ウィスとは星の力
衣川がアストライアに乗艦した。
確認事項があるとのことで、数日はアストライアに滞在することになる。
コウの時間が奪われるということで内心嫌がっていた艦内の女性陣。だがリュビア遠征という重大な任務は遊びでは無いため諦めている。
若干拗ねているブルーたち。コウは察しているが、アストライアに衣川との話を優先するように言われている。
その点アストライアはむしろ快く迎え入れていた。
今ならコウにもわかる。確かにアストライアは衣川に対し敬意をもって接している。明らかに他の構築技士とは扱いが違う。
宇宙開発の先駆者たる先人。星乙女たる彼女が尊敬できる数少ない人間なのだろう。
「衣川さんが直接こちらへ来るほど話したいこととは」
『彼ほどの研究者なら、ブラックホールなど聞きたいことが山ほどあると思いますよ、コウの勉強にもなりますし、歓迎いたしますキヌカワ』
アストライアはビジョン状態でコウの隣にいる。ビジョンは結構なリソースが割かれるが、これもアストライアなりの歓迎なのだろう。
「そういって貰えると嬉しいねアストライア。質問攻めにならないよう努力するよ。話す議題は考えていた。コウ君のためになるようなね」
『ありがとうございます』
受け答えはアストライアだ。
何かおかしいと思うコウだったが逆らっても何なので大人しく話を聞いている。
「今回の議題はそうだな。――惑星間戦争時代にあった技術で我々には解放されることはない、未知の技術についてだ。宇宙艦もそうだが、エンジェルやアスモデルだね」
『鋭い視点です。可能性の片鱗、その先を見たいということですね』
「そうだとも。私は知りたい。AIたちは聞かないと教えてくれないだろう? この前の【愚者】をみて、とくにそう思った。もちろん禁止されている技術まで詳細に聞くつもりはないからね」
『はい』
アストライアが頷いた。
「さて大前提は我々には三次元だが時間という概念がある。だから四次元でもあるし、三・五次元でもある。表現的には三次元プラス時間という説明がされるね。三次元で見えなくても
コウは頷いた。難しい話になりそうで、頭痛を起こさないか本気で心配する。
「基幹技術であるアクシオンカーバンクルやアクシオンスピネル。それらから生み出されるエネルギーは超AIソピアーが命名したウィスと呼ばれている。古代ラテン語でvis。力という意味だ。ラテン語なら気力や暴力という意味もあるね。電気ならウィス・エレクトリカという」
「重力と電磁気力が統一したエネルギーですよね」
「カルツァ=クライン理論で提唱された概念だね。楕円形の五次元時空では重力と電磁気力が統一されるという。では重力がどうやって発生しているかわかるかね? 惑星アシアや地球も原理は同じだ」
「え? 重力……ですか。地球の中心から……?」
「地球は合っているよ。惑星の自転と引力を合わせたものが重力だ。ではウィスの話をするとしよう。アストライア。補足お願いできるかな」
『喜んで』
笑顔で請け負うアストライア。衣川も解説に力が入る。
「アクシオンからだな。この素粒子は我々がいた地球でも予測されていた、ダークマターの本命ともいえる物質。重力と電磁気力が相互作用する素粒子」
「重力と電磁気力ってウィスの……」
「その通り。その性質は光子と磁場が弱いながらも相互作用しプリマコフ変換では磁場を、逆プリマコフ変換では光子を生み出すとされている四次元擬スカラー場だ」
「四次元擬スカラー場?」
「スカラーとは物理学で大きさのみを持つ量のことだ。三次元空間の回転に対しては通常のスカラーと同じく不変であるが空間座標の反転。 x→-x、y→-y、z→-zに対しては絶対値は不変。符号が変わる量を擬スカラーという。これを四次元に対応したものだね」
「物理苦手なんですよ……」
力無く応えるコウ。
『そこは頑張ってください。コウ。あとで私が時間をかけて教えます』
コウを励ますように言うアストライア。
「アクシオンと
「ニュートリノ観測の!」
「そうだとも。素粒子の研究は日本とも馴染み深い。アレルギーは起こさなくていいんだよ」
学生に教える授業というよりは、一般人向けの講演内容のようにコウにわかりやすく身近な例えを出す衣川。
「概念でいいから覚えておこう。このアクシオンはループ量子重力理論の成立にも使われる。素粒子などの働きによってスピンネットワークに時間を加えたものをスピンフォームという。このスピンフォームが離散的に変化し、積もり積もって我々が体感する時間となる」
「時間、ですか」
「そこで本題に戻そう。アクシオンは相転移を引き起こすと磁場が発生する。相転移は物質が異なる形状になる現象だね。水が氷や蒸気にすらなる。これが相転移。物理量を変化させることもある」
「相転移についてはなんとなくわかりました。物理量とは?」
『物理量はコウがいた時代でも規格化されています。質量、長さ、時間、電流、熱力学温度、物質量、光度が七つが基本量と定義されています』
物理量はアストライアが補足してくれる。
「我々がウィスを生み出すリアクターの燃料として使用しているアクシオンカーバンクルとアクシオンスピネルは、アクシオン結晶とでもいうべきものだ。アクシオンを操り相転移や時間干渉が可能になる」
「ウィスって謎エネルギーや謎粒子じゃなかったんですね」
高次元投射装甲の嘘臭い効果に、てっきり手がかりもない超未来の謎エネルギーと解釈していたのだ。
「そうとも。砂粒程度の片鱗は我々の時代の地球にもあったんだ」
『アクシオン結晶はソピアー最大の成果と言われています。生成は現在オケアノスのみ実行できます』
「ブラックホールが関係しているとみたが? 【
『そこまで察していますか。超質量、重力の果てであるブラックホールにはアクシオン雲が発生しますので、そこから結晶化する技術を確保したようです』
「やはりね。その先が今日聞きたいところだ。重力などもね」
『鋭い人は怖いですね』
アストライアが微笑む。確信した。こんな上機嫌のアストライアは見たことがない。
人間の認識が広がるのだ。AIとしては人間の認識が高まるほど効率的な働きができる。アストライアにとってコウの成長はとくに歓迎すべきことなのだ。
「重力は本来想定されていたものよりも弱い作用と言われている。この原因はすなわち高次元に漏れ出ていると予想された。ここらは超弦理論などにも影響する」
「そういえばウィスは高次元のエネルギーだと……」
「そうだ。ウィスを生み出すアクシオンカーバンクルとアクシオンスピネルは、一種の重力エネルギー
「惑星の力みたいな」
『その解釈であっていますよコウ。ウィスは星の力ともいうべき、疑似天体モデルの高次元の電磁気力を伴った重力エネルギーです』
星の力と聞いて、コウも身を乗り出す。そのほうが物理よりも夢があると思った。
「硬くなるのはどうしてでしょう? 以前、目に見えない厚みとは聞きましたが」
『先の時間の話と関連します。時間結晶をご存じでしょうか。高次元物質と呼ばれるマテリアルですが、これらは分子の動きが違います。極端なたとえをするとすれば、全く同じ形のただの金属の棒と時間結晶の棒があるとします。金属の棒が一分かけて切断される力の時、工具が同じものなら時間結晶では十分かかります。 逆に時間結晶を同条件かつ同時間で切断しようとする場合、時間結晶は金属に比べ十倍の力が必要です」
「そこは戦闘や破壊工作で日々体験している」
手を焼かされているといってもいいが、そのおかげで兵器の生存率も上がっている。利点のほうが遙かに大きい。とくに近距離戦が得意なコウならば。
『ウィスが流れた物体は疑似的な高次元時間結晶化、一種の高次元物質としての相転移が起きるのですよ。疑似超立方体化と時間のズレによるコーティング、とも言えるかもしれません』
「相転移の話にも繋がるのか」
アストライアが高次元投射装甲に関して解説し、今度は衣川が見えない厚さの解釈を披露する。
「そこでウィスの出力が重要になるわけだ。たとえの棒であればアクシオンスピネルでも切断するのに十分のものもあれば十二分かかるものがあるように固体差がある。アクシオンカーバンクルだと出力は桁違いで二十四時間以上かかるだろう。ウィスによる物質の時間の流れのズレが、破壊作用を阻害しているのだよ」
『高次元投射装甲の原理は単純ですね。時間のズレが十分遅延している装甲に対し、同じ十分遅延している剣で切断を試みた場合は、同じ時間域での攻撃を行っていますので破壊という現象が起きます。二つの物質は同等の高次元時間域で衝突しているので三次元における変形作用の結果は同じになるわけです』
「とはいっても三次元に存在している以上、それ以上の力が加えられたら十分に破壊できる。レールガンや砲弾がそれを証明しているからね」
「高次元投射装甲があっても元の素材が重要と言われているな」
コウは苦笑した。ウィスによる高次元投射装甲を貫くためにアンチフォートレスライフルやDライフルを開発したのだ。
「高次元投射装甲は見た目まったく変わらないからな。不思議な原理だ」
「三次元では見た目は同じでも四次元プラス時間の余剰次元である五次元からみると超立方体となっているだろうね。この見えない超立方体化と時間のズレが【見えない厚さ】の正体だ。四角い箱の頂点が八ならば超立方体は十六。三次元で一つの立方体でも四次元では歪んで引き延ばされ八個の立方体となるだろう」
「超立方体か。師匠が見えない軸が増えるといってたな」
超立方体モデルを連想すれば、師匠のいっていたことも今なら理解できる。
「さて、コウ君との基本前提のすりあわせが終わったな」
『ありがとうございます。ようやく本題ですね。次はキヌカワ氏の疑問に移りましょう』
何故アストライアが礼を言うのか不思議だったが、とりあえず沈黙を貫くことにした。
「我々に対し解放を許されなかった技術。色々あると思うが大別すると反物質利用とブラックホールエネルギーだね」
『そうです』
「何故そう思うんですか? 衣川さん」
コウが疑問をぶつける。
「我々はヴリトラ、その前はアンティーク・シルエットと戦った。そこで気付いたのだが、彼らは金属水素生成炉とはまた別種のエネルギー源を使っている。未知の機関とも思えたが、反物質の対消滅エネルギーに思い至った。ブラックホールは縮退炉とでもいうべきか」
『推測通りです。上位のアンティーク・シルエットは陽電子リアクター。宇宙艦はクーゲルブリッツエンジンの発展系ですよ』
「陽電子リアクターならあの程度の出力も理解できる。宇宙艦のエンジン原理は高密度のエネルギーが転じて発生するブラックホールを球電――クーゲルブリッツになぞらえた呼称だね。エルゴ球の原理だろう。そのエネルギーを利用したエンジンというわけか」
衣川は聞いたことがある用語のようだった。納得している。
「道理で修理もできないわけだ。二十二世紀ではまさに遙かなる聖杯の領域だ」
「反物質って…… 聞いたことはあるけど、SFか何かの話だと思っていた」
講義ではなくてほっとしているコウだったが、さらに理解できない世界の話に突入していく予感はあった。
「陽電子って反物質なんだな。それさえも知らなかったよ」
『陽電子は電子の反粒子ですね』
基礎を叩き込むチャンスとばかり、詳細の補足に入るアストライア。
「反物質の歴史は古い。1928年にかのディラックが理論を提唱。1932年には陽電子が確認されている。2011年反水素を0.2秒閉じ込めに成功。同時代に反ヘリウムの痕跡も確認された」
『反物質は確認されました。ですが確認されただけで理論上は提唱されても何かに使われたわけではありません。今回のビッグバンシミュレーションやブラックホールの粒子加速器による予見された素粒子発見や研究のほうが実現可能な技術を多く生み出していたのです』
「閉じ込めることもできないからな」
『当時の地球ではグラム単価が最も高い物質でしたね。反水素は一グラムおよそ百兆ドルに迫る金額です。もっとも反水素を一グラム生成など遠すぎる目標といわれていました』
「百兆ドル……? 一京円か」
途方もない金額に絶句する。それほど生成が困難だということだろう。
「水素とヘリウムだけは本当に不思議だよ」
素粒子の研究は水素とヘリウムの特性にかかっている。彼自身完全に理解しているとは言い難い。
「上位のアンティーク・シルエットに金属水素が使われない理由。それは単に金属水素すら非効率だったからだと察する。エンジェルなどは金属水素も用いているね。当時の技術的には費用対効果が高かったからだろう」
『反物質は生成手段と保存さえ可能ならばエネルギー効率は極めて高いですね。反物質、ここで反水素を1グラム対消滅して生み出すエネルギーは四十キロトン級の原子爆弾と同程度。陽電子リアクターはそこまでの出力は無理ですが』
「ん? では陽電子リアクターは、極小の陽電子を少しずつ生成しながらエネルギーとしているのか?」
『ええ。上位のアンティーク・シルエットは宇宙でもほぼ無限行動可能です。金属水素生成炉と同じ構造で組み込めます。積載燃料は比較にならないぐらい微量で済みます。宇宙兵器ですからね。金属水素を用いる量産型のエンジェルは大気が必要です』
金属水素生成炉を持つシルエットは、大気から水素を取り込んで稼働することができる。だがスラスターの使用量に応じては補給も必要だ。
反物質生成炉なら宇宙でさえ無限行動が可能ということだろう。
「技術解放されないのはあれかね。保存さえできればといっていたが、その保存技術がないからか」
『二十二世紀までの人類は反物質を長時間保存する技術も、生成設備をコンパクトにする技術も持ち合わせていませんでした。ソピアーは手に余るものだと判断していたのです。金属水素も似たようなものですが、あれは木星や土星の表層に存在する物質です』
「成果物だけ与えられてもろくなことにならんのは、尊厳戦争でも証明されたな」
『仰る通りです』
前傭兵機構本部の暴挙は彼ら構築技士にとっても戒めとなっている。
「クーゲルブリッツエンジンはどれほどの性能かな」
『理論値は光速の十分の一。一週間程度で秒速三万キロに到達可能ですが、構造体が持ちませんし制御もできません。限界加速していたとして、このアストライアで秒速千キロに到達できたかどうかぐらいですね』
「秒速三万キロか。何かにぶつかったら終わりだな」
『そういうことです。理論値は重要ですが、実用域とはまったく違います。貴方ならよくご存じでしょう』
「かのアストライアに評価されるとは光栄の至り」
惑星アシアに転移してからは、様々な知の欲求を満たしてくれる存在がいる。衣川にとっては理想の地であった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
衣川滞在期間中に、たっぷりとロケット関連の講義を受けたコウ。
彼がイズモに帰還したあと、アストライアと話し合った。
「なあ。アストライア」
『なんでしょう』
「R001のアシアを解放したときの技術リストにあった大型陽電子砲ってさ……」
コウは基本的に光学兵器の技術解放は行っていない。
『はい。昨日のキヌカワとの談義に出てきた陽電子ビーム砲のことです。衝突エネルギーと対消滅を伴った破壊力を生み出します』
「技術解放しませんでした、といえる雰囲気ではなかった……」
『ご安心ください。キヌカワは気付いていますよ。コウのいた時代でも金属に対する陽電子消滅寿命測定用ビーム装置は実用化されていますしね』
「なんだって!」
『ブラックホール生成技術が解放されているところから察したのでしょう。反物質を応用した技術など解放されない方がよいと、彼は知っています。そして肯定しているのです』
「そっか」
知っていて、肯定されているならば安心だ。
陽電子砲が解放しなかったビーム兵器一覧にあったことは覚えている。荷電粒子砲の項目にあったものだ。
だが荷電粒子砲とともに技術解放は行わなかった。現行でも技術解放を行うことは可能ではある。だがシルエットサイズでは携行不可能なほど超大型になり、サイズの割には威力はDライフルに遠く及ばない。
そして艦載砲では大口径レールガンやレーザーのほうがまだ効率が良い。必要な電力に規模と効果が見合わない、いわば発展途上段階の技術が解放されていた。
とくに荷電粒子砲は大気や磁気の影響を受けやすく射程も短い。大型レーザー砲のほうが有用であるし、実際にホーラ級艦載用の大口径レーザーは構築し装備している。
この先アシアが解放されていけば荷電粒子砲のコンパクト化は進むかもしれないが、解放する気にもなれなかった。
「技術者の知見って凄いんだな。アストライアの評価もわかる気がするよ」
『今回の件では【愚者】に反対したアベルも見直しましたよ。予想以上の良識を持ち合わせていたようです』
天秤たるアストライアにとって【愚者】を使いたがる者は軽視に値するのだろう。キヌカワもアベルも紛れもなく賢人であったのだ。
「そうだね。反対意見を述べてくれる人も大切だ。アシアに戻ったら一緒にパンジャンドラムを創ろうって約束したしな」
友人として真摯に忠告をしてくれるアベルをみてコウも心が痛んでいた。
『いつの間にそんな約束を!』
「しまった!」
『さあ。今すぐ詳細を』
「待ってアストライア。落ち着いてくれ!」
アストライアに詰問され、コウは悲鳴を上げた。
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