憂鬱のブルー
「コウへの説教はあとだ。ずいぶんとやらかしてくれたな! ケリー。さっきの修正案でどうだ」
「俺はあいつを褒めてやりたいぞ? ともかくそれでいくぞ。バリー。しかしロビンのくそったれもだが、英国の連中め! 何枚舌があるんだ!」
またしてもオーバード・フォースなどというコウのための組織造りを水面下で動いていたBAS社にキれているケリー。
そんな面白い組織があるなら真っ先に入りたかったのだ。
「私。今からタキシネタでアストライアに乗り込むから。コウ君のほっぺをねじり切らないと」
ジェニーが青筋を立てながら宣言する。予想通りの独断専行だ。
小言の一つも言いたくなるのは、みなも同意見だろう。
「一緒にいきます。右を頬をねじ切ったら左の頬をねじきりなさいと格言を聴いたことがあります。ついでにお腹の贅肉もねじきっていいですよね」
無表情で言い放つブルー。付き合いの長い連中はわかっている。
激怒しているのだ。メタルアイリスではこの状態のブルーが一番怖い。
「そんな格言はないからな!」
バリーが慌てて訂正するが、二人は走ってタキシネタに向かっていく。
「コウ。聞こえるか」
「バリー。すまない。あのさ」
いつものコウになっている。それだけで心なしか安堵できるバリーだった。
しかし事態は緊急を要する。
「今はそんなことをいっている場合じゃない。激怒したブルーがそちらへ行った。あらかじめ言っておくぞ。激怒したブルーはジェニーと比べものにならんほど怖い! 自業自得だ!」
バリーは冗談では無く、本気で忠告してきている。目が真剣だ。
「なんでブルーが激怒を?」
思いもよらぬ通告で狼狽するコウ。
「水臭いどころの話しじゃないからな。もう怒られておけ。心がえぐられるぞ。止める気もない。あの二人の怒りは俺達全員の心の代弁と知れ」
いつもひょうきんなバリーの蒼い瞳にじっと見つめられる。その時点で十分心がえぐられているコウ。トラウマになりそうだ。
「俺はどうしたら良いんだ……」
「知らん! じゃあな! こっちはお前の対処で今から緊急会議だ! 幸運を祈る!」
無慈悲に通信が切れた。明らかに激怒している二人に関わり合いになりたくない様子が見て取れる。
「なんでブルーが激怒を」
コウはあまりの事態に呆然と呟いた。
「俺は昨日答えをいったぞ」
「え?」
呆れたようにヴォイがいう。アキとにゃん汰は虚ろな瞳でそっと目を逸らす。
鈍感にも程があるだろう。
「再生治療の準備が必要かもしれません。主に頬の」
「念のため、よろしく。アストライア」
「承知しましたエメ」
エメが珍しく哀しげに呟く。ブルーが激怒した理由は辛いほどわかる。
「コウ。にぶかった」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
アシアを降ろし、疲れ切ったコウは深く司令席に座り込んだ。
アシアは少し不満そうだったがすぐに姿を消した。これから大忙しになること間違いない。
「こらー! コウ!」
「え? はや! もう着いたのか!」
ドアを蹴破る勢いでジェニーが戦闘指揮所に躍り込んできた。
迷わず手を伸ばしコウの頬をつねり始める。
「いてて…… 謝るってば。そこまで怒ることはないだろう」
「わかってないな!さらにねじる!」
「本気で痛いってば!」
そして無表情にコウを見下ろすブルーがいた。
視線が冷たい。
「そこまで。ジェニー。次は私の番」
ぞっとするほど冷たい声音。それだけでコウは逃げ出したい気分になる。
「そうね。あなたが怒るべきね」
場所を変わったブルーはまっすぐにコウと同じ目線まで腰を落とす。
無言でじっとコウを見つめる。
「ブ、ブ……」
言い終えることはできなかった。
彼女は迷わず両手で左右の頬を全力でつねった。
「痛っ」
もはや声もないほどの激痛。
視線はますます冷たくなり、本当に恐怖を覚えるほど怖い。バリーは本当のことをいっていたのだ。
「なんで怒ってるかわからない?」
「……うぅ……」
そういった瞬間、コウが絶句した。
涙目のブルーがいた。
「この鈍感」
止めとばかりに今度は引っ張る。
「た、たすけ……」
「ごめんなさいにゃ。今回ばかりはブルーの気持ちがわかるにゃ……」
「ですね……」
にゃん汰とアキは痛ましそうな視線をコウに向ける。
同情はするが、責はコウにあるということだろう。
「うん」
エメにまで見捨てられる。
ヴォイは端でハチミツを舐めている有様だ。関わり合いになりたくないらしい。
ぎりぎりという音が聞こえそうなほどつねられている。涙目のブルーは一切容赦がない。
ずっと無言であるというところに彼女の絶望と怒りを知った。
「え……」
ブルーは切れ目の美しい瞳に涙を浮かべていた。
美しい双眸から頬に落ちる雫は美しく、それゆえにコウの心を容赦なくえぐる。
理由がわからないコウは悼みに耐えるだけ。泣いている女の子にどんな言葉をかけていいかもわからない。
「はぁ。この朴念仁は仕方ないわね。ブルーもそこまでにしときなさい。もう。女の子を泣かすんじゃないわよ」
他人が激怒していると、当事者でも冷静になるものだ。今回のジェニーがそれだった。
「あのね。ブルーのことを俺の女の一人に入れたでしょ」
「あ、あれのことは謝る……」
「そうじゃない! そこはそれでいいの! むしろそこは謝るな! 話はちゃんと最後まで聞きなさい!」
早合点しそうなコウを怒鳴りつけるジェニー。
想像以上に鈍感なコウに苛立ちすら覚える。ここまではあまりにもブルーが可哀想だ。
「は、はい」
恐ろしい程の剣幕なジェニーにコウはたじたじだ。
親友のためにもメタルアイリスのためにも、ここは言い聞かせないといけないと決心するジェニー。
「そういっておいて、なんでトライレーム初期のメンバーにブルーがいないの! エメちゃんまで入れといて!」
二人の激怒の理由を、おぼろげながらようやく把握した。
「うっ そ、それはみんなの所属がメタルアイリスで……巻き込みたくなくて……」
「だからあんたもメタルアイリスだってば。アキもにゃん汰もヴォイもよ。なのに! ブルーも! そして私の名前も入っていないよね!」
にぶいコウもそこまで言われておぼろげながらようやく彼女たち、そしてバリーの怒りを察した。
「にゃん汰たちより数日差とはいえ、ブルーのほうが付き合い長いのよ! 私やバリーもね! そりゃ泣くほど悔しいわよ! 薄情すぎるわ!」
アキとにゃん汰も逆の立場になったら本気で泣く自信がある。エメもだ。
これはコウが悪い案件。女心をわかっていない。
「す、すまない……」
ヴォイが肩をすくめた。
名前がなかったら一生恨むところだといったのは彼だ。ここは素直に怒られておく場面だろう。
ブルーはずっと無言で美しい瞳から涙をこぼして見つめている。
これが何よりもコウに効いた。
コウのなかではジェニーとブルーはメタルアイリス幹部、という認識があり、何より私闘に近い戦いに巻き込みたくなかった。
コウが一番悪い点はアストライアにいる人間中心で考えすぎてしまったことにある。
彼女たちが怒るのも無理はない。
ここに至りようやく理解できたコウだったが、言葉が何も思い浮かばない。内なる声もこういうときに背中を押して欲しいものだ。
エメがまたため息を付き、コウに近付く。耳元で囁く。
コウは頷き、意を決してブルーに向き合った。
「ブルー。遅くなってすまない。俺に付いてきてくれないか」
「……女の子にフォローされてるんじゃないわよ……」
声がかすれている。恨み節全開だ。
「ごめん」
「……今回だけだからね。次やったら絶対許さない。次は咬み千切るから」
「わかった」
ようやく涙が止んだが、視線は冷たいままだ。
「そして私を忘れない!」
「も、もちろんジェニーも付いてきて欲しいよ!」
「だからそれ最初に言いなさい! んもう。それだとブルーのついでだよね!」
「その捉え方は悪意があるぞ!」
「それぐらい我慢しなさい! このあんぽんたん!」
「うぉ」
軽いデコピンを喰らい、気が抜けたのか笑うジェニー。
釣られて皆が笑った。
「ぐぉ!」
ブルーが無言のまま全力のでこぴんを行い、あまりの激痛に思わずしゃがむコウ。
笑いがさらに高まり、ブルーもようやく唇を笑みの形に歪めるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
コウは落ち着かない様子で戦闘指揮所内をうろうろしている。
今回のブルーやジェニーの件で自分が大切な人たちにやらかしてしまったことを後悔しているのだ。
遅くなってしまったかもしれないが、フォローはしたい。
「コウ。落ち着かないね」
「どうしていいのいかわからないんだ」
コウが戦闘指揮所のなかをうろうろしている。
「教えてあげる。司令席に座って」
エメが示す先には、普段彼女が座っている司令席があった。
「座って何をするんだ」
「座っているだけでいい。どーんと構えて。無言でいいぐらい」
「そういうものなのかな」
『エメはずっとそうしていたのです。コウ』
アストライアがコウに座ることを勧める。
「わかった」
覚悟を決めて座る。
「しかし、青髪と青装束っていいのかな」
派手すぎると思うのだ。
「お似合いです。今外出用のウィッグと衣装も作成していますからね」
アキが尻尾をぶんぶん振っている。
「ブルーとお揃いだにゃ」
「そ、それは」
「嫌なのかしらコウ」
「そうじゃない」
女性陣に笑われる。完全にからかわれている。
このタイミングならみんなに相談しても良さそうだ。コウは口を開く。
「艦内にいるみんな、そしてメタルアイリスやユリシーズにも一言伝えたい。けど言葉が浮かばなくてね。さっきとは大違いだ」
言葉に迷うぐらいが自分らしいと思う。
声をかけなかったことを指摘されて、自分の浅はかさを挽回したい気持ちもあるのだ。
「一言いえばいいの。私みたいに。ついてこいってね」
ブルーが優しく教える。
「そのかわり前もっての言い訳は不要。できるだけシンプルに」
「わ、わかった。がんばってみる」
アストライアの艦内、そしてメタルアイリスとユリシーズへ向けて放送する。
「みんな。俺についてきて欲しい」
一言そういって、すぐに切る。恥ずかしかった。
「今更恥ずかしがらないの」
ジェニーが呆れる。先ほど傭兵機構に対して大見得を切った人物とは思えない。
「こんなことしかいえない」
「あー、でもー、うー、でもお金とかのぅ、とか話すよりよっぽどいいの。上出来よ」
「そうか」
ジェニーに太鼓判を押され納得するしかないコウだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「今のウーティスの言葉を聞いたか? 俺達についてきて欲しいそうだぞ」
「気の利いた言葉の一つでも欲しいところだが、シンプルな分思いはこもっているだろ? 俺達が本部にいいたいことはあいつが全部言ってくれた。今までの分全てな」
コウの言葉を受けてすかさずケリーとバリーが共同で通信を行った。
「ユリシーズ及び防衛軍たるメタルアイリスの諸君。傭兵機構本部から、企業はとくに熱心なお誘いがあることだろう!」
「ビッグボスの新組織トライレーム。俺達は君たちに移籍を強制することはない。それは彼の意思に反するからだ」
バリーが言葉を継いだ。驚く一同。
「むろん生きていく上は金は大事だし、俺達は傭兵だ。金で動いても文句は言うつもりはない。そこでだ。ユリシーズとメタルアイリスを一時解散する」
ケリーがユリシーズを代表して宣言した。残りの構築技士も深く頷いている。
「ケリーと俺はトライレームに一個人として入り、改めてそこにいる企業体としてのユリシーズとその防衛軍たるメタルアイリスを再結成する。次はもうアンダーグラウンド・フォースではない」
「そういうことだ。だからあくまで参加は自由意思。好きなように決めちまえ。俺の意見がお前らの判断に左右されてはいけないからな。俺からは以上だ!」
「ウーティスは俺達を巻き込みたくないと思っている節がある。メタルアイリスから離れ、仲のよい者同士でトライレームでアンダーグラウンドフォースを造ってもいいだろう。そこは俺もよくわからない新体制だ。正直いえば、傭兵機構とさして変わらんかもしれん」
バリーは苦笑いだ。そこは本音なのだろう。
「今まで通り金銭の支払いやID発行。端的にいえば傭兵組織が二つになるだけだ。ただ俺はな。守りきったP336要塞エリアや取り戻したR001の軌道エレベーターを横取りしようってヤツが気にくわねえ。創造意識体がモノうんぬんはもっと気にいらねえ。だから移る。俺からも以上だ」
一区切りし、最後に告げる。
「二つの組織はもう解体済みだ。移籍はみんなの好きにしろ。アシアが協力してくれている。管制タワーや各艦の端末ですぐ手続きできる。考える時間はあるから慎重に検討してくれ」
A級構築技士たちは手元の端末で既に移籍、トライレームのユリシーズに参加を済ませている。まったく悩む案件ではない。
放送が終わった直後、多くの者が端末に殺到した。
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