第22話




「随分と派手に逃げ回ってくれたな、お嬢ちゃん。ガキ一人捕まえるってだけの話が随分とデカくなった。こっちは大損害だぜ?」

「…………」



最悪だと、そう思う。

結局、何も抵抗出来なかった。

それに、傭兵だけあって何日もシャワーすら浴びていないのが分かるくらい臭いし、人を荷物のように荒く扱って、女子供に対する気遣いも出来ていない。息も臭いから、わざわざ気持ち悪い顔を近づけて喋らないで欲しい。

これでは人間どころか獣だ。

こうして比べてみると、シドーは随分とマシだった。

セクハラをするが、それでも一応はちゃんと努力している点を認めないでもない。



「なあ、おい、聞いてんのか? それとも怖くて声も出ねえか? 喋る事喋ってもらわねえと困るんだがな」



ギュスタフは口で困ると言いながら、しかし全くそう見えない。

どういたぶるか、そんな残虐性を隠そうともしない。しゃべらない方が面白いとばかりに、にやにやと嗜虐的な笑みを浮かべている。



「ほら、さっきみてえに吼えてみろよ」



ギュスタフがパキリパキリと指を鳴らす。



「たくさんあったゴミが、少しとはいえ減ったようです。きっと多少なりとも世のためになったでしょうね」

「ハッ、言うねえお嬢ちゃん。だが、言葉遣いには気をつけた方が良い。お嬢ちゃんの村にいた連中も、つい、喋らせる前に殴り殺しちまうくらいには俺は気が短いからなあッ……!」



底冷えするような威圧感。

ミシリと、拘束する椅子が軋んだ。

これが殺気というのだろうか。

気が短いというのも嘘ではなさそうだった。



「椅子に縛りつけた女一人に対してそんな手段しか取れないゴミの集まりをゴミといっただけです」



一瞬で、視界の端にあった壁が正面に変わる。頬が打たれ、顔が勢いよく横を向いたのだと、少し遅れて気付いた。

理解が追いつけば、今度はじわじわと痛みが増していくのが分かる。

口の中を切ったのか、血の味がした。



「口の利き方に気をつけろと言ってんだ。……殺すぞ?」

「殺せるものならどうぞ殺してみてください。私はそうして頂いても一向に構いません」



思わずゾッとする低く、冷たい声。

本能が、死へ直面した恐怖を湧き上がらせる。

ただそれ以上に、この男に対しての怒りが、負けるわけにはいかないという強い気持ちがある。だからこそ、出た言葉だった。

それに、死ねるのなら、それはそれで悪くない。

ギュスタフは何も情報を得られず、そして自分は家族の元へ行ける。



――ただ、少しだけ……。今まで良くしてくれたシドーには悪いとも思ったが、知っている事は伝えてあるのだから、今までの対価としては悪くはない取引だろう。



「舐めた口ばかり利きやがるな、クソガキが……!」

「――カハッ……っは、……っ!?」



丸太のように太いギュスタフの腕が振るわれたと思った瞬間、お腹に拳が突き刺さる。

開いた口から唾液が零れ、えずいた。

喉元まで嫌な何かがせり上がってきたのが堪えきれず、全部吐き出す。



「上下関係は理解出来たか? 大人には敬意を払うもんだぜ、お嬢ちゃん。じゃねえと、そろそろ手加減も出来なくなる」

「っ……はあっ……、ごほっ……!」

「実際、難しいんだよ。お嬢ちゃんくらいになると、加減してもあっさり死んじまいそうでよお?」



イラついたからといった理由で他人を殴る。少し事実を言われたという、たったこれだけの理由ですぐに暴力だ。

やっぱりシドーとは違う。

そんな相手に払うべき敬意など、あるはずがない。

押し殺してきた感情が昂ぶる。



「…………っ、ふう、ふう……けほっ……」



震える体に力を入れ、無理やり抑えつけた。



「はあ……はあ……」



息を、整える。



「別に、舐めてなんて、いませんよ」



俯き気味だった顔を上げ、正面に立つ男の顔を睨みつけた。



「正当な評価です。私は、どう足掻いても貴方に太刀打ち出来ない。私は、仇である貴方を前にして、何も出来ない……」



先程は時間稼ぎの抵抗すら出来ず、あっさりと捕まってしまった。

暴れようとしても、片腕一本で容易く抑えつけられた。

こうして今、睨みつける事しか出来やしない。

今すぐにでも、そんな不甲斐ない自分を殺したくなる。



「力でも知識でも、経験でも勝てない……」



きっと、銃を持っていた所でこの男には何も出来なかっただろう。

悔しいが、あの時既に体は限界に近かった。

諦めたわけではない。それでも、こと暴力に関しては、余程の奇跡が同時に複数回起こらなければ到底勝てる相手ではなかった。

そう冷静に、現実を受け止めている。



「何も出来ないけど、だからこそ私は何もしない! 家族むらの皆が守った秘密を、私は何一つ貴方に喋りはしない! これが私の復讐です!!」



今更、臆しはしない。

シドーの言ったとおり、自分が全部喋った所でこの男は宝に辿りつかないだろう。

それでも、どんな拷問を受けようと喋りはしない。

命を奪うような真似は出来なかったけど、結局、この男は目当てのものを手に入れる事が出来ない。

痛みがまだ残っているせいで、少々歪んだかもしれない。

それでも精一杯、ザマアミロと嘲笑する。



「このクソガキがッ!」

「――っ!」



振るわれた拳で、再び顔が勢いよく横を向く。

口の中に広がる鉄の味を呑み下す。

心は欠片も折れてない。

まだだ。

どれだけの暴行を受けようと、耐えられる。

今のでそう、確信した。

心を殺す術なら学んだ。

あの時それが出来なければ、きっと自責の念に押し潰されて死んでいただろう。



――――ああ、だけど。



それでも自分の全てを殺しきれなかったのは、あの馬鹿な男のせいだ。

それが中途半端で終わってしまったのは、シドーがあまりにも構うからだ。

シドーのせいで、自分を殺しきる前に殺す理由を失ってしまった。

今までのヒントから、シドーは宝を手に入れる事が出来るだろうか?

こんな時だというのに思い浮かぶのは大好きだった家族ではなく、少し前に知り合った胡散臭い男の事ばかりだった。



賢いようで抜けていて、頼りないくせに頼りたくなってしまう、不思議な人だった。

だけど悪い人じゃないと、それどころか妙にお人好しだと、それだけは断言出来る。

器用そうに見えて不器用で、色んな場面で損をしていそうだから、倍は年齢が離れているのになぜだか心配になって目が離せない。

手のかかる子供は、あんな感じなのだろうか。

手に入れた後で奪われるようなヘマだけはしないでほしいなと思うと、なぜかギュスタフではなくクレアに奪われるような光景があっさりと浮かんできて、不思議と笑えてくる。



「何がおかしい……?」

「べつに。貴方には分かるはずもありませんよ」



この言葉に出来ない温かさを、私の家族の命を遊び半分に奪ったようなこの男が理解出来るはずもない。



「……いいだろう。喋る気がないなら、喋りたくなるようにしてやるだけだ。まずは爪を剥がしてやる。一枚一枚丁寧にな。その次は傷口を針で何度も突き刺す。そうして指を粉々に砕き、最後は関節に合わせて切り落とす。目をくりぬいて、体中を痣だらけにする。それで喋らねえようなら歯を全部抜いて、耳を落とし、喋れなくしてやる。たっぷりと時間を掛けてな」

「…………」



きっと、痛いのだろうな。

手慣れているのだろう。

どうすれば相手により強い痛みを与え、恐怖を増長させるか良く知っているのだ。限界まで耐えるつもりだけど、もしかしたら泣き叫ぶかもしれない。

だけど、それでも絶対に喋らない。

喋った所で、どの道笑いながら殺されるだろうから。

それに何よりそれだけが、この男に対して私に出来る唯一にして最大の攻撃なのだから。


ギュスタフの手が伸びる。


死刑宣告のようにゆっくりと、だけど確実に。

それがおもしろくて堪らないとばかりに嗤っている。

負けないと、決意を込めて強く睨みつけた。


――そして、その手が触れた瞬間にびくりと、体が一瞬だけ硬直する。

それは自分だけでなくギュスタフもだった。

無機質な電話のコール音。

数秒間、時間が止まったかのように何も動かなかった。



「…………チッ」



そして、鳴りやむ事のないコール音に催促されるかのようにギュスタフが懐へ手を伸ばし、電話をとる。



「…………誰だ」



重い沈黙の後に、誰何した。

知らない相手からの電話なのか、警戒心が見て取れる。

こんな稼業の人間が、知らないはずの相手から電話が掛かってきたのだ。警戒するのも当然だった。



『よう、俺だ俺。フィオは無事なんだろうな?』

「――――っ!?」



息を、呑む。

攫われてからまだそれほど時間も経っていないからこそ、このタイミングで聞く事になるとは思わなかった声。

自分自身が殺した何か、心の奥底に押し込めたはずの何か、大切な何かが湧き上がってくる。



「テメエか。なるほど、このお嬢ちゃんがそんなに大事か」



にやりと、ギュスタフは凶悪な笑みを浮かべる。

それだけで、何を考えているのか手にとるように分かった。

縋りそうになった気持ちに急いで蓋をし、意地を通すために叫んだ。



「駄目です、シドー! この男にだけは宝を渡さないでください!」

「黙ってろ!」

「――っ!」



また頬に衝撃が走る。

そしてそのまま口を抑えられ、何も言えなくなってしまった。



『おいテメエ! フィオに手を出すなって言っただろ!』



電話口から聞こえてくるシドーの声は怒りに満ちている。



「んんっ! ん〰〰〰〰!!」



言いたい事はあるのに、喋れない。

いや、きっと何を言った所でシドーは自分の言う事など聞きはしないだろう。

かわいい女の子の為とか頭の悪い事を言って、相手の要求に従うに決まってる。



「そんなにこのガキが大切か?」

『当然だ』



わざわざ電話を掛けた時点で、弱点を知らせたも同然だ。

だが、クレアもいるのにわざわざそんな事を許すだろうか?

そうだ。恐らく、電話番号を教えたのもクレアのはず。だったら、無策で行くような真似をさせるほど愚かではない。

そう考えた時に、ギュスタフが口を開くよりも先に電話口から声がする。



『時間がないんだろ? 知ってるぞ。飼い主にケツを叩かれて焦ってるだろ。その挙句、急いで成果を求めて、結果遠ざかった』

「…………貴様、どこまで知っている」



その瞬間、ギュスタフの顔に苦々しげな表情が浮かぶ。

シドーは言葉を選びながら、電話越しにギュスタフの反応を探っているようだ。



『それは重要な事じゃないだろう。わざわざ言う必要もない。村や墓地の様子は見たな? 俺はお前達と違い、お宝を発見する能力ちからがある。あまり俺の機嫌を損ねない事だ。でなければ、お前達は永遠にお宝を見付けられない。逆上した主人に餌をもらえなくなるぞ』



弱点を知られていながら、それでも主導権を握るため、強気に出ている。

ギュスタフには繊細な交渉が出来る程の知性がない。

単純な力押しで血の一滴まで絞り取られるような要求をされるのが一番辛い状態で、図らずもその選択を採られかねない。



『まだるっこしいのはなしにしようぜ。一対一、互いに望むものを差し出す。フェアだろ?』

「ハッ、気に入った! いいだろう。それで、受け渡しはどうする?」



必要以上に不利とならない様、先に相手が望む答えを提案し、余計な要求をさせない。主導権を握らせないよう終始するしかない。

そして今の所、その作戦は功を奏しているようだ。

ただ、それでも安全な受け渡しの方法なんてあるとは思えない。

クレアがいる以上なんとかするのかもしれないが、一定の不安は付きまとう。



『明日正午、フィオのいた村でどうだ』



だけどそんな心配とは裏腹に、話し合いはどんどん進んでいく。



「いいぜ。だけどその前に一つ聞いときたい。お前は今、宝を持っているのか?」

『……いいや、宝に繋がる鍵と知識を持っているだけだ』



初めて、僅かにシドーが言い淀む。



「ならダメだ。直接宝を持って来い。話はそれからだ」



そして、ギュスタフはそれを許さなかった。



『……その宝を得るために、その子が必要だと言ったら?』

「ダメだ、信用出来ねえ」

『だろうな……』



電話の先で迷ったのは、数瞬の事。



『お前は今回のお宝が、飼い主の病を治すような物だと思っているのか?』

「知らねえよ。そう聞いてるが、そうかどうかなんざどうでもいい」



切り口を変え、突破口を探ろうとしているのが分かる。



『代が変わった瞬間、切り捨てられるかも知れねえぞ?』

「それこそ俺が知るかよ。そんときゃそいつをぶっ殺して金を奪い、雇い主を変えるだけだ」

『金を払うから、この件から手を引けと言ったら?』

「名もない個人が払えるようなはした金で、俺と部下は雇えねえよ」

『百万だ。アメリカドルで百万でも駄目か?』

「駄目だな。あのくたばり損ないの爺は、よっぽど良い金払うぜ。……それに、今回はこっちも随分と痛手を負った。その程度じゃ腹の虫が収まらねえ」

『…………』



今度こそ、シドーは完全に沈黙した。

正攻法は潰えた。

なら何か他の切り口はないかと、思案しているのが分かる。



『…………』

「……おい、用がねえなら切るぞ」



ギュスタフの急かす声。

僅かな苛立ちに駆られているそれは短気から来ているのか、それとも現状を取り巻いている困難から来ているのか。

表情から出来る限り探ろうとしてみたが、どちらかは分からないままだ。

どの道、初めから無理があった。

最初の提案を断られた時点で、交渉決裂は見えていた。

自分のことは構わないと伝えたいが、それは叶わない。

せめて気にしないよう言えれば、少しはこの気持ちも晴れるのだろうか。

そんな風に、開き直りにも近い心境に達しかけた、その時だった。



『……明日正午、お前達の所に俺が行く。丸腰で行ってやるから、仮にもプロならビビって撃つような真似だけはしてくれるなよ。宝には俺が直接案内してやる。だから、これ以上フィオに手を出すな』

「――――っ!?」



シドーは言いたい事だけを言い、返事を待つことなく電話を切る。

あまりの提案に、驚いて声すら出せなかった。

今更来るなと言った所で通じるはずもない。

電話からは、通話が切られた事を伝える虚しい音が聞こえてくるだけだ。



「おもしれえっ!」



ギュスタフは獣の如き狂笑を浮かべる。



「退屈な任務が続いた所にコレだ。随分と喰いでのある獲物がわざわざ罠に掛かりに来る。堪んねえなあ、オイ! ……ああ、それもこれも、お嬢ちゃんのお陰だなあ?」

「〰〰〰〰っ!!」



皮肉に、頭が真っ白になった。

食いしばった歯は、一体何を堪える為か。

怒り、屈辱、そしてむざむざ利用されたという後悔でいっぱいになる。

結局シドーの足を引っ張り、挙げ句取り返しのつかない事態を引き起こしたのだ。

来るなという言葉も、放っておいてくれという想いも今更届かない。

そしてすぐ、自死を選べないようさるぐつわを嵌められた。

そうなってようやく、その手があったのだと気付かされてももう遅い。

その日は夜遅くまで目が冴え渡り、様々な想いが去来する。

自問自答が続く一夜を、眠る事なく明かした。





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