第8話:挿話「境界線上の季節」

 その後、約一週間もの間、ふたりは部屋にいる時間のほとんどを、裸で抱き合って過ごした。まだ年少であるかえでにとって、それは結構ハードな毎日であったように思えるのだが、かえでは、むしろそのことに対して積極的だった。何だろう、今はできるだけずうっとそうしてなきゃイケナイ、とでもいう風な、焦燥のようなものを感じさせた。

 時々、シンイチロウの通院に付き添ったり、ふたりで食料品店に買い物に行ったりした。外出といえば、せいぜいそのくらいだった。

 かえではシンイチロウと出かける時は、基本、いわゆる女装をしたり、ということは無かった。考えて見ればはじめて会った時も、別に女装という訳ではなかった。女の子に見えてしまう、というだけの話だ。


 少し大げさな言い方かも知れないが、ちょっとした事件があった。シンイチロウが、かえでをひどく怒らせたのだ。

 駅前の食料品店で買い物をして部屋に戻ると、かえでは「暑い」と言って、…汗で髪の毛が張り付いて気持ち悪いのだろう、頭に洗顔用のヘアバンドを巻き、そして灰色のTシャツ一枚という姿になった。性別を考えれば、まあ夏だし、一般的にはありそうな格好ではあったが、かえでがこの格好になると、何と言うか、抜群の破壊力があった。

 まず、ヘアバンドをした姿と、そのたたずまいが可愛い。

 薄い水色のタオル生地のヘアバンドが金髪を隠し、おでこが出ると、顔が小さく、さらに童顔であるかえでの、そのこどもっぽい魅力が前面に押し出され、とても新鮮な可愛さだ。その可愛さに、よく光る大きな瞳がさらに拍車をかける。

 そして、灰色のTシャツの裾から伸びる、シミひとつ無い白い脚がヤバかった。

 かえでは基本的には痩せていて、ウェストはシンイチロウの大腿部と同じくらいしか無かったが、ウェストより下は、同年代の女の子としては細く、しかし同年代の男の子と比べるとやや豊かで、要するにミドルティーンの女の子としては理想的な体形だった。もちろん、胸が無いことを除いては。


 夕方だった。

 かえではその格好の上からオレンジ色のエプロンを身に着けると、夕食の支度を始めた。シンイチロウはいつものように新聞を手に取り、しかし視線はキッチンで手際よく支度を進めるかえでの様子に、それとなく注がれていた。

 リビングの座卓で新聞を手に取るシンイチロウの角度からは、かえでの後ろ姿は、わざわざ言うのもバカバカしいが、かなりキワドイ感じで、痩せているかえでの、意外にも少しだけ肉感的なその後ろ姿に、シンイチロウは静かに立ち上がっていた。

 かえでの料理をするその手元を、肩越しに、後ろから覗くような体で近づくと、シンイチロウは白い下着の上から、かえでの双臀に手を這わせた。

 かえでは驚いて後ろを振り返り、

「ちょっと、シンイチロウ…、今は…」

 と菜箸を持ったまま顔を赤くした。

 少し困ったような表情。

 しかしシンイチロウの手は止まらず、むしろ徐々にエスカレートしていった。


 シンイチロウの手が前の方に回った時、

「そこは、…ヤダ!」

 とかえでは拒絶した。

 不思議なことではあったが、こんなに頻回に亘り性的な交渉を重ねているにも関わらず、かえでは性器に直接触られることを極度に嫌がった。恥ずかしいのかな?と、それほど気にも留めなかったシンイチロウだったが、しかし今日は、うまく言えないがスイッチが入ってしまった感じで、抑えが利かなくなっていた。これほどキュートでスタイル抜群の美少女が、自分と同じ男性としての性感を持っている、という事実に、ひどく興奮してしまっていた。また、イダズラして、ちょっとだけ怒らせて見たい、という気持ちもあった。


 結果だけ言うと、俺はかえでをベッドの上に無理ヤリ連れて行き、射精させ、そして、怒らせることになった。枕が飛んできて、顔面に思いっきりヒットした。もちろん、怒って投げるのが例えばリモコンとかじゃなくて枕である、というのは、むしろ抱きしめて頭を撫でたくなるほどの愛しさなのだが、しかし叩き付けられた枕に込められた意外なほどの力の強さが、かえでの怒りの激しさを物語っていて、シンイチロウは真顔になった。いや、青くなった。


 かえでは泣いて怒っていた。

 ベッドの上に座り、悔しそうな顔を枕に押し付けて泣いていた。

 ちょっとした悪フザケに過ぎなかった。

 ヤバ過ぎる、マズイ感じだった。

「ゴメンっ、悪かった!」

 シンイチロウはベッドの下、床に土下座して謝った。

 でも、嫌がる顔も、なんだかものすごくエロ‥‥、いや、可愛いかったのだ。

 しばらく謝り続けるも、かえでの反応は皆無で、こちらに背を向けたその後姿からは、表情を伺い知ることはできない。

「明日、どっか行かない?」

 シンイチロウは言ってみた。

「行きたいとことかない?買い物とか、・・・・埋め合わせをさせて欲しいんだけど」

 少し間があった。

 かえでは顔を上げた。

「買い物行きたい」

 こちらをやっと見た。

「ワンピースが欲しい、夏物の」

「分かった」

 シンイチロウは少しホッとした。

「まかせてよ」


 郊外にあるショッピングモールに出かけた。

 歩きで遠出はこの脚ではキツイため、駅前のレンタカー屋で車を借りて行った。

「へーえ、車も運転できるんだ、オトナだねシンイチロウ」

 助手席でかえでが言った、いやちょっと待て。

「車も、って、どういう意味?」

 昔バイクに乗っていたことなんて話してない、いや、話したっけ?

 かえでは口元にイタズラっぽい笑みを浮かべたまま、少し眠たげな目を流れる景色の車窓に向けた。


 夏休みということもあってか、ショッピングモールは開店直後にも関わらず、多くの人が行き交っていた。

 まず、何と言っても、家族連れの客が多い。

 次に友達同士で来ている若い女性が多く、

 また何しに来てるのか、同じく友人同士と思われる男性も結構いる。

 そしてもちろん、男女ふたりのペアも、それなりにいる。

 かえでと俺はまわりからどう見えているんだろう、そんなことを考えながら歩いた。言われて見れば二十五歳と、・・・・かなりの年齢差だ、というか普通に犯罪だ。いや大丈夫か、オトコ同士だし、いちおう。

 かえでの今日の服装は、

 黒のTシャツ(ウッドストックがレインボーカラーの筆の線で描かれている)、

 水色のデニムのショートパンツ(最初に会ったときに履いていた)、

 水色のバスケットシューズ(上に同じ)、

 淡いパステルカラーが引き立つほどの脚の白さと長さはさすがというか、キュートでセクシーな女性はもちろん他にも歩いていたが、かえでほどは目立たない。ミドルティーンの少女だけが持つ、その時だけの、特別な、危うい魅力、・・・・ってオカシイだろ?


「ここ見てみたい」

 と言って、かえではアルファベット7文字の名称のショップに入っていった。

 確か、若い女性の間で人気がある、ワンピースで有名なアパレルメーカーで、「姫系」とかって呼ばれるジャンルの・・・・、ちょっと待て、そんなとこ入って行って、大丈夫なのか?

 落ち着かない気持ちでシンイチロウは、お尻の後で手を組んでゆっくり店内を回遊するかえでの、その少し後をゆっくり歩いた。松葉杖を突いていた。もう普段はほとんど使っていなかったが、久し振りの本格的な外出である、念のためだった。

 売り場の棚を整理していた店員、・・・・白を基調としたトラッドなアメリカの女学生風の、少し目立つファッションの二十代はじめの若い女性が、棚から振り向いたところに、ちょうど松葉杖をのんびり漕いでいたシンイチロウがいて、ぶつかりそうになった。

 とっさに避けようとして、シンイチロウがよろけた。

 片側の松葉杖が倒れる。

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、大丈夫ですか?」

 トラッド女学生風の女性店員は、シンイチロウの腕をあわてて押さえて言った。

 その手から、持っていたクリップボードが落ち、床で乾いた音を立てた。

「ああ、大丈夫ですよ」

「本当にごめんなさい、申し訳ございません」

 女性が申し訳なさそうに頭を下げる。

 クリーム色の髪、かえでと同じボブカット。

 どうしよう失敗した、とかなりしょげ返った様子。

 彼女は倒れた松葉杖を手に取り、シンイチロウに渡すとさらに訊いた。

「お怪我はございませんか?」

「ケガはしてるけど三ヶ月前なんで、大丈夫です」

「これ・・・・、どうぞ」

 そこに控えめな笑顔のかえでが、床から拾ったクリップボードを女性に渡す。

「あっ、ありがとうございます」

 ようやく笑顔になり、受け取ろうとした女性店員の手が、

 かえでの手に少しだけ触れた。

 瞬間、

 彼女はかえでの手に落とした視線を上げて、

 かえでの顔を見た。

 そしてその直後、

 ほんのわずかに首をかしげたのを、シンイチロウは見逃さなかった。

 女性店員の顔から一瞬だけ、表情が消えた。

 何かを読み取ろうとするかのような目の色。

 嫌な予感がした。

 しかしその予感に反して、

 彼女は、次の瞬間、笑顔を見せた。

「かわいい、ステキですねー」

 かえでの容貌を正面に見ながら、口元に手のひらを当てた。

 そして勢いよくシンイチロウの方に振り向き、

 なんだろう、ずいぶん興奮気味に、こう続けた。

「弟さんですか?」


 























































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