第7話 何かが間違っている!

 妹を助けなければ。放っておけば小野川の手でボコボコにされてしまう。

 しかしどうやって? ゾンビ達の中に入ってしまえば合流は簡単だ。そのまま妹だけを連れて行ければ良い。


 でも生存者と扱われている以上は危険だと言ってあの中に入れてはくれないだろう。どうやって説得すればいいのだ? 

 今こうしている間も小野川は物欲しそうな目で妹を見ているのに。

「妹さん、おでこの辺りが良いですねぇ……」

 手元でボールをコロコロと遊ばせていなければ普通の感想なのだが。大丈夫かなこの人、日本がこうなる前もやばい人だったのでは?

 まさかゾンビ視点で人間が怖いと思うなんて。思えば最初に遭遇した時から怖い思いをしていたんだったな。

 今のところ俺の妹であるから自制しているようだが、その我慢もいつまで続くか分からん。考えろ。考えるのだ。



「え? どうしました加藤さん。なになに……『ゾンビになったとはいえ妹。こうなったのも一人暮らしで傍にいなかった自分の責任。だからせめてゾンビであっても一緒にいてやりたい。だからここを出て二人でどこかに行きたい』……二人で外でって、外はゾンビだらけなんですよ?」

 あれこれ作戦を考えてもしょうがない。ここは素直な気持ち八割に嘘を二割混ぜ込んで説得してみよう。何とかなるだろう。

 ここに来て何故だか分からないが俺の心には楽観的な気持ちが生まれている。それも後押ししてかホワイトボードに書き込む力もいつもより力に溢れている。こんな楽な気持ちは久々かもしれない。


「そりゃ、私達と合流する前は一人だったから自信はあるかもですよ? それでもゾンビの妹と一緒に生活するなんて無茶です。いつか絶対に食べられちゃいますよ」

 生存者と勘違いしているとはいえ、ゾンビが心配されると言うのはなんだか変な気分だな。

「私は反対です。妹さんの事は……えぇ! ゾンビの真似をして生活する!? あははは! いくらフィクションみたいな世界になったからってそんな……その目は本気……ですね」


 俺がゾンビでも言葉が通じるのなら気持ちも通じるはずだ。いくらこの女がサイコパスでも。……うーん。どうだろうサイコパスって言葉は通じるのか?

「何を言っても諦めてくれそうにはないですね……。分かりました」

 通じたか、そうなれば後は簡単。柵の向こうに行けばこっちもんだ。


「但し、条件があります。ゾンビの真似が上手ければ行っても良いです。真似が上手ければゾンビだと誤認されて襲われないでしょう。実際それでやり過ごしたことがあります」

 なんだ、そんなことか。こちとら本物のゾンビだぞ。

 久々だがちょっと気怠く歩いて「うー」の呻き声で一発合格よ。これでどうだ。


「ダメです。全くダメです。ゾンビ、舐めてます?」

 まさかのダメだし。 

「そんなのじゃすぐに食べられて骨も残りません! それに私の投球心だって少しもくすぐられません!」

 こいつゾンビ化したら他のゾンビでボール当てする害悪ゾンビになってたな。間違いない。


「いいですか! ゾンビはアホで鈍間で汚れてて、虚ろでフラフラ。裸になってても羞恥心なんて欠けらも無い。そのくせ食欲だけは一人前。そんな奴らなんです」

 確かにゾンビなんてものは大体どの映画でもそんな描かれ方だ。でも面と向かって言われると腹立つな。

「この私が! 本当のゾンビの物まねを見せてあげます!!」

 正気か? なんとバカなことを。正真正銘の本物である俺からすればどんなに頑張っても偽物でしかない。

 

 そう思っていた。しょせんは小娘の戯言だと。小野川さんの本気を見るまでは。

 真似を始めた時、そこに『生存者小野川さん』はいなかった。いるのは紛れも無い『ゾンビ小野川さん』だった。


 彼女の喉から繰り出される迫真の呻き声には紛れも無い飢えがある! チグハグで焦点の合わない目の動き、引き摺る足と力なく垂れる腕。それでも肉を求めて手を延ばそうとする執念。小野川さんはこの場の誰よりもゾンビだ! その圧倒的ゾンビ演技力は俺の嗅覚にありもしない腐臭を錯覚させるほどであり、正直なところ気持ち悪かった。


 完敗だった。俺はゾンビでありながらゾンビではなかった……!

 その日から本物ゾンビになる為の特訓が始まった。

 声の出し方、歩き方。ゾンビの動き方をこれでもかと叩きこまれ。途中「俺は何をしているのか」と何度も正気に戻りかけた。周囲の目も痛い。何か可笑しい気もする。それでも続けられたのは全ては妹のためという思い。己を律しゾンビに徹した。俺は本物のゾンビになるのだ。ならねばならないのだ。



 四日間に及ぶ特訓を乗り切り、力を見せる時が来た。

「さあ、特訓の成果を見せてください」

 もう昔の俺はいない。俺は今日、本物のゾンビとなる。見せてやる渾身の……痛! え、何!?

「あ! ごめんなさい。あまりにも完璧だったので。つい……投げちゃいました」

 始めた瞬間にノータイムでボールが飛んで来たぞ。反応が良すぎない? 何なのコイツ。

「もう何も、教える事はありません。ゾンビの群れに入っても大丈夫です」


 俺は共に過ごした生存者たちに見守られながら一人、柵を越えた。もう安全な世界では無い。戻ることはできない。

 ゾンビの真似をしながら群れを掻き分け、一歩一歩。ゆっくりだが確実に。

 ついに俺の手は彩香の手を掴んだ。

 

 何も反応は帰ってこない。当然だ、ゾンビなのだから。

 握り返すことも、視線を合わせることも無い。手を離せばすぐにだらりと垂れてしまう。意味の無いうめき声を繰り返すばかりで、手を繋いでいるのにすぐ傍にいるのに、その距離は家族というにはあまりにも遠く、今にも霞のように消えてしまいそうだ。それでももう離しはしない、最後の家族だ。離すものか。


「さよなら、加藤さん」

 返事はできない。すれば他のゾンビに襲われてしまうからだ。手を振る事もできない。それでも気持ちは伝わっている筈だ。さよなら皆。

 さようなら、小野川さん。

 もう戻ることはないだろう。会う事もないだろう。俺には彼らの無事を祈る事しかできない。


 ……何も間違ってない。そう言い聞かせ振り返らず、進んでいく。俺はゾンビだ、何も間違ってない。全部気のせいだ……。

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