第15話 バイトの巻

 ときは元号が平成に代わるほんの少し前。

 ところはT県の西のはし、芯斗市中那村。

 ウチは、古い木造の日本家屋である。

 家族は姉と私。そして弟と父と祖母。


 四月二十四日木曜日の夜。今日の夕食はキュウリの酢の物、フキと厚揚げの煮物、イタドリと豚肉の塩コショウ炒めだった。明日より、春の連休がスタートする。姉は、農協ストアのアルバイトがしっかりと入っている。私も、一緒にアルバイトをすることになった。一学期に入ってすぐの実力テストがバツグンの出来だったのだ。人間、努力はしておくもんだ。また、農協ストア店長のマツ本さんからも、是非ともと言われたと父から聞いた。コイツぁ、悪い気はしないねえ。

「明日からか……」

 はじめてのアルバイトである。マツ本店長さんにも姉にも「はじめは、簡単なことからやけん、らくーに来たらええけんね」と言われたんだが、妙に緊張するのは仕方がないだろう。あ、明日は仏滅だ…ま、いいか。


 農協ストアは、ウチから行くと高校の手前、市街地に入るまえに左に折れたところにある。感覚は、通学とほぼ変わらない。仕事の開始が八時半からというのも同じだ。営業時間は朝九時から夕方五時までで、従業員はみんな女性である。


 今夜は、はやく寝ようとお茶をあおったら、私の部屋のフスマが鳴った。

「ノックしてもしもーし!」

「どーぞー!お姉ちゃん」

「しつれいー」

 ガラリ。

 姉が入ってきた。上下、いつもの赤ジャージである。何やら、荷物を持っている。衣料品店のビニール袋だ。

「お姉ちゃん、明日はヨロシク。私、どんなことするの?」

「まあまあ、はじめはカンタンなことからやけん、力まんと楽ーにやってや。今やったら、ラッキョウの作業かねえ?ま、マツ本店長さんが考えてくれるけんね」

「わかった。お姉ちゃんは、何でもできるのやろう?」

「そりゃあ、一年やってきたけんねえ。バイトの仕事は、たいがいできるようになるよう…」

「私、できそう?」

「大丈夫、ダイジョウブ。あんたやったら、大丈夫!」

「そっかあー。何か、ようわからんけん言われたことやっていくわー、私」

「そう、それでええ!それでええよ。ドイツ軍人はうろたえない!」

「うん、お姉ちゃん」

 

 姉は、私の前にポンッと荷物を出した。

「それでねー、トモ美!アタシから、バイトはじめのプレゼント!」

「何?コレ?」

「ちゃっちゃらあああぁぁーーん!ちゃらららん!」

 仮面ライダーのアイキャッチを口ずさんで、袋の中身を出した。

「ほりゃあ!あんたの仕事着!これ着て行ってね、明日!」

「ええの!コレ!もろうて?お姉ちゃんとお揃いやん!」

「まあ、ねえ。せっかくやけん、着てもらおうと思って、ね」

 着てみると、私にちょうど合う。

 上下黒のジャージ、緑色のハーフエプロン、ウエストポーチ、手袋と長靴はシルバーグレー。赤タオルを首にかけ、頭に白手拭い。

 姉の仕事着によく似ている。

「それから、こっちのセットは替えやけんねえ、交互に着てね。トモ美、あんたは『二号』ね」

 こちらの黒ジャージは、腕と脚のサイドに白いラインが一本はいっている。手袋と長靴は、赤い。

「それでは、明日があるので今宵はここまでに…」

「いたしとう存じまする。ありがとう、お姉ちゃん!」


 翌日、姉は私よりはやく家を出た。まあ、理由はわかるが。ちなみに、この日の姉の格好はいつもの二本ラインのジャージではなく、ライン無しの黒ジャージに緑色の手袋と長靴だった。せっかくなので、こだわったのだそうだ。今回の姉と私の服装の会わせ方は、「桜島スペシャル」だそうである。

 私が後から自転車をこいでいると、姉は四本桜の下でセイラさんと話していた。桜の樹は、黄緑の葉でぎっしりとおおわれている。今朝の二人の話題は「ドラえもんの『どこでもドア』の開いている側の裏にまわって見たら、どうなっているのか」だった。

「あ、じゃあ、ゴメン!今日から妹もバイトやけん、このくらいに」

「ええねえ、妹さんと…嬉しいね、ラムちゃん…」

「ありがとー。そっちも、実習ごくろうさん!」

「いえいえ、それよりシャンプー、無理せずがんばってね!」

「はい。ありがとうございます」

 セイラさんは、姉を「ラムちゃん」と呼び、姉は彼女を「セイラさん」と、互いにあだ名で呼びあっている。本名は、お互い知らない。そんな不思議な関係だった。私は彼女からは「シャンプー」と呼ばれている。


 農協ストアは、地元の農家のつくった野菜を販売している。他には、惣菜や弁当、インスタント食品、農協の商品も扱っている。


 始業前のミーティングで、マツ本店長さんが紹介してくれた。

「よ、よろしく…おねがいします!」

 やはりキンチョウする。

 パートの人たちが、口々に言う。

「べっぴんさんやねえ、妹さん…」

「二枚カンバンができたねえ」

 なんだか照れくさい。

「じゃあアタシは、自分の持ち場があるから。マツ本さんに任してたら大丈夫やけん。まあ、ボツボツしていったらええけんね」

「うん、お姉ちゃん」


 午後五時半すぎ、姉と私は帰り道についていた。疲れた……。私はボロボロになっている。T県では、四月の後半には初夏の気候といっていい。夕方の空気が、夏のにおいをわずかに添えて私のからだにべったりとまとわりつく。しんどい……しんどすぎる。自転車をこぐのもしんどい。左手の絆創膏がはずれかけているが、なおす気力も出てこない。

 姉は元気なもんだ。姉の自転車「サイクロン号」のカゴには、惣菜や揚げ物のパックが積まれている。残った商品を格安で売ってもらったのだ。今夜のオカズである。私は、食べられるだろうか。声をだすのもしんどい。


 四本桜にさしかかった。姉は先に自動販売機までダッシュしていく。よくあんなにこげるなあ。

 私がやっとたどり着くと、姉はにいいっと笑って丸い瓶のスプライトをくれた。

「ほりゃ!水分補給ゥゥ!そして!炭酸のアワは、疲労回復の機能があるのだあァァァァ!」

「あ、あ…りが、とお……」

 姉はポーズをとって続ける。

「これが!発泡式疲労回復現象!バブル・リカバリー・フェノメノンなのだァァァ!」

 少しずつ飲んでいく。こころなし、頭が軽くなっていく気がする。

「あんた、気負いすぎで。疲れるでえ、そりゃあ……」

「そ、う、か、ねえ……。…けど…お姉ちゃんは…あんなに働きづくしやんか…。私…」

「そりゃあ、年季がちがうけん。あんたは、ゆっくりしていきゃあええけん…。じきに慣れるで…」

「う、うん……」

「パートのおばちゃんら、ええ人やろ?」

「うん、ようにしてもろうた。アメもくれたよ!お姉ちゃん」

「そーやろうー!テル江さんらあ、ようしてくれるろ?アタシも世話になった!あ、マツ本店長さん言いよったでえ『トモ美さん、頑張るねえ。あんなに一生懸命やって、大丈夫やろうか』いうて…」

「そうかあ………。私…アルバイト初めてやけん…どのくらい…してええもんかわからんもん……」

「次からは、もうちいと慣れるけん…もっと楽にしてええけんねえ」

「う…うん、力抜く…私…」

「そー!それでええ!それでええでえ!あんた、目がつり上がってたもん」

「ほんと!お姉ちゃん!」

「殺気がみなぎりよったでえ。ワインの波紋で居場所がわかるくらい」

「ひええええーーー、気いつけますぅぅぅ……」

「まあまあ、次回もヨロシク!他のひとにも言われたろう?」

「う、うん」


 農協ストアの営業時間は、朝九時から夕五時である。パート従業員は、ストア店員の仕事と農協の商品生産の作業を行う。今の時期の主な生産品は「ラッキョウ漬け」だ。この、芯斗農協が生産したラッキョウ漬けは漂白など一切していないのに色がきれいで、味も良いと評判がよく、関西にも出荷されている。このラッキョウは前年の晩秋に植えつけられたもので、四月終わりから収穫の最盛期をむかえる。私は、パートリーダーのハマ田さんの指示のもとストアの開店を手伝い、しばらく説明を聞いたあと、このラッキョウの作業にまわったのだった。


 ストアの裏が倉庫兼作業場になっており、生のラッキョウ独特の香りが漂っている。その一角で、次々と入荷してくるラッキョウを漬けられる形に切りそろえるのだ。洗ったばかりのラッキョウには、まだ茎がついており、根も残っている。それらを一つずつ手作業で切らなければならない。六畳ほどのスペースにパートのおばあさんが五人、イスに座って作業している。おばあさんの輪のなかにラッキョウがぎっしり詰まったコンテナが置かれている。ラジオからRTCの放送がながれる中、おばあさんたちは次々にラッキョウを処理して、手元のバケツに入れていく。私も小型の包丁を手に、輪のなかに入る。そして、見よう見まねで切っていく。

「あんた、カズ代ちゃんの妹さんかね」

「ええ子がきてくれて、嬉しいねえ」

 このおばあさんたち、手と口が別々に動く。しかもとても正確で早い。左手でコンテナからラッキョウをいくつかつまむと、最小限の動作で余分なところを切り落とし、ラッキョウをバケツに入れる。まるでオートメーションの機械だ。私は壊れたロボットみたいにがくんがくんとした動作しかできない。

「トモ美ちゃんやったかねえ。手え切らんように、ゆっくりやったらええけんねえ」

 最年長のテル江さんが話してくれる。

「そうそう、気いつけてねえ。はじめてやけん、ちょっとずつねえ。アテらあは、もう二十年コレばっかししよるがやけんねえ」

「そんなに!私が生まれるより前じゃないですか!」

「そおよえー。アテらあ、みいんな長いけん」

「エラそうに言うて。ウチらあ、コレしかできんがやいか!」

「そりゃそうじゃ!アテら、お店のほうの仕事らあとてもできるもんじゃない!」

「ウチら、みんなそうじゃねえ」

「わっはははははーーー!」

 すごい!この人たち手が自動で動いている。お互いに喋って顔をかわし、手元など見ていないのに、バケツにはどんどんラッキョウがたまっていく。


 正午のピークが終わり、姉が昼休憩に呼んでくれた。賄いのご飯があるそうだ。休憩後は、私はふたたびラッキョウの作業にとりかかる。


 私が悪戦苦闘しているはたで、姉が倉庫から商品をだだだっと運んでいった。出ていったと思ったら、姉はすぐにレジを打っている。

「カズ代ちゃんは、働きもんやねえ」

「ほんまほんまウチらあ、若いときでもあんなに動けん」

「レジの機械やら、ワシら恐おてようつかわんでえ」

「お金らあ、おとろしゅうて、ようせつかんでねえ。ウチらあ」

「わっはははははーーー!」

 テル江さんに訊いてみた。

「あのう。このラッキョウはいつ頃まであるんですか?」

「毎年、六月いっぱいやねえ」

「それじゃあ、これが終わったら皆さんどうするんですか?」

「その頃にゃあ、キュウリがはいってくるけんねえ」

 テル江さんが余裕の表情でこたえる。

「そうそう。ショウガ、ミョウガ、ニンジン、ゴボウ、ダイコン、ジャガイモ、サツマイモ、とかねえ。ほかに何あったろうか?まあ、仕事が切れるこたあないけんねえ」

 私は「なるほど」とうなずく。きっと、どれもカットの仕方がちがうんだろう。でも、どれをカットしても、この人たちは手際よく作業していくんだろうなあ……と、考えていたら私の手が止まっていた。いけないイケナイ。

「トモ美ちゃんは、何年生かね?」

「あ、私、高二です」

「ええと、カズ代ちゃんが…」

「高三です。私ら、学年は一つちがいなんです」

「そうかね。年子に見えんけんどねえ」

「姉が四月生まれで、わたしが次の年のまた次の年の三月生まれなんです。なので、学年は一つちがいになるんです」

 あ、手が止まっていた。

「ああ、なるほどねえ。ほとんど、二つちがいなんじゃねえ」

 作業しにくい。私は手袋を外した。

「そうなんですよー」

 ええい、動け、私の手!

「あんたとこ、弟さんおったろう?」

「あ、弟は中三です」

「中学三年かね。それやったら、専務さんとこの子供といっしょやねえ」

 農協の専務さんには、何度か会ったことがある。五十がらみの、メガネをかけたがっしりした人だ。すごいヘビースモーカーで「ヨシ田専務の歩いたあとにはセブンスターが落ちている」といわれている。

「え!そうなんですか?やったら、弟も知ってると思う!」

「あそこのカーブのとこの中学やけんねえ、そうやろう」

「弟にきいてみます。専務さん、子供はそのひとだけですか?」

「上におるよ。大学生の子が」

「そうなんですかあ」

 完全に手が止まっていた。

 私はあわてて、ラッキョウの茎を切ろうとした。

 左手がするっとラッキョウを落とした。

 反射的に、左手がラッキョウを追った。

 すでに、右手の包丁は動いていた。


 私は、桜の枝ごしに青みが増していく空を見ながら、一日を思い出していた。

 目まぐるしい一日だった。

 明日、土曜日は半日学校で、明後日はアルバイトになっている。

「どうじゃい?左手は?」

「あ……、もう平気。お姉ちゃん、ちゃっちゃとしてくれたけん」

 姉は、私の血止めをすると変身ベルトから赤チンや絆創膏を取り出して、手当てしてくれたのだった。

「アタシの波紋、よー効くろう?」

「あーよー効くキク。ありがとう」

 何が効いたのかよくわからんが、まあ確かに手当てはよく効いている。

「こころよき疲れなるかな息もつかず仕事をしたる後のこの疲れ……石川啄木」

「……………」

「ま、次もヨロシク!」

「こちらこそヨロシク!」

 自転車に乗ると、こぎやすい。

 どこからか、カレーのにおいがただよってきた。


             バイトの巻 終






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る