因縁――守られて
食事のあとはデザート。
屋内のこじんまりとしたフードコートに入り、それぞれ飲み物を購入して会話する。
店内にはたくさんのファミリア、そして少数のセリアンスロープがいる。
女性陣がとりとめのない会話をしているとき、コウは通り過ぎた三人組の人影のほうをちらりとみた。
アキとにゃん汰がすぐに気付いた。
「どうかしましたか?」
「敵?」
アキが尋ね、にゃん汰が周囲を警戒する。
コウから一瞬、怒りと殺気が滲み出たのだ。彼女たちが初めて知覚する――コウの憎悪。
「いや、なんでもないよ」
コウは彼女たちが人間の感情を読むことに長けていることを忘れていた。修行が足りないと反省する。
下手に動けば感づかれてしまう。
向こうは忘れているか、関わりたくないだろう。普通の感性ならば、だ。
「なんでもなくはないですが…… すぐに言ってくださいね」
「ああ」
また雑談に戻る。
だが、相手は普通の感性ではなかった。
「よお。コウじゃねえか。生きていたのか」
声の主は吉川。初めて惑星アシアにやってきたとき、脱出艇からコウを突き飛ばした男だ。
後ろにいる二人は、取り巻きの山岡と新島。
酒臭い。手に持っているのはアルコールのカップだ
吉川が眉を潜めむっとした。コウが美少女三人も連れているのだ。一人は子供でノーカウントだが、それを差し引いても生意気だ。
「……なんとか」
コウは無表情に言う。アキとにゃん汰が警戒態勢に入り、エメが三人を睨んでいる。ブルーは状況がよくわからない。
ここにいるということは、傭兵になっていて、メタルアイリスの傭兵募集に来たのだろう。
ファミリアとの連携を考えると、面接には受かりそうにないが、念のため確認しておこうとコウは思った。
下手に騒げば絡んでくる。喧嘩は三対一の喧嘩は愚策だし、彼女たちを巻き込んでしまう。
ここは平常心で我慢所だと、コウは自分に言い聞かせた。
剣の道場ではこういう場合の対処方法は一緒。対処法は逃げろ、と教えられる。それは剣術でも居合いでも剣道でも、だ。
日本で武器を所持していることはまずないし、実際に殺す訳にも、殺す覚悟を持つことさえないだろう。そして訓練しているからこそ多対一の不利を身をもってしっている。まずは逃げろと教えられるのだ。
だが、今は一人ではない。この対処法も使えない。
「お前もメタルアイリスの募集に来たのか? どんくさいお前にゃ無理そーだな!」
「ええ。こいつ、ぼっちで連携も無理そうだし」
「俺たちの仲間にしてやるよ。ほら、ID登録行こうぜ」
好き勝手に言っている。仲間? パシリの間違いだろう、と皮肉を言いたくなるのを堪える。
「前みたいに仲良くしよーぜー? 俺はお前と仲良くなりたいんだぜ?」
わざとらしく仲良くなりたいを連呼してくる。挑発なのか、アリバイ作りなのかはわからない。
「そんな事実はない。それにすでにアンダーグラウンドフォースに所属していてね。用がないなら離れてくれないか?」
「は! えらそうに! こけて脱出艇にも乗れなかったドジ野郎が!」
本気で言っているのか、ごまかしているのか。
コウは無視をする。さらにむっとする吉川だが、矛先をブルーに変え、下卑た視線を送った。
「お、綺麗なエルフじゃないか! おい、お嬢さん。俺らコウの先輩なのよ。俺たちのほうがそのボンクラより優秀だぜ。俺たちと遊びに行かない?」
「私、エルフなんかじゃありませんのでお断り」
「あんたはもう先輩じゃない。失せてくれ」
「なんだてめえ!」
コウが反論した瞬間、胸ぐらを掴んでくるがコウは振り払う。
「人を殺しかけて、よく言う」
さすがに耐えかねた。
嫌がらせの先の殺人。殺意などない。なんとなく死ぬだろうな、と思ってやっているのだ。
それぐらい、吉川にとってはどうでもいい単なる憂さ晴らし。吉川からみたら気に留める価値がないからこそ、殺人につながる嫌がらせができる。
死んだら不幸な事故だ。自分にとっての、だ。勝手に死んだのに自分のせいにしてはたまらない。
コウの命などなんとも思っていない。罪悪感もない。今彼が生きていること自体不愉快で、不愉快にされた被害者だとさえ思っているかも知れない。
「言いがかりも大概にしろよ。――その落とし前は女三人で勘弁してやる。俺たちに寄越せ。エルフに獣人なんざ人間の奴隷だろ。あ? お前がマスターなら権限寄越せよ」
「言って良いことと悪いことがある。ネレイスもセリアンスロープも奴隷じゃない」
「正論様が。第一、お前が勝手にこけたんじゃねえか。落とし前つけろ」
エメが突如、コウの前に立ちはだかった。
「あなたがコウを突き飛ばした。私は知っている」
エメは誰よりもコウと付き合いの長い、師匠と一心同体なのだ。
彼女こそは知っている。
目の中に静かな怒りが宿っていた。
「やめるんだ、エメ!」
「なんだこのガキ! コウ、お前ロリコンだったのか?」
いたぶりがりのある獲物が現れたのだ。にたりと笑う吉川。ブルーも危機を察し立ち上がる。
「おっと、すまない。お嬢ちゃん。誤解があったようだ。あ!」
手に持っていた酒をエメにぶっかけた。鮮やかな慣れた手際だ。わざとらしい、あ、だった。
流れるような動作でグラスを机にぶつけ、グラスの上部分は砕け散る。
にゃん汰とアキも立ち上がるが、テーブルの反対側の出来事。まだ時間はかかる。
コウがエメの間に割って入るより、吉川の動きは速かった。
「ごめんなあ! 手が滑っちまった。ぎゃはは! ほら拭いてやるよ!」
手を伸ばした。コウやにゃん汰が割りこむよりも、吉川の手が早い。エメと距離が近すぎた。鳥型のファミリアさえ割って入る間もないほど、近い。
確実にエメをいたぶるつもりだった。本人がやられるより、守りたい者をいぶったほうが効果的。とくに女や子供がいい。傷付いたのは、コウのせいである。それが一生残るような傷なほど、良い。
コウも吉川の意図に気付いた時は遅かったのだ。どこまでも卑劣な男だった。
髪の毛を掴み、エメがが短い悲鳴をあげる。ものすごい力で吊り上げようとしたのだろう。だが、それはできなかった。
多少の力では外れないはずのエメのウィッグが外れた。エメは長期の冷凍睡眠の後遺症で、無毛症の治療中なのだ。
コウの目が怒りに燃える。
「ぷはは! このメスガキ! マルハゲ! ハゲだ! おっと、また手が!」
左手にウィッグを持ち、右手に持ったグラスで迷わずエメの顔面を殴りつけようとする。
軽傷でも一生顔に残る傷、巧くいけば失明。死ぬことはないだろうが、最悪死ねばコウが苦しむだろうが、手が滑った事故で済ませたらそれで終わる。
何せコウは会社の後輩であり、自分は先輩で偉いのだ。刃向かうほうが悪い。
「恨むならコウを恨みな! ぎゃっ」
にゃん汰が派手な音を立てて床に転がった。間一髪のところでテーブルを飛び越えエメを抱きしめ、転がったのだ。
すかさずブルーが走り寄り、エメを受け取る。
振り下ろしたグラスが空振りに終わった吉川。グラスが床に落ちる。
エメを守ろうとした雀型のファミリアが飛び込もうとした先より速く、ツバメ型のファミリアが吉川の手に体当たりし割れたグラスを跳ね飛ばしたのだ。
そのまま雀型のファミリアが左手に体当たりし、ウィッグを叩き落とす。
「この鳥ども、ぐぉ」
コウの渾身の拳が吉川の腹部にのめり込む。そのまま右の頬を全力で殴りつけた。
吉川が吹き飛んで倒れる。酒を一部吐き出した。雀型のファミリアが加勢し、そのまま体当たりする。
コウは迷わず蹴りつける。刀、いやナイフでもいい。欲しかった。
「て、てめえ! よくも!」
「殺してやる」
思わず出た殺意。どうしても、止められなかった。
コウは昏い目で吉川を見下ろした。吉川も、恐怖を覚えるほどの殺意。
ブルーがそっとウィッグを拾い上げ、エメにかぶせ直す。
飛んできた犬のファミリアが、エメを店の奥に連れて行く。ファミリアもセリアンスロープも身体的な事情で人を笑いものにする者もいない。怒りの感情が周囲に沸き起こる。
年端もいかぬ少女が、知られたくない秘密を往来で晒されるのはどんなに辛いことだろうか。しかも、顔を抉られる寸前だったのだ。
エメは最後まで涙目だったが、気丈にも泣かなかった。連れて行かれるさなか、心配そうにコウを見つめていた。
それがよりコウには辛く、吉川を殺したい衝動が湧き上がる。
「てめえ吉川さんに何を!」
「死ぬのはてめーだ! 先に手を出したのはてめーだからな!」
山岡と新島が二人同時に殴りかかろうとした。
すかさずにゃん汰が山岡に肩からの体当たりを浴びせ、アキが全力で新島を殴り飛ばす。前歯が砕け散った。
三人揃って尻餅をつく状態になった。
鬼気迫るコウに、吉川は怯えた。
「俺だけじゃ殺したり無いか? 絶対許さん」
「おい! 聞いたか! ファミリアども! こいつ、証拠もないのに俺を殺人犯にしようとしたぜ! お前らが証人だ! 先に殴りかかった上、人を無実の罪に陥れようとする! 俺は被害者だ!」
「何をっ」
「私は被害者でーす! 殴られましたー! 俺は仲良くしたいと言ったのに! 殺すとか怖いこといってますー! みてくれ、みんな! ファミリアさーん! コウ。傭兵機構でえん罪は重罪って知っているか? お前はもう傭兵もできなくなる。追放だ!」
勝算がないことを悟った吉川は、法に頼ることにした。
被害者に徹し、コウを加害者にして優位に立つことを選んだのだ。仲良くしたいと言ったをやたら強調してくる。
その場にいるファミリアを証人として、コウを犯罪者にする目論みだ。
「誰が人殺しだ? 存在もしねー証人連れてきてみろよ。ああ?」
最後はただの恫喝。押し切るつもりだ。あの転移された場で証言者などいるわけがない。
被害者アピールをおおげさにするように、倒れた自分をアピールしている。
このままだと、警備員に連れて行かれるのはコウだろう。先に殴られた被害者は自分なのだ、と。酒をエメにぶっかけ、割れたグラスで殴ろうとしたのは、手が滑って偶然だと主張し証拠を要求しながら。
『私が見た! 私が証人!』
怒気のはらんだ声が響いた。
ファミリア、セリアンスロープ、ネレイスの体が一瞬震える。その声の主は、初めて聞いた者でも知っている、彼らの創造主たる存在。
敵意に満ちていたブルーの表情は、嫌悪感が極まり、おぞましいものを見るかのような目で三人を見下ろした。
にゃん汰は瞳孔がすっと細くなる。猫耳は後ろに伏せ、尻尾がピンと立っている。完全に獲物としか認識できなくなったのだ。どういたぶってネズミを殺そうかと身を伏せている猫そのものだ。
アキはすかさずコウの頭を掴み、自分の胸に押しつけ両手で抱きしめながら、三人を睨み付ける。
ぞっとするほど怜悧な美貌が殺意にゆがみ、氷より冷たい視線が注がれる。その怒りは子犬を守る母犬の如し。
店内にいるセリアンスロープたちは激怒し三人を睨み付けていた。
だが、敵意、殺意は感情の発露。それらが、まだましだったとは――
店内にいるファミリアが一斉に三人の方を向いた。
瞳がない。鋼色の単色になっている。
店内にいるファミリア全て、犬、猫、ウサギ、狐、様々な鳥。一斉に表情豊かな瞳がなくなり、灰色の目がそこにあった。
深夜のデパートで、マネキンが一斉に自分のほうを向いたような無機質な恐怖。マーダーに通じるものさえあるといえよう。
吉川の股間が濡れた。あまりの恐怖に失禁したのだ。
「ひ、ひぃ!」
三人は逃げ出した。
「二度とくるな!」
セリアンスロープの一人が叫び、続く罵声。
彼らが見えなくなると、ファミリアたちは何事もなかったようにいつもの風景に戻る。
セリアンスロープたちは、彼らが逃亡した方角を憎々しげに眺めている。
「アキ? アキさん?」
未だに大きな胸に顔を埋められているコウが、声を出した。
コウはファミリアたちの変貌を見ることはなかった。
「もう少しこのままでいましょうか」
優しくアキがコウの髪を撫でる。
「ごめん、ちょっと恥ずかしい」
実はかなり恥ずかしいコウだった。
「仕方ないですね」
アキがコウを解放した。吉川たちもいない。コウは毒気が抜かれた。
「あいつらは?」
「逃げ出しましたよ。フェアリー・ブルーの目力は凄いですね」
「なっ!」
アキのフリにブルーが絶句して抗議の視線を向ける。この三人のなかで、一番殺意に満ちて恐ろしかったのは間違いなくアキだ。
アキがコウの頭を抱きしめた理由。それはコウにファミリアたちの無感情な意思と、何より自分の殺意を知られたくなかったからだ。それは多くの人々を怯えさせた瞳。
「ありがとう、ブルー。アキ、にゃん汰。店内のみんな! ありがとう!」
何が起きたかは察しがついた。ファミリアも味方してくれたのだ。
ファミリアやセリアンスロープは手に持ったカップを掲げ、コウに応えた。気のいい連中だった。
「アシアもありがとう」
最後の呟きはきっと彼女に届いているだろう。
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