第8話君は見たか愛が真っ赤に燃えるのを

 ときは元号が平成に代わるほんの少し前。

 ところはT県の西のはし芯斗市中那村。

 ウチは、古い木造の日本家屋である。

 家族は姉と私、そして弟と父と祖母。


 四月はじめの日曜日、午前九時三十分、私は姉と居間にいる。テレビでは、バンダイのコマーシャルが流れている。

 庭の木にハルゼミがとまり、ギイギイ鳴いている。日なたからの風が、障子をゆらす。


 姉は、テレビの前で中腰で固まっている。服装は、いつもの赤ジャージではなく「戦闘スタイル」になっている。番組が終わったらバイトにいくのだ。さっきから、頭をかきむしっている。黒髪のストレートヘアはバサバサに乱れ、うす暗いタタミの部屋にいる姿は、まるでコントのおばけのようだ。


 この日、姉と私は前週から気になっていたテレビ番組を観たのだった。わかってはいたのだが、その予想がまさに的中したことで、姉はどんよりモードなのだ。

 特撮ヒーロー番組「仮面ライダーブラック」が、それまでのシリアスな作風を変更して、明るく楽しいアクションものになったのだった。


 姉は、日曜日は農協ストアのバイトに行き、仕事明けにビデオに録画したものを観るのを日課にしていたのだが、前週の予告を見て不安に思ったのだろう。今日はシフトをずらして、リアルタイムで確認したのだった。ショックは大きかったようだ。


 古びたタタミに前のめりになり、うつろな目でぶつぶつと何やら言っている。部屋全体がベタとモヤモヤ線がかかり、姉の半身にはスクリーントーンが貼られたようだった。

「…許さん……ゆるさん……こんな…こんな番組……許さん……こんなライダーブラック…許さん…」

 バイトは、たしか十時半からだった。行けるのだろうか。声をかけようとしたら、突然がばあ!と起きあがった。目を見開きすっくと立った。そして、誰にいうことなく主張する。

「知っていた!我々は、こうなることは知っていた!先週のヨコクを見た時点で、こうなることはわかっていた!そうだ、カクゴさえしていた!」

 全身から怒りのオーラを出している。髪が逆立ち、超能力が発動したように見える。

「だがあ!少しだけ!ほんっの少しだが、わずかに希望も持っていた!『今回だけ』というキボウを!人は食べ物だけで生きているんじゃあない!希望がなければならないんだ。ほんのわずかでもキボウがあれば、人は心豊かに生きていけるんだああ!その!そのわずかな希望さえ、今回の予告でコッパみじんに打ち砕かれてしまったあああ!許さん!」

 そうだね、来週もこんな感じみたいだね。


「なんで、市場からマグロが無くなっただけで『光太郎さん』は『ゴルゴム』の仕業とわかるんだああ!第一それが世界征服と、どこでどうやって結びつくんだあ!人間大のマンモスがマグロを盗むのが、どうしてゴルゴムの世界征服の進行に役立つんだああ!許さん!」

 誰をどう、どんな風に許さんのかはわからないが、血の涙を流さんばかりに叫んでいる。捕捉だが「光太郎さん」とは主人公の仮面ライダーブラックに変身する青年であり、「ゴルゴム」とは世界征服を策略する悪の組織の名称である。


「だいたい、なんで今回はマンモスの怪人なんだ。ストーリーと全く関係なかったじゃないか!許さん!」

 たしかに、ドタバタのコメディみたいな内容だった。古代生物の怪人を出す必然性はなかった。それにマンモスを復活させてつかうなら、巨大なままで破壊活動をさせたほうがいいような気がする。


「そりゃあ、去年のメタルダーのこともあった!しっかりした脚本の重厚な話がイキナリ子供向けになったときは、ガッカリしたよ。でも、でもライダーシリーズは原作者がいて、原作マンガもあって、スタッフだってきちんとした作品を作ろうというイヨクがあったじないかああ!許さん!」

 前年にやっていた「超人機メタルダー」のことだ。大戦中に軍に開発された主人公が現代に蘇り、悪の組織と戦う話だった。敵組織が武力だけでなく経済的にも世界を支配しようとするなど、とても斬新な内容だったのだ。ストーリーも単純な謹善徴悪ではなく、主人公と敵戦士の心の交流や、敵組織内部での人間関係を緻密に描くなど、これまでにない特撮番組だった。しかし、開始から三ヶ月ほどで急にわかりやすい番組になったのだ。ザンシンすぎたようだ。まあ、子供のための番組なんだが。


「合成に無理のあるときもあったよ!急にミニチュアになって違和感だらけのときもあったよ!『剣聖ビルゲニア』なんてどうみても『聖飢魔Ⅱ』のパクリやし、ヒョウ怪人がビーストモードで走るときなんか、ヒョウ柄を描いた犬にしか見えんかったし!だけど、だけど一生懸命いいものを作ろうとしていたじゃないか。とてもいい世界を作っていたじゃないか」

 もはや悪口にしか聞こえないが、悔しい気持ちはよくわかる。私もメタルダーの路線変更にはがっかりした。ちなみに、メタルダーは路線変更しても視聴率アップにはつながらず、ラスト数話でシリアス路線にもどし終了した。話数も、前作までより少なかった。


「その、せっかくの世界観を、このスタッフはぶち壊したんだ。これが、これがアタシが待ち望んでいたライダーシリーズのマツロかあああ!」

 そもそも、姉がこのシリーズを好きになったのは、何年前になるんだろう。就学前の弟が夕方の再放送を見ているうしろで、姉が画面にクギ付けになっていた。仮面ライダー1号「本郷猛」にひとめ惚れしてしまったのだ。以来、姉は本郷さんヒトスジである。そして近所でやっている永津流格闘術を習いだした。ライダーキックを身につけるためである。


「どうしてこうなった?どうしてこうしてしまった?闇の圧力か?フリーメーソンの陰謀か?いや、そうだ。これに違いない!これだ!これこそがゴルゴムのシワザだあああああ!」

 日曜日の朝、古い日本家屋で十八のオトメが泣き叫ぶ。


「ああ、本編のシリーズがこんなになったら『とんねるず』のパロディのほうがずっとずっと原作どおりになってしまうじゃないか。あっちは、デザインもBGMもナレーターも原作のまんまだし、それに何よりもなによりも何よりも『おやっさん』が出ているんだよお!『スカイライダー』にも『スーパー1』にも出なかったのに、何故だ!ナゼなんだあああ!おやっさあああん!」

 なんだか怒りの方向がずれたような気がするが。


「大好きな番組だよ!けど今は『大好きな番組だった』になりかけだよ!本当によくできたヒーロー番組だった!ああ、そうさ!主題歌の歌唱力以外は完ぺきな番組だったよ!主題歌きいたときにはびっくりしたよ!あんなレベルの歌、放送されたのって安田成美の『かぜのたにのーなうーしかーあ』以来の衝撃だったよ!光太郎さんの歌唱力はすさまじいんだよ!『おれの青春』もひどかったよ!歌詞とメロディは哀愁あって素晴らしいよ!本当に名曲だよ!歌い手がちがったらね!『春来れば』や『ヤマトタケシの歌』に続く、主人公の悲哀をつづった名曲なんだよ!本当は!ああ、あの歌いかたでは光太郎さんの哀愁は伝わらないんだよおおおお!光太郎さんの、ブラックの最大の弱点は歌唱力なんだよおお!大神官の三人が気づいたら、どうするんだよ!『ブラックサンの弱点が判明した』『いでよ!カナリア怪人!』『カラオケでブラックサンを徹底的に打ち負かすのだ』ってなったらどうすんだよ!光太郎さんに勝ち目はないよ!信彦さーん!はやく復活してくれえ!2号になって、光太郎さんをたすけてくれえええ!」

 姉は、これまでのシリーズは全てチェックしていた。そして、この「ブラック」が始まるのを心待ちしていた。

 T県には、民間のテレビ局は二社しかない。アニメや特撮番組は、新しいものがなかなか放送されない。放送されても、何ヵ月も遅れてのことなどしょっちゅうである。むしろ、観たいアニメが放送されたらラッキーくらいのものなのだ。真夏にクリスマスネタを放送されても、年末に海水浴ネタを放送されても、していただけるだけで幸いなのだ。ちなみに「重戦機」も「装甲騎兵」も「鎧伝」も放送されなかったし、「聖戦士」や「銀河漂流」は途中で打ち切られた。「ゼータ」は放送されたが、なぜか「ダブルゼータ」は放送されなかった。'70年代の番組の再放送ばかりされていた。

 そんな状況のわが県で、昨年秋から全国と同時に「仮面ライダーブラック」は始まったのだ。姉は歓喜し、毎週の放送を楽しんでいた。


 こういう時は、これに限る。私は両手で杉板を前に構えた。

「お姉ちゃん、これ!」

「あ、ありがとう」

 姉は左の肘を曲げ、左腕を引いた。同時に右手を自分の左上にもってくる。

「ライダー、変っ身!」

 腰を下げ、右脚を構える。

「ライッダァァーキィィック!」

 一閃!

 見事に杉板が二つになった。

 姉は深呼吸して、一言。

「ふうぅ……『怒る時かならずひとつ鉢を割り九百九十九割りて死なまじ』……石川啄木…はあぁーっ…ふう!」

「お姉ちゃん、原作のマンガ、まだやりよるのやろ?」

「うん、サンデーで…」

「やったら、すぐに元にもどると思うで。こんなハナシが続いたら、作者もだまってないやろうし」

「それもそうか。もともとブラックは、原点にもどるのが目的で、石ノ森先生がはじめたんやった」

「じゃあ、大丈夫で!メタルダーも最後は元にもどしたし、作者がおるならアンガイ早いんやないかねー」

「絶望には、まだ早いか…」

「そうで。臥薪嘗胆、ガシンショータン!」

「臥薪嘗胆…そうやね。そうやねえ!ありがとうトモ美」

「よかった、気分なおったみたいで」

「うん、なんとかね。でもまあ、観てよかった。モヤモヤしながらのバイトはしんどいけん。これでなんとかスッキリして仕事できるわー」

「がんばってきてね。そして、帰りにコーラを一本ショモウいたす。我が麗しき姉上様」

「わかった。バリバリ稼ぎ、そなたに礼を送るとしよう。我が愛し妹よ」


 川沿いの未舗装の道に、姉の自転車が出て行く。田んぼの稲穂の上で、ツバメが何羽も飛び交う。姉を押すように、風がわたっていった。


 ………そして 数過月………


 稲穂が重くなっている。ヒガンバナも咲き始めた。我が家に姉の怒号が響いた。

「えええ!『RX』?なにこれ!」

 仮面ライダーブラックは、新しいシリーズになるのだ。新たな敵「クライシス帝国」が襲来し、主人公もパワーアップするそうだ。


「せっかく苦労して世界を救ったのに、また戦わんといかんの?」

「なにこのぱんぱんボディ!千代の富士?」

「なによ、このマシン!クルマ運転したら、ドライバーじゃないかあああ!」

 姉の怒りは収まらなかった。


  君は見たか愛が真っ赤に燃えるのを 終

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