第11話



年齢の割には軽快に駆けだした『教授』の後を、フィオと一緒に追う。

路地裏を通り、塀を越え、角を何度も曲がり、とある空き家へと潜り込んだ。

目ぼしい家財道具はなく、カビ臭い。

だが、埃は積もっていない。

定期的に、人の手が入っているような妙な印象だ。



「……隠れ家、か?」

「こういう時のために、幾つかの」



先頭を歩いていた『教授』が、暖炉の前で立ち止まる。

少し屈んで足を踏み入れ、左側の壁を押した。

石同士が擦れる音。

フィオが驚きで目を見開く中、ゆっくりと横壁が回転する。



「ほっほっほ。どんな物にも歴史が有る。秘密の通路なんぞ、少し探せば十や二十はすぐ出てくるものじゃわい」



茶目っ気たっぷりに、『教授』が振り返って笑った。

この家は、かつて特権階級の隠れ家だったのだろう。

隠し通路を使う事態に備え、埃が残らないよう日頃から手入れをしていたに違いない。

さすがの用心深さだ。

隠し通路に足を踏み入れた。

ひやりと、少し肌寒い。

暖炉の隠し扉を元に戻し、『教授』の先導に従ってあとに続く。

懐中電灯をつけて先を照らすと、錆び付いたはしごがかけてある。はしごを降りた先には、古い地下トンネルが続いていた。



「さて、お前さん。ワシに見せたい物とはなんじゃ?」



少し進んで振り返った『教授』の目は、真贋を見極めんとする考古学者の目だった。



「『教授』、アンタの知恵を借りたい」



たった一言で、弛緩していた空気が張り詰めた。



「クルツバッハ伯爵家の騒動は知ってるよな?」

「うむ、随分と揉めたらしいのう」



クルツバッハ伯爵家は、かつてこの地方に根ざしていた大貴族だ。

だが、近代化に伴う事業の失敗。そこから挽回を図るも更なる失敗を重ね、更には当主の多くが財に胡坐をかいての豪遊で遂には破産寸前まで追い込まれた旧名家だ。

尻に火が着いて腰巾着は離れ、金貸しは誰もが足元を見て家財一式を安く買い叩く。相続権を持つ者らで盛大な争いが勃発し、混沌とした情勢を描き出していた。

とは言え、腐っても伯爵家。

その歴史は長く、目録に載っていない物も多数ある。

そして、そういった物の中にこそ本当に価値ある物や、それを得るための情報が眠っているものなのだ。



「お前さん、クルツバッハの遺産に手を出すつもりか? じゃったら止めとけ。あれは儂も少し調べてみたが、何の手がかりも得られんかった単なる噂じゃ」



話すことはないと『教授』は先を行く。

高い身分の者が非常時のためにとってある隠し財産がある。そんなさして珍しくもない、古今東西どこにでもある噂話ゴシップに過ぎない。

今までに数多くの同業者が挑み、そして何も見つからないまま切り上げた正真正銘のガセネタだ。……いや、だったと言うべきか。



「混乱に紛れてお宝の在り処を示した、およそ五百年前に当たるクルツバッハ伯爵直筆の手記が流れた」



『教授』が足を止めた。



「混乱に付け込んでタダ同然で譲り受けたが、当時の記録と照らし合わせたらビンゴだ。クルツバッハの隠し財産は存在する」

「…………ほんとうか?」



振り返った『教授』と顔を突き合わせる。

半ば呆然とした姿は未だに半信半疑といった所だ。

だが、伊達に長い付き合いじゃない。

冗談でこんな事は言わないという程度には信頼されている。



「この手帳がそれだ」



『教授』に差し出した手帳は長い年月を経て変色している。

晩年、自らの生涯を振り返って書き留めた手記。

訥々と語られるクルツバッハ伯爵の生涯は苦悩と後悔に満ちていた。

当時のクルツバッハ伯爵は稀に見る賢君であり、善政を行った事で知られている。

だけど善人だからこそ、伯爵という身分を以ってしてもままならぬ暗黒時代を嘆き、己の無力さ、世の儚さを祟った。

素早く、慎重にページを捲って行く『教授』。フィオも背伸びし、少しでも内容を読み取ろうとする。その中ほどで、ある描写が姿を現した。



「ここだ。己が財の中でも世に出るべきでない財を秘匿したとある。あの地に根付く不老不死の魔女伝説。恐らく、お宝はそれに関わる物だ」

「ほう……!」

「……不老不死の魔女、ですか?」



感心する『教授』と、胡散臭い物を見るかのような表情のフィオ。

実際、不老不死などという眉唾物を、少なくとも現代で信じる者はいない。

いたとすればそれこそ精神を病んだ者だと、そう判断するだろう。



「ああ、そうさ。信じられないだろうけどこの業界、現代科学じゃ説明出来ないスピリチュアルな事がしばしば起こるのさ」

「…………」



その多くは単なる噂や紛い物、詐欺ペテンの類だが、本物も稀に存在するのだ。

呆れたようなフィオの視線だが、こればかりは仕方がない。

実際、自分の目で見ても信じられないような光景を何度か目にしてきた。

テレパシーを可能にする一対の腕輪、未来を見通す占い道具、世界を滅ぼす悪魔の兵器、超常の力を秘めた聖遺物といった様々な物が、この世には存在している。



「そして、その場所へ辿り着くための手掛かりがこれだ。『娘に鍵を託した。その者は草をむ蛇。陰に隠れる者である』とある」



手記の中で己が為した唯一の功績と誇るそれは、今まで公では誰にも称えられる事のなかった事だ。



「…………なるほどの。随分と興味深い言葉じゃが……、む……」



『教授』は自己に没入する。

ゆっくりと髭を撫でるのは『教授』が深く思考する時の癖だ。

だが、この言葉が示すものは現時点でまだ広い。

暗号にしても選択肢が複数あって、簡単には解読には至らないだろう。現に自分自身、様々な情報を集め、状況に照らし合わせて解読するまでに何日も有した。



「なあ『教授』。娘に、って言い方はおかしいと思わないか? 自分の娘なら、貴族だ。死んだという意味でもない。文字通り、隠れたんだ。実際に家系図を調べたが、記録の通りなら当代のクルツバッハ伯爵に娘はいなかった。妾や隠し子の類もな。つまり、女を表す。だけど当然、それだけじゃまだ足りない」

「うむ……」



「だからその次だ。草を喰む蛇。普通、蛇は肉食だ。含意は広く、神、悪魔、再生、その他様々な象徴として知られるが、草ってのは薬学に通じる」

「…………ヒュギエイアの杯か!」

「ビンゴ!」



ハッと顔を上げた『教授』が叫んだ。蛇が絡みついた杯が『ヒュギエイアの杯』だ。

ギリシャ神話に登場する、医療の神で有名なアスクレピオスの娘が持つ杯。これも複数の含意があるが、昔から現代に至るまで、主に薬学に関する事に使われている。



「つまりあれじゃな? 薬学を知る者はそれなりにおったが、真に識る者は少ない。ましてそれほどの者が、陰に隠れなければならなかった……。魔女狩り、じゃな」



先ほど、答えを導き出した時の興奮など一瞬で冷めた『教授』が重々しく絞り出す。



かつてどこの村にも一人はいた産婆や医者、それに近い仕事をしていた人達。

そんな魔女でない者に魔女のレッテルを張る事で一般人を魔女に変えた人類史に残る悪行だ。

誰かが証言さえすれば論理的な証拠がなくとも『魔女』と認定され、多くが拷問や処刑の憂き目にあった惨劇。



最終的には集団ヒステリーを起こし、暴走に歯止めが利かなくなった結果、何万人もの犠牲者を出したとされている。

その事件の発端はキリスト教だ。異端を排し、財を没収し、医療そのものを独占するため、知恵者である老婆を中心に狙った事は間違いない。

つまり、ここでの解釈の娘が、これに当て嵌まる。



「かつて医療行為を認可された職業は床屋や料理人など様々だ。だが、真っ先に狙われたのは女性であり、経験豊富な薬師だった。そして当時の領主であるクルツバッハ伯爵は魔女狩りに対して懐疑的で、『魔女』を匿った事が後に知られている」

「まさかそれは――」

「そうだ、フィオ。お前さんの村だ」



事実、魔女狩りが終息してしばらく。

隠れ潜んでから数世紀を経て『魔女』とされていた者達を匿っていた村が発見された。



「事の発端は、当時のクルツバッハ伯爵が召し抱えていた者が『魔女』にされた事だ」



召使いにまで外が及べば、他人事でなくなった。



「キリスト教の権力は絶大で、民衆の力も馬鹿には出来ない。庇った所で魔法を使って籠絡されているとされただろう。その場合良くて隠居させられ、最悪の場合共に処刑される可能性さえある。だからこそ裏で手を回し、魔法を使って逃げのびたという事にしたんだ」



調べれば調べるほど出てきた様々な証拠や当時の様子から、その流れは容易に読み取れた。そうしてクルツバッハ伯爵に強い恩を感じた当代の魔女たちもまた、クルツバッハ伯爵が抱えていた問題の一つを担った。

何が起こるか分からない激動の時代に、いざという時の避難場所や資金を確保する事。



そして村や町との交流が少なく、まして元来であれば商売敵に知られないよう秘されていた薬師として代々継いできた知識。

それを村全体で共有し、革新的な薬学にまで発展させ、一冊の本にした。

恐らくだがそれこそが今回の宝であり、『魔女』の血族がフィオだ。

フィオ自身がどこまで知っているかは分からない。本当に、フィオ自身何も知らない可能性もある。だが本人すら知らない何らかの形で、フィオは何かを知っている。



「俺が到着した時には、既に村の人間は殺されていた」



ギュッと、歯を食いしばる音。



「誰だか知らないが、どうしても今回のお宝が欲しいらしいな。そのためなら、二、三十人殺す程度はわけがないらしい。情報を得るため、そして後を追う者が手掛かりを得ることがないようにするためだけに」

「……お前さんがお嬢ちゃんを連れ回しとったのはそういう事か。酷(むご)い事をする」



嘆く『教授』は嘆息しながら天井を見上げる。

この道に関わる者として、そういった行為の場を幾度となく見てきた。

それでもやりきれない思いを無理やり飲み下すかのように、目を瞑ったまま何も言わない。

時代と共に人が減り、遂には数十人となった小さな村を訪れる者などいない。だからこそ、手に掛けるのも簡単だっただろう。

そこに住んでいた者を虐殺し、焼いた悪魔のような所業。

それを知れば、大抵の同業者は身を引く。



「問題は、このままお宝を追えば間違いなく厄介な相手と鉢合わせるだろう事くらいだな」

「……お嬢ちゃん、連れ回さん方が良くない?」

「同感だよ、まったくな」



心底同意するが、現実連れ回さないという選択はとれない。

追跡されているのなら、完全に痕跡を絶つ事は困難だ。

まして、先程襲われたばかりだ。今更、安全な場所を探すのは難しい。



「護衛は頼りになる奴にお願いしてある。そろそろ頼んでおいた情報収集が終わる頃だ。合流も近い」



隠居した老人を連れ回すつもりはない。

それでも、『教授』の力が必要だ。



「もし何か知っている事があれば頼む」

「村は、どこまで調べたのじゃ?」

「敵がうじゃうじゃいたから、碌に調べれなかった」



遠目からだが、相手も発見らしい発見はなさそうだったのが幸いか。

だから『教授』を頼ったのだ。もしかすれば何かこの状況を打開するための知識を持ち合わせているのではないかと期待して。



「……ふむ、残念じゃが、クルツバッハ伯爵や先の件に関して特別思い当たる事はないのう。儂が知っとる事くらいは、既にお前さんも調べておるじゃろうしの」

「そうか……」



師の一人でもある『教授』だからこそ、同じ手法、同じ順序でクルツバッハ伯爵の情報を集めたはずだ。何か参考になりそうな知識でもあるかと期待したが、その『教授』がそう言った以上、既に得ている情報は変わらないと見るべきだろう。

やっぱりそう上手くはいかないかと諦観した時、『教授』は続ける。



「じゃが、お前さんの予想通り、解決の糸口は口伝で伝えられておるはずじゃ。お嬢ちゃん自身、知らぬ間に教え込まれた可能性もある。文化、風習に関して良く当たるべきじゃな」



静かで、だけど鋭い視線がフィオを射抜く。



「そしてその村、或いは近辺に間違いなく何かある。敵が見逃しておる何かがの」

「…………」



フィオはただ、無言を貫いた。

確たる自信と共に断言するのは、『教授』が今まで培ってきた経験則からくる勘だ。

だが、これで安心出来る材料が増えた。

たとえ根拠が勘でも意見が同じなら、間違いはない。



「それとは別に、もう少しこの手記を読み込んでみる事じゃの。分かりやすく眼前に吊るされた餌にだけ飛び付くようでは、まだまだ青いのう」



やれやれとわざとらしく頭(かぶり)を振りながら、『教授』は手記を返してきた。



「何か分かったのか?」

「さての。これは宿題にしておくとしよう。答え合わせは儂ではなく遺跡がしてくれる事じゃろうしの」

「この性悪爺め」

「お前さんが不勉強なだけじゃのに、儂のせいにするでないわい。こういった物の読み解き方なら教えておるはずじゃがの?」

「うぐっ……」



『教授』はにやにやと意地悪く笑っているだけだ。



「ほっほっほ、後見人としてお前さんの成長を願っておるだけじゃのに、親の心子知らずこの事じゃわい。お嬢ちゃんを相手に、少しは儂の苦労を知る事じゃな」



何日も掛けてじっくり読み込んだ手記を、十分足らず読み終えた『教授』の方が深く読み込んだ事に対しての嫉妬が零れる。

だが、思わず出た悪態すら青いと言われてしまえばどうしようもない。

ただ、答えをはぐらかすくらいだから解けると思われているのだろう。だから尚の事頼れなくなる。



「へいへい、そりゃ悪かったな」

「さて、そろそろほとぼりも冷めたかの?」

「どうだか。車にたかってそうで怖いんだよなあ……」



まだ空き家の近辺をうろついている可能性もあるから、念のため様子見くらいはしてみるが。

そんな会話を続けながらしばらく歩く。



「……お、ようやく出口か」



懐中電灯で照らした先に、はしごが見えた。



「さて、それでは様子見を頼むぞ?」

「ああ、分かってる。ご老体に無茶はさせられねえからな」



錆びた梯子を上り、ゆっくりと頭上を塞ぐ板をどける。

顔だけを覗かせた先は倉庫のようだ。農具や工具といった、色んな物が置いてある狭い空間だった。

人の気配はない。

それでもゆっくりと出て、その先の扉を開けて安全を確認する。



「大丈夫そうだ。来ていいぞ」

「うむ」

「分かりました」



フィオが梯子に手を掛けた時だった。



「お嬢ちゃん、心配はいらんよ」

「……何がですか?」



新しくパイプの葉をやり変え、くゆらす『教授』が、フィオを呼び止める。



「未熟で、一見すれば頼りないかもしれんがやる時はやる男じゃ。この年齢まで生きている事こそ、その証明になっておるでな」



暖かい目で、優しくフィオを見つめる。



「かわいい一人救えんような、情けない男ではないからの」

「…………」



フィオは初めて、『教授』に対して表情を変える。



「たしかに、少し……いえ、随分と頼りありませんし、色々と思うところはありますね。ですが――」



ふっと、一息吐いて淡く微笑わらった。



「紳士、らしいですからね?」



おかしくて堪えきれなかったと、そう言わんばかりに。




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