閑話 カタナ

水は常に流れ続けていないと淀んで腐っていく。

人の世も同じだ。

流れのない水場に留まると、どのような人でも淀んでしまうのだ。

そう、どれほど立派な志を持って歩んできた人でもだ。


常に正しく流れるように、誰かが流れを起こす必要がある。

どんな手段を使おうとも。

私にはそれが出来る力がある。私にしか出来ない。

そう思って進んできた。


私が自身に課した役割は単純だった。

明らかに世の中に不利益をもたらす存在を誅する。

それだけだ。非常にシンプルだ。


不正な政を行おうとする政治家。

世の中に不安を与える犯罪組織。

立場の弱い者を虐げる悪人。

それらの悪に迫り、

悪事を明らかにして社会的に抹殺する。

この役割は私の性分に合っていた。


数々の悪を切り伏せている内に、

世間から私は「カタナ」という呼称で認知されるようになった。

私の使う武器がそれだからだろう。

もう少し良い名前が付かないかとは思ったが、仕方がない。


顔を見られてはいけない。数を知られてはいけない。

私は飽くまで正義の概念であり、個人であってはならなかった。

悪党に安眠をする暇を与えないのが、

私に与えられた使命の内でも大きな比重を占めていた。


しかし、そんな私の活動にも邪魔が入るようになる。

偽者の存在だ。いつかは現れるとは思っていた。

正義を行うのであれば捨て置こうと考えていたが、

偽者は本当に人を殺めてしまっている。

捨てておくわけにはいかない問題だった。


単純に私の名声を地に堕とす事を目的としているようだ。

私の名声などどうでも良いが、

正義への信頼を失墜させるのは許されない事だった。


私は偽者を見つけ出すべく情報を集め、

偽者と対峙する事に成功した。


「正義の名を貶める偽者め。

お前の正体を暴いて二度と太陽の下を歩けなくしてやる。」

偽者に対して私は憤っていた。

相手の言い分など聞く必要はない。

刀を構え、偽者を切り伏せる態勢に移行する。


「正義の名を貶めると言ったな。よくも言えたものだな。

カタナよ。貴様は本当に自分を正義だと思っているのか。」


偽者の言葉は恐らく挑発だ。聞く耳を持つ必要などない。

分かってはいるが、正義を問われた私は相手の言葉に耳を傾けてしまう。


「貴様はいちいち社会的に抹殺した人間の事など覚えてはいまい。

私の父はルイ=CHN=リンだ。2年前に貴様に社会的に殺されている。

父は無念の内に死んだ。お前が殺したんだ。」


偽者が覆面を外す。

顔に全く見覚えはないが、まだ若いというよりも幼い。

十四、五歳くらいだろうか。

ルイ=CHN=リン…。

私は偽者が言った名前を頭の中で繰り返す。

覚えていない。

この若者の理屈でいくと、

今まで私は何人の人を殺めたのだろう。


「復讐か。私は世の為に活動している。

肉親の前でこのような事を言うのは憚られるが、

私は私怨での正義執行は一度たりともしていない。全て世間が望んだ事だ。

結果的にお前の父が死んでしまったのは申し訳なく思う。

お前も多大なる迷惑をかけた。

もう二度とカタナを騙るな。今、手を引けば見逃す。」


私は迷っていた。この若者を白日の下に晒すのは果たして正義なのだろうか。

私の名声を堕とす為だけに人を殺めた事実は許せるものではない。

しかし、それは間違いなく私が引き起こした事だ。


「父を殺されて黙っていられるか! 

世間での顔はどうあれ、私には優しい父だった!」


偽者が斬りかかってくる。

その太刀筋は遅く、甘い。

私は足を掛けて偽者を転ばせる。


「よせ!お前では絶対に私には勝てない。」


私がこの若者を凶行に走らせた。

胸の奥に鈍い痛みがある。

私の行いは本当に正義と言えるのだろうか。


「うるさい!お前に父を殺された無念が分かるものか!」


偽者がこちらを見る刺すような視線が痛い。

私にはこの若者を白日の下に晒す事などきっと出来ないと確信する。


「悪かった。」

私は若者に対し、一言だけ残してその場を去る。


正義に対する気持ちが揺らいでしまった。

しばらく正義の心を見つめ直して答えをだそう。


そう思った刹那、背後から私の胸を銃弾が貫く。

一体誰が…。あの若者だろうか。

振り返る事なく私は地に伏した。


私の正義はきっと一つ所に留まり、淀んでいたんだ。

この結末も仕方のない事だ。


私は静かに目を閉じる。

願わくは、これからの世が太平でありますように。









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