第11話 予感

「ここからどのくらいですか?」

 そんなことを言う小野川は俺の後ろで上機嫌に鼻歌を歌いながらついて来ている。

 家に案内すると言った記憶は全く無いのだが、たぶん脳内で記憶が改ざんされているんだと思う。そういうことにしておこう。


 今日はちょっと暑い、それもそうだ。カレンダーを見間違えていなければ初夏だ。

 乾いた喉に気の抜けた糖分だけのドリンクを流しなが……何をじろじろ見ている。

「加藤さんていつも炭酸かお酒ですよね。炭酸はまあいいとしてもお酒ばかりは体に悪いですよ? それにちゃんとバランスよく食べてますか? 夜は温かくして寝てますか? 顎はまだ痛みますか?」

 急にお袋みたいになってきたな、ほっとけ。


「そうだ。不摂生なようですし、家についたら私が何か作ってあげましょうか。けっこう料理は上手なほうなんですよ」

 不摂生とは失礼な。これしか体が受け付けないだけだ。顎がちゃんとしていればもっと良いものを食べていたはずなんだから……良いもの? どっちかと言えば悪いものか。


 ゾンビの食事と言えば、まあ、アレなわけだが。人を見れば食欲が沸き上がっていた以前と違って食べたいとか齧りつきたいなんて感情はほぼ無くなった。人としては正解だがゾンビとしては不正解。食欲はあるが食べたくない。そんなところだ。

 顔見知りを食べるのはいくらなんでもちょっとな。気持ちが悪い。後味も悪い。と思えるくらいにはなってきている。

 確かニュースでは未知のウイルスとか言っていたっけ。それが正しければゾンビは病人ってことでいいのかもしれん。俺は軽症で妹は重症ということになる。なんだか一層深刻な気がして来たぞ。


「荷物持ちましょうか? ヨロヨロしてちゃんと食べてました? あとこれ、さっき拾いました」

 いつの間にホワイトボードを拾ったのか。用意が良いと言うか気が利くと言うか。

 確かに小野川は気の利く奴だ。学校に拉致されたときも率先して手助けをしてくれたわけだし。根は良い奴なのだ。

 少々頭のネジが緩んでて、締め直そうにもネジ山は既にナメて(ネジの凹凸が削れている事)いてどうしようもない点に目を瞑れば。


 彼女は一人で生きていける力を十分に備えている。なにせ本物のゾンビである俺に気持ち悪いと思わせるくらいの感動的な演技力をお持ちなんだ。行こうと思えばゾンビの群れにだって入っていける。

 それだけじゃない。学校での暮らしで知ったが彼女は火おこしも水の確保も、怪我についてのある程度の治療の知識もある。世紀末世界でも生きぬく強さを持っているんだ。


 何故、小野川が俺のとこに来たのかと言えば寂しいから。ただそれだけだろう。

 どんなにサバイバル術に優れていようがゾン真似が上手かろうが孤独の中でも生きられるかはまた別の素質ってことなんだろう。思うに寂しくて死ぬのは兎より人間の方だ。


「この辺にスポーツ用品店ってありますか?」

 無いけど……。

「残念、手持ちのボールが無くなっちゃって。……妹ちゃんにぶッ……挨拶してもいいですか?」

 今何か言いかけなかった? 『ボール、ぶつける、ゾンビ、妹』ってな感じで話してない?  さては俺のとこに来たの寂しいからじゃねぇなお前。

「一緒の部屋はさすがに無理でもお隣さんですから。挨拶くらいしておかないと失礼だと思うのです。なにより引っ越しは初めの挨拶が肝心ですよね。しっかりした大人なら当然ですよね」

 サイコな人って普段は常識人だからよけいに怖い。コイツの言うしっかりした大人ほど信用ならんものはないと思うのだが。


 いいか、しっかりした大人は的当てとキャッチボール混同しない、追放されるようなこともしない。それが分かるまで妹には会わせない。ぶつけさせない。

「えーぶつけるなんて言ってないじゃないですか!」

 言いかけてただろうが!

 それに大人は子どもみたいに駄々をこねない! 跳ねない! どうせ顔みたらボールぶつけたいって言うに決まっているんだ。そうはいくか。



 そうこうしているうちにアパートまでついてしまった。

「ぼろぼろ。加藤さんのアパートめっちゃ古い」

 第一声それかよ。

「あ……ごめんなさい。つい」

 もう遅い。可愛い顔してれば何を言っても良いと思うなよ。何気ない一言でも俺にとってはヘッドショットを喰らったような気分だ。


 これでも愛着がある俺の城だ。古くなって傾いてちゃんと閉まらない窓。その隙間およそ二㎝、俺の顎より開く。表面の劣化が進み、下の方は木目に沿って割け始めて短冊みたいになりつつありドア。階段のペンキはパリパリに剥がれ、誰かが歩くたびにパラパラと錆の粉が落ちてくるしで確かに古い、汚い、安いのボロアパートだ。

 そうだな、言い方を変えよう。ビンテージもののアパートってやつだ。


 それよりもだ。心の広いゾンビが住む場所を提供してやると言うのにその言いようは。こちとら大家代理として追い出してもいいんだぞ? 俺がまともなゾンビなら今すぐ襲い掛かっているところなんだぞ? 感謝するのが筋ってもんだ。


 それになんだこれは、ゾンビと共生するみたいな展開は映画でもあったがゾンビが生存者に住む場所を提供する? 俺の知る限りないぞそんなもの。まったく奇妙なことに……。

「加藤さん。お話があります」

 真面目な表情をしているのが不安。こんどは何?

「ゾンビ舐めてます?」

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