第九章 MI作戦とAL作戦

第一話 ミッドウェー攻略の計画

 海軍軍令部は第一段作戦の展開が順調に推移し、第二段作戦へと駒を進みはじめていたが、第一段作戦が予想以上に作戦が成功して、南方の石油資源を入手することができた。

 人間順調に事が進と欲が出てくるもので、南方要地にたいする防衛戦の構築が必要となり、どの戦域が必需であるか考えねばならなかった。インドネシアジャワ方面は基地確保もできており安泰地域といえたが、南東および東方においては、大きい島も少なく、トラック諸島の南方で確保したのはラバウルを中心とする地域であり、南にはオーストラリア本土があって、米濠間の問題があった。両国間の交通が頻繁になれば反撃の拠点となることは十分予想ができた。その前に、交通遮断すべく要地の確保が必要で、MO作戦計画があり、その途中で珊瑚海海戦が発生して、米軍を撃破したけれども、日本海軍も手痛い打撃をうけ、作戦計画は一旦中止となり、計画の見直しに迫られたのである。


 宇垣参謀長の頭の中には、撃ち漏らした米空母の存在があり、マーシャル諸島やトラック諸島、ウエーキ島への出没攻撃の心配があった。一月十一日より次期作戦に関する指導要綱を四日間にわたり熟慮し、それを書き留めた。「戦藻録」に一月十四日の項には次のように載されている。


『四日間に努力に依り作戦指導要綱を書き上げたり。結論としては六月以降ミッドウェー、ジョンストン、パルミラを攻略し、航空勢力を前進せしめ、右概ね成れるの時機、決戦兵力、攻略部隊大挙して布哇に進出、之を攻略すると共に敵艦隊と決戦し之を撃滅するに結着せり。

 本計画に同意するものそも何人ありや、試みに其理由とする所を記せば、

一、米の痛手は艦隊勢力の喪失と布哇の攻略にあり。

二、布哇の攻略及其の近海に於ける艦隊決戦は一見無謀なる如きも成算多分なり

三、時日の経過は之迄の戦果を失うのみならず勢力の増大を来し、我は拱手きょうしゅ彼の来

 攻を待つ外策無きに至る。

四、時は戦争に於ける重要要素なり。節は短なるを要す。長期戦を覚悟するも自ら求

 むるの愚は無し。

五、独の英本土攻略作戦後に於ては、帝国海軍の作戦は反りて重圧に陥る虞あり。

六、米艦隊の撃滅はひいて英海軍の撃滅となり、爾後何をするも勝手放題にて戦争収

 拾の最捷径さいしょうけいなり。

  之は先任参謀に渡して詳細を練る事にせり。参謀連は一つも答案を提出し来ら

 ず。』


 宇垣参謀長の構想にはミッドウェーを早急に攻略してハワイをも攻略して、一気に日米の雌雄を決する考えであったことがわかる。

 ミッドウェー島に対する攻撃は第一章第三九話で紹介したとおり、駆逐艦による砲撃が行われ軽微な損傷を与えたにすぎない。作戦計画では機動部隊が真珠湾攻撃からの帰途にミッドウェーを爆撃する予定であったが中止していた。その時にもし爆撃して施設を破壊していたならば、ミッドウェー基地の復旧は遅れ、次期攻略作戦の立案も違ったものになったかもしれない。些細なことが、のちのち大きな影響を与えるものだ。


 この時期における軍令部、連合艦隊司令部の職員についてあげておく。

 軍令部

   総 長    大将   永野修身

   次 長    中将   伊藤整一

   第一部長   少将   福留 繁

   第一課長   大佐   富岡定俊

   第一課部員  大佐   かみ 重徳

     同    中佐   佐薙さなぎ さだむ

     同    同    山本祐二

     同    同    三代辰吉

     同    同    井浦祥二郎

     同    同    内田成志

     同    少佐   華頂博信

     同    同    三上作夫

 連合艦隊司令部

   司令長官   大将   山本五十六

   参謀長    少将   宇垣 纏

   首席参謀   大佐   黒島亀人

   作戦参謀   同    三和義勇よしたけ

   政務参謀   中佐   藤井 茂

   航空参謀   同    佐々木彰

   通信参謀   同    和田雄四郎

   航海参謀   同    永田 茂

   戦務参謀   同    渡邊安次

   水雷参謀   同    有馬高泰

   機関甲参謀  機関中佐 磯部太郎

   機関乙参謀  同    市吉聖美


 ミッドウェー攻略作戦の発動は、日本軍が真珠湾攻撃で打ち洩らした空母群と巡洋艦群のおびき出し作戦ともいえたが、その攻略には賛成反対の議論が交わされていた。

 さて、MI作戦担当の連合艦隊渡辺安次参謀は、四月三日、軍令部に出頭し作戦室において、第一課長(富岡定俊大佐)以下に対し、詳細に案の説明を行った。

⑴敵機動部隊の策動に対し、とくに帝都空襲をさせぬため、また他方面での作戦を落ち着いてやれるようにする目的からも、敵来攻の早期発見の手段が必要である。これに対しては、潜水艦によるハワイ監視や、無線情報のみでは不十分である。

⑵そのためには、MIを攻略し、そこの基地からの飛行哨戒により、敵機動部隊の行動を早く知らなければならない。同時にこの攻略は、敵潜水艦のMI利用による活動を封ずることにもなる。

⑶MI攻略作戦は、付随して、望むところの艦隊決戦が生起する公算もある。

⑷艦隊決戦で敵を撃滅すれば、後日、ハワイ攻略作戦を行い、残敵を掃討したうえでハワイから米西岸を脅かし、屈服させる可能性もあろう。


 これら四点の内容を説明したのである。


 このようなMI作戦に対し、軍令部はこぞって反対であった。三代中佐はとくに著書で次のように述べている。


『私が反対を表明した所見の要旨は次の通りである。

⑴彼我ともに、敵機動部隊の動きには敏感であり、手段をつくして動静探知につとめており、大兵力の作戦による奇襲は成功を期しがたい。ハワイからの大型機の来援も容易である。

⑵敵は大型機による哨戒をやっていると考えねばならぬ。近接する前に、わが艦隊の状況を知ることができるのに反し、わが方は大型機の索敵でもMIまでは十分にとどかない。艦載機で、基地大型機と対抗することは不利である。基地の大型機で遠く敵艦隊をとらえ、所在を秘匿した空母機で奇襲するのが航空作戦の本則であり、これと逆な情況で戦わねばならぬことは、航空作戦主務者として絶対反対である。

⑶対等の態勢で決戦するなら、わが連合艦隊に勝算があろう。だが、劣勢な米艦隊がMI防衛のために決戦に応ずるとは思えない。

⑷米軍としては⑵のような有利な態勢を利用し、わが方がMI攻略を行おうとしている間に、飛行機、潜水艦、空母等によるゲリラ的作戦で、わが方の減殺をはかろうとするであろう。

⑸MIが占領されても、米海軍は艦隊が健在ならば、日本領土から遠いMIを無力化することも、奪還することもできよう。日本海軍の補給部隊や支援部隊をわなにかけることもでき、米側からみれば、そこは日本艦隊や航空兵力を減殺するための、良い狩場となりうる。

⑹小さい平坦な島では、飛行機、弾薬、燃料、人員、資材、滑走路を空と海からの攻撃に対し防御することは困難である。この損耗修復への補給、補充を続けることは容易ではない。それが中絶すれば、飛行哨戒も中断し、敵の攻撃を容易にすることになる。したがって、同島への補給継続は艦隊、とくに航空に大きな犠牲を強いることになり、他方面の作戦を制肘することにもなる。航空主務者として、これに対処する自信はもてない。

⑺MI基地から陸攻の飛行哨戒によって、東京空襲等の作戦を封殺しようとすることは期待し得ない。哨戒圏外の敵行動は自由であり、圏内でも夜や飛行不能の天候もあり、飛行哨戒に頼っていると裏をかかれるおそれがあろう。

⑻MI作戦で敵艦隊を撃滅した場合、さらにハワイを攻略し、米西岸を脅かすなど無理な作戦であろう。それに引きかえ、FS作戦はMI作戦のような危険は少なく、敵機動部隊を捕捉撃滅する公算は大きいと思われる。


 軍令部、連合艦隊両者の考えは激突し、交渉は暗礁に乗り上げたが、渡辺参謀は「山本長官はこの案が通らなければ辞職す

るつもりだ」とのべ、強く艦隊案の採択を迫った。』

  (三代一就著 「軍令部とミッドウェー作戦」 丸別冊

           『太平洋戦争証言シリーズ⑦運命の海戦」 潮書房)


 渡辺中佐は第一課との論争をやめ、伊藤軍令部次長に直接会った。伊藤次長も、また福留第一部長も、かって山本連合艦隊長官のもとに参謀長をつとめ、渡辺参謀はその下にあった。伊藤次長は、頭の柔軟な理解力の大きい人だった。山本長官の意向を伝えられた次長は、さらにこれを永野軍令部総長に伝え、福留第一部長を加えて協議した。総長はFS作戦に修正をほどこしたうえで、ついに連合艦隊案をとることに決定した。昭和一七年四月五日であった。

 この日、伊藤次長、福留第一部長を交えて打ち合わせが行なわれたが、渡辺参謀は連合艦隊旗艦宛に電話をして、大本営海軍部の意見を伝えたうえで、その後について意見を仰いだ。電話口から戻った渡辺参謀は山本司令長官の堅い決意の心情を伝えた。


「太平洋の全戦局を決定するものは米艦隊、特にその機動部隊である。米豪遮断というが、遮断の対象は米機動部隊である。ミッドウェー攻略によって彼我の決戦が起これば、それこそ望むところであり、もし米艦隊が挑戦に応じないとすれば、ミッドウェーとアリューシャン西部要地の攻略によって、東方哨戒戦の推進強化ができる」

 というもので、そして

「この案が通らなければ、山本長官は連合艦隊長官の職を辞するといわれている」

 福留第一部長は

「せっかく山本長官が、そのようにおっしゃるなら、艦隊に任すことにします」

 と、伊藤次長にどうかねと聞いた。伊藤次長はうなずくしかなかった。

(淵田美津雄・奥宮正武著「ミッドウェー」学研M文庫)


 FS作戦に関しては連合艦隊が歩み寄り、サモア諸島だけは攻略破壊とし、ニューカレドニアとフィジー諸島は攻略確保にきまった。MI作戦実施が内定したので、軍令部は同時にアリューシャン西部要地の攻略を行うことを連合艦隊にはかったが、これは兵力に余裕があったので、直ちに艦隊側の同意を得た。

 この結果を受けて海軍側は陸軍側に対し陸軍兵力の派遣を要請したが、陸軍側は検討するとの回答でその後、ミッドウェーへの兵力供出はしないと伝えた。


 一航艦の源田実参謀は、機動部隊が内地に帰投する際に、先行して柱島に碇泊中の連合艦隊旗艦「大和」の司令部を訪ねてインド洋作戦の報告を済ませた際に、次期作戦の計画を打ち明けられた。四月十九日のことであった。その計画案を聞いて我が意を得た計画であると感じた。

 戦後、源田実参謀に対しての雑誌「丸」編集部が行った質問に対して答えている。


『(質問)

 最初にミッドウェー作戦のことを聞かされたとき、率直にどう思われましたか。

(源田)

  私がミッドウェー作戦の構想を聞いたのは、印度洋作戦が終わって、内海西部の泊地にいた戦艦大和をたずね、連合艦隊司令部に印度洋作戦に関する報告を行なったとき、すなわち昭和十七年四月十九日のことである。このとき、次の三点について疑念を持って、連合艦隊航空参謀に対して私の見解を伝えておいた。

⑴連合艦隊の作戦計画は、従来の戦艦主兵主義に沿うものであり、当面の戦略情勢から見れば、当を得たものではない。

⑵珊瑚海海戦によって損傷を受けた翔鶴の修理が完成し、五航戦がフルに使える時機までミッドウエー海戦を延期すべきである。

⑶第二段作戦に入る前に搭乗員の大幅入れ替えが計画されているが、新搭乗員の練度向上、摺り合わせが終わるまで、少なくとも三カ月は延期すべきである。

 この見解については、山口二航戦司令官とも打ち合わせた。

 なお、このとき、機動部隊がつぎに与えられた作戦は、差し当たりミッドウェー攻略であり、ついでアリューシャン、フィジー、サモア等を攻略し、最後にハワイを締め上げようというものであった。もちろん、当時においては、具体的な作戦計画ができ上がっていたわけではない。

 戦争が終わって四十二年も経った今日の判断では、連合艦隊司令部も、また私自身も、その判断において基本的な誤りを犯していたように思う。すなわち、太平洋とか印度洋の支配権を掌握することが、戦勝不可欠の条件であるが、そのためもっとも必要なことは、陸地の支配権を握ることではなく、敵の海上部隊を撃滅して大洋の支配権を掌握することである。

 昭和十七年四月十八日、有名なドウリットル空襲が、わが本土に対して行われたが、アメリカ軍部の頭の中には、開戦以来、内海西部にとどまって出撃の気配さえなかった、わが連合艦隊主力を誘出し、艦隊決戦を強要せんとする意図があったのかも知れない。その手に乗ったのがミッドウェー作戦であったのかも知れない。

 このドウリットル空襲によって、わが本土が初めて敵の空襲を受けたことになるが、わが方にとっては一大衝撃であった。さらに敵が攻撃距離の大きなB25を使ったことは、現態勢においては、対応策が考えらえなかった。そのため、わが陸海軍の受けた衝撃はさらに一層大きかった。この空襲で受けた物資的損害は大したことはなかったが、精神的動揺はかなり大きく、その直後しばらくの間は、まことしなやかな敵機来襲などの誤報がつづいた。また、山本長官にあてた一般国民からの非難の投書さえあった。』


 四月十六日、第八章第八話であげたように第二段作戦開始に伴う山本長官からの訓示電が送られた。そしてその二日後に東京初空襲を受ける。

 この初空襲がミッドウェー作戦に対する採決を決めた結果になったかどうかは完全にはわからないが、早急に決定するに至引き金になった可能性はある。

 山本長官の訓電の前日の十五日、海軍軍令部は第二段作戦計画を完成させこれの上奏裁可を受けた。このうち、ミッドウェー、アリューシャンに関する項目はつぎのとおりである。⑶ 東正面ニ対シテハ左ニ依リ作戦ス

 イ、主トシテ敵ノ奇襲作戦ヲ困難ナラシムル目的ヲ以テ「ミッドウェー」ヲ攻略ス

 ロ、敵ノ奇襲作戦ニ対シ適宜所要ノ兵力ヲ配備哨戒シ特ニ本土空襲ニ対シ警戒ヲ厳

  ニシ、敵ノ企図ヲ未然ニ偵知スルニ努メ、適時兵力ヲ集中之ヲ捕捉撃滅ス

 ハ、潜水艦、航空部隊等ニ依ル奇襲攻撃ニ依リ、敵兵力ノ減殺竝ニ主トシテ布哇其

  ノ他太平洋方面敵作戦基地ノ破壊ニ努ム

 ニ、成ル可ク速ニ「アリューシャン」群島ノ作戦基地ヲ破壊又ハ攻略シ、米国ノ北

  太平洋方面ヨリスル作戦企図ヲ封止ス


 連合艦隊はMI作戦を実施する前、既定のポートモレスビー作戦を五月七日に発動することにしていたが、そのようなおりの四月十八日、米空母部隊による本土空襲が突発した。

 この種の攻撃し対し、海軍としては保有飛行機の性質上、哨戒距離、攻撃距離を伸ばすことは実現不可能であった。当面、準備中のMI作戦を成功させ、哨戒基地を前進させるか、あるいは敵空母を撃滅するしかなかった。

 したがって、大本営海軍部作戦課としては、MI作戦により米空母部隊を誘出撃滅できれば、との強い望みをこれにかけた。また、この空襲によって、ますますMI作戦の重要性を認識した連合艦隊では、実施が遅れないよう準備を急いだ。かつ、作戦の成功を確実にするため、使用潜水艦の増加などもはかった。

 なお、この本土空襲を契機として陸軍は海上作戦の特性を知り、従来、海軍が広域の戦略態勢確立や敵艦隊撃滅をめざし、太平洋方面で積極作戦をつづけることを主張してきた真意を、初めて了解するにいたった。そして、MI・AL作戦の成功を確実にするため、陸軍兵力を両作戦に参加させることを海軍部に打診してきた。むろん、海軍側もそれを歓迎したので、四月二十日、陸軍兵力の両作戦への派遣が決定された。

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