第3話 迷走

今日も田中さんは飽きずに前髪を弄っている。

 ゾンビは感染前に執着していた事や習慣なんかを繰り返す習性があるみたいだが、田中さんはどんだけ前髪が気になる生活を送っていたんだ?

 前髪を定期的に弄らないと死ぬ呪いとか病気にかかっていた可能性が僅かだがあるかもしれない。架空の出来事だと思ったゾンビ病が大流行しているくらいだ。そんな病気の一つや二つくらいあるだろう。


 最近だが田中さんに変化が見られた。暇でゾンビを観察していたことのある俺だから気づけたことと思うんだが、ゾンビを観察するゾンビってシュールだな。


 本題に戻ろう、変わった事は前髪を弄るのに使っている窓だ。

 以前は雨だろうが風の日だろうがデパートのショウウィンドウをまるで専用の姿見みたいにしていたんだが、今は俺が読書をするための拠点としているカフェの窓を姿見に活用している。地味だがこれは大きな変化だ。長年に渡って研究……すまん、嘘をついた。暇なので一か月間いろんなゾンビを観察してきたがゾンビの行動は大体三つだ。


 一つ、感染していない人間を襲う。ゾンビだからな。

 二つ、肉を求めて彷徨い歩く。いかにもゾンビだ。

 三つ、感染前の習慣を繰り返す。よく見るゾンビっぽい行動だな。

 四つ、しばらく何も食べないでいると休眠状態になるのか動かなくなる。


 すまん、四つだった。どれも映画で見たがこんなもんだ。

 ゾンビは肉を探して移動するが、基本は感染前の生活圏に留まり、積極的に別の場所に移動はしないってことなんだが、田中さんはデパートからカフェに移動している。普通のゾンビじゃない俺が言うのも変だが普通じゃない。

 たぶん俺の事を意識しているんだな。いや、これは冗談じゃなくてマジな話よ。ゾンビBLとかじゃないぞ、他人の性癖を否定しないが俺にそんな趣味は断じて無い。美人ゾンビでないのが今になって残念で仕方がないよ。


 何故かと言えば移動したタイミングが、ダンジョンに入り浸り俺がカフェを占拠し始めた頃とほぼ一致しているからだ。

 あの条件反射だと思っていた「あー」には何か友好的な意味があるに違いない。もしくは車で撥ね飛ばしたことを怒っているのかもしれない。後頭部の辺りが気持ち凹んだ気がするくらいだしその可能性も充分ありうる。どちらにしろ俺を意識しているということだ。

 今更だが悪かったと思うよ。そりゃあ、ゾンビだって好き好んで車に轢かれたり、チェーンソーで切られたり、ビリヤードキューで袋叩きにされるているわけじゃない。わかる、わかる。でもゾンビって頑丈だし、許して欲しい。


「あー」それな。

「あー、あー」いや、それはどうかな。俺は良いと思うけど。

 いつもは窓越しで呻いている田中さんだが今日は隣で呻いている。何故かというと今日は久しぶりに天気も良く、テラス席に移動して本を読んでいるのだ。奇病に感染している事と顎関節症である事を除けば実に健康的な読書日和だ。

 ページを捲る合間にテキトーに「うー」と返事をして、読書の時間を共有すると言うのもなかなか良いもんだ。

 ゾンビの言葉の意味も意図も1㎜も汲み取る必要が無いのは実に楽、それでいて個人的かつ社交的な時間を持てるのがゾンビの数少ない利点かもしれない。自分で言っている意味が良く分からんが一人でないことが大切だと思って欲しい。


 呻きの不毛なキャッチボールをしていて思ったのだが、ゾンビの「あー」や「うー」にも何か意味があるのかもしれない。気がするというだけで何の根拠も無いです。

 僅かな抑揚とかイントネーションの違いというか。訛りもあったら面白うそうじゃないかというだけです。残念なことに俺の耳は言葉の機微や差異を感じられる程に繊細では無いし、ゾンビ言語学者になる気も無い。暇人ゾンビの気まぐれ理論だ。

 変な事を考えながら本を読んでいたのでどこまで読んでいたのかあやふやになってしまった。別の事に気をとられる俺の悪い癖だ。なので二ページほど戻る……双六かな?


「あー、あー……あー!!」

 え!? 何!? 田中さんが叫んだ? しかもなんだがイラついている感じだぞ!

「あー! あー!!」

 怖いんだが! 窓に向かって叫んでるのめっちゃ怖いんだが!? 車の件か? 俺が謝らないからか? すまなかったよ! 悪かったよ!

「あああぁー!!」

 走って行ってしまった。怖。ていうか走れるゾンビなんだ、田中さんて。

 おかげでまたしてもどこまで読んだか分からなくなったぞ。


 それから約一週間、田中さんは行方不明だった。が、今日、無事発見するに至った。ちなみにだが防災無線で「発見された」と「保護された」の違いは……(以下略)……それで俺は渡り鳥の帰巣本能よろしく戻ってるのではと思い、初めて会ったデパートに行ってみたところ再会をできたというわけなのだ。

 前髪を弄っては頷き、納得したかと思えば、再び弄り始める様はまさしく田中さん。機嫌も良さそうだ。ていうか帰巣本能で行きつく先がその場所なのかよ。家に鏡無いのかよ。


 結局、田中さんの奇声が何だったかはわからん、あとどうでもいい事だと思う。

 きっとあれよ、カフェだと写り具合が気に入らなかったとかたぶんそんなん。掃除する人いないしな。デパートだとゾンビ清掃員いるし。

 あと、そんなに前髪きになるなら窓じゃなくて鏡のある服屋とかに行けよ。ここ東京だぞ。歩いたらどっかにあるだろ。あれか、鏡じゃなくて窓で髪弄らないと死ぬ呪いなのか? 家の鏡使ったら死ぬのか?

 前髪を弄ることは田中さんのアイデンティティであるが、あのようにはちょっとなりたくない。

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