第4話:挿話「境界線上の季節」

 翌日、病院で診察を受け、薬局で薬をもらうと、駅前にあるBOOK・OFFに寄った。昨日の、あの踏み切りの、ちょうど前にあった。

 未読の文庫本のストックが二冊にまで減っていた。他にやることが無く大量の書籍を「消費」するため、六~七冊は今日、仕入れて置きたいところだった。

 松葉杖を突きながら書架の間を渡り歩く。

 有名な戦国大名を題材にした歴史小説を手に取った。「風の巻」、「林の巻」、「火の巻」、「山の巻」、計四冊ある。

 両手で杖を使っているため、一度にたくさんの本は持てない。一旦レジで会計を済ませ、背負っているリュックに入れて、また戻ってこよう。

 書棚に背を向け、視線を上げると、あの娘が立っていた。

 目の前に立って、こちらを見ている。

 何で?

 少し混乱した。

 今日は柔らかそうな生地の白いタンクトップに、

 濃紺のデニムのショートパンツ、

 肩まで伸びた髪は室内で見ても、色素薄めで、金髪に近かった。

 間近で見る彼女の、その肌の白さと、

 匂うような柔らかい陰影に、

 シンイチロウは息を呑んだ。

「あの、・・・」

 こちらが口を開くより先に、彼女が口を開いた。

 そして正面から、シンイチロウの表情を覗き込んだ。

 大きな目、

 猫のように丸く見開かれ、

 精密機械のレンズのような、

 クリアな瞳。

 ごく短い時間の出来事だった。

 注意深く観察されているような気がした。

 こちらの目の中に、まるで何かを測っているような。

 しかしそれはほんの一、二秒のことで、彼女はすぐに視線を下に落とし、目蓋を伏せた。

 張り詰めたものが消え、少し寂しそうな表情だ。

 小さくとがった口元が、何となく残念そうで、それは子供が拗ねているようにも見えた。

 やがてその視線はシンイチロウが持っている四冊の文庫本に向けられ、

「持ちましょうか?・・・」

 視線を上げて彼女は言った。

 何で?

 再び思った。

 面識の無い少女が、松葉杖を突いて、そしていささか不自由をしている自分に、どういう訳だか手を貸してくれるという。

 親切な申し出だか、断るべきだった。

「いや、お気遣いは・・・」

「あっ、あの!昨日・・・」

 ほぼ同時だった。

 昨日?

 彼女は、少し恥ずかしそうに、曖昧な笑みを口元に浮かべた。

 瞳は伏せられていて、控えめな笑みだった。

「荷物が、重くて、大変そうだったのに、・・・」

 少し震える、小さな声。

 聞いたことがあるような気がした。

 でもどこで聞いたのか、思い出せなかった。


 結局、彼女はアパートの部屋の前まで付いて来た。

 手には八冊の文庫本が入ってる手提げの紙袋を持っていた。八冊ともすべて、戦国時代物だ。

「戦国武将とか、好きなんですか?」

「好きって程でもないけど、・・・」

 そんな話をしながら歩いた。

 気になっていたことを訊いてみた。

「君・・・、高校生?」

「中三です」

「へえ・・・、見えないね、中学生なんだ」

 驚いた、まだ子供じゃないか。

 マズイと思った。もちろん何かしようとか思っている訳ではない。だか社会通念上、たとえ一緒に並んで歩いているだけでも、それは周囲の誤解を招きかねない「不適切」な行為であるように思えた。普通なら、それは考えすぎだ、と思うのが当たり前の反応かもしれない。しかし彼女の容姿は、周囲の目を意識せずにはいられないレベルだった。つまり目立つのだ。

 部屋の前まで来た。

「ありがとう、助かったよ、本当はどこかで食事でもご馳走したいけど、この脚だし、・・・」

 部屋には上げられない、ここで別れよう。

 そういう軽い意思表示のつもりだった。

「んーん、お礼なんていいよ」

 しかし彼女は小さい頭を横に振り、ドアの前でシンイチロウが鍵を開けてくれるのをジッと待っていた。

 年相応の、子供らしい、のんきな横顔。

 荷物を部屋の中まで運んでくれるつもりらしい。

 だかそれは、いくら何でもヤバイ。

「ごめん、君を部屋に上げる訳には、・・・」

 言いにくいが、言わなければいけない。

「散らかってても、別に気にしないよ」

 そうじゃない!

「君は女の子だろ、その、・・・」

「あっ、・・・そっか」

 彼女は驚いたように、大きな目をさらにまんまるに見開いた。

 そして、こっちにくるっと向き直ると、腕を後で組み、大きく一歩踏み出して、一気に距離を詰めてきた。

 瞳に宿る少し挑戦的な、そしてイダズラっぽい色彩。

 金色の前髪が、こちらの鼻に触れそうな距離。

 少し腕を動かせば、彼女の細い身体を包んだ薄い衣服に、手が触れてしまいそうだ。

「あのさー、・・・」

 わざと目線を横に流し、そして少し前かがみになる。

 何かを内緒で伝えたい、そんなしぐさ。

 笑みの浮いた口元から、白い歯がこぼれて見える。

 彼女の体温と、息づかいを感じた。

 彼女は右手でタンクトップのエリを掴んだ。

 そしてそのまま、下に引き下げた。

 驚いた、呼吸が止まった。

 拡がったタンクトップの隙間から、

 裸の胸が見えた。


「ボク、・・・オトコなんだけど」


 声変わり前の、

 まるで女の子の声で、

 そう言った。

 シンイチロウは交通事故にでも遭ったかのように、少しの間、身動きできなかった。

 風が吹いたような気がした。

 胸は確かにひらたくて、

 しかしそれは男の胸、というよりは、

 子供のそれだった。







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