第22話 怒りのライドル引き抜いて
ときは元号が平成に代わるほんの少し前。
ところはT県の西のはし、芯斗市中那村。
ウチは、古い木造の日本家屋である。
家族は姉と私、そして弟と父と祖母。
私は、永津流剣術を身に付けている。実際には永津流格闘術のなかの棒術なのだが、便宜上こう称している。したがって、格闘の技もそこそこ会得している。要するに、私自身が棒剣術が好きなので、こう名乗らせてもらっている。
学校のクラブ活動には興味がない。
クラスのものは、ほとんど何らかのクラブに所属しているのだが、私には興味がない。
それというのも、中学一年のときが原因だろう。
北芯斗中学校。各学年とも、クラス数は四クラス。
ずっと永津流剣術を習っていた私は、中学入学とともに、剣道部を見に行ってみた。
驚いた。
臭いのだ。
道場がクサいのだ。
防具が臭いのだ。
とてつもなくクサいのだ。
どうしようもなく臭いのだ。
籠手なんか着けたら、後でお茶を飲むときに、自分の手のニオイで咳き込むほどクサいのだ。
バカボンのパパが出てきそうなので、臭い説明はこのくらいにしておこう。
まあ、それはいいとしよう。もっとガマンできない事があったのだ。
それが、私に剣道部入部をダンネンさせたのだから。
その日は、体験入部して四日ころだった。
六時間目が急に自習になったのだ。担当の先生が急用ができて、課題のプリントを出して帰られたとのことだった。
プリントは、終わりに集めて提出する。私たち一部の生徒は黙々ととりかかった。
他のクラスメイトは違った。遊ぶは、喋るは、大騒ぎなのだ。マジメにとりかかっているのは、ほんの数人だろう。
教室は、阿鼻叫喚のチマタと化した。
おまけに、まじめにやっている者の邪魔までする始末だ。
どうして、はじめにキチンと片付けてから、空いた時間を正々堂々と楽しまないのか?
どうして、監視の目をぬすんで勝手なことをするのか?
そもそもどうして、刹那的に遊びたいのか?
たった今、遊んでおかないと損するのか?
そんなにムリヤリ遊ばないと、死ぬのか?
私は、さっさと課題をやり終えて、となりの女子と喋っていた。
呆れた。
馬鹿な奴らが、私のプリントを映させてくれと言ってきたのだ。
大して難しい課題じゃない。小学校を出ていれば、誰でも終らせられるのだ。それもできんほど馬鹿なのか?
そうじゃないな。人を従わせることで、オノレを誇示したいんだ。
作りかけのリーゼントのようなものを兜し、無理やり「柴田恭兵」のモノマネをしているような奴だった。坊主頭の腰ぎんちゃくを二人連れていた。
「中学デビューに成功した俺様ってイケてるじゃん」と顔に書いてあった。あほだ。
よっぽど着たかっんだろう、妙なシャツがちらちら見える。
先輩にガンつけられたくないのか?こそこそと、着ているのをチラチラ見せているのは脅しのつもりなのか?
幼い顔で必死に凄むザマが、ますますあほに見えてくる。
腰ぎんちゃくの痩せた方は、上の前歯がすっかり無かった。まぬけヅラでスゴむと、息がシューしゅー漏れ、こっちは笑いそうになる。話し言葉も、口が閉じきらないので妙な具合になっている。そのことで、ますますニヤけが加速してしまう。
もう一人の腰ぎんちゃくは、背が低い。私よりもチビで、キンキン甲高い声で喋る。まるで保育園児が、強がっているようだ。
キサマらは、キリギリスか?(原版のイソップではセミなのだが)
ひとがマジメにやっていたときには邪魔しやがって、今さらどのツラ下げて来やがったのだ。
断ろうかとも思ったが、これ以上あほヅラにつきあうのは無意味なので、貸して差し上げてやった。
やっと六時間目が終了した。係りの者がプリントを回収していく。
「あんたら、早ようプリント返しなさいよ」
あほリーダーが、チビぎんちゃくに言う。
「おう、ヤスオ、戻しちゃれや」
「あれやったら、○○のとこにあるで」
「ということや。○○に戻してもらえや」
「あんた、ひとのプリント、又貸ししたが?やったら、自分でとってきて返しなさいよ!」
「なんじゃあ、その言い方は!女のくせに。われが行きゃあええろうが!われが!」
「ひとの世話になって、何よそのセリフは!お礼も言えんほどバカかあんたは!男らしゅうない!」
ハヌケの方が立ち上がった。『生意気な』と言ったらしい。
「にゃみゃいきにゃ!」
ガツッ!
私は頭突きを顔面にくらわしてやった。ハヌケは、まっすぐチビのヤスオに倒れこんだ。
「おまえ!」
一応、子分を助けるためか、殴りかかってきた。
馬鹿はバカなりに少しはリーダーの自覚があったのか。もしくは、ただのカッコつけか。おそらく後者だ。
この三人組は「新撰組」を結成したつもりだったそうだ。もちろん、有名どころのあの三人のつもりでいたらしい。もっとも、新撰組について尋問してみたら何っっっにも知らなかった。あほだ。ただ、昔のカッコいい集団としか認識していなかった。幕末の人物であることすら知らなかった。ほんとにアホだ。他の隊士なんて、存在することもアタマに無かった。
リーダーの腕を掴んでかわし、そのまま背後でひねってやった。すごい声があがった。
「うわあああああああああ!痛いいたい痛いイタイ!痛いイタイいたい痛いイタイいたいいいいい!」
さほども捻っていない。じっとしていれば大した痛みじゃないはずだが、恐がりまくって震えだした。
「いたい痛い!こわい恐いコワイこわい!痛いいたいイタイいい!こわい恐いコワイこわいいいいい!やめて止めてヤメテやめて!許してゆるしてユルして許して!助けてたすけて救けてタスケテたすけてええええええ!ごめんゴメンごめんゴメンんんん!わあああああああーーーー!」
恐怖のあまり、腰が抜けたようだ。ガクンと座り込んだ。
ぱきっ
こいつの肩の関節が鳴った。私には、その振動がわかった。そして
「ああああああああああん!折れたあ!手が折れたああ!ああああああああん!ごめんなさい!ごめんなさああああい!折おおおおれたああああ!折おおおおおおれたああああああ!手が折れたああああああ!ごめんなさああいいいいい!ゴメンなさああいいい!許してええええ!手ええが折れたああああああ!ゴメンなさああいいいい!いいいいいいいい!いいいいいいいいいい……うええええええーーーーーーん!ごめんなさああああいいい!うええええええええーーーーーーん!ゆるしてええ!許してええええくださああああいいいいいいいいいいい!ゴメンなさああああああいいいいいいいい!」
鼻からぷーぷー風船を出して、幼児のように泣きじゃくる。大丈夫、関節が鳴っただけだから。折るんならそのつもりでやるから。
手を放すと、横たわってびちびちと泣きわめいている。
目を移せば、ハヌケとヤスオが固まっていた。ハヌケは、鼻血が処理出来ないらしく、口から血を垂らしており、それがヤスオにも付いている。おいおい、重症を負わせたみたいじゃないか。
鼻水でフェイスハガー状態のリーダーは、ゲホゲホむせはじめた。
「何の騒ぎだ!」
あちゃー!こんなところに、見回りの先生が飛び込んできたよ。
私は職員室に連行された。疹賎愚身(しんせんぐみ)の惨人は、保健室である。ケガ人は一人だけなんだが。
事情を説明したら、担任はわかってくれた。ただ、暴力はふるわないように注意された。あっちが振るってきたから防戦したのに納得がいかなかったが、それをごちゃごちゃ話していてもムダだろう。
モヤモヤを抱えながら、ホームルームを終えた。
切り替えよう!あほのためにいつまでも引きずるのは、こちらの損だ。モヤモヤは、すべて竹刀に託して、思い切り剣の修業に打ち込もう。爽やかに、気持ちよく行こう。さっぱりと今日を終えよう。そう考えて、道場へ足をすすめた。甘かった。
その日は、顧問の先生が来るのがとても遅かった。
部員は、みんな胴着には着替えていたが(体験入部生はジャージ)練習なんて全くしていない。大騒ぎで遊ぶ先輩たちだった。
三年生が八人、二年生もそのくらいいた。一年生は、体験入部を含めて十人くらいだった。
あ~あ、またもやこんな状態なのか。もうウンザリだ。
なぜ、中学生はあんなに無意味に走り回るんだろう?
なぜ、この時間に準備運動をしておかないんだろう?
道場全体が、わーんという響きでいっぱいだった。六時間目よりひどかった。上級生(センパイと呼べるか!)たちのやりたい放題である。
私は喧騒の中、ぼーっと立っていた。
あーあ、手拭いと竹刀で野球ごっこが始まった。
あーあ部長が率先してちゃんばらごっこしちゃってるよ。でかい図体で何してるんだ。
これだけの時間があれば「切り返し」も「かかり稽古」も終わってるのに。
一回ぶんの練習コースをすませて、休憩時間になっているくらいなのになあ。
どうして、ひととおりきちんとすませて堂々と休憩時間に遊ばないのか。
「はっ!」
気配を感じて、横にすっと避けた。私の立っていた位置に、ひゅっと竹刀が打ち込まれた。不意討ちだった。
部長たち、ちゃんばらごっこしていた数人が、下級生を竹刀で襲撃していた。
恐怖の声で逃げまどう一年生たち。ぎらぎらした笑みをうかべて襲いかかる三年ども。反撃できるはずがない。こいつら三年も、それが十分わかっている。
私に打ちかかってきたのは部長だった。三年の男子にとって、小柄な私は赤子の手をひねるようなものと思ったんだろう。
今日は二回も血を見ることになるのか…。ああ…入学そうそう問題アリの生徒か…。仕方なし!部長が、また打ちかかってきたら泣いてもらおう。自業自得だ。決心した!
考えていたら、部長が二発目を放ってきた。今度は胴打ちだ。これも、下がって避けた。
一間半…。
まだだ。
まだ、間合いじゃない…。私のリーチじゃ届かない。
二発かわされた部長は、かなり本気の構えで迫ってくる。目を細め、声が上がった。
「きえああああーーー!」
面を打ってきた。私の真正面を狙っている。しゃがみ加減に、左に体を反らせて竹刀をかわす。
びゅっ!
コンシンの一撃らしく、頭の右の空間が音をたてた。
おどろいたのか、部長の竹刀は下段で一瞬停止した。
私の右手が、自然に竹刀の先を握った。引っ張ると、簡単に竹刀を奪えた。後ろに投げる。
目を丸くした部長が、あわてて駆け寄ってくる。
一間。
半間!
掴みかかってきた腕をとって、「永津の壱」で投げた。部長は、自分の竹刀の上にぶっ倒れた。
部長は竹刀の鍔が背骨に当たったようだ。仰向けで口と目を開いてケイレンしている。
「こらああああ!やめえ!やめやめええええええ!これまでええ!」
顧問がやっと来た。遅いよ、先生。
全員、板の間に正座である。
三年生は集められ、竹刀でバシバシ叩かれた。顧問の怒りは収まらない。
特に部長は、厳しく叱られている。当たり前だ。
「もう、しません…。きちんとした三年として、剣道部を…」
反省しているようなツラをしやがって。しおらしいことをぬかすな。狂喜の顔で人を襲っていたくせに。
もうしませんだと?いいや、お前の性根は変わらない。「三度目の正直」なんてもんじゃない。キサマのは、「二度あることは何度でもやらかしちまう」に決まっている。第一、もうしませんじゃないだろう。やってしまったことがすでに罪だろう。こんな奴らと、剣術などできるか!こんなヤツらの汗のしみた道場なんかいられるか!こんな奴らと同じ空間にいたくない。こんなヤツらの吐いた空気なんぞ、吸いたくない!触れたくない!
私は無表情に、すっと立ち上がった。そして、さっさっと玄関に向かう。体験入部の一年女子が顔を上げた。
「どこいくの?」
「帰る。入部やめる」
「え?」
「じゃあね、ばいばい」
全く晴れない気分のまま家路についた私は、入部届を破り、燃やした。
胴着や防具を買う前でよかった。
私にお咎めは、全く無かった。
北芯斗中学は、生徒はクラブ活動に所属しなければならなかった(非行防止のためだそうだ)。私は、当たり障りのないクラブに必要最低限だけ顔を出して、中学生活を終えた。
私のクラスは、とてもマジメなクラスになり、あの三人組はおとなしい生徒になった。呼び名は「ふっくん」「つっくん」「おっくん」となっていた。
私は、中学卒業までずっと「ユリア」と呼ばれた。中学デビューしたようだ。
怒りのライドル引き抜いて 終
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます