第十二話 カレルの出発

カレルが滝の下で足場を作る作業を始めてからしばらく経つ。

今日もスコップで土を掘り水で固める作業をカレルは行っていた。

しかしその土台は既に高く積み上がり、作業は最終工程へと入っている。

完成は誰の目から見ても間近だった。


彼に追いつく事が出来るのだろうか。

カレルは思案する。

滝の穴の中がどれ程複雑な作りをしているのか想像が付かない。

彼に穴の内部の事を確認しておくべきだった、とカレルは後悔していた。


作業を入念に進めたおかげで、出発が可能な状態になりつつある。

快適な空間ともそろそろお別れだ。

名残惜しいとは感じるが、この空間での生活はいつまで続くか分からない。

やはり自ら行動を起こす必要があるとカレルは改めて認識する。

早めに出発し、彼との合流の可能性を高めようとカレルは考えた。


順調に作業が進み、滝の穴への足場が完成する。

カレルはこの空間での最後の睡眠を取るためにベッドに向かい、

空を夜へと切り替えた。

寝る前にカレルは物思いへと耽ける。その思いは過去へと飛んで行った。


カレルは反政府組織に身を投じたきっかけを再び思い出していた。

反政府組織のリーダーを逮捕するため、カレルが指揮をとった時の話になる。


反政府組織のアジトに踏み込んだ際、複数人の幹部が会議を行っていた。

カレルの部隊が踏み込んだことで蜂の巣をつついたような騒ぎになったが、

女性二人が幹部達を逃がすために兵士達の前に立ち塞がった。

そのたった二人の女性の手によって兵士達が次々と倒れていく。


カレルは部下が幾人も倒された事に激昂し、自ら女性達の討伐に向かう。

女性たちと対峙した瞬間に、手加減出来る力量ではない事が分かった。

部下を何人も殺されたカレルは、元より手加減するつもりもない。


カレルは女性達との死闘の末、結果的に二人の命を奪った。

倒された兵士達の元に駆け寄り生存者がいるかを確認するカレル。

しかしそこでカレルは愕然とする事となった。

一人たりとも死んでいなかったのだ。部下達はただ、倒されただけだった。


部下が死んでいなかった事実を知り、

カレルは冷たくなって横たわる女性達の前で呆然する。

すると後ろから突然、男性が何かを叫びながら女性達の元に駆け付けて来た。


その顔は敵のリーダーの顔だった。

すぐさま捕縛命令を出そうとしたカレルだったが、

涙に濡れながら叫んでいるその表情を見て身動きが取れなくなる。


敵のリーダーの行動は、自らの保身を考えているとは思えない行為だった。

部下の兵士達もあまりに突然の出来事に捕縛を忘れて見守っている。


敵のリーダーは女性の亡骸を抱えて大きく咆哮した。

それはあまりにも激しく哀しい慟哭だった。


この時だ。この時に初めて自身の正義を疑った。

カレルは目を瞑る。


―君達は自分達の正義の在り方に疑問を持った事はないのか。


その時のリーダーのセリフが脳裏に蘇ってくる。

全く未知の世界に来た今でも、カレルは自らの正義を問い続けている。

もう二度と間違えないようにしなければならない。

カレルは眠りに就いた。


目が覚めたカレルは空を明るいものへと切り替える。

出発の時だ。カレルの胸が期待と不安で高鳴る。

木の加工が出来る事に初めて気付いた時、カレルはあるものを作っていた。

滝の付近に移動させておいたそれを手に取る。


木刀だ。

カレルにとって、木刀は強さの象徴だった。

仮想空間上でヒロト=JPN=スズモリに倒された時、

ヒロト=JPN=スズモリが持っていたのは木刀一本だった。

カレルはその時以来、木刀に特別な思い入れがある。


今回の旅でも危険がないとは限らない。

カレルは木刀とカゴ一杯の草を持ち、滝の穴の前に立つ。


後ろには寝心地を追求したベッドと、座り心地を追求した椅子がある。

振り返って未練を残すわけにはいかない。

カレルは穴の中へと一歩を踏み出した。


穴の中は意外と明るい。カレルは安心する。

この薄暗さと水の音があれば、すぐにでも寝れそうだとカレルは満足する。

地面がとても固いので、早くもベッドが恋しくなった。


しばらく歩くと、曲がり角に突き当たった。

どうしたものかと考えた時、ふと地面に置いてある草が目に留まる。

千切れている。きっとこれは自生したものではない。

カレルは少し考えた後、これが彼の残した道しるべである事に気付いた。


「やるじゃないかヒロト。」

思わず声に出して笑顔になる。

彼はカレルが追って来る事を信じてくれていたのだ。

これなら、見逃さなければいつかは合流出来るだろう。

カレルは草を目印に歩いていく。


本当にここまで彼は歩いたのかと、カレルが疑問に思い始めた時、

突然、いつもと違い矢印と×印で何かを示している目印が現れた。

これはどのような意味を持っているのだろうか。カレルは考える。

普通に考えると行ってはいけないという意味だろう。

それはカレルにも何となく想像が付いた。


彼は何かしらの脅威を見つけたのだろうか。

それともこの先は行き止まりなのだろうか。


恐らく前者と考えて良いだろう。

後者であれば、いつものように草を置いてカレルを誘導すれば良い話だ。


ではその脅威に対して彼がどのようなリアクションを取ったのか。

これはカレルには今一つ予想が付かない。

彼はその脅威を避けて無事にどこかに行ったのだろうか。

それとも危険を承知で脅威に向かったのか。

一度確かめる必要があるとカレルは考えた。


カレルは曲がり角に置いてあった草に気付かず、

水源へと歩みを進めていく。


広間に辿り着いたカレルは、

大きな水の球が浮いている光景に目を奪われる。

全ての水はここから来ているのだろうという事が一目でわかる光景だ。

彼はここを目指していたんだなとカレルは直感的に感じとった。

どうやって彼が水源を見つける事が出来たのか、カレルには想像が付かない。

やはりヒロトは凄いなと思いながら何となく水の球に近付いていくカレル。


あと十メートルという所まできた時、

明らかに何もなかったはずの空間から像が出現した。

それが何なのかをカレルが考える前に、像の口から何かが吐き出される。

反射的にカレルは身を避けて難を逃れた。


カレルの頭に草で描いてあった×印と、罠という単語が同時に思い浮かぶ。

痛恨の失敗だ。カレルは舌打ちをする。

恐らくは未来の技術が使われている罠だ。

今みたいに分かり易い攻撃を続けて来るとは限らない。


カレルは像を見ながら後ずさりする。像が動く様子はない。

油断出来ないと判断してカレルは集中が途切れないように努める。


ほんの一瞬、像が歪んだように見えた違和感をカレルは見逃さなかった。

風の音が聞こえた気がしたカレルは咄嗟に身を伏せる。

何かが通り抜けたような気配を感じたカレルだったが、視認は出来なかった。


攻撃の予備動作がなく、攻撃自体が視認できない。

先程の攻撃を避けられたのは偶然だったとカレルは考える。

カレルの全身に緊張が走っていた。


「伏せろ!」

突然誰かの声が聞こえる。

咄嗟に身を伏せたカレルの頭上を、再び何かが通り過ぎる気配を感じる。


「こっちに走れ!」

誰かが呼ぶ出口に向かってカレルは走る。

一度その声に救われている以上、信じるしかなかった。


「横に飛べ!」

カレルには分からないが、その声の主には攻撃の瞬間が分かっているようだ。

声の主を信じてカレルは横へと転がる。

何かが通り過ぎたのか、今回は分からない。


「そのまま走って来い!」

カレルは態勢を整え再び走り出し、声の主の居る出口へとたどり着いた。

息を切らしながら出口の陰に隠れる。


「ここまで来れば恐らく大丈夫だ。

あの像が広間を出てまで追いかけて来るのを見た事がない。」


肩で息を切らしているカレルが見上げると、若い男性が広間を睨んでいた。

ここまでの発言から、恐らく同じような立場の人間だとカレルは推測する。

ヒロトと同じように、自ら脱出したのだろうか。


木刀を持っている。きっとカレルと同じく木から作ったのだろう。

カレルは親近感を感じた。


「ありがとう。君のお陰で本当に助かったよ。

全然攻撃してくるタイミングが分からなかった。」


カレルは男性に礼を言う。

この男性がいなかった場合の事を想像してゾッとする。

きっと躱し続ける事は叶わなかっただろう。

当たったらどうなっていたのだろうか。


「いや、こちらも助けるタイミングが遅くなって申し訳無かった。

実はもう少し早い段階で声を掛けられたんだが、

あんたがあまりに見事に避けるものだからな。

却って邪魔になるかと考えたんだ。強いんだな。」


男性はカレルに笑顔を向ける。

どう考えても初対面であり、見覚えもない筈の顔だ。

しかし、どこかで会った事があるかのような錯覚に陥る。


「俺はカレル。カレル=CZE=テプラーという名前だ。

ここに来る前は太平暦278年に生きていた。

君に会えて心強いよ。よろしく頼む。」


カレルは笑顔で手を差し出す。

男性もカレルの手を握り返して挨拶をする。


「俺はヒロトだ。ヒロト=JPN=スズモリ。

西暦2983年から来た。よろしくな。」


全く予想もしない名前を聞いて、雷に打たれたかのような衝撃を受ける。

カレルは笑顔のまましばらく固まってしまった。








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