第29話
次の部屋は、神聖で静謐な場所だった。目に見える危険や謎がないのだ。厳かで、広く、そしてただただ清らかだ。
ここでは水路が張り巡らされているせいか、僅かなりに寒気を覚えた。
この遺跡への入口で見た光景にも似た部屋で、神殿の一部屋にして最も重要な場所であるかのように、最奥には祭壇がぽつんとある。
「へっ、ようやくお目見えか」
間違いなく、ここが最後の試練が待ち受けている部屋だ。そして、ここの鍵はもう知っている。
さすがにここまでの道中で学んだか、誰も一歩を踏み出そうとしない。
「とりあえず、お前達は動くなよ。まず罠がないか調べる」
もはやその行動を咎める者などいない。
まっすぐではなく壁伝いに、何かないかと時間をかけて移動する。
一度奥まで到達するも宝の方へ行く事はしない。
祭壇より更に奥にあった、どこからか水が流れ込んでいる小さな滝にも濡れる事を厭わず手を突っ込み、慎重に、そして入念に探った。
そうしてぐるりと一周し、入口に戻る。
「あとはど真ん中の通路だが、恐らく大丈夫だろう。どうする、俺が行こうか?」
「……ああ」
「そんじゃとりあえず、持って来るよう言っといた杯とワインを寄越せ」
「おい、持って来い」
ギュスタフが背後にいた部下に怒鳴るように告げ、顎をしゃくる。
そうして持ってこられたのは、布にくるまれて厳重に保管された大きめの杯とワインだ。
「……お前が先頭だが、俺達も付いて行く。いいな」
「どうぞご自由に」
それを持って祭壇まで行って祭壇にある窪みに合わせて置き、ワインを注いだ。
丁度一本分を入れ終えた杯は、少し揺らせば零れるほどになみなみと注がれる。
キリストの血とも例えられる赤ワインは、こんな時だからか本当に血のようにも見えてくる。
――これから流れる血のように。
そして最後の一滴まで入れ終えた時、ゆっくりと台座の窪みが沈み始める。
そのまま杯とワインの重みで沈む祭壇の窪みが降り切った後、この部屋のどこかからかガコンという音と共に機械仕掛けの歯車が作動した音が聞こえ始めた。
徐々に祭壇が下がって行き、一度完全に地面へ吸い込まれる。そして次に出てきたときには杯が消え、代わりに黄金色の分厚い本が姿を覗かせた。
ごくりと、誰かが喉を鳴らして唾を飲み込む。
ゆっくりと、まるで赤子を抱き抱えるかのようにゆっくりと、そして慎重に、ギュスタフは手を伸ばし、らしからぬ手つきで宝に触れ、持ち上げる。
「……ははっ、これが……これが、これがそうか——ッ!」
どこか夢心地で、うわごとのようにぶつぶつと呟く。
少しずつ湧く実感に声は段々と大きくなり、いつしか叫び声に変わる。
ここへ来るまでに払った対価は決して安くない。
念願の宝を手に入れ、黄金色の輝きに魅せられ、そうなるのも分からないわけではない。
「カハッ! はははっ、ハハハハハハハハハハハハ――――――――!!」
「「「うおおおおおおおおぉぉ――――――――!!」」」
部屋中に響き渡る高笑いに、部下も歓声で応える。
しばらくの間、この部屋に雄叫びが轟く。
笑わないのは、笑えないのは士道とフィオの二人だけだった。
「これまで御苦労だったな、盗掘屋。それじゃあ――」
「一つ、いいか?」
未だ歓声鳴りやまぬ中、ギュスタフが何かを言い切るより先に、口を開く。
ギュスタフは機先を制され、取ろうとした行動を中断して耳を傾けた。
「それが本物かどうか、調べなくていいのか?」
「…………なに?」
数秒経ってからようやく何を言ったのか理解出来たとばかりに間が空き、怪訝そうにギュスタフが訪ね返す。
「試練を乗り越え、あからさまに大切に安置されている宝物、ってのは誰もが本物と疑いもしない。何度も死に掛けたからこそ尚更な。でも、だからこそそこには偽物やグレードが一つ下がるような物を置いて、最後の試練とばかりに本物は別の場所に隠してあったりする事もあるんだよ」
「…………」
「まして、宝に辿りつくまでの罠が少なすぎる。他の遺跡ならもっとあってもおかしくない」
宝を見つければ、間違いなく始末される。
実際、既にギュスタフはもう用済みだと言い掛けたし、近くにいた部下の男達からも殺気が滲み出ている。
フィオが、すぐ傍にいる。間に誰一人として挟まず、手を伸ばせば簡単にその手を掴めるほどの位置にだ。まとめて始末する方が楽だという考えの下、そうしたのだろう。
だからこれは、時間稼ぎであると同時に本当にこれが目当ての宝なのかを調べる作業でもあった。
それに、罠が少ないという言葉も嘘ではない。尤も、ここへ辿り着くまでに経た鍵となる物を含めれば、既に十分と言えるだけの回数をこなしていたが、そこは言わぬが花だ。
「ほら、とりあえず俺に見せて見ろって」
「…………いいだろう。だが――」
「下手な真似はしねえよ。今までそんな素振り一切見せてねえだろ? それに、ここで持ち逃げしようとしても逃げ切る前にハチの巣だ」
「……ああ、そうだな」
渡された書物はそれ自体が金で出来ており、ずっしりと重い。
腐食しない金ならば、確かに長期の保存にも適している。その点だけでも、この本はそれほどまでに失うには惜しい物だという証明だ。
それに、金は朽ちぬ様から、死を超越する力を持つとも言われている。
タイトルは『人智に拠りて叡智を超ゆる』だ。
眩い黄金色の輝きに目を焼かれそうになりながら、ゆっくりと本を開く。
フィオが横から覗き込んだ。
ページは、ない。
見開きになっており、レストランのメニュー表にも似ている。
万の病、どんな傷をも回復する秘術。
そんな奇跡を為すために必要な材料のみが書かれている。
それは魔女の脳、そして魔女の血だ。
前者は、恐らくこの
そして、ギュスタフにはああ言ったがここに辿りついた時から思っていた通り、この宝は本命だった。
断じて、偽物などではない。
だからこそ、今も時間を掛けて入念に調べる真似をする。
「フィオの祖先は魔女だった。それは決しておとぎ話の魔法使いのような存在じゃない。どの村にも一人はいるような医者で、長老で、知恵者だ。キリスト教がそんな彼らを魔女にするまでは、どこにでもいるただの人間だった。今回の件は終始、キリストと魔女にまつわる事だ」
「いきなり何を言ってやがる……?」
「いいから最後まで聞けよ」
発言の意図を理解出来ていないギュスタフは、怪訝な表情を隠しもしない。
――だが、止めもしなかった。
「魔女狩りが横行し、それを良く思わなかったこの地の領主が匿った医者の一人が、フィオの祖先に当たる。そして、そんな領主の慈悲に報わんとしたのがその医者達であり、そんな医者のまとめ役だったのがフィオの祖先なんだ」
かつて誰かが魔女と告発すれば誰もが魔女になってしまい、拷問でありもしない罪を吐かされ、処刑される。そんな世界だった。
「つまり、そのお宝というのは彼らの知識だ。キリスト教は魔女にとって忌むべき敵。つまりキリストにとっての血である赤ワインこそが贄だった。そこの祭壇に奉ったヒュギエイアの杯が満ちる量、この地方で古くから生産されるワイン。当時の伯爵が大規模な商業製品として興した統一規格のボトル一本分をきっちり注ぐ事が鍵になる」
「それはさっきやった事だろう。そんな講釈はいらねえ。それで、何が言いたい!」
苛立つギュスタフはただ答えを急かす。
「まったく、前置きの大切さも知らねえのか。……それはそうとなあ、フィオ。いい加減俺がどんな奴なのか、分かっただろ?」
ここで、話題転換を訝しむ者はいた。だがどのような状況でも飄々とし、捉え所のない士道ならばおかしくないと、誰もがそう判断した。
ただ一人、フィオを除いて。
「……ええ」
「どうよ?」
「碌でもないんでしょうね」
「ははっ、そんなつもりはないんだが、良く言われる」
その時、二人は言葉を交わしながら、心を交わしていた。
言外に込められた言葉は、今後の確認。
他の誰にも悟られない様、だけど相手にだけは伝わるように。
――何が起こっても驚くなよ?
――誰に物を言っているんですか。
――準備は出来ているな。
――当然です。
――それじゃあ、行くぞ!
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