光崩壊―フォトディスインテグレーション(加筆修正)

 トライレーム艦隊までもが目映い発光に包まれた。その後、光が収束し消えた。

 ヴリトラがいた地点には黒点が一つあるだけだった。

 

 黒点は膨張し、急速にその範囲を拡大しつつある。


 宇宙艦隊を凄まじい衝撃が襲う。

 不安定なものは壁に叩き付けられる。それほどに急加速している宇宙艦隊を引き寄せる力が発生していた。衝撃緩和機能が意味を為さないほどの制動力が働いたのだ。


「何これは? 発生した黒点に吸い寄せられているみたい!」

「超重力が発生している? 艦自体が黒点に引っ張られているということか!」


 エリとマティーが事態を把握する。あの黒点はヴリトラより恐ろしいものだと本能が告げている。


全速力フルスピードアヘツド維持を! お願い!」


 アシアのエメが悲痛な表情で呟く。

 各艦を管理しているAIも、現在起きている異変と照らし合わせて鑑みれば大至急対応すべき事態であることは痛感した。


『この距離でこの加速なら!』

『あの黒点は光すら逃しません。こちらも全速力を維持し、特異点による重力圏内から早急に離脱します』


 クシナダの声に応えるアストライア。


「もうそれってあれしかないよね!」


 マットが絶叫する。

 

「ヴリトラの消滅を……確認しました……」


 全艦隊に、震えるアキの声が響き渡った。

 小さな豆粒の黒点に一瞬にして吸い込まれたのだった。


「こちらもヴリトラの消滅を観測した。黒点に飲み込まれたね」


 アシアが安堵のため息を付く。


「消滅?! 撃破じゃなくて?」

「光すら逃さないって。何をしたのコウ君!」


 あちこちで動揺が走る。マットやエリまで通信を送ってきた。


「倒せたからいいじゃないか。いっただろ。あれはパンジャンドラムじゃないって」

「あんな危険なものをパンジャンドラムに偽装させるほうがおかしいよね?!」


 コウの顔に冷や汗が浮かんでいるのを二人は見逃さなかった。本当にギリギリの決断だったのだろう。


 黒点は広がり画面には何も映っていない。故障でもしたかのように真っ暗だ。

 暗黒の空洞があり、周囲の縁がわずかに光っている。


「水素7を同時に制御するとは…… 凄まじいな。アシアは」


 マティーやエリとは違う視点で、起きた事象を理解しようと努める衣川。宇宙での出来事を知りたい。

 彼はただ、知りたいのだ。


「かなりの無理筋。アクシオンコアと水素7でようやく必要なエネルギー、そして核分裂の果て――光崩壊は起こせたかな」

「それでもだ」


 衣川が感嘆する。それは超AIへの畏敬の念であり、同時に目の前で行われた成果の素晴らしさに対してだ。


 陽子と六つの中性子で構成された水素7はそれだけに非常に不安定だ。それでも地球ではヘリウム8と水素を衝突させ生成に成功している。

 かの刹那という言葉が意味する時間さえ百京分の一。十のマイナス十八乗秒なのだ。十のマイナス二十四乗秒における領域での作業など人類には不可能だ。


「水素7。原子のなかでは最大の中性過剰核だ。核融合ではなく、核分裂と光崩壊とは……」


 水素7の半減期はわずか二十三ヨクト秒のみ。


「わかったよ。【愚者フール】の正体。それはビッグバンシミュレーションによるビッグバンとブラックホールの生成をするための加速器。シュヴァルツシルト半径の設定はそのためだろう」


 衣川は極力冷静に【愚者】を分析したかったが、興奮は抑えきれない。

 アシアが計算したシュヴァルツシルト半径とは重力半径。空間及び時間における原因湾曲質量の能力を表している。


 中心部は特異点である【愚者】。ブラックホールの中心から事象の地平面までの距離を計算し、アシアはブラックホールの持続時間を制御したのだ。


『推測通りです。ヴリトラを葬ったブラックホールはわずか1アトメートル。量子レベルのサイズしかありません。シュヴァルツシルト半径から逆算すると、維持時間は4時間程度と見込まれます』


 アストライアは認めた。


「その4時間に光まで逃さないブラックホールが回転しつづけるわけか」

「媒体はアクシオンカーバンクル。ブラックホールの中心点に存在するアクシオンコアとして利用したわ」


 疲れ切った表情のアシアのエメだったが、ようやく笑みを浮かべた。


「愚者。タロットのナンバーはゼロ。大アルカナは愚者の旅路を現しているという。多くの転移者はブラックホール爆弾という事象を利用した爆弾で行方不明になったとされ、構築技士オデユツセウスたちの旅の始まり。そして中世の遊戯では二十二番目として扱われることもある切り札トランプ

「意味は色々ありますが、本音でいえばこんなものを使う人間は愚か者以外何者でもないからです」


 衣川の推測に、コウが自嘲気味に言った。

 自分達が生死不明となった要因であるブラックホール爆弾という。21世紀の科学では実際にブラックホールそのものを作ることは不可能であり、回転する疑似ブラックホールに衝突するボゾン場が超放射散乱によって増幅され、大きな爆発力を持つ現象を利用したものだ。

 多くの転移者はブラックホール爆弾の犠牲者らしい。自らこの惑星に転移する契機になった爆弾を使うならば、愚者であろうと思い命名したのだ。


 もっともこの爆弾の効果かほとんどの者が行方不明であり、死亡と観測されていない。プロメテウスはそこに目を付けた。行方不明になった衣川が転移したのは例外のようだった。


 そしてもう一つ意味がある。数には入っていないが、パンジャンドラムは彼が習作ナンバーゼロとして構築した兵器でもある。最初に正式登録された兵器はドリルと俗称を持つシールド坑道掘削装甲車だ。


「疑似的なビッグバンとブラックホール。アクシオンコアを利用した特異点より核分裂反応によって生み出された膨大なエネルギーは水素から生じ、吸熱状態となる。その後ガンマ線によって鉄の原子核が崩壊。原子核から陽子が追い出され光崩壊フォトディスインテグレーシヨンを起こす――核融合とは逆の手順を踏みエネルギーを放熱し鉄が重力崩壊を起こすことによって、コアは自らの重力に耐えきれずブラックホールとなる。そうだなコウ君」


 学者としての好奇心が抑えられない衣川が確認する。


「そんな感じかと。俺も原理はよくわかりませんよ」


 コウが苦笑する。原理はアストライアから説明を受けているが、衣川のほうがよほど理解しているようだ。


「アベル氏とエイレネがパンジャンドラムにするように反対した理由は【愚者】の正体を知っていたからか」


 ダミーをパンジャンドラムにするよう迫ったという話は構築技士の間でも噂になっていた。

 彼はこの兵器を危惧したのだ。噂話で意味を取り違えていたのはユリシーズの構築技士たちだったのだ。


「はい」


 このような代物を爆雷と呼ぶわけにはいかない。アベルはコウを含めた親愛なる人々を危険に晒したくはなかったが故に反対していたのだ。


 オケアノスの許可、アシアの制御が必要な兵器に使い勝手などあるわけがない。惑星が影響を受ける宙域では使用厳禁だ。使おうとした瞬間に存在ごと消されるだろう。

 水素7と反水素の生成と制御などアストライアでもそれなりの設備が必要だ。


「シュヴァルツシルト半径から算出した効果時間は4時間弱。そののちホーキング放射によって蒸発するわ。爆発もあるかもだけど」


 アシアのエメが大きく息を吐く。一ゼプト秒、十のマイナス二十一乗秒にも満たないタイミングでの作業。

 極めて緻密な作業を要したのだ。エメの肉体にも相当な負担がかかっている。


「ブラックホールは大質量の重力崩壊。地球の技術を用いて三次元に再現するならば最小でも十の十九乗のGEVゲヴ――ギガエレクトロンボルトものエネルギー。そして千光年という途方もない長さの円形粒子加速器が必要だといわれているが、高次元理論なら必要なエネルギーや加速距離は変わってくる。媒体といったか? Aカーバンクルを使用したのだね」

「1センチメートルのブラックホール生成に成功したとして、その寿命は宇宙の年齢を超えるらしいですね。敵としてストーンズの宇宙艦隊はいないと踏みましたが、大型マーダーの群れや大型のテラスがいたらと想定して、作るだけ作っておいたんです。使わなかったらAカーバンクルを回収してただのダミーとして投棄すればよいだけの施設」

「生成だけで困難。暴発させようがないからな」


 衣川は興奮を隠せないでいた。目の前で凄まじい天体実験が行われたのだ。

 科学者として追求せざる得ない。


「車輪部分の高速回転でビームラインの距離を稼ぐとは。パンジャンドラム状である必要は確かにあったということか」

「巨大な筒にするか糸車状の二択でした。そこで偽装計画が上がりましたからね」

『ビッグバンシミュレーションによるブラックホールは地球でも生成されています。量子レベルで観測されるほどの短時間。故にマイクロブラックホールと命名されました。製造許可が降りたのはひとえに二十一世紀の科学者たちの研究成果のおかげです』


 転移者たちが認識できない技術は製造が許されないというルール。

 逆説的にいえば基礎実験で成功ないし成功と見なされる実験があれば使用許可は降りるのだ。


「ただのダミーに三人分のアシア、ホーラ級AI三人が関与するとはおかしいとは思っていたが……」


 衣川は正体を見抜けなかったことが若干悔しいようだ。


「助かったアシア。ありがとう。とんでもないものを創ったんだな」


 リュビアがアシアのエメに礼を言う。


「あなたほどじゃないわ。使うことになるとは思わなかった。創造主の命を要求するなんてね。テラスはあらゆる意味で警戒しなければいけないね」


 【愚者】の製造はアシアも関わっている。

 他に手はなかったと彼女も認めている。 


「その通りだ。私の命さえ超AIに至るまでのバージョンアップデバイスにしか思っていない」


 リュビアが呻く。自分が生み出したのだ。重責を感じている。


『ヴリトラは百を超す半神半人を取り組んだと我々に告げました。ストーンズの半神半人の肉体は構築技士が多かったと思われます。いくらエテオクレス級といっても一般人を取り込んであそこまで戦闘力が上がったとは思いません』

「どういうことだアストライア」


 コウがすかさず問い返す。


『推測です。あそこまで巨大な力を手に入れた理由こそ、取り込んだ半神半人の肉体の中に構築技士権限が高いものがおり、技術制限を解放したのでしょう』

「ただの人間を幾ら取り組んでも制限解除の役には立たないということか」


 リュビアもその推測を肯定する。


「構築技士はほぼ転移者。例外もいるけれどね。半神半人が百人もいればB級構築技士が数人いた可能性は高いかな」

『半神半人の肉体をふんだんに使い、機能の個別解除や平行処理をしながら別々の機能を引き出し、あそこまで進化した可能性があります。ここで処理できたのは幸いです』

「本当にそうだな」


 コウも心から思う。最強の一角であることには違いないだろう。


『あなたやキヌカワ。マットの身の危険性が高まることも認識してくださいね』

「わかったアストライア。俺達まで捕まってしまえばテラスが強化されてしまう。それだけは避けたい」

『今まで以上に慎重に立ち回りましょう』

「コウじゃなくリュビアも。構築技士がテラスの強化素材になるなんて考えたくもなかった」


 アシアのエメが呟く。こんなことが起きるのは彼女にとっても想定外だ。


「テラスによる惑星アシア侵攻の可能性も高くなっただろう」

『その危険性は高まりました』

「リュビアを復活してなんとか制御しないと。今回の件がなければストーンズ侵攻の再現だってありえた」

『その通りです』


 コウの危惧をアストライアは肯定する。


「構築技士のみんなにも危険性は伝えておく」

「色々とありがとう。アシア。制御は本当に助かった」


 アシアが戻るようだ。コウは改めて彼女に礼を言う。


「さすがにあんな敵には【愚者】をぶつけるしかないじゃない。エメと師匠にも礼を言いなさいよね」

「わかっている。要塞エリアに戻ったらまたアシアと買い物だな」

「そんなもので釣られないわ。――でも楽しみにしている。ブラックホールは蒸発したみたい。私は戻るね」


 確かに画面では小さな爆発が起きたようだ。

 ブラックホールは蒸発したのだろう。


 エメの瞳が元に戻る。


「ありがとうエメ。師匠」

「私も師匠も大丈夫だよ」


 そうはいっても、力がない。


「アキ。にゃん汰。エメを休ませてやってくれ」

「わかったにゃ」

「俺もあとでいくから」

「無理しないでねコウ」

「わかっている」


 本当はコウ自身がエメを運びたかったが、まだやることがある。戦闘は終わったばかりだ。


 アストライアの声が艦内に響く。


『テラスとの交戦状態を解除。最大戦速から原速へ移行します。各艦、至急総点検を』


 戦闘終了の合図が鳴り響く。慌ただしく艦内のファミリアたちが点検へと動き出した。

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