第9話自転車の巻

 姉は、友人が多い方だろう。話が合うのか、異性の友人も多い。限定的な人間関係しか構築しくをえない私とは対照的だ。

 なかでも「セイラさん」は姉には特別なありかたの友達だろう。


 この「セイラさん」は本名ではない。姉も私も、セイラさんの本名を知らない。ましてや住所も電話番号も知らない。


 姉の友人「セイラさん」は、キリッとした、姉とはまたタイプの違う美人だ。「凛とした人」という言い方が、実に似つかわしい。サラサラのショートヘアをふわあとなびかせて自転車をこいでくる。学年は、姉と同じらしい。「らしい」というのは、彼女は私たち姉妹の通う「芯斗高校」の生徒ではないからだ。たいがい毎朝、登校時にすれ違う。細かくいうと、私たちは中那村地区を出て芯斗市内にある高校に向かう。県道を蛎栖川ぞいに約三キロの道のりだ。セイラさんは逆に芯斗市内から中那村のむこうにある高校へと向かう。帰りの時間はまちまちなので、すれ違う確率は高くないが、朝はたいがいすれ違う。姉は、よく「四本桜」のあたりで会うという。いつしか互いに「おはよう」と挨拶を交わすようになっていた。彼女に会いだしたのは、高二になってからだそうだ。


 話は飛ぶが、姉は自転車の修理が得意だ。パンクやチェーンのはずれなどはすぐに直してしまう。ふだんからウエストポーチの「タイフーン」にアイテムが入っている。ボンド、ゴムシール、サンドペーパー、カッター、瞬間接着剤などが常備されている。実際に、自転車の不具合で困っている人を何人もたすけてきた。いわく「ヒーローのつとめは、悪と戦うことじゃない。困っている人を救うことなんだ!ヒーローの資格を失うとすれば、たすける意思をアタシが失くした時だけなのだ!」ということである。


 姉は小学生のときに仮面ライダー1号に一目惚れして、以来仮面ライダーシリーズの大ファンである。姉はそれから、バイクアクションを自転車でやろうとしていた。ウィリー走行ができたときはとても興奮していた。山の急斜面を自転車で駆け下りたり、立ち乗りからの変身ポーズ、トロッコ跡の駆け上り(万博跡の決闘!死神カメレオン戦だそうだ)、全力疾走からのジャンプなど、危険きわまりないことにどんどん挑戦していった。基本的に運動能力は高いし、受け身など格闘術も身につけていたので、挑んでいくうちにだんだんうまくなっていくのだが、生キズが絶えない。おまけに自転車もよくいたむ。自転車の修理には、芯斗市内まで行かなくてはならない。そこで姉は、自転車修理の技術をジョウ治師匠から会得したのだ。その頃の姉いわく「アタシの傷はそのうち治るけど、マシンは、なおしてやらんとねえ」だった。私も弟も自転車ではずっと世話になっている。


 余談だが、姉はそのバイク技でみんなを救ったことがある。「サイクロンクラッシャー」で、あばれる野良犬を撃退したのだ。本人は「一番最初はコンドルにアタックしたかった」そうだが、そもそもそれは日本では無理だろう。仮面ライダーの新シリーズが始まったときは「ライダーブレイク」に挑戦した。劇中の描写では、猛スピードのバイクで壁をぶち抜いて突入する荒業である。これは「あの技は『スカイライダー』の重力制御装置と『スカイターボ』の性能があるから可能なんだ」と説明してくれた。全身の擦り傷にタンコブ、両鼻にティッシュを詰めた顔で。


 話を戻そう。昨年の七月、期末試験の前ごろ。制服に「タイフーン」姿で学校から帰っていた姉は、ウチまであと五百㍍くらいのところで、セイラさんを見かけた。彼女は自転車を押していた。後ろのタイヤがつぶれていた。無気力で顔をおとして、すがるように自転車を押していた。西陽を背に浴びながらとぼとぼと、また荷物が実に重そうだった。きれいな髪も、制服も汗でべとべとになっている。


 姉のところは、杉木立のかげになっている。心地よい風が吹いていた。

「ひょっとして、パンク?」

 声をかけた。

 はっとして、セイラさんは顔を上げた。目が赤い。風が吹き抜ける。

 こわばった顔が、がっくんとうなづいた。

 姉は、いつもの調子でにいいっと笑い

「なおしちゃるけん、ちょっと待って。ちいいと休みよってー」

 え?という目で口をあけたセイラさんに

「ここ!日陰で涼しいけんねえ。ここでちょっと待ちよってねー」

 アブラゼミが鳴きわめくなか、杉木立が西陽のシルエットになっている。


 姉は愛車サイクロン号を停め、近くの家に飛び込んだ。村内なら、たいがい顔がきく。すぐに空気入れとバケツに水を入れて持ってきた。

「おっ待たせー!さあ!やろうか!」

 姉はテキパキとタイヤのチューブをはずし、バケツの水で穴を探りゴムシールで塞いでいく。セイラさんは、ぽかーんと見ているばかりだった。

「よっしゃあ!これで、この子は大丈夫!」

 ガシャコン!ガシャコン!姉がフルパワーで空気を入れる。

「あ…あ、あの……」

「よし!OK!ちょっと待ってね。これ返して、お礼してくるけん!」

 すぐにまた飛んでいく姉であった。


 もどってきた姉は、よく冷えた大切りのスイカを二きれ持っていた。

「ここのおばあさん、優しいんよねえー。大変やったろいうて、くれた!一緒に食べよう!」

 セイラさんは固まっている。

 姉はスイカを彼女に持たせた。

「食べて!おいしいけん!(にいいっ)実はアタシ、あっちでひとつ食べてきたー!わははははは!」

 セイラさんも微笑んだ。

「食べようよー。『君が!食べるまで!勧めるのをやめない!』なんてね」

「え!」

 セイラさんの目がひかった。

 姉はスイカに豪快にかぶりつく。

「うんんんんんんーーーーーーうまあいいいいーーー!ああああーーーーー気っ持っっちええええええーーーーーー!」

 セイラさんもスイカをかじる。

「おいっしいいいー!」

 彼女も一気食いした。

「ほっらあああーーおいしいろおおおーこのスイカあー。あ、その皮アタシが帰って捨てるけん、ちょうだい!」

 タイフーンから、きれいに畳んだビニール袋を出す。

 セイラさんが、おずおずと話しはじめた。

「あ…あ、あの…じ、自転車、ありがとう…ございます……」

「あー、えーよえーよ!アタシぁ何かあったときのために、こういうもんを、いっつも持っとるけんねえ!」

「おかげで…助かり…ました…」

「わはっ!『こんなこともあろうかと備えておいた』って『ヤマト』の『真田さん』みたいやんかああーーーアタシぁぁー!」

「…本当に、ありがとうございました」

「なーに、なーに『逆に考えるんだ!』おかげでアタシもうまいスイカが食えたんだと!わはははは!」

「ぷぷっふ、ふふふふふ……」

 陽は大分かたむいている。

 シャリュリュリュリュリュリュリュリュ…

 シャリュリュリュリュリュリュリュリュ…

 ヒグラシが鳴いている。


 翌朝、姉が登校していると、昨日の杉木立でセイラさんが待っていた。

「おはよう!」

「おはようございます!」

 明るい顔が、朝日に輝く。

「あ、あの…これ、昨日のお礼です」

 きれいにラッピングされた小さな箱をさしだす。お菓子が入っているようだ。

「ええ…そんなに気いつかわんでもええのにー」

「わたしの気持ちです。昨日は本当に嬉しかったんです。本当に助かりました」

「そう、じゃあせっかくだし有り難くいただくことにする!」

「よかったあ…。おばあさんにも、もらって貰ったんです。すごく恐縮されたけど…」

「そうやろー。『ヨコ田』のおばあさん、すっごいエンリョしたろう?」

「しましたあー。ふふふふっ」

「わははは!やっぱりかー!」

 後にわかったことだが、セイラさんは昨日は散々な日だったらしい。踏んだり蹴ったりのとどめの泣きっ面にハチが、パンクだったそうだ。


 この一件から、二人は立ち話をするようになった。朝の数分、夕方のほんのわずか。互いに名を名乗らないし詮索もしない。住所も電話も何も知らない、道の上の友人だ。ジャージを見れば名字はわかるが、そんなことで

呼びあわない。互いにすれ違うだけの間だった二人だけの、道の上だけの友人関係だった。

 ただ、呼び名が必要なことがあるので、互いのイメージであだ名で呼ぶようになっていった。姉は彼女を「セイラさん」と呼び、彼女は姉を「ラムちゃん」と呼ぶようになった。話していると互いの境遇も少しずつわかってくる。同い年だ。そして互いの家庭のことも察していく。彼女の家は芯斗市内にあり、学校までは姉より少し遠いようだ。また、彼女はお爺さんとお婆さんと暮らしているようだった。彼女も、ウチのことを察していただろう。


 そして彼女の言語のイントネーションが、

ウチの地域とは若干ちがっていた。

 T県は、東西にやたら長い。T県中部から東と、T県西部は方言のイントネーションが全然違うのだ。T県全体では、方言は「T弁」といい、アクセントは関西圏と同じもので、語尾に「き」が付く。話し言葉で「私、何々するから」は「私、何々するき」になり「私、何々だから」は「私、何々やき」になる。T県西部は「N地方」といって「うどん県」ほどの広さがあり、方言は「N弁」を話す。アクセントは関東に近く、語尾に「けん」が付く。話し言葉で「私、何々するから」は「私、何々するけん」になり「私、何々だから」は「私、何々やけん」になる。彼女はT弁の話し方だった。


 セイラさんは、姉と友達になれたことが、とても嬉しかったようだ。「シュミで話せるひとに、やっと会えた」そうだ。話があるときは、どちらかが待っている時もあった。


 朝、忙しそうなときは互いに遠慮して挨拶だけ。話せるときも僅かだが、二人だけの静かな時をすごす。彼女も、家での用事があるのだろう。帰りにはほほえんで「おつかれー!」「おやすみー!」とハイタッチ。姉も、彼女と話すときは普段とは違う自分でいられるようだった。学校やしがらみから離れた「緒方カズ代」ではない自分でいられることが心地よかったようだ。


 登校時、ウチを出るのはたいがい姉が先だ。二学期になり、二人が話しているところへ私が通りかかったことがある。

「あ、お姉ちゃん!」

「よー」

「おはよう!」

「おはようございまーす。で、お姉ちゃん、お友達?このかた?」

「そおー!マブダチィィィィ!」

「どーも…」

「あ、はじめまして。私…」

「まあったああああああ!そこまで!そこまで!名乗りは、無しでござるうううう!」

「え?どーいうこと?お姉ちゃん?」

「アタシらあはねえ、お互い名前知らんけん」

 セイラさんも頷く。

「住所も電話もなーんにも知らん。お互い、あの学校行きよるなーぐらいしか…ね!」

 再びセイラさんがうなづいた。

「え?じゃあ、呼び会うときは、どうするの?」

「だから、アタシはこのひとを『セイラさん』と呼んで」

「わたしは、お姉さんを『ラムちゃん』と呼ぶんです」

「ははー、なるほどー」

「それにしても、毎朝会う三つ編みの美少女がラムちゃんの妹さんとは、びっくりしたき!」

「そーやねー。お互い、家族のことらあ、何にも知らんもんねー」

「どういう関係よ!お姉ちゃんらあ?」

「ま、それについては今夜説明してやるけん。ささ、どうぞお先に学校へお出ましあれ」

「もう少し、ラムちゃんとお話させてねー『シャンプー』!」


 私の呼び名は、てっきり「テンちゃん」になると思っていたが、ずいぶんと格上げされたようだ。

 セイラさんについては、まだエピソードがあるのだが、それはまた、のちの機会にいたしとうございます。


             自転車の巻 終






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