第十八話 南雲司令部「赤城」から「長良」へ
南雲中将以下の司令部は、自分たちのいる「赤城」そして「加賀」さらに二航戦の「蒼龍」までが大火災で炎上している姿をみて、愕然としていた。あっという間の出来事であった。しかし、魚雷をくらったわけではなく、爆弾の二発や三発を受けても、「赤城」や「加賀」はビクともしないと最初は思っていたが、格納庫や飛行甲板で燃料や爆弾が誘爆している轟音が響き、消火活動を行っても火の衰える兆候はまったく見えなかった。「赤城」の艦橋では火災を鎮火できれば、前半部の飛行甲板を利用して攻撃隊を発艦できると考えていた。しかし、しばらくすると、艦橋下にある操舵室から、
「舵故障!」
の連絡が来た。舵が故障しては戦闘航海行動は不可能である。爆弾の一発が艦尾付近に至近弾となったのが原因らしい。それにもまして通信が不能となっており、旗艦としての機能も成り立たない。旗艦「赤城」の被弾をうけ、次席指揮官である第八戦隊司令官阿部弘毅少将が引き継ぎ、航空戦の指揮はまだ健在である第二航空戦隊の山口多聞少将が引き継いだ。
艦橋には南雲長官、その後方に草鹿参謀長、源田航空参謀、吉岡航空乙参謀、左前隅に青木艦長があり、操舵機の後ろに三浦航海長が立っていた。司令部付の杉山主計中尉は手記に次のように語る。
『しばらく沈黙がつづいた。無気味な静寂だった。気を落ち着かせるため、煙草を吸いながら沈痛な面持ちをしている士官もいた。艦橋の下方からペイントの焼ける匂いが強く鼻をつく。(中略)
艦橋後方から吹き込んでくる煙が徐々にこもってきて、互いの顔さえ見えにくくなり、ついに息苦しくなってきた。誰かの指示で防毒マスクが配られ、私もこれを着用した。しかし、防毒マスクという代物は、毒ガスには有効だろうが、防煙にはならない。煙の匂いと息苦しさがいっこうに止まらない。とっさに気の利く下士官が前方の窓ガラスを二、三枚破った。
同時に、燃えているマントレットをナイフで切り落とした。すると急に風が吹き込み、煙が後方に押し流され、やっと皆、マスクをはずした。
このころから飛行甲板のあちらこちらで、バリバリバリと花火がはじけるような音、ガーン、ガーンという音がしはじめた。前者は機銃弾、後者は高角砲弾の火災による誘爆である。
そのうちに、飛行甲板の下方で、ドカーンというものすごい音とともに、艦体が気持ちの悪い横ゆれをする。格納庫にある艦爆の二百五十キロ爆弾や艦攻の八百キロ魚雷などの誘爆であろう。付近ではシューシューと異様な音を立ててペイントが燃えている。』
参謀長である草鹿龍之介少将が、旗艦変更のことをすすめており、軽巡「長良」と信号を交わしていた。
「長官、今後の戦闘指導のため、旗艦を長良に変更いたします」
南雲中将は、「いや、わたしは赤城に残るよ」
と答えて周囲の様子を伺っている。
「長官、指揮下の艦隊はまだ大部分が健在です。長官は全艦隊の指揮に当たらねばなりません」
中将はそれでも「まだ大丈夫だ」といって聞きそうにもない。それはそうであろう。旗艦「赤城」が被爆したものの、まだ沈没するわけでもなく、このまま見捨てるように艦を去るわけには行かないのだ。艦長である青木大佐もみかねて言った。
「赤城のことは、私が責任をもって善処いたしますから、長官はどうか将旗を長良に移揚して、全艦隊の指揮をお執り下さい」
西村副官が来て草鹿参謀長に報告した。
「艦橋から下りる通路は、全部火でふさがれています。艦橋前面の窓からロープを降ろして、これをつたって下りるよりほかありません。そして左舷側の舷外通路から錨甲板に出て下さい。錨甲板の左舷に長良のボートをつけさせますから、縄ばしごで下りていただきます」
草鹿参謀長はウムと頷き、長官に向かって言った。
「サア、長官!行きましょう」
と手を取った。
南雲中将はわかったという表情を見せ、青木艦長に向かって言葉をかけた。
「では艦長、あとを願います」
「どうぞ、ご奮闘をお祈りいたします」
と青木艦長は言い、敬礼をして別れを告げた。
中将は答礼して、西村副官に助けられながら艦橋の窓から脱出した。続いて、草鹿参謀長、各参謀、司令部職員が下りていった。
司令部職員がいなくなった艦橋内は一気にガランとした。青木艦長は機械室との連絡にあたっており、三浦航海長は舵の故障をどうにかして復旧させようと懸命であった。
淵田隊長は増田飛行長とともに艦橋内に残っていたが、炎が艦橋周囲にも広がりつつあった。
三浦飛行長が言った。
「隊長、艦橋もそのうちにいられなくなるよ。いまのうちに錨甲板へ移っておいたらどうかな」
「そうですな」
と淵田は言ったものの、体の自由が手術後のせいで以前のように利かない。だが、そうはいかない。このままでは焼死である。兵員の力を借りて窓から外に出た。外にある一本のロープを頼りに下にずるずるとすべりおりて、どうにか機銃甲板についた。しかし、この下の飛行甲板までには三メートルほどあり、飛び降りるのはちょっとためらった。ハシゴを見ると炎で赤く焼けている。立っている足元も熱くなっている。ただ、ここで立ちすくんでいるわけにはいけないので、淵田は思い切って飛び降りた。が、着地する寸前に爆発をおきて吹き飛ばされて、飛行甲板にたたきつけられた。そのときに、淵田は両足を捻挫し、かかとの骨を折ってしまった。もう起き上がることはできない。その姿をみた整備員が駆けつけてきた。
「隊長、しっかりしてください」
と肩にかついで、飛行甲板の一番先端にあるハシゴから錨甲板に下ろされた。淵田はここで救護班によりスノコにされ、ボートに下ろされて「長良」に送られた。
青木艦長は辺りを見渡して、
「司令部付きの者はいないか?旗艦変更だ。全員移乗するんだ」と促した。そして報道班員の牧島を見つけると、
「牧島君、君も行くんだ」
と言った。牧島はロープをつたって燃えている飛行甲板にとびおり、火炎のなかを走って前方までいき、小さなハシゴを伝って前甲板におりた。避難した兵員で溢れていた。カッターが舷側につけられロープを伝って、南雲長官をはじめ、参謀や士官がおりていった。
「おい、新聞記者を乗せてやれ」
と叫んでいるのは、ミッドウェー基地の司令となる予定の森田大佐であった。兵隊が「新聞記者!」と呼び立て牧島を探している。牧島は密集する兵隊たちをかきわけ声のする方へ急いだ。森田大佐は牧島の顔をみると、
「君もこれに乗れ」
と指示し、自らも先にロープにつかまりカッターへと下りていった。牧島もそれに続いており、森田大佐がこっちへと手招きするので一番さきへ腰をおろした。そのあと、す巻きにされた淵田中佐が下ろされてきた。牧島の隣には源田参謀が腰を降ろしていた。
南雲司令部は第十戦隊の旗艦軽巡「長良」へ移った。「長良」では第十戦隊の司令官木村進少将が出迎え、「長良」には中将旗が翻った。軽巡の艦橋はかなりせまい。長官以下の幕僚と第十戦隊の幕僚で一杯の様相となった。
「赤城」の格納庫内の状況は、整備兵長だった秋本勝太郎氏の手記に描かれている。
『飛行甲板上の先頭の零戦が一機発艦した直後、米急降下爆撃機ドーントレスの鮮やかなダイブがあり、艦橋前付近に至近弾、つづいて第二弾が中部リフト付近に命中した。
この被弾で、同所付近で発着指揮をとっていた福田中尉をはじめ十数名の整備員が、零戦とともに一瞬のうちに無残な死体と変わり果てた。甲板上に阿鼻叫喚の地獄図が現出した。
つづいて第三弾が後部左舷甲板に落下して、格納庫内で爆発した。これで操舵室などを破壊され、付近の戦闘配置についていた兵員等を海中に四散させた。(中略)
中部のリフト付近に落下した爆弾は、飛行甲板をまくり上げ、十メートルぐらいの大穴をあけて、中段格納庫付近で爆発した。(中略)
これは大変だ、まず格納庫の火を消さなければならない。しかし、私も先刻の爆弾の爆風で、、防水隔壁に身体を叩きつけられ、その場所に倒れ、気を失ってしまった。ややしばらくして戦友の田中に、
「どうした」
と声をかけられ、気がついた。前頭部に負傷していたが、軽微でなりよりだった。そのうちに、ますます火災が募ってきた。そして電源が断になり、通路のラッタルの昇降も、真っ暗で意のままにならず、手探りで歩行する始末である。
防火隔壁、防水隔壁はとざされたままで、各地区間の連絡も不充分であった。放水も焼け石に水のごとき状況であった。』
空母「加賀」は、突然の急降下爆撃に操艦が遅れた。それでも第一弾は命中せず、艦橋右舷前方約十メートルほどのところで爆発した。飛行甲板にあった整備科の兵員が吹き飛ばされた。第二弾は左舷側三十メートル付近で爆発して大きな水柱をたてた。第三弾は命中したかと思われたが僅かにそれ舷側に水柱があがった。第四弾が、右舷側後部リフト付近に命中爆発した。爆弾は飛行甲板んを貫通して厚さ三インチの防禦甲板を破壊して高角砲座付近で爆発したため、高角砲弾が爆発して砲員ら六十数名を吹き飛ばした。
一番大きな被害を及ぼしたのは、艦橋直前二十メートルの右舷甲板に命中したものだった。爆弾は甲板を貫通して格納庫内で爆発したが、艦橋前にあった燃料補給車に引火爆発し、その熱風が甲板を艦橋をなめつくした。そのために艦橋で指揮をとっていた岡田艦長以下、
副長、航海長、主計長と艦の首脳部は全滅してしまった。遺された指揮官は発着艦指揮所にいた天谷飛行長となってしまった。天谷飛行長は伝声管で艦橋を呼び出したが、応答はなにもなかった。
当時ミッドウェー占領後に進出する予定だった第六航空隊の島川正明一飛は空母「加賀」に乗艦しており、その時のことを手記の次のように記している。
『機はみるみる大きくなり、爆弾は機体から離れた。手にとるように見える敵機は、小しゃくにもバリバリバリッと銃撃を加えながらの急降下爆撃を敢行した。一番機は耳をつんざくような爆音を残して、頭上を去って行った。
爆弾は左舷後部甲板すれすれに命中したようだった。つづいて二番機も、同様に爆弾を投下した。まさかと思っていた私たちの予想を裏切り、見事に命中、しかも艦橋に直撃した。少なくとも私たちには、瞬間ではあるが、そう見えたのである。
爆発とともに艦橋は赤、黄色の炎に包まれた。ほんの一瞬のできごとである。なお、この炎は、艦橋付近にあった飛行機のガソリンタンクに引火した結果であるらしかった。
このとき、私たち六空のパイロットたちは、昼食のにぎりめしを食べ終わり、即時待機の状態で、艦橋直下の狭いポケットにおいて、彼我の戦闘状態を見守っていたのである。
狭いポケットにいた私たちは、炎から遠ざかるために、内側から押し出されるように、外側にいたものからつぎつぎと海面に落下していった。これは爆風によって吹きとばされたも同然であるが・・・。
飛行甲板から水面までの高さは二十メートルと戦後聞いたが、やはり二十メートルは、相当に高く感じられた。水面に激突するまで、ずいぶん永い時間がたったように感じられた。
水面に落ちたときは、バシーンとぶつかったような感じであった。なぜなら、意識して飛びこんだわけではないので、きわめて不自然な恰好で水面に落ちたからである。
瞬間、ライフジャケットのヒモが切れたのかと思われるほどの衝撃を感じ、胸部に激痛が走った。まったく息も止まったかと思われるほどで、あわてて胸部に手をやり、出血の有無を確かめるほどである。』
空母「蒼龍」は第一弾を前部リフトと中部リフトの間の左舷よりの飛行甲板で爆発して付近一帯の飛行機と人員を吹き飛ばした。第二弾は前部リフトの前に命中し、飛行甲板を貫通して格納庫内で爆発。第三弾は後部リフトの左舷側に命中した。場所的に九九艦爆一八機が待機しており、胴体下に吊るされている二百五十キロ爆弾もろとも吹き飛び、燃料に引火し火災が発生した。その火災はみるみる艦爆を覆っていく。そして、誘爆して艦爆を吹き飛ばした。
再び蒼龍砲術長の金尾少佐の手記からみてみよう。
『艦の行脚は完全に止まったが、艦橋より後方一帯は猛煙の包まれている。赤城のような炎の大火柱は認められなかったが、艦内は至る所で、恐るべき爆弾の誘爆が起こっている。断続的に割れるような大音響、ズシーンと全艦をふるわす大ショック、あるいは渋い音、鈍いゆれなどが交錯するが、艦内が一体どうなっているのかは、皆目わからない。
もちろん、どことも連絡の取りようがない。わたしはただひとり指揮所に頑張ってどうしたらよいのか、熱気や煙に追われて、しだいに後方に移動せざるを得なかった。
しかし、そこにもいられなくなったので、ラッタルにつかまりながら艦橋の後方に降りかけて、艦橋内をすかして見た。そこにはまだ生きて動いている人影があった。右へ左へ走り回り、阿修羅の奮闘ぶりである。
それは艦長、飛行長(楠本中佐)、航海長(浅海少佐)などの、たくましい健在な姿であった。私は蘇生の力強さを感じた。
(これなら大丈夫)
そう思ったが、ガスマスクを腰につけた艦長の顔が、エンマ大王のようにふくれ上がっている。艦橋前方の窓ガラスがひょうたんのように大きく内にふくらんで、そのふくらみの先に拳大の穴があいている。そこから爆炎が入って、艦長の顔を焼いたにちがいない。
飛行長も額に桃のようなコブを出していた。だが、あの窓ガラスは強いものだ。あれが普通のガラスであったら、艦橋内はいっぺんに全滅していたことであろう。私は、そのガラスのふくらみの様子から見て、第二弾が艦橋の前方に落ちたことが確実だと推定している。
だが、私は躊躇した。艦長は健在だ。厳として磐石の指揮をとっておられる。おれが射撃指揮所を捨てて、艦橋に下りる理由がどこにあろう。私の部下は砲にぶら下がって死んでいる。
(俺は死んでも指揮所を去らんぞ。この身体では人の邪魔になるばかりだ)
と私は自らいい聞かせて、また固有の指揮所甲板に上がった。だが、やっぱりそこにはおれなかった。私は気は張っていたものの、非常な疲れを感じた。』
その後、金尾少佐は爆発が起きた際にふきとばされ、短艇索にしがみついたが、するすると抜けてしまい、少佐の体は海へと投げ出された。が、ふたたび「蒼龍」の乗組員より艦上に引け上げられる。金尾少佐は艦長の「総員退去」の命令があったことを聞き後ろ髪をひかれる思いで、駆逐艦からのボートに移乗して「蒼龍」を退艦した。
五日の朝、ミッドウェーの北西八百浬を東に向かって進んでいた連合艦隊の主力部隊は、霧に包まれていた。
午前二時三十五分、南雲部隊の重巡「利根」から発進した偵察機からの
「敵飛行艇一機見ゆ、貴隊に向かう」
という通信を傍受してから、南雲部隊がまもなく発見されるであろうと予測した。続々とはいる通信のなかから、ミッドウェー攻撃隊の攻撃が終了し、第二次攻撃の要ありとも入電した。連合艦隊司令部は作戦が順調に進んでいることを示すものだったし、幕僚たちも安堵していた。
そして、利根の偵察機からの
「敵らしきもの十隻見ゆ」
との報告に、それ敵の水上部隊が近海にいると活気づいた。やはり数日前に傍受した敵の通信は間違いないものだと思った。さらに第二電として、敵の兵力は巡洋艦五、駆逐艦五だというもので、さらに追加として空母を伴うと言ってきたのである。
黒島先任参謀は佐々木航空参謀に尋ねた。
「南雲部隊の第二次攻撃隊は、艦船攻撃兵装で待機しているんだったね」
「そうです。こいつがかかれば、こんな敵は朝めし前です」
と佐々木が答えたが、三和作戦参謀が口をはさんだ。
「しかし、第二次攻撃隊はミッドウェーの第二次空襲に発進したのではないか」
幕僚たちはしまったと思った。佐々木参謀は電信室に電話をかけ、南雲部隊が第二次攻撃隊をミッドウェー攻撃に発進させたかどうか尋ねたが、その模様はないとの返事だった。
まだ第二次攻撃隊は発進していないとのことだったので、敵艦隊に対して攻撃に向かうもので、予定どおりにうまく作戦を遂行させていると判断した。
しかし、南雲部隊は、敵陸上機とそのごの敵空母機からの攻撃に見舞われ、第二次攻撃隊発進の準備にも追われ、混乱していた。そんな様子は連合艦隊司令部にはわからなかった。
次に入電してきた内容は驚愕すべきものであった。第八戦隊司令官阿部少将からのもので、
「敵艦上機および陸上機の攻撃をうけ、加賀、蒼龍、赤城大火災。飛龍をして敵空母を攻撃せしめ、機動部隊は一応北方に避退、兵力を集結せんとす」
というものであった。南雲長官からではなく、第八戦隊旗艦からのもので、南雲司令部は通信不能になったことを示していた。
山本長官はこの電報の内容を黙ってきいており、最後に「ウム」と唇をかみしめて返事をしただけであった。司令部幕僚たちの空気は予想もしない電報に鎮まりかえってしまった。
山本長官としてやる行動はただ一点である。全艦隊をただちに戦場に集結させ、空母の救出と今後の戦闘指導にあたることであった。
戦場では、南雲司令官の指揮が一時中断したなか、その航空戦の指揮をとるのは、空母「飛龍」にある第二航空戦隊司令官の山口多聞少将の手腕にかかっていた。
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