第十九話 罠の攻略

倒れている武士風の男の横にデメテルを置き、

彼とサクラとミハイルの三人は再び歩き出そうとしている。


「襲ってきた人にデメテルを分けてしまうのは危ないよ。それに勿体ない。

もしお腹が空くような思いをしても、この人の自業自得じゃないかな。」


旅立つ直前にミハイルが二人に抗議していた。

ミハイルが言う事も尤もだ。

元気になったら木刀を取り戻しに追ってくるかもしれない。

何しろ目印を置きつつ、彼らは歩いているのだから。


「あの男の懐から、ほんの僅かな草しか見つからなかったのを見ただろう。

放っておけば穴の中で迷って餓死してしまう。

それが分かっているのに黙って見過ごすわけにはいかないよ。」


サクラがミハイルに答える。

ミハイルは不満そうだが、さすがに餓死させるのは嫌なようだ。

そんなミハイルを見てサクラは続ける。


「万が一襲ってきても、私が何度でも撃退する。

あの男が木刀を持っていない状態であれば、万に一つも負けはしないよ。」


武士風の男が木刀を持っている状態でも、

サクラは後れをとっているようには見えなかった。

元々自信がある様子ではあったが、

サクラが本当に強い事を改めて彼は実感する。


歩き始めてしばらくはペースを上げて進んでいた三人だったが、

男が追ってくる様子がないのでペースを緩めて歩き始める。


「あの人は二刀でしたよね。宮本武蔵だったのではないでしょうか。

そんな人に勝ってしまうなんて、サクラさんはさすがですね。」


ペースを落とし始めてしばらくして、彼はサクラを褒め称えた。

ミハイルは彼の言葉を聞いて、きょとんとした様子だ。

何でだろうと思った彼は、二人の時代に宮本武蔵が伝わっていない事に気付く。

慌てて宮本武蔵について補足しようと思った彼に、サクラが答える。


「宮本武蔵か…。いや、あの男は宮本武蔵ではないよ。

剣を志す者なら誰でも知っている宮本武蔵を、私が倒せるわけがないだろう。

それに宮本武蔵は二刀で有名ではあるが、実戦では別に二刀ではないらしい。」


サクラは宮本武蔵を知っていたが、

あの武士風の男が宮本武蔵である可能性については否定した。

結局あの男については何も分からないままだった。


「あんな感じの人もこの空間に集められるんだね。

基準がさっぱり分からないや。」


ミハイルの中では集められているという事が確定しているようだ。

もしそうだと仮定すると、今までここに来てあった人間の中で、

集められた理由が最も分からない人間は彼自身だ。


「水源に着いて、スズモリの言っていた罠を乗り越えたとして。

もし仮にここを出る事が出来たら。どこまで私達の事が分かるんだろうな。」


サクラが呟く。

彼にも全く答えが出ない問いだった。

何の意味もない可能性があるにもかかわらず、

命を落とす危険のある旅。


現に、武士風の男に襲われた時、

誰かが命を落としてしまう可能性もあった。

この旅に二人を巻き込んでしまっても良かったのだろうか。


そんなことを考えていた彼だったが、

サクラとミハイルが彼を見ている事にふと気付く。


「先程の呟きには深い意味があるわけではないんだ。

気にさせたなら悪かった。

私はこの旅を楽しんでいる。

どう転ぼうが、意味のない旅になるとは思っていないよ。」


サクラが彼を見ながら言う。


「今回だって取り敢えず水源を見に行こうってだけの話じゃん。

気にする事ないって。

僕達だって同意の上で決めてる事だし、何もなくても当然責めはしないよ。

僕は素直だからがっかりするかもしれないけど、

絶対に自分のせいだって思わないで欲しい。

その時に余裕はないだろうから、今のうちに言っておくね。」


ミハイルも彼を見ながら笑顔で言った。


あなた達の命の心配をしていた、というのは言うだけ野暮なのだろう。

彼は二人の好意を甘んじて受け入れる事にする。


話して歩いている内にとうとう三人は水源についた。

やはり水源の広間は規格外の広さだ。

遠くから見るそれは、広さが計り知れない。


「壮観だな。生きている内に見れて良かったと思える景色だ。」

サクラがこの光景を絶賛している。

彼は脱出するという観点から必死で見ていたが、

改めて見ると確かに美しい光景かもしれない。

彼も今回はこの景色を少しだけ心穏やかに眺め、

目に焼き付けておこうと考える。


「水の球ってあれだよね。想像してたより何十倍も大きいんだけど。」

ミハイルも感動している。今にも水の球へと走り出しそうな勢いだ。


「ミハイルさん、もう一度言いますけど、多分罠があるんです。

こっそり覗く程度にしてくださいね。

どのような距離や条件で発動するのか予想できません。」


彼はミハイルに予め注意しておく。


「分かってるよ。けどその像とやらが見当たらないね。」

ミハイルが言ったように、像は今の所見当たらない。


「出たり消えたりするというのは本当らしいな。

そこに何かがあったという気配が無い。しばらく様子をみよう。」


サクラが様子見を提案する。

待つ間に、道中に何度か二人に話した計画を再確認することにした。


「今回はサクラさんの鳥を広間に放とうと考えています。

像が何かしらのアクションをする前提で話しますね。


最初は一匹飛ばして、大体どの距離で攻撃されるのかを確認します。

かなり離れた距離から一回目は飛ばしますが、

この時点で像がこちらに向かってきたら、今回はひたすら逃げましょう。


次は二匹飛ばし、どのように攻撃されるかを確認します。

この時、同時に攻撃されたら二匹の距離を離します。

二匹が同時に攻撃されなくなる距離が、その像の攻撃範囲になります。


次は攻撃間隔の確認です。

一度に攻撃される範囲以上の距離を保った二匹の鳥を放し、

その二匹がどのような間隔で攻撃されるかをみます。


あとは全体的にですが、攻撃発動の瞬間に注目しましょう。

何かしらの前兆を掴むことが出来れば、

回避する事ができる可能性も大きく跳ね上がります。


これらを確認しない事には全て想像での会話となってしまうので、

ここまでやってから次を考えましょう。

少しでも像が怪しい動きをしたら、一度走って離れるのが鉄則となります。」


二人は頷きながら彼の話を聞いている。

ここまで来たのだから成果が欲しい。

彼らは像の出現を待った。


しかし、しばらく待っても像は現れない。

三人はそれでも待ち続けた。

数時間は待ったという所で、ミハイルが音をあげる。


「これは待ちすぎだよ。

ヒロトさんが嘘を言っているとは思わないけど、

もうその像はいないと思っていいんじゃないかな。

もしくは今がチャンスなのかもしれない。」


ミハイルは水の球を近くで見たいらしく逸っている。

いや、元々このような性格なのかもしれない。

彼は「今がチャンス」という言葉の響きに心を動かされる。

確かにそうなのかもしれない。


しかし、本当に行って良い物なのだろうか。

前回この像を見た時に何かを考えたはずだ。


「像は消えていると見せかけてその場にあるのではないだろうか。

その方が罠らしい罠だと思う。」


サクラの言葉に彼はハッとする。

そうだ。ここだけを守れば良いと考えている罠であれば、

消えていると見せかけている可能性がある。

前回も考えた事だった。


「サクラさん、試しに鳥を水の球付近に飛ばしてみてくれますか。」


サクラは頷き、鳥を一匹取り出す。

鳥はサクラの手から離れ、水の球の付近に飛んで行った。

ある程度の距離まで近付いた瞬間、鳥が消える。


三人は息を呑んだ。

目を離していたわけではなかったが、像がいつの間にか水の球の前にある。

やはりその場にずっとあったのだ。

像の動向をじっと眺める三人。

しばらく経った後、やはり突然像は消えていた。


「鳥、消えたね。」


ミハイルの一連の出来事への感想は短い。

この短い時間の出来事が相当な恐怖であった事が、その表情から読み取れる。


「あまりの事でよく見れていなかったが、

攻撃の瞬間は像が消えていたから見えなかった。

問題は、鳥が消える瞬間まで何が起きたのか分からなかった事だ。

あれが私に向けられても避けられる自信が無い。」


サクラの表情は暗い。

しかし彼にとって大きい収穫もあった。


「けど、像はこちらに向かってきませんでした。

あの場から動けないのかもしれないです。

色々なパターンを試せば、何か糸口が見える可能性があります。」


彼の言葉を聞き、サクラは鳥を複数個取り出す。


「二個ずつ飛ばしてみよう。

さっきは突然だったから距離も見れていないが、

範囲を見れば距離も自ずと見えるに違いない。」


サクラの言葉に彼は頷く。


ミハイルはまだ青ざめている。

先程の恐怖から気持ちを切り替えられていないようだ。

彼はミハイルが立ち直るのを待つことにする。


少し経った時、ミハイルが突然自身の両頬を叩く。

驚いた彼とサクラがミハイルを見ると、

迷いを振り払った様子のミハイルがそこにいた。


「待たせたね。ごめん。ついてきたいって言ったのは僕だ。

かっこ悪いままなのは好きじゃないんだ。やろう。」


サクラがミハイルの言葉に笑顔で頷き、鳥を飛ばす。

二匹の鳥が水の球の方へと飛んでいく。

先程と凡そ同じ位置で一匹が消え、もう一匹はその少し後に消えた。

タイムラグがある。


「少しずれがあったね。」

ミハイルは興奮している。

いきなり大きな進展があった。

このラグは必ず活かすことが出来る、大きな隙だ。


「次は時間を計りましょう。」

彼も喜び、凡その時間の確認に備えようとする。


「7秒だ。7秒丁度で次の攻撃が来る。」


しかし、サクラが既に時間を図っていた。

時計などはない。どのように計ったのだろう。

自身を見る二人の目線の意味を理解したのだろう。

サクラは彼とミハイルに説明をする。


「私の心音は余程の事が無い限り、1分間に六十回を刻む。

それを数えただけだ。」


時間の計り方もさることながら、

これだけの事が起きているにもかかわらず、

「余程の事が起きていない」と扱うサクラの豪胆さに二人は舌を巻く。


サクラはこの後数回、二体ずつの鳥を角度を変えつつ飛ばしてみたが、

いずれもサクラの感覚で7秒の間隔で消されることが分かった。

そのいずれも最初の反応は水の球から五十メートル程の距離で始まっている。

例えば鳥を囮に飛ばしてから五十メートルを7秒以内に抜ければ、

抜ける事が可能な計算だ。


「スズモリ。私の考えすぎなら良いのだが、

私は未来の罠がこんなに簡単にいくわけがないと思っている。

なぜ7秒も間隔があるのか分からない。

それ自体が罠なのではないだろうか。」


サクラはこの結果を素直に喜ぶことができず、

渋い顔をしている。


「え、五十メートルを7秒で走らないとならないんだよ。

一般的には無理じゃん。僕は罠として十分成立していると思うよ。

僕は二射目で消されちゃう計算だし。」


ミハイルは頭を抱えている。


もし仮に今の罠が全てだと受け入れると、

鳥を飛ばした直後に走る事が出来れば、

彼とサクラは少なくとも水の球に飛び込むまではいけるだろう。

しかしミハイルを置いていくわけにはいかない。


それに…

「僕もサクラさんの言う通り、罠は今見えたものが全てではないと思います。

サクラさん、鳥は残り何匹いますか。」

サクラの言う通り、見えたものが全てであるとは彼にも思えなかった。


「…二十三匹だ。」

サクラの答えを聞き、思ったほど余裕が無い事を彼は悟る。


「簡単な事でも良いのですが、

お二人は攻撃の予備動作って何か分かった事はありますか。

恐らく秒数をカウントするのに手一杯で、

像はあまり見られなかったと思うのですけれど。」


彼は二人に問いかける。

サクラが首を横に振るが、ミハイルは少し考えているようだ。

彼はミハイルの答えを待つ。


「…気のせいかもしれないんだけど、陽炎っていうのかな。

ほんの少しだけあの像の周りが揺れた気がしたんだ。

見間違えてたら申し訳ないんだけど。」


ミハイルの言葉を受けて、彼はサクラを見る。

サクラは頷き、二匹の鳥を飛ばした。


注意深く像を見守る三人。

ほんの一瞬、空気が揺らいだのを三人とも確認することが出来た。

直後に鳥が消える。

しかし二匹目の鳥はその兆候もなく突然消え、

空気の揺らぎを確認することが出来なかった。


「ミハイルさん、有難うございます。初動の時は空気が揺らぐのですね。」


彼はミハイルの観察力に感謝した。

三人寄れば文殊の知恵。ちゃんと活かせている。


「完全に憶測なのですが、クールタイムがあるのかもしれません。

最後に撃ってからしばらくの間はあの像が内部を冷やし、

次に撃つ時は内部を温めてから撃つ。だから揺らぎが見えている。

そんな気がしています。」


冷却が必要な罠。何とかならないだろうか。

彼は考えこむ。


「スズモリ、少し休もう。あの像は恐らく出てこない。

焦らずゆっくり考える間が必要だよ。」


サクラの言葉で、自身が疲れている事に気付く。

よく考えてみたら、三人とも水源に来てからしばらく休んでいない。


「すみません。夢中になり過ぎていたようです。

焦っても仕方ありませんし、少し休憩しましょう。」


彼は慌てて休憩を提案する。

よく見ればミハイルはおろか、サクラにも疲れている様子がはっきり出ている。

その様子をみて彼の心が痛んだ。


「もうちょっと気を配るべきでした。本当にすみません。」

二人に頭を下げる。


「私も緊張のあまり、我々が休んでいなかった事に気付いていなかった。

スズモリの責任ではない。謝る必要はないよ。少し休んでくる。」


サクラはそう言って離れていった。


武士風の男の事を思い出して少し心配になるが、

追うつもりがあれば恐らくもう来ている。

去って行ってくれたのだろう。


「僕もサクラさんと同じ感想だよ。今初めて眠いって思ってるもんね。

ヒロトさんもゆっくり休んでね。」


ミハイルは水も浴びずに寝始めた。

余程眠かったのだろう。


彼は近くの水に入り、お風呂のような温度にして過ごしている。


この水は普通の水ではない。

滝の穴に入る前から温度を変化させる事が可能なのは分かってはいた事だが、

穴に入ってから気付いた事が二つある。

洗浄能力が異様に高いのだ。


汚れなど一瞬で落ち、水の中は常に澄んだ状態だ。

かなりの速乾性で、すぐに水分が抜けていくので、

彼は滝の穴に入った時から着衣で水浴びをしている。


サクラやミハイルにその事を伝えた時、当初は変人を見るような目で見られた。

しかし、彼がデモンストレーションをするとその速乾性に非常に驚いていた。

彼が最初にこの速乾性を見た時は、

本当に飲んで良い水なのかを数時間ほど疑問に思ったものだ。

しかし二人からそのような質問は出なかったので、敢えて話題にはしていない。


二人とも洞窟で服を脱ぐリスクを侵さずに済むことを喜んでいたが、

それでもやはり水浴びはそれぞれ離れた場所で行う。

こればかりは忘れてはいけない習慣なので、仕方のない事なのだろう。


それが裏目に出た。

サクラが何かを叫んでいる声が遠くから聞こえる。


しまった。あの武士風の男が来たのだろうか。

彼は急いで水浴びを中止し、木刀を掴んで走る。

ミハイルも彼の様子で異常が起きた事を察知し、彼に続いた。


無事であることを願いつつ、

彼とミハイルはサクラの居る場所へと無心で走った。


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