第6話
フィオーネが非常階段に向かったのは、遠ざかる音で分かった。
非常階段に出た先で周囲を見渡すと、路地裏へ入り込むフィオーネが見えたので走って後を追う。
裸足で駆けるフィオーネの気配は希薄だ。
路地裏に入ればそれだけで危険が多い。
まして今は夜。
必然、闇が最も活発に蠢く時間帯だ。
息遣いと気配、そして勘を頼りに、フィオーネの後を追う。
そのフィオーネが逃げたと思われる方向で、不意に気配がざわめいた。
駆けつけた先には、チンピラのような男が四人いる。
フィオーネを取り囲み、内一人が手首を掴んでいた。
「フィオーネ!」
狭い路地裏で屯していた者を横切ろうというのだ。
ましてそれがか弱い少女一人とくれば、興味を引くには十分すぎる。
「あ、なんだお前?」
「コイツの保護者か?」
「ああ、そうだ」
「違います!」
肯定した言葉をかき消すように、フィオーネが叫ぶ。
「私は彼らと行きます。もう、貴方とは赤の他人です!」
これ以上関わるなと。
「だ、そーだ」
「お嬢ちゃんはこれから俺達とお楽しみなんだよ」
「ちょっとばかし小さいけど、まあ壊れない様俺ら四人で丁重におもてなしするからさ」
「お嬢ちゃんがそう言ってるんだし? 今なら見逃してやるからさっさと帰れよ」
口々に好き勝手言うチンピラには目もくれず、ただ真っ直ぐにフィオーネを見据える。
「悪いようにはしないって言っただろ? そんな奴らと行けば良くない事になるのは目に見えている。生憎と俺は、レディとの約束を破る気はないんでね」
「一方的な約束です。私は了承した覚えもありません」
頑なに、フィオーネは拒絶する。
助けなどいらない、自分は独りで何の問題もないと言わんばかりに。
「おいおい、そりゃないぜ。一度手を取ったんだ。男ってのはそれだけで勘違いしちまうもんだし、可愛い女の子の前なら多少の危険もなんのそのってな」
だけど、そうは問屋が卸さない。
生憎と頑固さには自信があるんだ。
「なに勝手な事を言ってるんですか!」
「お前さんだって充分我が儘言ってきただろ? それに、俺はもうお前さんを攫ったんだ。少しくらい言う事聞いてくれないとお兄さん困るんだがな」
「それこそ私の自由です!」
「だったらその度に攫って、無駄だって事をきっちり教えてやるまでだ」
「なっ……」
言葉を失うフィオーネは、ただただ唖然とするだけ。
「女の我が儘を聞くのは男の度量だが、聞けねえ我が儘もある」
思えば今までフィオーネの言う事ばかり聞いてきた。
「そういうわけだガキ共。そこのレディは俺がエスコートするって決まっててな。とっくの昔に予約済みだ。その手を放してもらうぞ」
数の差があろうと殴り合いも辞さないという覚悟を滲ませ、ゆっくりと距離を詰める。
見た所相手はどこの町にもいるようなチンピラだ。
たいした相手じゃない。
「おいオッサン。邪魔すんなら容赦しねえぞ」
「今なら見逃してやるからさっさと帰れよ、オッサン」
「オッサン、オッサンかあ……」
予想だにしていなかった先制の一撃。
地味に傷つく一言だった。
ほら見た事かと、こんな状況なのに得意げなフィオーネの視線が余計に辛い。
フィオーネはチンピラに対して不自然なまでに落ち着き払っている。
結果がどうなっても構わないと諦めているかのように感じるのは、最初に出会ったときと何一つ変わりなかった。
希望を求めようとする自分を殺すための理由こそが、このチンピラ達なのだ。
「フィオーネ、お前さんは間違っちゃいねえ」
だけど違う、そうじゃない。
明確な言葉にはできないままフィオーネに告げる。
「自棄になるのだって、無理もない」
どうしようもないほど苦しんでいる事くらいは、分かるつもりだ。
自分を傷つける事で楽になりたいと思っているのだろう。
そして、その果てに死んでも構わないと。
「口は得意な方なんだが、さすがに今は言葉が出ねえ」
どれほど慰めても、知った顔で何を言われたところで納得出来るはずもない。
「だからまあ見とけ」
この程度の問題全部サクッと解決してやる。
そして生きていて良かったと、大往生する際に心から思わせてやるから。
「お前ら、いい歳してレディの扱いがなっちゃねえなぁ」
両者の距離は、ついに五歩の所まで縮まった。
「俺達のような野郎と違って、壊れ物のように繊細なんだ。そんな風に手を取るなんてのは話にもなんねえ。レディってのは、もっと優しく扱うもんだぜ?」
「余裕こいてんじゃねえぞテメエッ!」
四人の注意が逸れた。
そうして次の行動に移そうとしたその時。
此方に気を取られ、拘束が緩んだ隙をフィオーネが突いた。
掴まれていた腕を捻って抜けだし、不意打ちで振り返りざま自身を拘束していた男の股間に全力で膝を叩きこむ。
「あぎゅっ!?」
男が上げる声とは思えない、妙に甲高い声。
その男は内股になってずるずると崩れ落ちる。
そして、そんな男を見下すフィオーネ。
「どうやら男性は女性以上に繊細なようですね」
「お、おう……」
ゴミを見る目だった。
人間、欠片も想像できなかった事態が起こると頭が真っ白になって、何も考えられなくなる。
そんな周囲の男達に、真の支配者は誰なのかという事を教え込むように、フィオーネは堂々と立っていた。
フィオーネを拘束していた男に心底同情してしまうのと同時に、下手を打った末路があれかと思うと恐怖が襲う。……味方のはずなのに。
接し方を改めて考えさせられた瞬間だった。
「別に、私は独りでも構いません」
今すぐにでも、フィオーネはこのまま走り去るだろう。
誰にも頼らないという宣言を、だけど受け入れるつもりはない。
平行線になるならまた攫うだけだ。
「ハッ、本当に……こいつぁとんだじゃじゃ馬だな」
まったく、これまでも苦労させられてきたんだけどな。
きっと、これからも苦労させられることになりそうだ。
今からカッコつけようって時に、囚われのお姫様は柄じゃないと機会すら奪おうとする。
不甲斐ない姿を見せれば、こんなところで手こずれば、きっとすぐに離れるのだろう。
「まあ、そのくらいの元気があった方がないより何倍もいいわな!」
誰もが予想外の事態に動揺し、理解が追いついていない空白の数秒間。
その中で誰よりも早く立ち直り、未だ呆然としている男達との距離を一気に詰めて格闘戦に持ち込む。
「隙だらけだッ!」
さすがのフィオーネも不意打ちならともかく、正面からチンピラを相手にするのは無理だ。時間を与えれば逆上されるだろう。
急な接近に慌てて何も出来ない、最も近くにいた無防備な男の顎にフックをかます。
不意打ちに、男が崩れ落ちた。
続けてすぐ傍にいた男の鳩尾に、抉り込むように拳をめり込ませる。
「うわあああああああぁぁっっ――!!」
ここへ来てようやく動き始めた最後の男は事態の急な変化に加え、仲間があっという間に減っていった事であからさまに動揺していた。
叫び声を上げ、単調な攻撃を繰り出そうとしている。
そんなわかりきった攻撃には、先程鳩尾を殴ってふらついていた男を引っ張り、盾にすることで対処した。
「ガァッ――!?」
「残念、外れだ!」
「あっ、ちが……」
そして、仲間を殴った事で動揺は決定的なものとなった。
半ば立ちすくむようにして何も出来なくなった隙に顔面ストレートをぶち込んで終わらせる。
「…………」
拍子抜けするほどあまりにも呆気なく終わった一連の出来事。
逃げ出すタイミングを見逃したフィオーネは言葉を失い、ただただ呆然とその光景を眺めるだけだ。
互いが互いの見込みを裏切る展開。
フィオーネの理性的で、ともすれば冷たいともとれる顔は、驚きによってどこか愛嬌のある面白い顔に変わっていた。
「まったく、少々お転婆が過ぎる。あの後俺が真っ先に動かなければ危ない目にあってただろうに……」
「べ、別に問題ありませんでした!」
あとずさりかけた足を止め、強がるフィオーネとの距離をゆっくり詰める。
「それに、裸足でこんな所まで来たから足の裏が切れてるだろう。それで、無事かな、レディ?」
「…………きゃっ!?」
呆気ない結末に加え、急なお姫様だっこ。
フィオーネの口から可愛らしい悲鳴があがった。
「ぶ、無事に決まってます! それよりも急になんですか! 少しは人の話を聞いてください!」
「言ったろ。俺は紳士だが、別れ話に聞く耳は持たないんだよ。だからもう少しだけ、お兄さんに付き合ってもらうぞ」
「変態! やっぱり東洋人は変態です!」
フィオーネは少しして慌てたようにまくし立てる。
そこに、先程男を見下ろしていたような冷たさなど欠片も感じられない。
フィオーネの白い頬は、夜でも分かる程の赤みが差していた。
「……それに、そんなに強引だなんて知りませんでした」
最後に視線を逸らしてぼそっと付け加える。
思わずこの少女が見せた歳相応の感情をもっと弄ってやりたい気持ちが湧いてきたが、必死でそれを押し殺す。こういうのは焦った所で良い事はないし、一歩進んで二歩下がっては目も当てられない。
「それで……」
「…………どうした?」
何か言いかけたフィオーネは視線をあっちこっちさせながらどこか落ちつかない。
痛みが我慢できない程の怪我でもしたのかと不安になってくる。
「……なまえ」
「……名前?」
「そう、名前です! 貴方は私を知っているからいいんでしょうけど、私は貴方を知りません。知らないままでは据わりが悪いですし、そういった所で気が利かないから貴方はB級なんです!」
「…………」
ぽつりと言って顔を伏せた後、オウム返しに尋ねたのが悪かったか。
フィオーネはバッと勢いよく顔を上げてまくし立てる。
「……へっへっへ」
「…………な、なんですか」
そんな姿がおかしくて、せっかく押し殺した物がすぐ顔を出す。
強気な態度で真っ直ぐに目を合わせようとするが、僅かに視線を逸らすフィオーネ。
やはりそこはまだ子供で、そわそわと落ち着きのない辺りが実に分かりやすい。
まったく、一度は堪えようとしたのだからこれは全部フィオーネのせいだ。
「なに、どうしたのお嬢さん。俺の名前が気になるの? へー、そう、そうなんだ」
「なっ!? ば、バカですか、そんな事ないです! そういうのを自意識過剰って言うんですよ! その程度の事で勘違いするだなんて、馬鹿だ馬鹿だと思っていましたがやっぱり馬鹿ですね、馬鹿!! もういいです! 今後人前でも誘拐犯と呼びますから、そのつもりでいてください!」
「分かった分かった、俺が悪かった。落としたら危ないんだから暴れるな」
一度冷静さを失えば立て直す術を知らないのだろう。感情を隠すかのようにまくし立て、ジタバタと手足を動かす。
今まで全てに無関心だった少女が、名前を聞いてきた。
その意味を理解出来れば、ついそんな行動にも出ようというものだ。
「ほら、俺はレディの扱いも知らないB級男だからさ。だから嬉しくなってついからかったんだ。それに人前で誘拐犯なんて呼ばれるのは困るから許してくれよ」
「知りません」
フィオーネはプイっと横を向く。
やはりからかい過ぎたのは良くないようで、フィオーネは機嫌を損ねたと全身で表現する。
さすがにこれ以上はお互いのためにも良くなさそうなので、名残惜しい気持ちに蓋をした。
「
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