第九話 大樹

像が消えたタイミングを見計らい、彼は水源を後にする。

カレルの部屋から来た道とは別のルートで水の流れを辿る為、

分岐を曲がった所で彼は慌てて引き返す。

カレルが追いかけて来る可能性を失念していた。

もしカレルが追いかけて来てくれた場合、水源で像と鉢合わせてしまう。

それだけは避けなければならない。


カレルと打ち合わせをしてくれれば良かったと考えつつ、

どのようなメッセージを残すかについてしばらく考える。

言語が翻訳される事は身を以て体感したが、文字のやり取りまではしていない。

あそこまで精巧に翻訳されているのだ。

視覚的な翻訳も大丈夫だろうとは考えているが、全く確証がない。


結局はシンプルに、水源へ向かう矢印の下に×印を書いて残す事にした。

これでカレルに危険が伝わるだろうか。

一抹の不安は残るが、彼にはそれ以上の案が思い浮かばない。

カレルを信じて先に進むしかなかった。


曲がり角のある場所には目印を置きつつ、

カレルの空間から来た道とは別の道で水源から真っ直ぐ水の流れを下っていく。

彼は今度の道中において、水源の像をやり過ごす方法を主に考えていた。


そもそもあの像は本当は何の為にあるものなのだろうか。

突然消えたり現れたりしている事から罠と決め付けているが、特に根拠はない。

今の所、彼の直感が罠であると告げているだけだ。

あれが罠である事を証明するには、そもそも罠を発動させる必要がある。

そんなリスクを負うわけには行かない。


像が消えている間に出口を探すしかなかった。

彼には凡その出口の目星は付いている。

水源にあった水の球。あの球から水が湧いている。

どこから水が湧いているのか。

恐らくはそこに外に繋がるヒントがあると彼は考えている。


そこまで考えを巡らせた所でふと彼に疑問が湧く。

像は消えている間、どこに行っているのだろうか。

姿を消しているだけで、別の場所になど行っていない可能性がある事に思い至る。

あの像が水源のみを警備をしているのであれば、むしろこの可能性が高いだろう。


しかし、もし仮に別の場所に行っている場合。

それは彼が歩いているこの水路ではないだろうか。

急に薄明りの水路が怖いものに思える。

用心するに越したことはないが、特に対策はない。

ただ怯えて道を歩くだけの結果が残る想像をしてしまった。

彼は自身が想定した可能性を恨みながら道を進んだ。


数日の間歩き、ようやく前方に光が見えてきた。

恐らく空間の明かりだろうと彼は推測する。

ゆっくり近付いていくが、遠目にも様子がおかしいことが分かった。

明らかに出口付近が暗い。何かに光を阻害されているような暗さだ。


更に近付いていくにつれ、違和感が強くなっていく。

何か巨大なものが光源の光を覆っているようだ。

入口についた彼はそれが何なのかを理解する。

木だ。とてつもなく巨大な木がある。


彼の空間にあった木とは違い、この空間にあるのは広葉樹だ。

遠目にもこれまで見たことがない大きさである事が分かる。

壮観な眺めに感動する彼だったが、次の瞬間に更に信じられないものを見た。

鳥らしいものが飛んでいる。

カレル以外で生き物らしい生き物を見るのは初めてだった。


この空間が彼とカレルとは全く違う性質のものなのか、

それとも思いも付かない使い方をしているのだろうか。


「だ、誰だ!」

突然滝の下から声がかかる。

カレルの時も同じだったな、と自分の迂闊さに驚きながら彼は返事を返す。

「こんにちは。スズモリヒロトと申します。

突然お訪ねして申し訳ありません。

僕も先日までこのような感じの部屋に居ました。

何でここに居るのか全く覚えがないので、それを知る為に旅に出ています。」

下を見ると女性が立っており、こちらを睨んでいる。


「スズモリヒロト。一般的によく知られている名によく似ているな。

仮名ではないのか。」

女性が警戒心を解いてくれている様子はない。

カレルの応対がそもそも温かすぎたのだろう。

「仮名ではありません。実は旅に出た後に別の方ともお会いしているのですが、

その人が言っていたミドルコードというものが無い時代の人間になります。

信じられないかもしれませんが、僕の生きていた時代は西暦になります。」


ミドルコードが無いために警戒されていると思い、

彼は正直に自分の事を話してみる。

一般的によく知られている名前と似ているとは何だろうか。


「…俄かには信じられないが、私もここに来てから分からない事が多い。

もしかしたら君の言っている事は本当かもしれないと思ってしまっているよ。」

女性は彼を信用して良いものかどうか逡巡している様子だったが、

少し迷った後に彼に謝罪した。

「先程はここに来て初めて人間に会ったから動揺していた。許して欲しい。

少し情報交換をさせて貰えないだろうか。」


彼は女性との関係性に少し進展があったことにほっと胸をなでおろし、

「是非お願いします。僕も情報が欲しくて旅をしているので。」

と答えた。


「正直に言うと分からない事が多すぎて、最近は考える事を放棄していた。

君が本当に私と同じ境遇からここまで来たのであれば、本当に心強い。

私の名前はサクラ=JPN=ソメイだ。

記憶に誤りが無ければ太平暦1038年で生活していた。」


何となくソメイヨシノを思い出すその名前は、

きっと未来に受け継がれた日本人の桜を愛する心なのだろう。

と、彼は勝手に想像する。

てっきり警戒心から来ているものと思っていたこの口調は、

未来では一般的なのだろうか。彼にとっては少し信じられない思いだ。

そんなことより、カレルよりかなり後に生まれた人間だ。

何かしらの進展があるかもしれないと期待する。


「僕が先日旅で出会った人も、太平暦に生活していた人でした。

といってもソメイさんより800年程前の人でしたけれど。

ショウクウという技術について教えてくれましたが、

この空間についてはほとんど僕と知識量が変わりませんでした。」


彼は前方にそびえる大樹に視線を送る。

あれはサクラが望んであのような形にしたのだろうか。

それともサクラが来た時には既にあのような形状だったのだろうか。

サクラはその視線に気付き応答する。


「あぁ、あの木が気になるのか。

まずあれについて説明させてもらうと、あれは私が変えた。

木の特性についての理解はあると思って良いかな。」

彼が頷くのを見てサクラは続ける。


「私も最初はここを出る方法を考えていたんだ。

あの太陽がどうしても沈まないから、恐らく光源だろうと考えた。

そのカゴを見る限り分かってると思うが、この草はシリアルの味に変化する。

我々の時代では政府から支給される、栄養価が高い食品だ。

そこで木も何かしらの特性を持っているだろうとあたりをつけたんだが、

やはりそれは合っていた。

天井まで届かせるのにかなり大きい木をイメージしてしまって、

取り返しのつかないレベルの大きさになってしまったのには驚いたよ。

問題は、そこまでやってもあの光源には届かなかった事だね。」


サクラは自嘲気味に笑う。

この話をまとめると、恐らく昼夜の切り替えをカレル同様知らないのだろう。

また、草について少し勘違いをしている気がする。

現在広葉樹になっているのは、サクラがイメージしたゆえの変化のようだ。

彼はどこから話して良いものか迷ったが、

まずこの会話で気になったことを質問する事にした。


「あの光源は木に登ると近くに見えるのでしょうか。

それともずっと遠いままにしか見えないのでしょうか。」

天井から脱出出来るかどうかの結論は、彼にとって重要な情報だった。

水源には水以外何もなかった。考えたくはないが十分あり得る。

もしそうなってしまった場合、天井か地底からの脱出も検討しなければならない。


「いや、距離が詰まったような様子はなかった。

これだけ大きな木へと変化させて登ったのだから、

距離は少しくらい縮まったと確信していたのだけどね。

地面から見るあの光源も、樹上から見る光源も等しく遠くに見える。

本当に太陽なのかと思ってしまうくらい、遠くに感じたよ。」


樹上から光源を見た際のサクラの心情は推し量れない。

きっと天井から脱出する事は不可能なのだろう。


「貴重な情報を頂き有難うございます。

ソメイさんのお陰で、僕が見つけた道で行くのが最善な気がしてきました。

僕が見つけた中で、ソメイさんが知らなそうな事を共有しておきますね。」

彼が指を鳴らして空を変化させようとする前に、サクラが口を挟む。


「そのソメイさんというのをやめてくれないか。

スズモリの居た時代では苗字で呼ぶのが普通なのかもしれないが、

私の居た時代では名前で呼ばれるのが普通だ。

私の事はサクラと呼んで欲しい。」


サクラの言っている事は、

彼の居た時代においては仲良くなれた事を示すような言葉だ。

しかしサクラは何の衒いもない様子だ。

恐らく本当にソメイという名で呼ばれ慣れていないだけだろう。


「ではサクラさん、僕が最初にサクラさんに教えられるのはこれです。」

彼は指をパチンと鳴らして昼夜を切り替える。

サクラが目を丸くして空を眺めているのが分かる。


「あの光源は本当に作り物なのだな。今初めて確信できたよ。

昼夜を切り替える事がこんなに簡単に出来るなんて…。

いつでも寝れるじゃないか。」


サクラはカレルと同じくとても感動している様子だ。

ヒロトと呼んでくださいと返すタイミングを逃してしまった。

しかし、やはり人が喜んでいる姿を見るのは好きだ。


サクラが夜空を仰いで喜ぶ姿を見て彼が満足していると、

「ところで先程の破裂音はどのように出したのか教えて欲しい。」

どこかで聴いたようなサクラの質問が飛んでくる。

カレルに教えた時の悪夢を思い出し、彼は憂鬱になった。










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る