第5話 キャッチボール

 勘違いから生存者として迎え入れられて三日。平和すぎる。

 終末世界ってもっと、こう……文明の崩壊と共にモラルも壊れ去って、有刺鉄線増し増しの装甲バスとか、死体が括り付けられたバリケードとかあるものと思っていたけど違うのな。


 なんていうか大人しいなと、行儀が良いなと思うわけだ。

 いつかの震災の時に日本人は「暴徒化しない、コンビニの前に列を作っている」と驚かれたこともあったがゾンビアポカリプスだぞ。もっとハメ外してもいいと思うんだ。


 ブラックな会社の重役共をどす黒い血で染めてやろうぜ! とか、捕まえたどのゾンビが一番早く肉に喰らいつくか賭けをしようぜとか。

 ……俺、あれかな。ゾンビの隣で読書しすぎて変な方向に思考が向きやすくなっているのかな。

 

 俺は生存者の基地となっている学校にいる。学校は災害時の避難場所としても機能するが、砦としても良いようだ。

 中のゾンビさえ片づけてしまえば、立派な城壁に城門が元からあり。運動のできる広い校庭は耕して畑に、体育館は倉庫兼、非常時に立て籠もるシェルター。プールはそのまま貯水槽だ。各種教室は個室にも、その専門性を活かした設備にもなる。

 なるほど、ショッピングモールに行くのが相場とばかり思っていたけど学校もありだ。

 仮にここが使えなくなっても替わりの建物を見つけやすい点も評価が高い。ふーむ、なるほど、人間め、やりおるわ。


 しかし俺にとってここは敵陣の真っただ中。正体がバレる、それすなわち死。

 幸い、今のとこ食欲は抑えられていることが救いではある。

 ゾンビとして例の肉を食べてこなかったからか、もしくは死が直ぐそばにある緊張感からか人間への評価が『今すぐ齧りたい新鮮で美味しそうな肉』から『ちょっと齧ってみたい肉』にランクが下がっているからだ。

ゾンビとしてそれで良いのか、何か間違っている気がするがそんな事は脱出してから気にすればいい。


 隙を見て逃げ出そうとしているがなかなか上手くいかない。

 それなりの数の人間がいるのもあるが、なんといっても監視が厳しい。それも〝優しさ〟と言う名の監視だ。「これ食べなよ」「毛布あげるよ」って新人サバイバーである俺の面倒を見てくれる。優しさが辛いです。

 俺だけじゃない、全員が全員を気遣って平和に暮らしている感じだ。いい人だらけかよ。

ゾンビアポカリプスといえば人間同士の内輪もめだが、その気配は全く無い。これでは混乱に乗じて脱出する手は駄目そうだ。


「加藤さん、元気?」

「……」悟られてはいけない、笑顔で返事をしよう。

 笑顔には、悲しみと寂しさの影を混ぜるのが肝だ。家族を失った悲しみを演出するのだ。

 勝手につけられた設定だが活用しない手は無い。潜入していても、いや潜入しているからこそ意思疎通は大事だ。

 ここに来る途中で手に入れたホワイトボードがあるので会話はできる。とりあえずは名前と顎関節症であることは伝えた。自分の持病、教えるの大事。


 まだまだの悩みは尽きない。特に食事だ。また食事だ。

 出てくる食事は顎に配慮されたものだが、超偏食家向けのメニューでは無い……配慮されたメニューが出て来たら大問題だけどさ。

 食べなければ怪しまれる、又は心配されて監視の目がきつくなる。涙を呑んで耐えるしかないのだ。ここに来てまたこの悩みとは……。


 うーむ、監視の目さえなければ裏門から堂々と出ていけるのだが。

「いい天気ですね」

 無言で頷く。彼女は小野川さんと言って、俺の世話役と言う名の監視員だ。

「……そうだ! キャッチボールでもしますか?」

 スポーツは嫌いだ。鈍いのがバレるから嫌なんだ。スポーツが不得意であることはゾンバレ(ゾンビだとバレること)にはならないと思うが、運動音痴と思われるのは嫌だ。

「見てください! ほら、バリケードの向こう。ゾンビさん達もキャッチボールしたいって手を振っていますよ!」

 どう見たら犇めいて蠢くゾンビがそんな風に見えるのだ。

「ちょうどボールもあるし、えい! ……惜しいなあ、顔に当たれば十点だったのに!」

 かわいい顔して発言が物騒、キャッチさせる気を全く感じない。

 最初に俺が平和だって言ったのが、まるっきり嘘になっているじゃないか。ハメ外してってのは冗談だから!


「加藤さんもやりましょ! 『俺もやるの?』って表情してもダメですよ」

 家族を失って落ち込んでいる(設定の)人に進める遊びじゃないよね。差し出したボールはほんのり湿っているし、赤い染みがあるのだが……。

「駄目……ですか?」

 上目使いでかわいく言っても駄目に決まってんだろ! ……いや待て。ここはやらなければ、やられる。考えすぎかもしれんが、とにかく慎重でなければ。俺は生きたストラックアウトになんかなりたくない。

すまん、許してくれ、お前達!

「凄い、頭に命中! 十点ですね!」

そのうち踏み絵でもさせられるのかな、俺。


 この一方的キャッチボールには日暮れまでつき合わされた。

「楽しかったですね。この辺にしておきますか」

他の娯楽を探そうよ? お願いだから。

「それにしても、なんだか呻きが一段と大きい気がします。どうしてでしょう?」

「……」怒ってるよね? 君たち怒ってるよね。しこたま頭に当てたもんね。

 このまま生活が長引くと、脱出した後にゾンビにボコられる心配もしなくちゃならなくなりそうだ。

「あ、加藤さん笑ってます? ちょっと硬いですけど、私も嬉しいです!」

 うるさい。笑うしかないだろ。

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