講和交渉
アストライアの戦闘指揮所で歓声が上がる。
エメは涙を隠すように両手で顔を押さえ、アキとにゃん汰は立ち上がり抱き合っている。
『おつかれさま。エメ』
「ありがとうございました」
『礼なんて堅苦しいよ。私たちも想いは一つよ?』
「そうだよね」
アシアとエメ。二人の想いがコウを助けたのだ。二人の心には境界線がないかのように、心を一つにして。
見守るように微笑むアストライアは、まだ戦闘中。警戒を強めた。
今彼女たちは喜ぶ時間ぐらい確保するべきなのだ。
その頃防衛ドーム廃墟では五番機にいるコウに、兵衛から通信が入った。
「なんてえ奥の手を隠しもってやがるんだ。はは…… こいつぁすげえ」
兵衛も感嘆するほかはない、シルエットでの業。フェイントですらなく、大胆な変化を伴った抜刀だ。
飛燕返しにどう対するか。兵衛もまた剣士の性ゆえに返し手を考えずにはいられなかった。
コウの言うとおり邪道に属する技ではある。生身の人間が使える技ではないし、奇襲の一種だ。
脛斬りと思って飛ぶと下半身を斬られ、下段だと間合いの外から斬られる。
踏み込んだ地点で振りが速くても遅くても、手首が円軌道の斬撃に引っかかるように両断されるだろう。しかもあの前屈した体勢から上体を伸ばすあの動きは、抜刀タイミングも読めない。
抜刀後も厄介だ。横斬りならそのまま脛斬り。下段斬り相手なら鞘引きを駆使して袈裟切りにすればいいのだ。居合い特有の軌道の柔軟さはそのままだ。
一番効果的な方法は動かないこと。後の後ともいうべき、相手の対応を完全にみてから攻撃を外した相手を斬れば良い。
しかし立ち会いにおいて、何もしない、ということは非常に難しい。
もしくは居合いの技、膝をついての突きだ。これもタイミング次第で五分五分だろう。考えれば考えるほどに面白い代物だ。
「コウ君。よくやってくれたよ」
「兵衛さん」
兵衛の声がコウに届く。妨害する者はもういないのだ。
「ありがとう…… 修司を自由にしてくれてありがとう。実に見事な業だった。絶対に修司も見ているはずだ」
兵衛の声が震えている。泣いていた。
ただ、涙が止まらない。
あれほど見事な剣は、修司を送る
「本当に修司さん相手なら通じたかどうか」
剣術か、居合いか。カストルはそう考えた。
そこでまったく別の、第三の技術体系である剣舞による業。
初見殺しの話どころではないが、修司ならその可能性を考慮しただろう。
「実際倒しておいて謙遜は嫌味になるコウ君。誰でもねえ俺が認めたんだ。胸を張れ! 修司のためにもよ!」
居合いの遣い手であり構築技士として五番機の特性を知り抜いている、一人と一機でのみ到達できる領域。
シルエット戦ならば兵衛やクルトにも通用する業だ。謙遜は修司への侮蔑に値するともいえる。
「はい」
コウはようやく素直に返事をした。はにかんだ笑みを浮かべる。
満足そうに兵衛も頷いた。
「今そちらに行きます」
「すまんな」
五番機が倒れているアクシピターに向かおうとした瞬間だった。
「動かないでくれたまえ。ヒョウエ殿を殺したくはないのでな」
「ヴァーシャ!」
どこからか現れたのか。ヴァーシャのボガディーリがそこにいた。
「剣舞<飛燕返し>。良いものをみせてもらった。まさに人機一体の領域に達した業だ」
「それはどうも」
戦闘意思はないようだ。
奇襲する瞬間はいくらでもあった。
「剣士二人とシルエット戦による剣術談義といきたいところだが、ここは仕事を優先させてもらう」
「俺相手にか?」
「そうだとも。――講和交渉だ。アルゴフォース代表として私がきたのだよ」
コウが固まった。
講和。ヴァーシャの口から出るとは思わなかった。
きたというのは嘘だ。それはすぐに見抜いた。カストルを倒した時間から五分も経過していない。あまりにも速すぎる。
近くに潜伏していたのだろう。そして戦いの経過を眺めていたのだ。
「一つ聞いていいか。今、あんたは誰の命令で動いている?」
カストルを助けるための奇襲はいくらでも出来たはずだった。つまり総司令官であるカストルの命令で動いていない。
ヴァーシャは薄く笑っただけだ。答える気はないらしい。
「少なくとも講和権限はある、とだけ答えよう」
「わかった。だが俺の方にはないぞ。一パイロットだ」
「無論君は指揮官ではない。君の意見は大きな影響があるだろうがね。アシア。聞いているんだろう?」
『ええ』
二人のMCSモニターにアシアが現れる。
「そうだな。バリー総司令とジェニー隊長、そしてエメ提督の同席は認めよう。アシアと一心同体の彼女だ。拒否しても無駄だろう」
「あんたは賢いな。絶対その方が話は早い」
コウの疲れたような声に、ヴァーシャの口元が緩んだ。
彼としてもコウの性格は憎めないところがあるのだ。
「バリー。ジェニー。聞こえるか」
「アシアからの最緊急警報付きの呼び出しとはな」
「こっちも大丈夫よ。コウ君」
「私は事情を把握している」
二人の他にエメもいる。アシアとエメはすぐに情報を共有できるだろう。
「状況を説明する。敵総司令の
コウが事実だけを告げる。
「は? カストルを倒した? 講和交渉?」
予想外の展開に絶句する。メガレウスはまだ墜ちてないのだ。
何をどうやったらそんな話になるのか、コウを今すぐ呼び戻したいバリーである。
「戦場離れたらと思ったら何してるのよ、コウ君……」
ジェニーも呆れる急展開。
「彼の言うとおりだ。私は君たちと講和交渉に臨みたい。どうするね」
「どうするもこうするもないな。やるしかないだろうさ」
バリーの顔付きが変わった。今も戦闘は続行中。
死傷者は常に出続けている。それが停止できる可能性があるならやるしかあるまい。
これからはコウでもエメでもない。彼の仕事だ。むしろこの瞬間のために戦い続けたようなものといっても過言ではない。
ジェニーは安心する。この顔になった時のバリーは無敵だ。
「講和の条件は?」
講和に持ち込めたのは僥倖だ。
資源も何もかも尽き果てて玉砕になるまで戦った国家は地球の歴史でも数少ない。
「複数あるが、まずは君たちの勝ちだ」
余力があるうちに切り上げたいということだろうか。
資源の少ない国家ではそういう戦力を取る場合は多い。だがストーンズこそ資源も資金も莫大に所有している組織である。
意図は読めないがストーンズにとっては勝ちを譲ってもいい程度の優勢は取ったのだ。そう思いたいバリーだった。
「そうか」
淡々とバリーは頷き、ジェニーは息を飲む。どちらが勝利したか。これは講和にとって最大の障壁となる。
メガレウスは陥落寸前、敵最高指揮官を討ち取ったのだ。アルゴフォースとしても勝利を強弁したところで無意味だろう。
それでも意外と思ったのは、ストーンズとの戦争において人類が勝利したことはなかっからだ。
「私たちも希望するものはあるが、まずは差し出すものから話そう。賠償金は免除を要求する。そのかわりQ019要塞エリアとQ221要塞エリアの二カ所の拠点。及び周辺の防衛ドーム全ての権利を君たちに譲渡する」
「こりゃまた気前がいいな。このシェーライト大陸の半分以上が俺達のものになるってか」
多くの犠牲は払ったが条件としては悪くはない。シェーライト大陸こそ、P336やR001用要塞エリアがある大陸。その半分以上が彼らの統治下となる。
勝利し、領土を得る。実にシンプルな発想ともいえる。金銭の額だけで数ヶ月かかる交渉になるなら、領土のほうが手っ取り早い。
ユリシーズも企業が増えてきたところだ。この一帯に移動を希望をする企業ばかり。莫大な収入源になるだろう。
「その通り。国でもなんでも造るがいい」
「ごめんだね。面倒だ」
「もう十分国家たる資格はあると思うがね? 我々ストーンズにも劣らぬ戦力。領土。そして住人。何より他組織と交渉するだけの条約執行力。いわば主権が確立している。これを国といわずして何を国というのだね」
「それでも、だよ。俺達は一介の傭兵チームだぞ」
「……どこの世界にホーラ級三隻、さらに宇宙艦数隻を所有する一介の傭兵チームがいるのだね」
「誰とはいわないがそれら全て個人の私物だ。それを借りてるだけなんだよ。非常識だろ?」
ヴァーシャはジト目でコウをみた。先ほど一パイロットといった人物を。
なんとなく気まずいコウが、そっと目を逸らす。
「ふむ。あとは金になるかわからんが戦時賠償艦としてのメガレウスだ。残骸なぞもらっても嬉しくないかもしれないが、君らのものになったら好きにすればいい。これが我々が講和の条件として提示するものだ」
あの状態で地面に埋もれては、修理もできない。ならば交渉材料の一つにしたほうが手っ取り早い。
「メガレウスか。今も戦闘中で残骸といえるものでもないがな」
堅牢な宇宙戦艦の抵抗は激しい。援軍次第では攻略部隊の撤退もありうるかもしれない状況だ。
「そう思うなら修理して使えばいい」
皮肉げに呟くヴァーシャ。
メガレウスは現在艦橋を吹き飛ばされ、各種のエレベーターの防壁を破壊。甲板へのエレベーターにいたっては自走爆雷が隔壁を破壊して回っている。
バリーは内心ため息をつく。
エイレネがやりたい放題で、メガレウス再利用など出来ようはずもなかった。
それでも恨むのは筋違いだと思い直す。エイレネがいなかったらあの戦艦の攻略は膨大な時間が必要だっただろう。
「貰えるものは貰っておくさ。では肝心のお前らの条件を聞かせろ」
想定以上の好条件とさえ言える。こういう場合は相手の要求も高いということだ。
「まずは戦時条約の交渉開始と窓口の創設だ。宇宙から質量兵器を落とされては惑星アシアさえも危うい」
「そらこっちの台詞だ。空母爆弾なんざ造りやがって。要塞エリアのシェルターを地獄の窯にした連中に言われたくない」
「その通り。お互い言い分はあるだろう? それを明文化するための交渉を開始したい。今後発生する事態に備えてだ」
「良かろう。それに関してはまったく異論はない。双方にとって必要なものだ」
バリーの回答にヴァーシャは頷く。
それは今後のための戦争に必要な、最低限のルールを設定することだ。
お互いの良心に則って、など最初から期待していない。その条約があっても、抜け穴を双方探ることになる。
だが、何もないよりはましなのだ。
「次にこちらはある意味どうでもいい要求だが…… 君たちには不要だろう、捕虜になっているパイロットたちの返還。そしてメガレウスの指揮官であるアルベルトの身柄だ。数少ない友人でね」
これを拒否しても影響なさそうだと錯覚するほどには、本当にどうでもよさそうな感がある。
「捕虜と砲撃卿か。わかった。それに関しても問題ない。あったとしてもこちらでなんとかする。飲もう」
バリーは即答した。彼にとってもどうでもよい案件だ。
捕虜はナノマシンで洗脳されている人物だ。洗脳を解いても長期の治療がいる。率直にいえば負担だ。
メタルアイリスは慈善事業ではない。捕虜を返還するのは人道的にみても問題はない。
問題になるのはB級構築技士、砲撃卿アルベルトだ。B級構築技士ではあるが、ストーンズに寝返った構築技士は彼だけではない。
空母爆弾の責は問いたいところだが、それで講和がこじれるぐらいならさっさと飲んだほうがましだ。
むしろ重要なのはアルベルトが作った空母爆弾を使わせないための条約交渉だろう。それは今行うべきことではない。
「本命はなんだ?」
「最初にいっておく。この要求を飲めない場合は講和もないと思え」
「わかった」
バリーは身構える。どれほどの要求がくるか想像がつかない。
勝ちを人類側に譲っても良いと思えるものなど想像が付かない。
この話が流れることになれば泥沼の戦争が長らく続くことになる。一時的に優勢とも言えるが、戦争が長引いた場合は他の大陸を抑えているストーンズに対して勝ち目は薄くなっていくだろう。
彼としてもなんとかここで話を決めたいところなのだ。
「カストル様の肉体だ。いまだ仮死状態にある。それを渡してもらおう。アシアの騎士は絶妙な箇所を狙ってくれた。これがMCSごと破壊されていたら講和もなかっただろう」
「な!」
コウが絶句した。確かに修司の肉体を傷つけたくはなかった。静かに弔いたかった。
仮死状態かもしれないが、もうカストルの意識もない。修司の魂は上書きされ消滅している。
その肉体を要求されるとは考えもしなかった。ストーンズにしてみればただの敗者だろう。
「そ、それは………」
「コウ。お前が決めろ。これは俺たちがやったわけじゃない。お前が為した成果だ。決裂しても文句は言わさん」
「そうね。言わせないわ。あなたの思う通りに」
バリーが深いため息をついた。コウがいなければメタルアイリスはここまで戦うことも出来なかった。指揮官としては失格だが意思の尊重はしたい。
ジェニーは哀しそうに笑みを浮かべる。コウに辛い決断を強いているのは理解しているのだ。
そして二人の気持ちが痛いほどわかるエメは無言を通した。
「本音としちゃ、飲んで欲しいがね。死者を弔いたい気持ちはわかるが」
決して云いたくはなかった。それでも云うべき時だ。
総司令官として希望を述べる。
「お、俺が……決めるのか」
エメが心配そうに見つめている。
コウには辛い決断だ。渡すなら何故遺体を傷付けずに取り戻したかわからない。
「俺にはわからんよ。ヴァーシャ。敗北を認め、条件の良い講和。その肉体一つにそれだけの価値があるのか疑問だ」
自分が標的だったらまだ対処しやすかっただろう。ヴァーシャはコウに対して要求している。
実際、アルゴフォースとして多くのものを喪うに値する価値とは思えないほどだ。
「前まではなかった。今この状態だからこそ、か。わからぬのも無理はない。カレイドリトスに繋がるMCS接続ユニットのみ破壊などという事例は今までなかったからな。それは長いネメシス星系の歴史のなかでも、だ」
「前代未聞の出来事が起きているということか? 少し時間をくれ。コウの考える時間をな」
バリーには本気でわからなかい。ストーンズ固有の事情だろうか。そもそも一度利用した肉体を再利用したなどという話しも聞いたことはない。
アシアに眼を向けると首を横に振っている。彼女自身も意図が読めないなら、ただの人間であるバリーには無理だ。
「よかろう」
ヴァーシャは鷹揚に頷いた。
エメは戦慄する。あのヴァーシャがこの緊迫した状況で、思考時間を相手に与えても良いと判断するほどに価値があるということなのだ。
下唇を噛みしめ、エメは口を開くのを堪える。こんな情報をコウに与えたくはなかった。
「俺は……」
「何を悩むコウ君。渡してしまえ」
からっと笑いながら兵衛が言った。
「兵衛さん!」
兵衛の表情は穏やかだった。誰よりも修司の亡骸を弔いたい人物であることは明白だった。
「修司の弔いは終わっているんだ。仇まで君が取ってくれた。あそこにあるのは五年前に消えた肉体だ。これで戦争全てが無くならないにしても、俺達だけでもしばらく収まるならそれだけの価値はあるさ」
兵衛としても亡骸として弔いたい気持ちは強い。だが、それさえも押し殺して今後を見据えている。
修司が蘇るわけではないのだ。
コウは無言だ。
ヴァーシャが告げる。
「カレイドリトスは好きにしたまえ。金にはなる。あくまで我々が欲しいものは肉体だ」
「あの石ころはもうカストル様にはならない、か」」
「……やはり君は問題の本質を理解している。その通り。まったくの別人になるだろうな」
コウの理解にヴァーシャは内心舌を巻く。半神半人の仕組みを理解している者がネメシス戦域にどれほどいるだろうか。
記憶や経験、付随する判断力は元になる人間の肉体による。カストルという人格が再現される可能性は低いだろう。
「金にはしないが好きにさせてもらう。二回も意識をインストールできるのか?」
「私ではわからない、とだけ答えておこう。おそらくだがそのカレイドリトスでは無理だな」
その回答に嘘はないように思えた。本当にヴァーシャ自身もわからないのだろう。
「……わかった。本命の条件を飲もう」
ようやくその言葉を吐き出すことができた。
兵衛の助け船がなければ深く葛藤し続けていただろう。
肉親である兵衛が決断した。彼が決断しなくてどうするというのだ。
「賢明な判断感謝するよ。アシアの騎士。講和交渉は成立した。証人はアシアだ」
『わかった』
惑星を管理する超AIが証人だ。
歴史に刻まれるべき一瞬であった。
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