第25話





――人の手の入らない密林の奥深く。動植物にとっての楽園は、今だけ文明に荒らされて痛ましい傷を刻む。

銃弾によって穴を開けられた木々は、酷い物になると引きちぎられたような跡を残して倒れていた。爆発物によって黒煙が立ち込め、掘り返された地面には肉片が撒き散らされている。

そこに、二人はいた。

親子というには歳が近く、だけど兄弟というには離れている二人が。



「おいおい、こんな事で泣くなよ。男が泣いて良いのは、生まれた時と惚れた女にフラれた時くらいなもんだ。そんなに泣かれちゃ、俺も安心して死ねねぇだろ……?」



平時と変わらない軽口。

平時と変わらない薄い笑み。

だと言うのに、男の姿だけはいつもと違った。



「じゃあ死ぬなよ! 俺はまだ、アンタに教えてもらってない事がいっぱいあるんだ!」



その言葉に困ったように笑う男は、だけどどうしようもないほどに生きる事を諦めている。

実際、今こうして会話をしているだけでも驚異的だろう。

既に死んでいてもおかしくない致命傷だ。

諦めた男の代わりに必死で胸に空いた風穴を抑えようと、どうにかなるものではない。




「なあおい頼むから! 俺はまだ、アンタになにも返せて――」

「――もらったよ」




拾われて、救われて、一方的に恩だけが募った。

ずっとそう思っていたから、思っても見なかった言葉に口が止まる。



「お前と会ったあの時から、妙に他人の気がしねえ。一緒に冒険してみるのも悪くねえと思った。だから拾ったんだ。色々と苦労もしたけど実際、俺の勘は間違っちゃいなかった」



そんな風に思われていたなんて、知らなかったから。



「士道。お前との日々が、俺にとって最高の宝だ」

「――っ!!」



いつだって、自分に正直な人だった。

こんな時でも嘘を言わない人だと、知っていたから。

みる言葉に、心が滲んだ。



「しょうがねえな……。しょうがねえから、コイツをお前にやる。俺の人生(ぜんぶ)が詰まった、命と同じくらい大切なモンだ。男だって生きてりゃ泣きたい時もあるだろうが、これがありゃ泣いたって誰にも見られない。だから感情を隠したい時がありゃ、コイツを深く被りな」



初対面の時からずっと被っていた中折れ帽子を、頭を撫でるように押し付けられる。

その手は離れることなく、強く頭を抑えつけたままだ。

今なら、どれだけ泣いても構わないとばかりに。



「いいか、お前も男なんだ。女子供には優しくしろ。カッコつけて生きろ。そんで――」

「心から笑える生き方をしろ、だろ? 何回も聞かされたせいで耳にタコが出来てる。嫌でも覚えるよ」



頭を抑える手を押し戻す。

帽子で隠されていた顔が覗いた。

そこにあるのは、涙を零しながらの歪んだ笑顔。

だけどこれが、今の士道にできる精一杯の笑みだった。



「だったら安心だな……」



男が安堵の表情を浮かべる。

言いたい事を言い終えて満足したのか、今にも死に行こうとする男。

だけどまだ、男と違って言いたい事を何一つ言えていない。それら全てを言葉にするには、どれだけ時間があっても足りるものではなかった。

だから――





「俺はッ、アンタが義父とうさんで良かった!!」





万感の想いを、込めた。

出会ってから三年。

一度も口にできなかった言葉を。



「ははっ、ようやく素直になったか……。なんだ、案外……悪く、ねえ……」



男は一瞬だけ驚いた表情をする。そして力なく、だけど心から愉快そうな笑みを浮かべた。そのまま眠るように目を閉じた後、二度と目を覚ます事はない。

もはや青年を見ている者は誰もいない。それでも譲られたばかりの帽子を強く抑え、声を押し殺し、泣いている事を隠し続けた――







「――あの人のように、この帽子が似合う男になりたくてな」



だけどどれだけ走り、手を伸ばしても追いつくことはない。



「この帽子は、あの人の形見だ」



ゆっくりと中折れ帽子を手にとって、眺める。

義父さんへの憧憬を今も色褪せることなく思い出させてくれるアルバムであり、弱さの証でもある帽子を。



「俺を庇って死んだ、あの人のな」



あの時に感じた血の匂いも、失われていく温もりも、だけど最後の最後まで笑っていたあの表情も、全てを鮮明に覚えている。


――何もできなかった、後悔と共に。



「自棄になって自分を傷つけても、それでもそれ以上の痛みのせいで碌に痛みさえ感じられない。痛みは絶えず、ずっと苛まされ続け、心が死にそうになった」



でもだからこそ――



「笑えよ。たとえ強がりでもなんでもいい。失ったからなんだ。この件が片付きゃ晴れてただの、だけどここにしかいない最高の美少女だ。世の中の男誰一人放っておかないし、女だってクレアとかみたいにフィオの事馬鹿みたいに可愛がるだろうよ。こっから先、長い人生で色んな人と出会うし、色んな良い事もある。それによ。ここに、真っ先にそんな美少女を見つけた良い男代表の俺がいるじゃないの」



せめて両親が、義父さんが生きた証を。

死んでしまったけど、その死は無駄ではなかったと思えるような生き方をしようと誓ったのだ。

あの世で再会した時にどうだと自慢できるような、そして自慢してもらえるような生き方を。



だから今、自分が選んだ道は最高に楽しいし、後悔なんて欠片も抱えちゃいない。

いつ死んでも最高の人生だったと笑って死ねるようにいたいし、心残りがあるうちは絶対に死なない。

憎まれ口ばかり叩く少女だが、同じ身の上だ。

痛いくらいに、気持ちは分かる。

だから一人残して逝くような真似をするつもりはない。



「だからまあ、安心しとけ」



全部なんとかしてやるから。



「人生長いんだ。今が辛くても生きてりゃ良い事だってあるし、辛気臭い顔したって余計不幸になるだけだぜ? 無理してでも笑ってりゃ、いつの間にか出くわす事全部面白くなるもんだ。世の中正論が通じない不思議でいっぱいなのさ」



色んな人間の思惑が絡んでいるこの世界で、思い通り、想像通りに行く方が稀なくらいだ。



「我が目を疑うようなお宝に遭遇したり、信じられないような偶然や奇跡が重なって色んな人や物に出会うんだ」



当たり前の日常すら、案外とんでもない奇跡だったりする。



「そんな奇跡の延長線上で、俺達は出会えた」



「……ばかです、やっぱり馬鹿です。頭に脳みそ入ってるんですか? どこからか馬鹿の電波を受信するだけのアンテナが入ってるだけで、地球上の馬鹿の電波を受信した馬鹿の総本山になってませんか? いえ、きっと切開したら脳みその代わりにそんなアンテナが入っている事請け合いです。それだけじゃありません。きっと体だって、脳を使わず、反射だけで動いているに違いないです。まるで本能だけで動く虫ですね。ええ、馬鹿と言うのも馬鹿に失礼なくらいに短絡的で、後先考えずに動くんです」



そんな調子で、よくもまあ小一時間も途切れることなく人の悪口を言えるものだと思わず尊敬すら覚える。

恐らく、その言葉を否定すると何倍にもなって返ってきそうだからやめておいた。



「だってほら、こんな子供にこれほど言われて最後まで言われっぱなしなんです。反論する言葉も持たないんでしょう? 大人なら、もっと大人らしい所を見せてみたらどうなんですか? 尤も、大人として相応の見識を持ち合わせていればですけど」



言わなければ言わないで罵倒されるらしい。



「いつもそうです。すぐ調子に乗って失敗して、伊達男を気取るくせに配慮が足りません。こうしてのこのこと出てきて捕まって、何がしたいんですか? 少しでも頭がまともなら、こんな手段とるわけないです。知り合ってばかりの私に対して、そんな行動に出る時点で頭おかしいです。ロリコン、ロリコンなんですか? 好きでもない人に対してそこまで出来る事がもう異常です」



それは、胸の奥に押し殺していた気持ちが出てくるのを認めないとするかのようで、悟られたくない何かを無理やり覆い隠すような。

だけど同時に、覆い隠すために溜め込んだ何かを吐き出す行為でもあった。

抱え込んできた拒絶するための理由きもちを吐き出すために、フィオはずっと喋り続けた。



「ほんとうに……ばかです」



そして、ようやく終わりと零れたのは、今までと同じ言葉。

だけどそこには、心を覆っていた氷が解けた確かな感情が含まれていた。

強く握って、皺になったワンピースに水滴が落ちる。



「…………まったく、案外お前さんも不器用だな」

「…………」



フィオは何の反応も返さない。



「ほら、とりあえずこれでも被ってろ」



手に持っていた帽子をそのままフィオの頭に押し付ける。その際に、帽子越しに強く頭を撫でた。



「ちとボロイけど、良いモンだろ? 帽子は男が感情を悟られないためにあるんだ。いつだって男はカッコ良くなきゃなんねえ。泣いちゃカッコがつかねえからな。だけど女も同じだ。女の涙は武器だけど、どうしても悟られたくない時はこれでも被って誤魔化しとけ」

「…………やめてください。ハゲが感染(うつ)ったらどう責任とってくれるんですか」



感染うつんねーよ! いや、待て、そもそもハゲてないからな!」

「自分で言ってたくせに、もう忘れたんですか? やっぱり馬鹿ですね」

「本気じゃねえよ! と言うか嫌なら返せよな」

「嫌です。嫌ですから、返しません」



言ってる事はどうにも良く分からないが、フィオは意地でも返さないとばかりに両手で鍔を握って下へと強く引っ張る。

大切な物だから、いずれは返してもらわないと困るんだが。

そのせいで相変わらず顔は見えない。

それでも、どこか口調が明るいものに変わった事くらいは分かるから、まあいいかと良く分からないなりに納得する事にする。

帽子の下で、いつしか流した涙の代わりに小さな笑みを浮かべていたフィオの表情には、最後まで気付く事ができなかった。 



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