第11話 月の夜に
ときは元号が平成に代わるほんの少し前。
ところはT県の西のはし、芯斗市中那村。
ウチは、古い木造の日本家屋である。
家族は姉と私、そして弟と父と祖母。
四月後半の、晴れた夕方のことである。
姉の絶叫がとどろいた。
庭を見ると、姉がホウキを持って物干し台を叩いたり、空中をぶんぶん振り回したりしている。服装はいつもの赤ジャージの腕まくりだ。
叩くたび、振り回すたびに、姉の雄叫びともつかない悲鳴があがる。
「あー!嫌だ!イヤだああああ!くるなー!出ていけー!ウチに来るなー!入るなー!つくなー!からむなー!飛ぶなー!糸出すなあー!寄り付くなあー!消えろ!消えやがれえええ!消してやる!こいつらを消してやる!こいつらを全て消してやる!バルバルバルバルゥ!」
「なにー?お姉ちゃん?どーしたんー?」
「クモーッ!クモが孵化してゾロゾロ出て来やがった!あー、ヤだヤだ!」
「あれえ?お姉ちゃん、クモ苦手やっけ?」
「そーじゃないよ。クモはべつにええけど、アタシは細かいもんがワラワラ群がってるのが、すんっっっっごいイヤなんよおおお!」
「あー!そーやっけー?………じゃあ、カエルの卵とか?」
「言うなーーーー!ソレを言ってはイケナイイイイイーーーー!」
「ヒマワリの種ぎっしりとか?」
「うわあああーー!悪魔の笛じゃああああ!やめてくれええええ!たたりじゃああ!タタリじゃああああ!」
「そーいえば、ずっと前にユウイチがカマキリの卵捕ってきて、そのまま忘れちょったことあったねえ…」
「キャアァァァァ!……あの…ときは…家じゅうホラー映画やったよ……」
数日後、私たちは台所で夕飯の片付けをしていた。姉はいつもどおりの赤ジャージ、私もいつもの白シャツにジーパンの裾まくりである。
ふと私は、三角コーナーにあるものを見つけた。
「ほらあ、お姉ちゃん!カイワレの断面ん!じゃああああん!」
「キャアァァァァァァーーーーーー!!な、何をするダああああ!許さんんっっ!」
「そんなに飛び上がらんでも、お姉ちゃん」
「嫌なもんはイヤなんだよ!……あー全く、イジワル娘め!」
「そんなに怖い?」
「怖いとは違う!断じてちがあう!イヤなんじゃあ!気持ち悪いんじゃああああ!トモ美!あんたも、アレ嫌いやろう?脚が無いもんが蠢くのが!ほーりゃ、ウネウネウネウネウネウネウネウネェェェェェッ!」
「イヤアアア!頭の中に出ただけでもイヤアアアアアアーーーー!」
「ほーら!ほらほらあ!『梅津かずお』の恐怖顔になった!こんなイジワルするやったら、あんたんとこにウネウネ虫が出てきて、その顔で助けもとめても、アタシあもう知らんけんね!」
「ひええええええええ!申し訳ありません、お姉さま!お許しください、お姉さま!お怒りはごもっともでございます!お姉さま!愚かなる妹をお助けください、美しきお姉さま!」
「わかればよい。トモ美、あんたヘビとかミミズは大丈夫やっけ?」
「うん、そのくらいならOKOK。けど、小さいヤツで、落ち着きのないアノ動きが、私はもう、ダメやわ…」
「カイコとか?」
「イヤアアアアーーーーーー!止めてええええええーーーーーー!」
「アゲハとか?」
「イヤアアアアーーーーーー!ミドリ、みどりはやめてええええええーーーーー!」
「ほう、これは……トモ美、あんた『古賀新一』の恐怖顔も会得したか……。じゃあ、ハチノコは?」
「アアアアアアアアアーーーーーー!……。……。お、お姉ちゃん……も、もういっぺんカイワレ出すで……」
「あー、ごめんゴメン。互いに攻撃しあうのはやめよう。これじゃあ『血を吐きながら続ける哀しいマラソン』だ…」
「ああー、心臓が…ヘビメタ状態…」
「ユウは、何が苦手やっけ?」
「私とは逆。脚の多いヤツが苦手やねー」
「ムカデとか?」
「あと、ゲジゲジとか…」
「あとは?」
「あ、そうだ!ヤスデ!あれ最高にキライで、ユウは」
「あーそれがあったか」
「あの子、ムシ自体あんまり好きじゃあないで…」
「男のくせにー」
「あ、そうだあ!ユウ、『デビルマン』のトラウマは?」
「まだ克服してないで、あの子…」
「そうか…大傑作なのになあ『デビルマン』は…」
「あの子、『永井豪』の画もよう見んよ。フラッシュバックするらしいで」
「ええ!じゃあアイツ『ダイナミックプロ』の作品、みんなダメやん!」
「そうなんよねー!もったいない!」
「ケッコウ人生で損しとるやん、ユウ」
「てきとーに置いてたアタシも、ちったあ責任あるかもしれんけど、テレビの再放送観て勝手に読んだのは、アイツやけんねえ…。まあ、そりゃあ、ショック受けたのはわかるけど…ねえ」
「イキナリ、逆ギレしてきたんやったっけ、ユウ?」
「そお!そうなんよおおお!『こんなコワイ本!なんでウチにあるんよおぉっ!カズ姉!なんでこんな本、読ませたあああっ!オレ、オレこわいいいいいっ!イヤやあああああ!この本イヤやあああああっ!しもうて!カズ姉とこへ、しもうとって!二度と出さんといて!こっちにはあああああッ!恨むでええええ!カズ姉え!』いうて泣き叫んで、ねえ…ゴメン、アタシ悪うないろう?ねえ?」
「悪うないよ、お姉ちゃん。勝手にユウが読んで、勝手に怖がっただけやんか。お姉ちゃんのせいやないでえ」
「そうやろうー!アタシ何にもしてないもん!」
「まあ、ユウの気持ちもわからんじゃないけど…『デビルマン』初めの方は一応、ヒーローマンガっぽいし…ねえ」
「かーなーりバイオレンスやけど、カッコいいヒーローモノやもんねえ、途中までは。けど、その後のあの展開あってこそのあの作品なんだよねえ」
「その後のマンガ界に多大な影響を与えたもんねえ」
「そお、それに影響はマンガ界だけにとどまらないんだなあコレが」
「ユウ、どの辺まで読んだの?」
「わからん。アタシも読みよるのを知らんかったもん…なにせ、いきなり泣き叫んできたけんねえ、アタシんとこに。アタシもわけわからんかったで、はじめ。手に『デビルマン』があったけん分かったけど…」
「うーん、『牧村邸の炎上』と見た!」
「おおかた、その辺やろうねえ。『研究所』で『ススムちゃん大ショック』かもしれんけど…」
「そうそう!『トルネードシャンプー』やったっけ?あれ、ユウ、まだやりよるの?」
「ずっとしよると思うで、あの子。風呂のぞくわけじゃないけん確認はできんけど…やりよると思う。『回転式洗髪法』を」
「もう、何年?あれやりはじめて…」
「長いでーー。アタシが小六の夏からやけんねえ」
「五年…もうじき六年か…。お姉ちゃんが『あなたの知らない世界』観よったんやったねえ」
「そう!それで怖がって恐がって…それから、回りはじめた」
「温泉とか、修学旅行でも回る?」
「まわりに人がおったら、安心らしいで」
「なるほどねー。しっかしユウの奴、怖いもんばっかりやねえ」
「あの子、『矢追さん』の『木曜スペシャル』の曲だけでビビりはじめるけん」
「でででーん!でででででええーん!」
弟の恐怖のタネのほとんどは、姉によるもののようだ。
「お姉ちゃんは、細かいヤツの集合体、どのくらいまでやったら大丈夫?」
「うーーーーんんんん……ウンんんん……あんまり…考えとう…ないけど……アレ…くらい……やったら…アタシも…見られるかねえ…」
「何、ナニ?お姉ちゃん!」
「うーん、『生命の樹』の『いんへるの』。あれくらいなら、アタシは大丈夫」
「みんな!ぱらいそさいくだ!」
「ぜずさま!ぐろうりあのぜずさま!」
「おらといっしょに、ぱらいそさ、いくだ!」
「オラもつれていってくだせ。オラもつれていってくだせ。」
姉は、しゃがんで私を拝む。
そして、ニヤッと笑って立ち上がった。
ハイタッチ!
そして二人同時に
「わっはっはっはっは!」
「ぎゃはははははーー!」
互いのマニアックさを讃えあった。
「それでは」
「それでは」
「今宵はここまでにいたしとう存じまする」
月の夜に 終
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