第28話




やるべき事を終えれば自然と、足はそこへ向かった。

真っ先に向かいたかった衝動を抑えていたのだ。だからそこへ行くのは必然ですらあった。

壁画は下から見上げればやはり大きいという感想しか出ない程、一枚一枚が大きかった。

壁画の下にはタイトルまで記載してあり、歴史の流れが簡潔に分かる。




――『キリスト』は復活した時の人々の驚愕を現している。

――『農家の風景』は恐らくどこにでもいた、貧しい当時の農家の一般的な暮らしを。

――『城』は、現代まで伝わるクルツバッハ伯爵の居城だった。

――『魔女狩り』は当時、罪のない人を魔女として火炙りにする際の光景を描いたものだ。




そして、二枚目と三枚目の絵の間に、こう書き連ねてあった。




『私は真実の歴史を記す敗者である。私は偽りの歴史を作る勝者である。救世の光はなく、暗黒が大陸を覆う』




これは、間違いなく最初の出題だ。

この部屋にそれらしい物はなかったが、この次の部屋では間違いなく、この謎を解かなければ進めないようになっているはずだ。

だが、これでは『私』は二人いる事になる。或いは、単純にどちらかが嘘という事だろう。だとしたら、その『私』は一体誰で、そしてその一人ないし二人の『私』は一体何を表しているのか。



単純な敗者と勝者以外にも、そこには何らかの含意があるはずだ。

嘘つきというのなら、勝者の側だ。

昔から勝者こそが歴史を都合良く書き換えているのだから、古来より歴史というのは嘘に塗れている。だが、それと同時に敗者もまた、歴史を記す権利など持ち合わせていないために嘘つきという事になるだろう。キリスト教への批判も今更で、ここへ辿り着く事が出来た以上、口にする必要もないはず。

壁画は、特におかしい所はない。



純粋に、『キリスト』以外は当時を表しているし、唯一年代がずれている『キリスト』も、過去の事で嘘か真かはともかく、一応歴史上起こった事とされている。だからここで『キリスト』が怪しいと判断するのは早計だろう。

それに、先の文にはまだ続きがあった。




『嘘は真であり、真こそ嘘である。故に信じられるものは誰もいない』




それは、先の文の全否定だった。

だけどそれならば尚の事、先の文を書いた意味がない。だからこそ、そこに何らかの意図があるはずなのだ。

敗者の絵は三枚だ。

農民、伯爵、そして魔女狩り。

この三枚の壁画が敗者を描くとしたなら、やはり勝者はキリストになる。

だが、嘘つきは全てだ。

その中で正解である真実だけが、どこにもない。



「……全てが偽物、か?」



だとすれば正解は別の何かか……?

恐らくまだ、ピースが足りていない。ただこれもまた、欠けてはならないピースだろう。



「…………とりあえず、先に行ってみるか」



それを心に留め置いて、この部屋の入口から正面に位置する場所にあった、次の部屋の前へと差し掛かる。石で出来た扉には窪みがあり、押しても引いても動く気配がない。そしてその窪みの形は、確かに見覚えがあった。



「俺から取り上げた金のブローチを持ってくるよう言っただろ。それをここに嵌めてくれ」

「おい」



ギュスタフが顎でしゃくり、部下の一人に命令する。

金のブローチを嵌めこんだ瞬間、地鳴りのような音と共にゆっくりと、その扉が開いて行く。

そして覗いた光景は、これもまた遺跡らしいからこそ、普通とは程遠く異質な部屋だった。ただ、あからさまに罠が仕掛けてあると分かる部屋だ。

向こう側に見える扉まで、三十メートルほどか。



そこまでに正方形の金属板が数百枚も床に敷き詰められている。

ただしそれはただの金属板ではなく、一枚一枚にレリーフが彫られている。

モチーフはキリスト、魔女、クルツバッハ伯爵家に関係する物ばかりで、一見すれば比率も同じだ。

ただそれだけで、ヒントも何もない。



肝心の問題がどこにあるのかと、部屋全体を注意深く見回しても見つからない。だが、恐らくどこかで既に謎掛けがあったはずだ。或いはこの部屋自体に、ここを突破するための問いかけが。

不正解だったら何らかの罠が作動するか、或いはそのまま床を踏みぬいて落ちるかだろう。

先の文や壁画、そしてこの遺跡で見た物や起こった事を中心に探ってみるが、何もない。だから、次にここへ来るまでの記憶を呼び起こす。



「…………そうだ、手記だ! 確か――」



急いで懐にしまいこんでいたクルツバッハ伯爵の手記を取り出し、捲る。

以前『教授』に言われて読み直した際、微かに違和感を覚えていた箇所があったのだ。

そして、恐らくはこの場所のために残されたのだろうヒントに該当するページに行きついた。




『神はいない。魔女もいない。故に私は人に願い、託した。されど人は善のみに非ず。正しき平穏を求める者には救いを、争いを求める者には死が齎されんとそう願った』




前後の脈絡からも僅かに違和感を覚える程度で、自分の勘違いや偶々そんな描写だっただけとして流してもおかしくない。

だが、違和感を覚えたのは唯一そこだけだったから、こうして記憶の片隅に残っている。



「つまり……」



時として、この手の仕掛けもあるのだ。

情状を酌量してくれるような人間にだけ渡したいと願った場合、そういう人間にだけそうと気付けるよう仕掛けを施す。様々なレリーフが足場を形成している中で、しかし正解はほんの僅かだ。

では、どれを足場にすれば良いのか。

踏むという事は即ち蔑ろにするという事だ。



だとすれば、ここでクルツバッハ伯爵家や魔女、そして平穏を表す物は避け、神やキリストに関する物を踏んでいけばいいのか? だが、それではあまりにも単純すぎやしないだろうか……。

何か引っ掛かる。

こういう時は先のヒント以外にも、別のヒントが用意されている場合や、既に知っている事が多い。

だが、どこでそれを得た? 再びこの部屋を見渡しても他にヒントになるような物など何もない。いや、この遺跡に入る前から記憶を探るが、やはり何もなかった。



「ちっ、おい、まだか!」

「少しくらい待てよ」



腕を組み、急かすように舌打ちをしながら中指で自らの腕を繰り返し叩くギュスタフ。この様子ではあまり長くは引っ張れそうにない。ここの場合、平穏を求める人とは何か。そういう事になる。



「…………踏み絵か? 魔女でない事を証明するため、悪魔を踏む? 実際に魔女でもないから問題はない。そうすれば確かに、平穏ではあるだろう……。平穏ではあるけれど、そもそも暗黒時代に平穏などあったのか?」



どれも正解のようで、どれもが不正解のようでもある。思考は堂々巡りで、どれを選んでも全てに理屈が通ってしまうから分からない。だが、それを態度に表せばギュスタフがどういった行動に出るか分からないため、思わず出そうになった悪態は胸の内に留めておく。



「…………待て。そうか!」



急ぎ、クルツバッハ伯爵の手記を最初から捲る。

『教授』の、遺跡が答え合わせをしてくれるという発言。

速読したからこそ要点だけが浮き彫りになったそれは、ただただ己の無力さを悔いる事が大半を占めていた。そして、ここのレリーフのモチーフはキリスト教、魔女、クルツバッハ伯爵家に関係する物ばかりで、比率も同じだと、そう思っていた。



いや、ここに辿り着くまでの過程でそう思いこまされていた。

だが、違う。

一つの偶像が複数の意味を持つなどザラだ。

壁画に書かれていた言葉は、肉親ですら密告者になり得るからこそあらゆる者を疑わなければならなかった当時の人間の心模様。そして権力者すら殺されかねない、勝者も敗者もない混沌を示したのだ。

つまり、これはそういうカモフラージュを施されているが、別の意図が隠されている。それに加え、当時のクルツバッハ伯爵の胸の内をいかにむか。



全てが偽物で信じられない中、ただ一つの本物がある。

この出題者である本人は、己だけは、己自身を裏切れないという事だ。

善人で、名君で、されど己の至らなさを嘆いた人。

この遺跡を作ったのがフィオの祖先なら、クルツバッハ伯爵家の物は絶対に踏んではいけない。だが、クルツバッハ伯爵自らが指揮し、作ったのなら、むしろ自らの物をこそ踏むように作ったはずだ。

そして、ここを作らせたのはクルツバッハ伯爵だ。



単純に三分の一じゃ試練にならない。

つまり、クルツバッハ伯爵家に関わる物を踏みながらも、踏む物はその中から更に限定されるという事だ。

その意図に照らせば、自ずと答えは見えてくる。

白百合を象ったレリーフは、フィオの村にあった墓でも見た。

あれは家臣の紋章だったはずだ。

民を大切にし、家臣からの信頼も厚かったクルツバッハ伯爵が、それを許すはずがない。

そういった物を除外していけば、踏める足場は一気に限られてくる。

それは都合良く、或いは制作者の意図通りに、向こう側へ行ける一本道が出来あがった。



……まったく、性質が悪い。

普通、今までの流れからすればキリストをこそ踏みたくなるだろう。

だけどありきたりでは問題にならない。

意外でありながら確かな筋が通る物こそが正解であると、そう言っている。

ただ善人なだけの人間には、まともな政治などとてもじゃないが行えない。そこはさすがに貴族というわけか。

善人ではあるが、時代を渡り歩くために好まなくとも腹黒い一面を備えざるを得なかった。



これは、政治家としてのクルツバッハ伯爵家の一面だ。

入口の罠は、見ず知らずの者への用心と警告。

そしてここでは、賢き者しか通さない為の知性と真なる理解者のみを通す悪辣さ、他者を思い遣れる善性を試している。

まるで己の内面をさらけ出し、かつ宝を手にする資格があるかどうかの試練だ。……いや、事実そうなのだろう。

これは自虐と諧謔を混ぜた、クルツバッハ伯爵なりの試練なのだ。

そうと分かれば、後は踏み出すだけだ。



「…………ふう」



大きく息を吸って、吐き出す。

強張った体を意識的に解きほぐし、何度も出した答えに粗がないか見直す。

この瞬間は嫌でも緊張する。

自分の考え出した答えが合っているかどうかは、実質一歩目で分かると言っても過言ではない。そして、それが外れれば死の片道切符へと早変わりだ。

向こう側へ行くまでに何歩も必要とするのは、単に運だめしや人海戦術を許さない為でしかない。



故に、問いかけは一つ。

それに正解さえすれば、向こう側へ行く事は簡単だ。

答えるチャンスも一度だけ。

目標のレリーフは二メートル程先にあるため、慎重に踏み出して届くような距離ではない。結局は覚悟を決めて跳ぶしかなかった。

知らず、小さな笑みが浮かぶ。



堪らないのだ。

このスリルが、自分の命をチップに死線上でワルツを踊るかのような行為が。出題者との一騎打ちで、クルツバッハ伯爵との真剣勝負。それは解けるものなら解いてみろという挑戦状であると同時に、どうか解いてくれという理解者を求める声でもあった。

アドレナリンがどんどん湧き上がり、死の恐怖を超えた興奮がもたらす万能感に浸る。



「……よし、行くか!」



誰もが見守る中で軽い助走をつけ、思い切って跳ぶ。

死を感じるせいで、やけに遅く流れる光景。

一列目のレリーフを越え、二列目へ。真下にはキリスト教系列のレリーフ、聖人の一人が名前と共に刻まれている。そしてその先、クルツバッハ伯爵に関わる物である交差した二振りの剣と中央の盾だ。

戦争の象徴でもあるそれは、間違いなくクルツバッハ伯爵が忌み嫌ったものだろう。


そこへ確かに着地する。


この手の罠は踏みぬいて下へ堕ちるか、それとも矢が飛んで来るかといったものが王道だ。

最悪釣り天上といった、この部屋の人間を全滅させる類の物があるかもしれないが、そればかりはもうどうしようもない。



「「「……おおっ!」」」



見守っていた男達の緊張はどよめきへと変わる。

着地してやけに長く感じた数秒間。幸い、これで正解だったのだろう。

分かる範囲では、何一つ変化らしい変化が起こってない。



「一人ずつ順番に跳べ。自分の前の奴が踏んだ場所を良く見とけよ。間違えても責任はとらねえぞ!」



背後へ向けて叫ぶ。



「それとお前ら、俺にエスコートさせる気がないならフィオが落ちないようフォローはしろよ!」

「シドー。生憎と、私は紳士にしかエスコートを許すつもりはありません」



品性のない野郎ばかりに囲まれている事を不機嫌そうに、そして言外にこのくらいは余裕だと言って、フィオは小生意気に鼻を鳴らす。



「なるほどね。まあエスコートしたいのは山々なんだが、俺がエスコートするのは許されちゃいないんでね。レディの手を取れないのが残念だ」

「い、いつ誰がシドーは紳士だと言ったのですか! 馬鹿言ってないでさっさと行ってください!」

「へいへいっと」



つれない返事をもらって、再び前を向いて次の着地点を見定める。

考え方はこれで間違っていなかったのだから、跳ぶべき場所はすぐに分かった。後ろを着いてくる者のペースを気に掛けながら、ミスをしないよう慎重に跳ぶ。ここだけで全員が渡り切るまでに三十分近く掛かったが、脱落者はいない。



「なるほど。テメエ案外役に立つようだな」

「だろ? 俺がいなきゃ、ここで全滅もあり得たわけで、お前達の命を救ってやったんだ。ちゃんと俺とフィオの命も保障してくれよな?」

「考えておいてやろう」



ふてぶてしい笑みは、そんな事欠片も考慮する気がないと伝える。

だから今も、互いに互いを油断なく警戒している。

それでもギュスタフに浮かぶのは、勝利を確信している余裕の笑み。

元々期待していないが、かといってそれを真っ向から言うつもりもない。結局、無駄でしかないからだ。

ここまでは予定調和。



お互いの要求を相手が受け入れない以上、これまでのやりとり全て茶番でしかない。後はどう出し抜くか。

現状が絶望的なのは否定出来ない。この状況を打破するには、詰んだはずの盤をひっくり返すような反則染みた一手が求められる。だからこそ、その一手を打てば



確実にギュスタフの想像の範疇を超えるだろう。

衝撃が大きければ大きいほど、奇襲は効果を発揮する。

策は既に練っている。

打てる手はとっくに打った。

互いのおうに、チェックは掛かっている。

後は自分の推測が正しい事を信じ、それが嵌まる瞬間まで、ただ忠実に従い続けるしかなかった。


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