太陽の子
吹雪のなか、バステトは歩き続ける。
この黒猫は決してくじけないのだ。
襲いかかるハティたちを猫上の五番機が斬り伏せる。
「どうやって倒すか……」
「にゃあ?」
バステトが五番機の方を向いて鳴く。
「にゃうん」
エメのなかにいる師匠が返答する。
「隙を作って欲しいそうだ。そのあと全力離脱を。一気に決着をつけるらしい」
「わかった」
五番機はバステトから離れて、巨大な犬型機械と対峙する。
「神話的な弱点はないのかな」
「かの北欧神話における主神オーディンさえ飲み込んだ凶悪な狼。その名を由来とするもの。――神話では厚底のサンダルで下顎を踏みつけて剣を刺されて退治された逸話があるね」
「そのまま噛み殺されそうだな……」
「五番機でそんな真似しちゃだめだよ?!」
「わかっている!」
コウとしても巡洋艦級がもとであろう幻想兵器の口のなかへ飛び込むつもりはない。
「しかし何故天候を……」
「本当にね! 原理も不明よ。幻想兵器はわけがわからない特殊能力を持ちすぎだよ」
コウとアシア、二人の疑問に対し、アストライアが答えた。
『解析完了しました。おそらくは北欧神話におけるフェンリルの子ら全般が持つ月喰らい、その由来から伝承を昇華。かつての地球、その月に大量に眠っていたとされるヘリウムを操作し気候を制御していると推測します』
「ヘリウム3とヘリウム4のこと?」
『そうですアシア。希釈冷凍――液化したヘリウム3とヘリウム4を混合させ希釈熱を利用する冷却法です。極低温領域を操る能力。それがフェンリルです』
「俺には月喰らいの伝承が何故ヘリウムに繋がるか理解できないな」
原理としてはそうなのであろうが、月とヘリウムが結びつかないコウ。
「屁理屈でも理屈ってことね。そうとしか言えないわ。フェンリルの子供たちは太陽を飲み込み、月蝕を引き起こす伝承がある。狼は転じて天災そのものを意味する言葉でもある」
げんなりした顔でアシアが言う。
フェンリルが吼える。フェンリルの足下から氷で出来た山なりの津波が五番機とケット・シーたちに襲いかかる。
コウが目を見開いた。
「逃げろ! ただの氷じゃない!」
「にゃあ!」
コウの言葉に反応して、師匠が叫ぶ。
五番機は飛翔し回避、ケット・シーたちも慌てて飛び退いた。
「ギャ!」
逃げ遅れたケット・シーが大きく跳ねられ、地面に転がる。右脚部が付け根から破壊されている。これでは幻想合体も厳しいだろう。
「くそ。許さん」
怒りを押し殺すコウ。五番機は着地し、身を低くして柄に手をかける。
「どうしてわかったの? コウ。あれがただの氷じゃないって」
アシアも気付かなかったのだ。
「一度見たことがある。――アベルさんの氷塊空母をね。氷の装甲だ。質量兵器にもなるさ」
「あ!」
アシアと、そして中にいるエメ二人は同時に合点した。それはアベルが造りだした氷塊空母モビィ・ディック。
「ウィスは氷にも通る。思い出して良かった」
「最悪な武器ね! 英国面が前例でなければ対応できなかったわ」
さすがのアシアも氷が質量兵器になるとは予想できなかった。さすがはあらゆる兵器の祖を次々と創り出した英国兵器である。氷塊空母という前例で助けられるとは思いもしなかった。
「砲弾ほど速度がないのは幸いだが…… Aカーバンクルの氷をぶつけてくるとは」
凶悪な質量兵器だ。
「行くぞバステト!」
「にゃ!」
五番機がプラズマバリアを展開し、スラスターを全開にし突進する。
ハティたちが妨害に入るが飛び越えて一直線にフェンリルに向かう。
一方バステトは身を伏せて、何か溜めているようだ。
「グォーン!」
フェンリルが再び氷を発するが、高温のプラズマで溶かす。
極低温の攻撃は脅威だが、金属水素を限界まで燃焼させたプラズマで対抗する五番機。
「犬科ならば!」
五番機はフェンリルの鼻先に向かって飛ぶ。
ここは死角でもある。センサーがあるとはいえ、一番不意を突きやすい場所であろう。
フェンリルの眉間に向かって斬撃を放つ五番機。
すかさず振りほどこうと身もだえする一瞬だった。
「今なら!」
飛び退いた五番機はフェンリルの顔の下へ移動する。そのまま下顎に向かって剣を突き立て、切り裂いた。
「グァァ!」
「よし。コウ。そのまま全速力で駆け抜けろ!」
「瞳からレーザーか? わかった!」
師匠のアドバイスに従い、五番機はスラスターを全開にし、フェンリルの足下を駆け抜ける。
五番機を探し、頭を振るフェンリル。完全に注意は五番機に注がれていた。
身を伏せていたバステトが立ち上がる。
「ニャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
渾身の咆哮とともに、左目から白色のプラズマが発生した。
直撃したフェンリルは音も無く溶け出した。
周囲の氷もあっという間に溶けていく。
「な、なんだあれは……」
『――解析完了。太陽の子である伝承昇華です。あれは
「どういうことだ?」
『おそらくは太陽神ラーの子としてのバステトは全てを焼き尽くす【ラーの目】を左目に持ちます。伝承通りです。しかしその威力は異常。まさに太陽そのもの』
「そんなに凄い現象なのか」
『百万度のコロナプラズマをもとにしたソーラーフレアです。威力は水爆の十万個以上とされる、衝撃波さえ帯びた高威力荷電粒子を帯びた気象現象。その小規模再現をシルエットレベルでどうやれば可能だというのでしょう』
「さすがアナザーレベル・シルエットだな」
「そうね…… アーサーに匹敵するシルエットかもしれない」
コウが感嘆し、アシアも同意する。さすがは別次元と言われるほどのシルエット。古代の戦闘用シルエットが元だと。
『どういうことですか? コウ!』
聞き逃すわけにはいかないアストライアが詰問する。
「コウ! 私たち言ってなかったよね。バステトがアナザーレベル・シルエットが元の幻想兵器だって」
バステトと合流したのはアストライアと合流する途中。バステトについてはアーサーが教えてくれた事実だ。
「言ってなかったな……」
情報をアストライアに伝えていなかったことを今更思い出すコウとアシア。 これは大きな失態だ。
すぐさま戦闘に入った事で、話す暇がなかったとは弁解できる状況ではあるが、やはり重要事項ではあるだろう。
『なんですって。バステトはつまり、自律稼働するアナザーレベル・シルエットということに』
アストライアがぷるぷると震え出す。かなり珍しいがすぐに静まる。それが事実なら惑星間のバランスさえ崩す危険な情報だ。
友好勢力であることを感謝すらしたいほど。しかし前例が二例もある以上、テラス側にも存在する可能性はあるのだ。
『コウ。アシア。あとで話があります』
フェンリルに負けぬほど氷の冷たさをもって、アストライアが告げる。
「わかった……」
「はい……」
重要事項の連絡ミスである。コウとアシアは大人しく従うことにした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「コウ! バステトが!」
画面に映るバステトが力尽きて丸まっていた。眠っている猫のようだが、二人には異常事態であることはすぐに察することができた。
「きっとエネルギーを使いすぎたのよ。シルエットレベルで起こせる事象じゃないもの。フェンリルを倒すのに、相当無理をしてくれたのね」
「すぐにアストライアに連れて行こう!」
五番機は大きく旋回し、バステトのもとに戻る。
「金属水素を飲ませてなんとかなるだろうか」
「何もしないよりましだわ」
「そうだな。よし、バステトを連れていこう」
バステトの傍に立つ五番機。
「脚が傷付いたケット・シーはどうするか。――火車。火力を調節して軸に乗せて運ぶことはできるか」
「当然できらあ! 任せろ!」
この後に及んでも火車は頼もしかった。
「頼んだ」
五番機は傷付いたケット・シーを火車に乗せる。
「にゃにゃ」
ケット・シーたちも護衛するかのように彼らを囲む。
「バステト。待っていてくれ」
装甲筋肉がフル稼働し、最大の出力を捻り出した。バステトを背中に担いだのだ。
巨大な猫を背負いながら、五番機は駆けた。
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