第5話:挿話「境界線上の季節」

「何か手伝おうか?」

「ん、いいよ、座っててよ、ケガ人なんだから」

 部屋の時計は午後六時三〇分を少し回っていた。

 彼女は1LDKの狭いキッチンに立ち、手馴れた様子で晩ごはんを作っていた。

 そのリズミカルで鮮やかな包丁さばきや、ムダが無くスピーディーな調理の進め方は、とても中学生とは思えなかった。しかも、まさか男の子だとは。

 髪の毛が落ちないようにだろう、ツバを後ろ向きにしてかぶった黒いキャップから、金色の細くて滑らかな髪がこぼれて、その毛先が、華奢な肩の上で小さく踊る様子は、何だろう、結婚したての若い女性が、かいがいしく家事をするその後姿を見るような気がした、いや待て、その表現マズくないか?

 初めて立つ他人のキッチンで手際よく調理を進めるその様子を見て、

 これは偶然なんかじゃない、

 シンイチロウはそう直感した。

 彼女と(彼と)俺が、昨日踏み切りで出会ったのは、たぶん偶然じゃない。

 彼女は(彼は)俺のことをたぶん以前から知っていたんだろう。

 彼女の料理する、その手際のよさが、今日のために以前から何かしらの準備をしていたことを物語っているように思えた。


「お願い!ここに泊めてよ、お礼はするから」

 部屋に入ってすぐに、手を合わせて、彼女は言った。

「お礼って、何・・・?」

 思わず訊いた。だって、お礼とかって、なんかヤバイだろ?

「えっと、・・・ごはん作るとか、得意だし」

 なんだ、少しホッとした。

 じゃない!

 理由を訊いてみた。

 なぜここに、シンイチロウの部屋に泊まる必要があるのか?

 そもそも何で、観光地でも繁華街でもないこの町を、わざわざ訪ねて来たのか?

「前にここ、住んでたんだ」

 彼女は言った。

 この町で子供時代を過ごし、数年前に父親の転勤で県外に転居した。

 しかし最近、本人にもうまく表現できないが、

「いろいろあって、・・・そして、なんだか、すごく懐かしくなって」

 夏休みを利用して滞在しようと思い立った。

「お父さんと、お母さんには?」

「クラスの友達の、部活の合宿の手伝い、って」

 そんなことで両親が、年頃の娘の外泊を、相手方にノーチェックで許したりするだろうか?

 ああそうか、娘じゃないんだった。

 そして昨日この町に来て、駅前のビジネスホテルに泊まっているのだが、

 お金が足りるか心配なので、

「泊めて下さい!お願いっ、・・・」

 という事情だという。


 釈然としないものはあった。

 何かが引っ掛っていた。

 だが、ひとまず承諾することにした。

「いいよ、好きなだけいて、こんな部屋でよければ」

「ありがとう!」

 両手の指を、口元を押さえるように、頬を包むようにして開き、そして瞳と表情をまぶしいくらいに輝かせ、彼女は声を弾ませた。

 女の子みたいな、声としぐさ。

「ちょっと待って、そういえば、・・・」

 肝腎なことをまだ聞いていなかった。


「俺はシンイチロウ・・・、君は?」


 表情が固まった、驚いたような表情。

 こちらの目を見ている。

 あの目だ。

 俺の目の中の、何かを測っている、そんな。

 そして目蓋を伏せながら、少しつまらなそうな、小さな声で答えた。


「かえで、・・・」




















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