第8話 新しい悩み

 我ながら見事でバカバカしい脱出であったと思う。

 ゾンビとしてのプライドも尊厳も失ったようなもんだが妹の安全と比べれば些細なこと。たとえ悶絶しそうな記憶でも思い出さなければ無いのと同じ! 結果良ければ全てよしだ!


 直近の目標であった脱出と救出が同時に達成できのが一番大きい。そういった意味では彩香に助けられたと言えるな。

 田中さんのことは残念だったが必要な犠牲(?)だったのだ。そもそも田中さんが鏡につられるのが悪い。


 久々の自由だ。来る日も来る日も小野川の的当てに付き合う必要のない自由! ゾンバレして袋叩きにあう心配をする必要も無い。まさにストレスフリー!

 これでゾンビに対する拷問的で健康的な食事に涙を流す必要がないのはなんとも清々しい。

 食事というのは文化的であり、心の豊かさに繋がる大事なものだ。俺は考えるのだ。料理とは人史上、最も優れた発明なんじゃないかと! それを毎日、毎日、顎が開かないばっかりに! いかんな。前向きに行こう。過ぎたことにあれこれ思ってもしょうがない。


 が、解放されたと言っても悩みが無くなったわけでは無い。人生に悩みは付き物、ある意味悩むことこそ生きるというこのとなのかもしれん。

 話が逸れた。悩みは彩香のことだ。


 焦点の定まらない虚ろな瞳に乾いてしかたなさそうな半開きの口。腕はプラプラだらりで手を繋いで一緒に歩いてはいるが手を離せばすぐに棒立ちになってしまう。他のゾンビに見られるような感染前の習慣らしき行動も見られない。これじゃ人形だ。かわいい妹は人形になっちまった。

 そんな妹に今更してやれる事なんて無いのかもしれない。それでも何かしてやりたいのが家族というもので兄である俺の悩みだ。


 食べ物を探すか? うーん却下。自分もゾンビであるが妹が例の肉に齧りつくのは見たくないぞ。まったく理性ってのはやっかいな代物だ。俺のネジがあと五、六本くらい外れていたらこんなことで悩まなくて済むのだが。

 オススメの本を渡したところで読めないし、一緒に新たな書店ダンジョンを開拓するのも悪くないが楽しいのは俺だけだ。

 彩香のために良い住処になる場所を新たに探すのもいいかもしれない。

 読書の拠点にしていたカフェに戻ろうかと考えたがあの辺りは生存者と出くわしたとこだからなるべく避けたい。俺は顔見知りだから大丈夫だろうが彩香の顔まで覚えているとはかぎらない。バットのフルスイングで妹の頭がトマトみたいに弾けるなんてことになりかねない。うう、考えただけで恐ろしいな。


 俺が暮らしていたアパートは?

 うーん、どうだろう。部屋は散らかっているが片づければいいだけのこと。問題は隣人の騒音まき散らす下手くそバンドマンだ。元から何度注意しても五月蠅かったがゾンビになって更に五月蠅くなり、逃げ出すようにこっちに来たんだ。休眠していなければ今もきっとバカスカとドラムやギターをかき鳴らしているに違いない。

 無人の家を探すか、そこら中にあるだろうが。……一から探すの面倒くさいな。俺の部屋でいいか。仮拠点ということにして一先ず帰ろう。


 都心から少し離れたボロアパート。それが俺の住処だ。電車でそれほど遠くなく、家賃が安いのが理由で選んだ場所だ。

 無期限運休の線路を歩いて帰るわけだがこれがなかなか面白い。どうして今まで歩かなかったのだろう。歩くだけなのにそこが普段入らない場所だとどうしてこうも胸が高鳴ってワクワクするのかね! ゾンビの妹を連れて線路をただ歩く! 映画のワンシーンみたいだ。

 終末世界というのは案外楽しいものなのかもしれない。今になって気づいたが俺は楽しんでいる。書店ダンジョンに潜っていたときもそうだ。崩壊した日常をどこか俯瞰して見てい

 て……でも彩香は何も感じていない。この気持ちを共有できたら。何を言っているのかとバカにするでもいい。まさか二人でいることが寂しく感じるとは思わなかった。


 一時のワクワク感と寂しさに浸っているといつもの駅についていた。電車と違って線路からの視点なので危うく乗り過ごすとこだった。徒歩なのに。

 ホームには運休を知らない通勤通学ゾンビが溢れ、行儀よく並んで揃って動かず、仲良く休眠中のようだ。仮に今電車が来たら一斉に目覚めて決壊したダムみたいになだれ込んで我先に空席に飛び込むさまが見れそうだ。


 ここで気になったのが電車が来て目的地についたとしたら? ゾンビ達は電車を降りて職場や学校に向かうのか?

 ゾンビ達は感染前の習慣を繰り返すと言うより、繰り返さざるを得ない状況なのではないか? 繰り返しているように見えるだけで単に次の行動に移る為の条件がそろっていないだけなんじゃないか? 条件をクリアできれば案外ゾンビでも社会は回るのかも?


 ……と考えていたら家の近くまで来ているではないか。ゾンビになってからというもの一人の世界で考え込む癖がついてしまったみたいだ。

 聞こえる、聞こえるぞ。五十メートル手前からでもバンドマンの喧しい音が響いて来るぞ。

 俺には楽器のことはよく判らんが音が出ないように練習する方法があるだろうに。それをしないのはつまりそういう事だ! まったくなんてゾンビだ!

 さて、彩香をあの部屋に住まわせるとしてどうしたもんか……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る