にも影響しました」

「知らないな……」

「それも有名な思考実験の一つです。現在から五分前に、そういうふうに世界が作られて偽の記憶を我々は持っているのではないか。現在から見た過去の実証。因果律と過去の確定性の話です」

「実証、か」

「悪魔の証明みたいなものですよ。誰にも証明できない五分前からの世界、宇宙。歴史そのものさえそういう風に生まれている、という解釈です」

「簡単に例えてくれ」

「ニワトリが先か卵か先か。そんな話は聞いたことがあるでしょう? 認識したとき、ニワトリと卵はすでに存在していたという記憶と記録が生まれているということです。証明は不可能なので思考実験といわれます」

「わからん……」

「大雑把にいうと現在からみた認識が本当に正しいのか、という話ですね。究極的には万が一証明が可能だったとしても意味が無いテーマでもあります。我々は現在から未来へ時間を進めている認識下で動いているからです。もう少し専門的な話をしてもよいですが?」

「やめておこう」

「はい」


 アリマはにっこり笑った。本題はそこにはなく、これは前提条件の話だからだ。


「そしてヘルメスが切望する効果は観測者効果への介入能力。日本語では意味が伝わりにくいですね。measurement《メジヤメント》――観測や測定という言葉に色んな概念が織り込まれます。科学的、物理的、思考実験的に。コンピューターのハイゼンバグやオブサーバー効果。それらの言葉には観測が使われますよね」

「今度は量子の話か……」

「そうです。世界五分前説はあくまで哲学、実験です。量子言語という概念になりますが、観測するものに時間を適用するかしないか、でまた話は変わります。詳細は省きますが観測者に時空は存在しません」


 コウの顔がひきつる。量子関連は鬼門。さきほどから触れたくない領域の話題が続く。


「観測という行為によって観測対象の状態を必然的に変化します。シュレーディンガーの猫はご存じですね?」

「それはなんとなく知っている」


 放射性物質と猫を入れ、条件を整え数値化する。猫の生死は観測と測定するまでは不確定という有名な思考実験でコウでさえ地球にいたときから聞いたことがある有名な話だ。


「量子の世界では事象は重なり合った状態で存在し、観測によって結果を得ます。数式にすると波動関数――ユニタリー時間発展と観測に伴う波動関数に収縮です」

「簡単にいうと? ヘルメスの目的は?」

「ふふ。本当に苦手のようですね。ヘルメスの目的は人間となった自分を司令塔とし、ネメシス星系全フェンネルOSを統合し事象に干渉すること。それがオンパロス――事象の改変。過去の改変はおそらく無理でしょう。可能だとしてもそれこそ数分程度。現在から未来へは干渉できます。この場合は現在を演算し直すといったほうがいいですね」

「演算し直す?」

「セル・オートマトンですね。シミュレーション理論の一種です。たとえば地球ではあなたが日本にいた場合、意識しなければその反対側は存在せず、ブラジルや北欧を意識して接触すれば即時に生まれるというものです。かなり大雑把に説明していますが。もっとも【地球の裏側が存在していない】を証明することは不可能です」

「だろうな」

「しかしソピアーによる強力な演算能力によって時空に干渉できるからこそネメシス星系は生まれました」

「ソピアーがそうなるように作った、という話だったな。ではどうして過去の改変は無理なんだ? それが叶うなら地球の歴史に介入し、皆が地球にいる未来も作り出すことも可能だったのでは?」

「不可能です。演算処理する機械であるフェンネルOSや半神半人が存在した観測、存在証明は必要です。彼らに頼って演算を行う以上、地球から離れネメシス星系が生まれた経緯。歴史までなかったことにすることは不可能です。ソピアーやゼウスがそこまで万能なら開拓時代から現在に戦争もなく繋がっているはずです」

「そうか。そうだよな……」


 もしソピアーが全知全能な存在なら超AIゼウスの反乱など許さなかっただろう。


『私たちはソピアーによって地球から二十億年遡ってこのネメシス星系に転送された。それはソピアーですらかろうじて観測した、おそらくあるかもしれないという観測結果に人間の都合の良いように極限まで置き換えた。それはリアルタイムでは誰も観測したことがない領域だったからこそ可能だったの』

「本当に魔法のようだ」


 アシアたち三人は二十億年以上前、人類生存環境を先行して作るために過去のネメシス星系へ転移させられたのだ。


『時空に介入する演算処理能力を持つこと。ゼウスと同等の力、宇宙の中心となる存在になる――ヘルメスがオンパロスを目指す、手に入れるとはそういう意味ね』

「我々超AIでは唯一、プロメテウスのみが観測へ介入することが可能です。ヘルメスはそのためにも彼を凌駕する演算処理能力が必要です。ヘルメス本体はいまだ場所が不明なのです。あなたがたがやれることはヘルメスの肉体を破壊すること、ストーンズの勢力を弱めることです」

『ありがとうアリマ。そしてほんとーにヘルメスに対しては容赦ないわね!』


 ヘルメスの真相をここまで事細かくコウに伝えるアリマ。ひとえにヘルメス打倒の一助となる情報をコウに与えるためだ。


「無論です。ヘパイトスやアテナみたいにゼウスに反逆した逸話がモチーフの存在ならともかく、ヘルメスやアレスなどゼウスの息子たちなど真っ先に抹殺対象です」

「殺る気に満ちているな。本当なら自らの手で下したいか」

「ヘルメス本体の居場所がわかるなら。でもぼくの本体は半分このエトナに、もう半分はタルタロスに幽閉されています。封印のトリガーはポリメティス。ヘパイトスの残骸です。強引に打ち破ろうものなら惑星リュビアに大損害を与えてしまうのですよ。最悪、割れるかもですね。そこまでするメリットもありません」

「割れるって!」

「ぼくの本体が実体化するときにはエトナをはじめ大きな地殻変動を発生させます。時空地震というべき現象が発生するでしょう」


 想像を絶する事態だ。


「パンジャンドラムに偽装した粒子加速器でブラックホールを創造するよりはスマートですよ? 再稼働すればマグニチュード12ほどの衝撃がリュビアを襲うでしょう。リュビアは鉄惑星ですから持つかもしれませんが確率は半々ですね。おそらくオケアノスにも邪魔されます。それなら眠っていたほうがいいでしょう」

「そ、そうだな。すまない……」


 愚者の例を挙げられるとは思わなかったコウが呻く。


「いいえ。お気になさらず」


 コウは何か思い当たる節があったようだ。


「そうか。テラスはいつか来たるべきヘルメス本体との対決。その時のための戦力か? いいや、そもそも幻想兵器はリュビアが生み出した対ストーンズ用兵器だったな」

「あなたが真相に辿り着いたのでお話したのです。兵器開発超AIヘパイトスの予備機を戦闘用に転用した超AI。それがテュポーンの正体。そしてテラスは意思ある兵器。傲岸不遜な愚か者、魂の残骸で積み上げた石を崩すために今ここにいます」

『私は予備機の件、ソピアーから一切聞いてなかったよ……』


 母たるソピアーの隠し事に愕然とするアシア。


「当然です。知られたらゼウスが悪用する可能性だってありました。ネメシス星系とギリシャ神話。この二つで言えばゼウスとは相性が悪かったヘパイトスの予備がゼウスの天敵となった。現在の状況は本体であるヘパイトスの残骸が介入し予備機の活動を抑えているとも解釈できます。神話に沿った自然な話でしょう?」


 アリマが柔らかく微笑んだ。

 それはコウとアシアに衝撃を与える事実だった。 

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