第12話 ジャパニーイズービジネスマーン
ときは元号が平成に代わるほんの少し前。
ところは、T県の西のはし芯斗市中那村。
ウチは、古い木造の日本家屋である。
家族は姉と私、そして弟と父と祖母。
今日も、雨が降り続く。六月はじめの午後四時半、ふと外を見ると、白いホンダシティが車庫の前で停車している。ジョウ治師匠の車だ。
車庫から、姉がワラ束をかかえて出てきた。いつもの赤ジャージだ。作業着すがたの師匠がうけとり、荷台に積んでいった。
姉と師匠が話している。つくづく師匠、背が高いなあ。姉より十五㎝は差がある。そういえば、師匠がこの芯斗市中那村に戻ってきて、まる一年になる。師匠、二十代半ばだったか?年相応の笑顔がでるようになってよかった…。
「よおおー!トモ美いいっ!やりよる?」
よく張った声だ。これももどってきたようだ。
「やりよるよー!師匠も元気?」
「おう!俺は、ばっちり!わははは!」
その横で、姉が安心したように師匠を見ている。
やがて、大きく手を振って師匠は帰っていった。ウチから師匠宅まで、自転車で五分の距離である。
大庭ジョウ治師匠、永津流柔術七代目師範(便宜上)。お母さんのタエ子さんと二人暮らしだ。兄弟は、いない。お父さんは、師匠が幼いころに行方不明になっているそうだ。
「お姉ちゃん、師匠どうしたの?」
「ワラがあったら、わけてほしいいうてねーとりにきたがよー」
姉が、はずむような声で返した。
「ウチ、なんぼでもワラあるもんねえ、お姉ちゃん」
「そーそー!今、どこも稲刈りはコンバインやけん、ワラが手に入りにくいらしいわ…」
「ここらでコンバインやなしに、バインダーで稲刈るとこ、ウチだけやもんねえ…」
どこも、稲刈りはコンバインでやっている。コンバインなら、稲の脱穀までしてくれるのだが、稲ワラは粉砕されてしまう。その点、ウチの稲刈りはバインダーを使用するので、ワラが手に入る。バインダーは、稲の根元をビニール紐で縛って、その下からカッターで刈る。それから、その稲の束を運んで脱穀をしなければならないので、コンバインを使うよりは手間がかかるのだが、それでもカマで手刈りするよりはずっと楽なのだ。
「今どき、ウチはこんなやり方かい!と思うてたけど、まあよかったわ。おかげでウチは、ワラどっさりあるけん」
「ワラが足りんいうことは…師匠、景気ええやん!」
「まあねえ、たいしたお金にならん言いよったけどねえ…」
「それに、元気みたいやし!」
「まあ……身体はだいぶ、回復したみたいやねえ…。ちょっとずつ、スクワットやら腕立てやら、やりよるし…ねえ…」
「よかったねー、お姉ちゃん。良おなりよるやん!」
「まーねー。心の方は、もう少しかかるかねー。まあ、じっくり治してもらおう」
「そうやねー。そのうち、また組み手とかやりたいねー」
「それには、まだかかるねー。けど、あのひと、立ちなおる、絶対!」
「ケンシン的なムスメのサポートがあるけんねー」
「そんなんじゃーないよ。あのひとには、ずっと世話になってきたけん…」
「師匠、いくつなんやっけ?」
「八月七日で、二十五」
「七つちがいか…」
「だから、そんな仲じゃあないって」
「でも、大事なひとやろ?」
「あたり前やんか!アタシのまわり、大事なひとばっかり!」
姉は、実に顔に出る。
永津流は、かつては足軽のあいだでできた格闘術だったようだ。この地域に昔から伝えられており、明治期に柔術が流行したころ、今の名がついた。「永津」の由来は、定かではない。
姉が小二で習いはじめたとき、ジョウ治師匠はマンガ好きな明るい中三だった。ちなみに私も、すぐに棒術を習いはじめた。その頃私は、桃太郎侍の大ファンだった。
ジョウ治師匠の祖父の大師匠もまだ元気だったし、ジョウ治師匠の友達も、何人か来ていた。それでも十人はいなかったが、細々とであれ活動していた。大師匠は、月謝の類はいっさいとらなかった。
特撮第一世代のジョウ治師匠に、姉はよくなついた。一人っ子の彼にとって、妹のような存在だったんだろうか。姉は、とにかく慕っていた。フォークギターも教わっていた。彼は「アリス」の、特に「谷村新司」のファンだった。その影響か、姉は「さだまさし」のファンになった。そして、マンガもたくさん借りていた。
姉が小六になった年、彼は東京の大学に進学した。姉に、フォークギターとレコード、そして大量のマンガを残して。その頃には、他のメンバーも減っており、彼の後輩の渡賀さん、円村さん、私たち姉妹と大師匠だけになっていた。しかし、翌年に渡賀さんと円村さんは進学し、同じ年に大師匠も亡くなった。以来、私と姉でボツボツと稽古する状態になった。
彼は、大学を卒業するとそのまま東京で就職した。大師匠の供養以外で戻ることも無くなっていた。
しかし、去年の五月、栗の花が満開のころ彼は急に戻ってきた。仕事は、辞めていた。
やつれ果て、目に生気が無かった。キン肉マンともいわれた身体は痩せて、胃には穴もできていた。かつて太陽のように笑う顔は、暗く頬がこけていた。まさに「ボロボロ」という表現がぴったりだった。独り暮らしだったタエ子さんは、それでも少しはうれしかったんだろうか?
姉は、ポツリと
「あのひと、二十四時間たたかいすぎた」
と、こぼした。
それから、大変だったようだ。彼はしばらく休んだ後、地元で仕事に就いたのだが、それも長くは続かなかった。一ヶ月もしないうちに、吐き気と目まいで倒れてしまうのだ。仕事→アルバイトを転々とするうちに、昨年の夏はすぎていった。他の人と仕事をしていくことが、彼の心をすさまじく痛めつけるのだった。
姉は、連日様子を見にいっていた。
「お姉ちゃん…毎日…師匠のとこ行ってない?」
「う…うん……心配でね…タエ子さん…今…仕事やし…」
「毎日…顔だしたら、師匠…プレッシャーにならん?」
「そ、そうやね……それもあるかも…しれんね……けど…けど…ね…。無理せんと…ムリせんと…まだ…休んで…ほしいけど…ね…」
「ねえ…ムリせんとねえ」
姉は、頭をかきむしりはじめた。
「あのひと……仕事…頑張ってがんばって…キズついて…傷ついて…キズつきまくって…仕事辞めたことで…さらに大きいキズがついて…戻ってきたことで傷ついて…今も、ザクザクザクザク切られるようなもんなのよ……焦らんと…ねえ……あせらんと……あのひとらしく…おってほしいけど…」
「お姉ちゃん…」
「いと暗き…穴に心を吸われゆく…ごとく思いて…つかれて眠る……石川啄木…」
姉の気持ちは、よくわかる。一人にさせておきたくないのだ。だから行かないではいられないのだ。怖くて…。
九月にはいると、彼は外出しなくなっていた。
姉の奇行がはじまった。
何度も階段を踏み外した。
顔面でバレーボールをレシーブした。
ホウキをバケツに浸けて、モップ掛けをはじめた。
炊き上がった炊飯器のご飯に、水を入れようとした。
櫛と歯ブラシを間違えて、髪にあてた。
大好物のカツオの刺身を、冷蔵庫に入れようとしてレンジでチンした。
洗顔フォームではなく、歯みがき粉で顔を洗った。
私もゾッとしたことがある。
ある日、姉はタマゴを割るかたはしから、中身をゴミ入れに放り込み、カラをボウルにいくつも入れていた。
私は、自分の全身にトリハダがたっていくのが、はっきりとわかった。
「お姉ちゃん!しっかりしてえ!」
そして、あの日がきた。
ヒガンバナが、土手に咲きほこっていた。
その日姉は学校帰りに、彼の様子を見に行ったのだ。
『様子がおかしい!』
家の前に自転車を停めると、真っ先にそう感じた。
彼が、家の裏口から人目をはばかるように出てきて、あたりを見渡した。
いつもなら「しーしょーおー!どーしよるー?」と、明るく声をかけて入っていくところだが、このときは違った。
さっと身を隠して様子をうかがう。
彼の目がすわっていた。なにか、決意したようだった。
周りを何度も確認すると、外にある板づくりの物置き小屋にささっと入っていった。
そして、戸が開かないようにカンヌキを内からかけた。
姉は、心配でたまらない。
もともと、大師匠の手作りの物置き小屋は、すき間が多い。
覗いてみることにした。
考えれば、夕暮れの秋空のもと、小屋を覗くセーラー服の女子高生って、ありえん図だなあ…。
それはさておき、なかなか様子がつかめない。
薄暗く、農具やらいろんなものがあるためだ(物置きだもんなあ)。
どうやら、何かを作っているようだ。
静かに、何度も場所をかえて注意深く、覗く。
「!!!!!」
彼の背中ごしに、ロープのようなものが見えた。
「師匠!ししょー!いかーん!」
バキィッ
入り口の板を、蹴っていく。
「師匠!ししょー!シッショー!」
バキバキッバキッバキィィッ!カラカラン!
カンヌキが外れた。戸を思い切りぶち開けて突進した。
「ししょおおおおおおおおおお!」
背中にかきつき、号泣した。
「いかん!いかあん!死んだら、いかあん!許さん!ゆるさああああん!」
「ええええええ!」
「いかあん!死んだら許さあん!必要やけん!アタシが必要やけん!アタシには師匠が必要やけえん!生きて!生きにゃあいかん!生きにゃあいかあん!ししょおおおお!生きにゃあゆるさあああああん!ししょおおお!ししょおおおお!ジョウ治さああああああああんんん!わああああーーーーーーんん!」
「死ぬう?俺があ?」
「いかあん!死んだらあ!アタシがイヤだああああああ!」
「なんで、俺が死ぬの?」
「ひっく……ひっく…ズルッ…だって…今……首…ひっく…吊ろうと……したやんか…」
「俺が?」
「そんなもん、持ったらいかん…いかん…ぐす…ぐす…ズルッ…」
「これのことか?」
「それで死んだらいかあん!」
「これ、ワラ草履つくっておったんやけど…」
「ひっく…え…」
「それと、ワラ細工」
「わ…ら…ざ…い…く…」
姉の顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。髪もバサバサだ。
「うん、ワラ細工。渡賀が声かけてくれてねえ…」
「ああ…渡賀さん…たしか…道の駅に…」
「そう、あそこの職員。俺、今、他人と仕事したら体調崩すやろう?」
「うん…」
「こういうもん作ったら置いてくれるいうて、話つけてくれてねえ」
ワラの馬と、作りかけのワラ草履が手にある。
「あ…大師匠に習ったヤツだ!」
「そう!俺、得意やったけんね。ちょっとでも、やれることからやっていこうと思ってねえ」
「それで…」
「ただ、今できるか不安やったもんで、試してみたわけよ」
「あ…そう…なんだ……よかった……よかった……」
「それが意外!手が記憶しとる!スラスラできる!」
「……よかった……」
「これやったら、ワラ靴でも、牛でもヘビでも、いくつも作れる!」
「よかった……」
「竹細工もやってみる!できることから、コツコツやなあ!」
「よかったああああーーーー!うわああああああーーうわああああああーーーーーーーんんんんん!ああああああーーーーうわああああああああーーーーーんんんん!」
「もう泣くなや……心配かけたなあ…カズ代…ごめんな…」
「ああああああーーーーーん!うわああああーーーんん!うわああああああああーーーーんんん!」
姉がぶち壊した入口の戸が、秋風に揺れている。
話は現在にもどる。
師匠がワラをとりにきた晩、ウチの黒電話が鳴った。
私と姉は、洗い物をしていた。
弟が電話に出た。
「カズ姉!ジョウ治さんからー!タエ子さん、オハギつくったけど、いるかってー」
思わず、私が声を出した。
「いるいるいるいるう!ほしい欲しいほしい!食べたいたべたいタベタイ!タエ子さん、上手やけん!なんなら、私がダッシュでもらいに行く!」
「ええよ、アタシが行ってくる。雨もやんだしね。ここ、片付けとって。ユウーすぐに行く言うとってー!」
「ああ、それがええろうねえ。タエ子さんによろしく。妹の大好物でございますとお伝えねがいます」
「りょーかい!」
「ついでに、師匠にもヨロシク!」
「ついでにかい!まあOKOK」
「アッツいホウヨウも忘れずに」
「馬鹿ああ!ゆるさんよ…。じゃ、いってきまあす!」
「気をつけて、いってらっしゃい!」
やっぱり姉は、顔に出る。よかったね…お姉ちゃん…。
ジャパニーィズービジネスマーン 終
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