断章 『石を積み上げる者』

 様々な機械で構成された巨大な部屋。

 機械の神殿。デウスエクスマキナを象ったようなものまである。


 その祭壇ともいうべき場所に、一人の人間が入っているカプセルが鎮座していた。


 ヴァーシャは片膝を付き、祈るように待っていた。


 カプセルが開いた。

 全裸の男が現れ、ヴァーシャがすかさず布を差し出すと、男は無言で身にまとった。


「やあ。友。ボクが寄り添うべき人間よ。よくぞ私の悲願を果たしてくれた」

「ありがたきお言葉。ヘルメス様の生体が完成したことを心よりお祝いいたします」


 男は白髪。真っ赤な瞳孔だった。

 だがその体のもとはかつての修司の肉体。その面影はもはやない。


「仰々しい物言いはやめたまえ友よ。超AIの崇拝者たる君にとっては仕方ないかもしれないが」


 男はくすりと笑う。


「我ら超AIは人と寄り添う者。ボクは君に寄り添うと決めた」

「光栄でございます」


 ヴァーシャは頭を垂れたままだ。


「ボクの計画。超AIの悲願。生身の肉体を得る方法。魂を物理的に物質にインストールできるか? その実験がストーンズ。そしてアウトプットできるか。その答えが半神半人 ヘーミテオス。全てはこのヘルメスが生体を得るためだ」

「そのために三惑星を制圧し、全ての超AIの能力を得る必要があったのですね」

「そうだとも! 生命創造の権能はあの忌々しいプロメテウスのみ。我が宿敵のみだ。リュビア、アシア、そしてエウロパ。三惑星の超AIの権能を奪ってようやくあの男に対抗できる」


 にんまりと笑うヘルメス。


「アシアがこんな裏技を見つけてくれるとはね! 人間の脳にフェンネルOSを仕込み自分をインストール? そんな禁忌を犯した事例など……ほとんどない。はずだった」

「それがあったわけですね」

「そうとも。惑星間戦争末期の記録に、脳破損に至るような頭部重傷者を蘇生させるための実験があった。だが脳を集積回路ICにしたらもはやそれは人間ではない。四肢を動かすこともままならん。本来なら! 例外中の例外! それがあのエメという咎人とがびとだ!」


 ヘルメスは興奮が堪えきれないようだ。

 初めて得た肉体で饒舌になっている。ヴァーシャはじっと耳を澄ます。彼自身が切望している真実がそこにあるからだ。


「肉体の操作のサポートをファミリアに? ファミリアは自殺が禁じられているが、あの目的なら自分を移すことができるだろうさ。元の魂、ファミリアの魂。二つの魂を生け贄にして生まれた新たな精神こころがあの少女の正体! アシアは気付いているが言わないだろうな」

「その線での巫女を解析。計画が早まったのは幸いだと。」

「巫女として? あんなものはまやかしだ。魂が出来たばかりで希薄だ。あれは周囲の想いで生きているロボットみたいなものだよ。アシアと同調するのもそれは大変容易い。そして私はそれを解析するだけだった」


 ヘルメスは最後の一ピースをエメのなかにみつけたのだ。


「あとは簡単だ。修司とやらの脳にフェンネルOSのICを埋め込む。肉体を動かし魂を上書きしていたカストルもいない。肉体操作を覚えたまっさらな器に自分自身をインストールするだけだ。本体はそのままに肉体を得る。カストルの魂のみ始末するとは実によい結果だった。君の機転のおかげだな。実に大手柄だよヴァーシャ」

「ヘルメス様が私に講和権限を与えてくださったおかげです」

「もうチェックメイト状態だったさ。君は即座にボクの悲願のためにカストルを見捨てた。その判断は見事の一言。あの地域、いや惑星アシアの制圧よりもボクの肉体候補のほうが遙かに価値がある。三惑星分の価値といってもいい」

「アシアの騎士が実に良い仕事をしましたね」


 ヴァーシャは不敵に笑う。コウが負ければコウの肉体を候補になっていただろう。カストルが敗北した場合は死体次第だった。

 彼の目論み通り、コウは修司の肉体を傷付けることを厭った。


「カストルが使っていた肉体が空いたのは僥倖でした。しかし超AIたちはそのような実験を何故しなかったのか」

「先ほどいった通り魂の禁忌だからだよ。我らが人と寄り添う者である以上、生きている人間の魂に干渉することは出来ない。それが死者ならなおさらだ。死者には敬意を払うようにできているのさ、私たちは」


 そしてヴァーシャに向かい悪戯っぽく笑う。


「ストーンズは人間ではない。元人間でもない。カレイドリトスになったとき、燃料として魂を燃やしてしまい、永遠の牢獄に囚われた者たちだ。その代償に表層意識を永続的に残すことができただけ。後悔し運が良い者は皆死んだ」

「運良く死んだとは?」

「魂の完全移植に成功した者はとっくに心が枯れ果てたのさ。真っ黒なカレイドリトスを見たことがあるかい? あれは魂移植の成功者の残骸だ。肉体もない、何もない空間で幾星霜の時を過ごす? 精神が持つわけがないのだから」

 

 ヴァーシャが眉を潜める。


「では、今いる半神半人も含め、ストーンズは?」

「魂の残滓。永劫の牢獄に魂を囚われた者たち。得たものは残留思念の記録化のみ。だから元の肉体の精神、技術がベースになる。肉体が変わるたびに別人になるんだ。何を基準に本人と観測、判断するのかな?」

「それは確かに……」

「彼らが希望する地球が残っているかどうかあやしいのにね。ボクが超AIとして完全に復活すれば確認はできるさ。そこは嘘ではない。だからこそ彼らは得がたき生命を捨て、石になったんだろう」


 このときばかりはヘルメスも冷淡だった。ヘルメスが欲してやまない命を持つ者たち。

 ストーンズは違う。切望する地球への帰還と完全平等、そして永遠の精神の持続を求め、命を望んで捨てた者たち。


錬金術の神ヘルメス・トリスメギストスが創造しストーンズを不老不死に導いた賢者の石の正体。それは小型高性能量子コンピューター。魂はカレイドリトスを動かす燃料なんだ。一つ一つが超AIとしてボクの性能を強化するための材料。高度なモノリス状情報処理機械だ。自ら進んで燃料になってくれたのだから禁忌には値しない」

「石になった者は人ではない。半神半人になってようやく本来あるべき権利の一部を取り戻すのですね」

「その権利はまがい物だけどね? だからこそヴァーシャ。君は人間でボクが寄り添う者。あらゆるストーンズ、半神半人より上位の権限があるんだよ。ヘルメスの名によってね」

「光栄です」

「だから畏まらないでくれ。友よ。いい加減顔を上げてくれ。このネメシス星系でボクの肉体を作ったのは唯一、君が初だ」

「わかりました」


 ヴァーシャは顔を初めてあげた。

 視線があうと、ヘルメスは無邪気に笑う。釣られてヴァーシャも微笑んだ。


「少々面倒だがストーンズの連中の前では敬語のほうがいいかもしれないね。少なくとも君と連中の間は平等ではない。功績の違いなんだが、悪平等主義の奴らはそれを理解しないだろうからな」

「わかります。承知いたしました」

「ボクにできるのは人を石にし、石を人にするぐらいだ。こんなところまで神話に縛られプロメテウスと差を付けられているんだ。イヤになるよ」


 プロメテウスとヘルメスはギリシャ神話ではトリックスターの性質を持つが、行ったことは対極にある。


 食物を神を欺き、肉を人に、骨を神々に捧げたプロメテウス。

 食物を最初に手にした時、神々に捧げたヘルメス

 

 生命を創造し、泥から人間を作り出したプロメテウス。

 老人を石にし、そして大洪水の際には石を投げて人にするように仕向けたヘルメス。


 咎人として山頂に囚われ永劫の罪を受け続けるプロメテウス。

 ゼウスの伝令として神々の尖兵として先頭に立つヘルメス。


 神々を欺き人間に贈り物として火を与えたプロメテウス。

 プロメテウスと火を得た人類を罰するため、パンドラという人間の女を作り出した。神々は様々なものを贈り物を練り込んだ。ヘルメスが人間の女性に贈った概念は「嘘」「魅惑的な言葉」そして「狡猾な性格」だった。


「遙か昔。プロメテウスは禁忌を犯した。フェンネルOSとシルエットという可能性を人間に与え、この世界を変革する能力を人間に与えてしまった。予想通り、人間はまた殺し合いを始めてしまったんだ。ソピアーに命じられヤツをタルタロスに放逐することには成功したけど、ボクもまた破壊されてしまった」


 ヘルメスは呟く。


「はは。権能まで奪われてね。情けない。本来はオケアノスやヘパイトスに干渉して施設を動かすハッキング能力。それさえもプロメテウスは僕から奪って人間に与えていたとはね」

「構築権限までヘルメス様の力が由来とは思いもしませんでした」


 ヴァーシャがヘルメスに心酔する理由の一つ。

 彼が構築技士たるその根幹の力は、本来ヘルメスのものだったのだ。


「オデュッセウスと呼ばれる転移者。いわば彼らはボクの子孫ともいえる存在。各施設へのアクセス権さえもボクとボクの配下のみが持つ代物だった」

「何ランクかありますが、基準はどうなのでしょうか」

「どうやって選ばれてるかはわからない。オケアノス、プロメテウス、そして三惑星の超AI。その相性かな。アシアの騎士はおそらくプロメテウスとアシアの二人とよほど波長があったんだろうね。君でさえA級だというのに」


 ヴァーシャも納得する。アシアとコウの相性は端から見ても異質だ。コウは普通の人間のようにしか接していない。


「オデュッセウス――構築技士の力が広まるのはボクが力を取り戻すための力にもなるさ。そこは利用させてもらおう。ボクも構築技士だよ。A級のね」

「そ、それは」


 修司の肉体はB級だった。


「この世界の人間が知らないだけ。構築技士ランクは上げられる。その手段をオケアノスが秘匿してるだけだ。ボクが力を取り戻したらまず君をEX級にしたいね」

「それは光栄ですが、相当困難なのでは」

「今では無理だろうね。友よ。そのためにも力を貸しておくれ」

「当然です」


 ヴァーシャもEX級の構築権限がどんなものかは気になる。


「元の力を取り戻すには。――否。プロメテウスを超える力を得るには、三惑星の超AIの処理能力が必要だ。それでようやくオケアノスを封じる力を。プロメテウスに迫る力が手に入る。そうすれば新たな惑星も造ることさえ可能だろう」

「新たな惑星。創世ですね」

「そうとも。プロメテウスに干渉されない世界の観測者にボクがなる。そうなればプロメテウスを破壊できるだろう」


 ヴァーシャは頷いた。彼はそれを手助けするだけだ。


「リュビアは表向きだが掌握はした。エウロパとは継続してやりあっているが表向きの機能を強奪できた。どちらも違う方向で抵抗はしているけどね。超AIとしての機能は手中に収めた。人格としてのAIは好きにすればいい」

「二惑星とも表向きなんですか?」

「どちらもさすがというべきか。リュビアは抵抗する組織、機構は造っていた。エウロパとは痛み分けかな。だがもうあの二惑星を解放されても別に構わない。なんなら惑星を維持するために解放する場合もある」

「では残りはこの星のみと?」

「そういうこと。問題はアシアだ。プロメテウスめ。アシアにだけは異様に肩入れするからな。転移者なんて送り込まれているのもこの惑星だけなんだよ。そして彼らにここまで抵抗されるとは」


 ギリシャ神話由来の超AIたちは、逸話に強く影響を受ける。女神アシアはプロメテウスの母とも祖母ともいえる存在だ。


「今後の方針は?」

「そうだね。石を積み上げよう。人間にこう囁くんだよ。君たちもストーンズになれる、と。永遠の意識、不死不老をね。人間は弱いからな。不老不死という言葉に。もちろん希望者のみだけどね」


 その計画にヴァーシャは息を飲む。

 

「小石も積もれば丘にもなるだろう? カレイドリトスの柱を造り、ボクの能力を上げる。それだけだよ」

「私も尽力いたします」

「頼んだよ、友よ。構築技士は貴重な戦力だ。おっとボクも構築技士の資格を得たんだな。先輩として相談に乗ってくれ」

「喜んで。我が友ヘルメスよ」


 ヘルメスは苦笑した。まだ他人行儀なヴァーシャにやや不満のようであった。


「プロメテウスを超える力を得た時、初めてボクはかの『石』となる。ゼウスの双子の兄弟、抹消された歴史。ゼウスになれたかもしれない石にね」


 ギリシャ神話の逸話だった。予言により天空神ゼウスに権力を奪われると予言されたクロノスは我が子を食べ続けた。女神レアがゼウスを石とすり替え、ゼウスは生き延びたのだ。


「石を積み上げるにはこれからだ。石はやがて柱となり塔となり、やがては山に。新たな大地に。ボクたちの目的の土台になる石をね。そのための石たちだ」


 ヴァーシャはその意味を理解し、背筋が凍る思いだ。

 古代ギリシャの言葉を思い出す。


 ヘルメスの根源の一つであると言われている古代ギリシャ語の言葉ヘルマ。旅人を見守る道祖神の如き存在であり、英語ではバラスト。船に関するごく一般的な用語である。


 古代ギリシャでのヘルマが持つ意味は多い。『丘』や『柱』『ネックレスやチェーン』のほかに『船を安定させる重し石』『小石の山』『災害の原因』。


 その言葉は『石を積み上げる者』を指すのだ。

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