第3球 初マウンド
「最高かよ!」
グラウンドが近づく。
「【
ペトラが空を切り印を結ぶと、グラウンドが爆発した。
「くっ」
砂埃が盛大に舞い、俺は目を細める。
落下が止まる。一瞬浮き上がる感覚の後、ようやく地に足が付いた。
土の上。
そして白く長方形のプレート。
まだ砂埃で周囲は見えないが、円形の場所は間違いなくピッチャーマウンドだった。
「で、いきなりピッチャー?」
「さっきまで投げてたピッチャー、なんか逃げちゃったから」
「ピッチャー逃げるんだ・・・・・・」
俺の腕から降りたペトラ。「ほんと困った[[rb:娘 > こ]]です」と言いながら、ぱんと手を叩くと何も無い空間から黒いピッチャー用グラブと白球がが出現した。
次いで、ペトラは自分の髪を掻き上げると、毛先から光の粒子が舞い散りった。
それらは一瞬でペトラを包み込むと、俺と同じユニフォームの上に黒いキャッチャー防具を付けた姿となった。
「はいどうぞ。短い試合になるけどバッテリー、よろしくね」
ボールとピッチャーミットを投げてよこすペトラ。
ふと違和感を覚える。
「あれ、お前・・・・・・。背、高くなった?」
「え? 別に高くなってないけど?」
不思議そうに首を傾げるペトラ。
と、
おおおおおおおおおおおお!
地響きのような歓声が起こった。
「なんだぁ!?」
「ふふ。ピッチャーがいきなり逃げ出したと思ったら、リリーフが空から降って来て驚かない観客はいないわよ?」
ペトラは悪戯をした子供のように笑った。
既に土埃は晴れていた。
周囲を見回す。
見知ったダイヤモンド。芝生。電光掲示板――のような空中に浮かぶ巨大な立体映像。
様々な観客たち。
そしてペトラが歩く先でバットを構える打者。
野球場だ。
間違いなく野球場だ。
甲子園ほど暑くはなく、空気は乾燥している。
観客たちやバッター、守備に付いていると思わしき――多分――チームメイト。
一部観客に尻尾があったり肌の色が緑だったり青だったりした人がいるが、おおむね野球場だった。
「異世界初マウンドでピッチャービビってない?」
ペトラが挑発するように笑う。
「昔親父がさ、バッターボックスに立ってんなら神様からだって三振取れるんだって言ってたんだよな。今思い出した」
俺はキャッチャーミットに拳を叩きつける。
「つまりビビってない」
「さすが彼のお方・・・・・・。大切な言葉、聖典に刻まないと」
ペトラは心底嬉しそうな顔をしてホームベースに向かう。
その表情はまるで宗教家のようだ。あ、神子とかいうくらいだから宗教か。
スキップをするペトラの後ろ姿を見た。
ペトラはホームベースの後ろに立つ審判に何かを話した後、俺に向かって笑顔を見せる。
ペトラと話していた審判が何かを合図した。
すると、球場全体に四枚の大きな枠が投影される。
そこにはペトラと、ピッチャーマウンドに立つ俺――と思いきや、美少女が映っていた。
さらさらとした亜麻色の髪はショートボブ。鼻筋が通った透明感のある顔。
そして白とオレンジ色のユニフォーム、その下半身は膝上のスカートから黒いスパッツが覗いている。
少なくとも俺ではない。
「誰だよ!」
その映像の美少女は『誰だよ!』と叫んでいた。
「お、おれ?」
『お、おれ?』と亜麻色の髪を揺らし、美少女は困惑していた。
おいちょっと待ってくれ。
鍛えていたはずの胸を触る。
ふかぁ。
野球部イチかっちかちになっていた自慢の尻を触る。
ふにぃ。
「おいマジかよ・・・・・・」
変な格好が球場全体に映し出され、笑い声が響く。
「おい俺、女になっちゃったんだけど!」
「詳しい説明は後ー!」
ペトラはキャッチャーミットをぼすぼす叩きながら俺に手を振る。
「早く投げて下さい」
二塁から鋭い声が聞こえる。
その声に身体を向けると、帽子から輝くような長い銀髪を流した女性が俺を見ていた。
「あとワンナウトで終わりですから」
球場のざわめきをものともしない凜とした声だった。
「ここで打たれたりしたら容赦しませんからね」
視線も声も氷のように冷たい。
「そうそう! 早く終わらせてさー。昼寝にしようよー」
一塁では俺と同い年か少し年下の少女があくびをしていた。
「誰だか分かんないけど、投げ方分かる? とりあえず姫のとこまで球が届けばいいからさ」
緊張感が全く無い一塁二塁だ。
簡単に敵味方の位置を確認する。
ランナーは二塁のみ。
ツーアウト、ツーストライク。
得点は――
1 2 3 4 5 6 7 8 9
市民 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
AN 1 3 3 0 0 0 9 0 16
ペトラの祝福の効果だろうか。立体映像を思わせる巨大な電光掲示板に書かれた見たこともない文字も当たり前のように読めている。
【市民】チームが相手で俺たちは【AN】か。一方的すぎるひどい試合だったようだ。
それでも観客たちは大盛り上がりだ。つまりこの球場は【AN】のホームということだな。
三塁から視線を感じる。
健康的な日焼けをした少女が眉間に皺を寄せ、腰に手を当てたまま俺をじっと見ていたが、目が合うと、ぷいと視線を逸らされた。
ショートとレフトを見て、目を見開いてしまう。
小学生のような小さい女の子がにこにことしながら立っている。
センターは顔立ちがはっきりした派手な顔の少女が守っている。
ライト、一塁の女性と同じ年頃か。背が高く、落ち着いていそうな女性が一塁を見ていた。
「全員女・・・・・・」
女子野球部か何かかよ。
「やりづれぇ」
男ばっかりのむさ苦しい大門高校がもう懐かしいよ。
ため息を吐く。
かくいう俺も何故か女の姿になっているのでここはそういうチームなのだろう。
ところで戻るんだよな、この体。
少し体の重心も変わったようだ。全身をぐるぐると回してみる。
果たしてこの状況でスピードが乗ったボールを投げられるのだろうか。
自身に不安を覚えた時だった。
「おいおいリリーフの騎士様ー! 早く投げろよー!」
「どうしたよ。ビビってんのかぁ!」
「投げねぇなら別のリリーフ呼んできなぁ!」
ぎゃはははと観客席から野太いヤジと耳障りな笑い声が聞こえてくる。
日本だろうが異世界だろうが、あぁいう
――まぁ、野球だしな。
不思議なことに、それだけで気持ちが落ち着いていく。
異世界だけど、女になっちゃってるけど、野球は野球だ。
投げて打つ。攻めて守る。
これだけだ。
先ほどのヤジが波紋のように球場中へ広がっていく。
楽しげだった雰囲気が、ざわざわと色を変えていく。
どうした。どうして投げない。さっきの騎士様はどこに行ったんだ。そういえば月のような髪色の騎士様なんて見たことないぞ。
この雰囲気を俺はよく知っている。
俺が所属していた無名の都立高校が強豪の私立高校と戦う時だ。
いつだってこんな感じだった。
だから俺は知っている。
そんな観客たちを黙らすのは、叫ぶことでも喧嘩を売ることでも無い。
ただ一球を放るだけだ。
まっすぐ。誰もが目を見張る俺のストレートで何度も空気を変えてきた。
投手板に足を置く。
この瞬間、俺はピッチャーになるのだ。
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