第3話田植えの巻

 ときは、元号が平成にかわるほんの少し前。ところはT県の西のはし芯斗市中那村。

 ウチは、古い木造の日本家屋である。家族は姉と私、そして弟と父と祖母。


 五月も、今日をいれてあと三日になった。今日は、ウチの田植えである。父と姉が、朝から準備にはげんでいる。


 田んぼは数日前から、水をひいて耕運機でたたいてある。田んぼには、長方形の苗のシートがいくつも並んでいる。姉は、2メートルほどの二枚の厚い松板をかつぐ。田んぼと土の道に、それを橋のようにななめにかける。父が、田植え機の車輪をその松板にのせて田んぼにおろす。姉は、その前で田植え機を支えて父をサポートしている。


 ちなみに、ウチの耕運機も田植え機も、乗って運転するタイプではない。もっと旧い、操作しながらついて歩いていかないといけないものである。


 青空を、ツバメが飛び交う。よく晴れている。水をはった田んぼに、周囲が映りこんでいる。空も、雲も、ミドリ一色の山も、桃の花も、すべてが田んぼに映りこんでいる。


 いい天気だ…。実に、いい天気だ。昨日もいい天気だった。昨日も今日も、同じ風景がひろがっている。


 昨日の土曜日は、ウチの田んぼの「田んぼ開き」だった。午後の三十分ほど、一番温かくなる、川から四番目の田んぼを、保育園児たちに解放するのだ。子どもの遊ぶすがたを喜んだ田んぼの神さまが、稲を守りたくさん育ててくれるという風習なのだ。


 午後一時半、ベテラン保育士の大場タエ子さんが十数人の保育園児をつれてウチの前にやってきた。もう二人、若い保育士さんも来ている。

「きょうわああ!ありがとおお!ございますう!いっっっぱああああい、あそびまあああす!」

 子どもたちの一生懸命の挨拶ってかわいいなあ。姉が返事をする。

「今日は、あたたかくて、田んぼあそびにぴったりで、よかったですね。みなさん、けがのないようにきをつけて、いっぱいたのしんでください」

「はああああーーーーい!」

 あとは、タエ子さんがいろいろお話して、みんなはパンツ一丁になった。

「それでは、みなさん!どうぞ!田んぼへ!」

 姉の一声に、ナダレをうったように園児たちが田んぼに飛びこむ。

「わああああああーーーー!」

 子どもって、つねに全力なんだなあ。最大出力の泥んこ遊びがくりひろげられていく。


 姉が、満面の笑顔でながめている。

 タエ子さんが、姉のところに来た。

「ありがとうねえ、カズちゃん。毎年、みんな楽しみにしよるんよ。田んぼ遊び」

「いえいえ、こっちこそ。田んぼの神さま、大よろこびです。それに、いつもありがとうございます。タエ子さん…」

「こっちもそうよね。いろいろ、ねえ、。ジョウ治が、どればあ世話になったか…」

「タエ子さんんんっ!仕事中!シゴト中やけん!それは…ソレハこっちやって…そうながやしい……えと…その…」

 顔が赤い。

「まあ、あんたらは、そうやねえ…まあ、そうなんやね。それで、ええよ!それでええんよね。これからも、あの子のこと、よろしゅうねえ、カズちゃん!」

「うん……タエ子さん……」

 にっこり笑ってタエ子さんはもどっていった。


 姉は、スクワットをはじめた。そして、全身のストレッチをしている。

「どうしたの?お姉ちゃん?」

「アタシも、ひさしぶりにやってみるんよ!もう、来年はできんろうしねえ…」

 あっという間に裸足になり、いつもの赤ジャージの裾をまくって、田んぼに下りた。そしてそのまま、足を開いて両手に力をこめている。足を小刻みに震わせている。両足を中心に、水面に波紋がひろがっていく。

「思ったよりあったかーい!それに!たのしーーーい!」

 まっすぐに走っていったと思ったら、すごい水シブキをあげてターンした。一瞬、虹が見えた。そしてばしゃばしゃとこっちにつっ走ってくる。

「ターコイズブルーのオーバードライブゥ!ドッギュウゥゥゥーーーーンンン!」

 私に、水と泥を放ってきた。

「やったなああああ!」

「そりゃそりゃあ!パパウ!パウ!パウ!」

 手についた水を散らしてくる。

「反撃せねば、武士にあらず!」

 私も、ジーパンの裾をさらにまくり、木の棒を手に飛び下りた。

「水鴎流、斬馬刀、胴田貫!」

 姉に、ばちゃばちゃと水をかける。

 姉も、竹の棒でのってくる。

「ラックとプラックの剣!」

「大五郎、冥府魔道に入るぞ…」

 互いに、水と泥を放りあう。

「わっはははははははーーーー!」

「ぎゃっははははははーーーー!」

 楽しい!なぜかこういうことって、楽しい。青空のもと、実にたのしい。

 保育園児たちとともに、十八と十六のオトメが田んぼでドロ水をぶっかけあう。

 むこうで、タエ子さんたちが笑っている。

 姉も微笑みかえす。いい顔だ。

 振り返ると、弟が冷ややかな目でみていた。

「そんなこと、よーできるねー、姉ちゃんら…」

 ふっふっふ!そんな年ゴロなんだよねえ、あんたは。

 空も、新緑の山も、上に下に眼前いっぱいに広がる。それらが水面にきれいに映ったなかでたわむれる園児たち。その光景はまるで、空を飛んでいるようだった。


 そして、今日もよく晴れている。昨日よりあたたかい。

 ウチは今日、四枚の田んぼに稲の苗を植える。

 田んぼのほとんどは、父が田植え機で植えていくのだが、田んぼの端と隅のところは、どうしても機械では植えられない。私たち姉弟が、手で植えていかないといけないのだ。

 姉は、いつもの赤ジャージにゴムの長靴、頭はタオルできっちりと巻いている。私も長靴をはいてタオルをきっちり巻く。弟は紐靴に野球帽で出てきた。ちなみに弟は、ジャイアンツのファンである。

「ユウー、あんた長靴は?」

「あートモ姉、オレいらんけん」

「どーしてえ?」

「オレは、コレに限るけん!」

 靴下をぬいで、青ジャージの裾をまくりあげた。

「まさかあんた、はだし?」

「そー、そのとおり!オレはコレ!」

 姉が、父に缶コーヒーをわたしてきた。

「ユウ、それでやる?」

「そー、カズ姉!姉ちゃんらも、昨日やりよったやんか」

「昨日は短い時間やったけど、今日はお昼までかかるで、大丈夫?」

「平気、へーき!」

「悪いこと言わんけん、長靴はいたら?」

「私もそう思う」

「大丈夫、だいじょーぶ!」

 田植えがスタートした。はじめは、昨日子どもたちが遊んだ、川から四枚目の田んぼからだ。田んぼの神さま、今年もよろしくお願いします。


 まず父が、なるべく田んぼの端のほうから田植え機で苗を植えていく。


 ある程度、苗が植わったら私たち手植え隊が苗を植えていく手はずになっている。


 それまで、私たちは道で待機している。

 弟が言いだした。

「カズ姉、この待ちよるうちに、はじっこオレら植えられんの?」

「いま、田んぼの端に植えてしもうたら、父さん田植え機動かせんなるろう」

「あ、そうかー。じゃあ、待つ間に他の田んぼに植えてったらええやん!」

「それでも、田植え機動かせんなるのは変わらんろう?それにイキナリ田んぼの端に稲植えたら、田植え機を田んぼに入れられんなるやんか!」

「あー、そーやねー」

 若さゆえのアヤマチとはいえ、もう少し考えてモノを言え、弟よ。


「そろそろ…ええかねえ」

 手植え隊のスタートは、姉が出す。

 どのタイミングで、どう手植えにかかったら、父も私たちも効率よく仕事できるのか見極めりのだった。

 大体、田植え機があと二往復したら、この田んぼの機械植えはおしまいという頃合いに、トモ美はそっち、ユウイチはこっちと姉から指示が出る。

 そして姉は、父が田植え機を道に上げやすい位置に松板の橋をかけて、田植え機を上げるのを上から引っ張って手伝う。次の田んぼへの方向転換をサポートしたら、松板をかついでとなりの田んぼへ向かう。それから次の田んぼへ田植え機を下ろしたら、手植え隊に合流するのだ。

 また、姉は

苗のシートの補給もしており、田植え機の上の苗のシートが無くなるタイミングで次のシートを田んぼから父のところに持っていく。おかげで父は手を停めることなく機械植えができる。姉は、父の実に優秀な助手なのだ。田植え全体を取り仕切っているのは姉といっていい。


 手植え隊が入ると仕事ははやい。一枚目の田んぼを手植え隊が仕上げている間に、二枚目の田んぼの機械植えがはかどっているからだ。同じ要領で、父と姉は三枚目の田んぼに田植え機を下ろす。


 しかし、いつも思うのだが、手植え隊は二枚目の後半から辛くなってくる。中腰でずっといる状態のうえに、どかっと腰をおろして一休みすることもできないのだ。また、田んぼの土のなかを移動するのには体力をつかう。手も泥だらけなので、体を掻くのにも汗をぬぐうのにも、やっかいである。それに、そのころになると太陽が高くなっており、かなり暑くなる。その高い陽光が水面に映り、さらに水面が波打つことでギラギラ反射して、目にダメージをくらうのだった。

「あーーーー!これでやっと、二面クリアやーーー!あーあ、まだ半分かー」

 さっきの元気はどこへやったという声で、弟がボヤいた。


 白いホンダシティが停車した。ジョウ治師匠の車だ。

「あれえ?師匠?」

 姉が田んぼを駆けてゆく。ようそんな体力あるなあ。

「ししょー!なーにー?」

「よおおー、カズ代ー!家の仕事、ご苦労、ご苦労!」

 ジョウ治師匠が出てきた。上下とも作業着に、前掛けをしている。二十五歳、身長は180㎝ちょっと、ガッシリした体格だ。天然パーマの頭に太い眉、張った顎には無精ヒゲがちらほら。

「差し入れ!というても、実は俺からじゃあないけんど、ほりゃ!」

「アイスやん!わざわざ、どうして?」

「オフクロが、昨日のお礼いうて、なあ、持って行っちゃっていうことよ」

「タエ子さん…気い使わんでも、子供ら可愛かったしアタシらも楽しかったし、ええのに…」

「まあ、そういわんと食うちゃってくれや。お前ら、ハジけちょったいうて聞いたぞ」

「!」

 赤い顔を手でおさえる。

「トモ美と二人で、田んぼでチャンバラしよったいうて、オモロいなあ…あ、コウゾウさーん!おはようございまーす!」

「おー、ジョウ治かー!やりよるかー!」

「おかげさんでー!コレ、母からー!昨日のお礼でーす!」

「すまんねえー気いつかわせたー」

「イエイエー!休憩してー食べちゃってくださーい!」

「おおー、そうかー!よう言うちょってやー!タエ子さんにー!」

「はーい!そしたらー!じゃあ、カズ代、俺これから渡賀んとこ行ってくるけん」

「そっちも、お仕事ごくろうさん。アイス、ありがとねー」

「じゃあ、また!」

「またー!」

 ホンダシティは去っていった。

「とおさあーん!トモ美ー!ユウイチー!休憩しよー!アイス!アイスー!」

 手の泥が顔について、白く乾きはじめている。まるで奇怪な仮面のようだ。のちに姉は、鏡を見て絶叫することになる。


 休んだおかげか、アイスのパワーか、三枚目の田んぼはわりと楽に仕上がった。もっとも、姉の場合は「アイ」の字がちがうか。


 手植え隊は、四枚目の田んぼに入った。姉は、父を手伝って田植え機を井戸の水で洗っている。

 姉が一言いった。

「ふう…『ほとばしるポンプの水の心地よさよしばしは若きこころもて見る』…石川啄木…」

「カズ姉は、ええよなあ。ああやって、あっちこち行って、気分転換できるもん…」

「ええええー!じゃあ、あんた、やってみる?手植えしながら、田植え機の状態のチェックして、お父さんのサポートして、そのうえでバランス良く手植えする仕事を!お姉ちゃん、なるべくお父さんの脚と腰に無理させんようにずうぅっといろいろ頑張りよるがでえ!田植えだけじゃなしに、ウチの農作業全般を…」

「オレ、無理!」

「だったら文句ぬかすなあ!しんどいのは、みんな同じやけん、もうちょっとのところ頑張ろうよ、ユウ!」

「わかった!よっしゃあ!最終面じゃあ!オレ、やるでえ!」

「ユウー、最後にはボスがおるんやないー?がんばろうね!」

「平気、へーき!オレの楽勝!ええーー!冷たい!この田んぼ!」

「あー、あんたはハダシやけん、とくに感じるろう。ここの田んぼは、川の水が直接、入ってくるけんねえ」

「あーそれで冷たいんやー」

「あんた、大丈夫?長靴なしで?」

「だいじょうぶ!それに、こればあ暑いと、気持ちええけん!」

「まーそーやねー。あっついもんねー」

 姉が戻ってきた。父は田植え機を車庫に入れに行っている。おつかれ、お父さん。

「さあぁーもうひとガンバリー!これがすんだら、お昼だよー!」


 あとは、我々手植え隊が片付ける。

 正午近いと、照り返しがもっともきつい。

 姉が言う。

「上と下から『両面焼きのハムエッグ』だぜえ!」

 身体は暑いのに、足元は冷たい状態も、さらに疲れを増す。

「最終面は…やっぱり強い…」

 弟も、かなりバテている。

 私も、かなりキツくなってきたころ、やっと田んぼ全面に植え終わった。しかし、手植え隊の仕事は終わりではない。稲の苗が残っているからだ。残りの苗を田んぼの空いたところに植えきってしまわないといけないのだ。

「うっわあー!隠し面があったかあーー!」

 姉が、残りの苗を三等分する。一人、一掴みほどの量である。

「もうちょっとやけん、頑張ろう。アタシ、一番むこうの田んぼやるけん」

「じゃあ私ーそのとなり受け持つー」

「オレ、移るのしんどいけん、ここでかまん?」

「えーよー。それで最後に残った苗、三人でとなりの田んぼにやろう」

「さんせーい」

「…さ…ん…せ…い…」


 そして今年の田植えが終わった。やっている最中はしんどいが、やはり終わると晴れ晴れとした気分になる。やりきった楽しさというか、快感というか。

 姉は、井戸水で長靴を洗っている。

「お姉ちゃん、履き物持ってくるねー」

「あ、ありがとう、トモ美ー」

 弟は、四枚目の田んぼに入ったまま、あぜ道に腰をおろして空を見ている。ホッとしたのだろう、深々と息をしている。

 一息ついた父は、タバコの煙をぼわっと口から出す。

「ユウー!あんたも足、洗うたやー!」

「うん…カズ姉…そうする…」

 私が、三人分のサンダルを持っていくと、姉が大声を出した。

「ユウイチ!あんた!足!」

「え?何?カズ姉?」

「足!あんた!あし!ヒルゲリラ!」

 弟が、ひざを曲げてすねの辺りをながめる。

「あしいー?何?なんちゃあ無いけど?」

「そうじゃない!もっと下!うしろ!」

 私も、視線を落とした。

 弟のフクラハギと後ろ足首に、焦げ茶色のゴムのようなものがついている。両足に二個ずつ、ウインナー状のものがとまっている。

「うっわあああああーーーー!何コレエェェーー!?」

「ヒル!ヒルやけん!」

「きっしょくわりい!いいいい、いつの間にいいい!うわあぁ!とれん!とれんん!」

「ユウーー!いかあーん!ムリに剥がしたら、そこからすごい出血する!」

「どうするがよぉぉ……これ…カズ姉…」

「待ちなさい。今、ライター借りてくるけん。あ、トモ美、ありがとう」

 姉は、急いでサンダルを履くと、父のもとにダッシュした。

「父さあああん!ぼくに力をーーー!」

 その間にも、四匹のヒルは血を吸い続ける。微動だにしないのが不気味だ。弟がなんともいえない表情で見ている。

「お待たせ!刻むぞ、波紋のビートォ!ユウ、足上げてー!」

「お願いします…」

「サンライトイエローのオーバードライブ!」

 ライターを最大火力にして点火した。炎がヒルをじりじり炙る。

「震えるぞハート!燃えつきるほどヒート!」

「あっちいいいい!カズ姉!オレまで焼かんでぇぇぇ!」

「あんたが熱いくらいじゃないと離れんよ、コイツら!あ、そうそう!トモ美、絆創膏!バンソーコー持ってきてー!」

「わかったー」

「それと、タオルとヨーチンもー!」

「りょーかいー!」

 たのまれたものを持って現場にもどると、土の道でヒルが四匹のたうっていた。弟が気味悪そうに見ている。

 私は、弟の傷口を消毒し、絆創膏を貼っていく。

 姉が言う。

「ねー、ユウ、こいつらどうする?」

「えー?どうするてー、どうするのー?」

「コイツらあ、あんたの血いケッコウ吸うたよねえ。今やったら、ちっとは取り戻せるかもしれん」

「とりもどすぅ?どうやって?カズ姉?」

「焼いて喰う!」

「できるかあああ!そんなことお!」

「日本でも、ある地域の人らは昔っから食べてきたらしいで、ヒル」

「さすが、お姉ちゃん!」

 まあ、姉の食性なら抵抗ないだろう。

「ふふーん!ユウ、寄生虫、心配ないようにしっかり奥までコンガリ焼いちゃるよー。どう?」

「くえるかあああ!こんなもぉん!」

「じゃあぁ、ジェノサイドでかまん?」

「オーケー、OK…はよ…やっつけて…こいつら」

「いっくぜー!メメタァァ!」

 ブッチィィィーーー。

 姉が足でぶっ潰すと血が土の道に滲んだ。

「あああーーーっオレの血いぃぃ…」

「お姉ちゃん、半分、私にやらせて!」

「どーぞ、どーぞ!そっちの二匹ねー。アタシはコイツをーそりゃあ!ハヌマーンのプレスじゃあっ!」

 ブチィッ!

 私は、昨日の棒を手にする。

「魔性退散!ナーマクサーマンダーバーサラナンセンダン!」

 ブチィッ!

「オン、アビラウンケンソワカ!」

 ブチィッ!

「あー、気っ色悪りい!なんでオレだけ、あんなもんが…つくんわけ?」

「そりゃあ、私らあは長靴履いたけんねえ」

「トモ美、それだけじゃないよ。田んぼは、父さんとアタシが消毒しよるけど、この田んぼは、川から直接水が入るけんねえ」

「あ、そーか。それで昨日は、あっちの田んぼで遊んだワケか!」

「あんた、今までわかってなかった?」

「不覚!面目ない!」

「わっはははははーー!」

「ぎゃっはははははー!」

 青空のもとの良い笑い声だ。

「笑いごっちゃないよう、姉ちゃんら…」


 昼食後、庭を見ると姉が竹を台に並べていた。着替えたのに、やっぱりいつもの赤ジャージである。腰には、白のウエストポーチ、姉いわく「タイフーン」をつけている。竹は、ウチの竹林から切ってきたもので、長さは三メートル、牛乳瓶ほどの太さのものである。一週間、庭で天日干ししていた。竹の枝は切り落とし、角がないように削ってある。

 ウチでは毎年、物干し竿を交換するのだ。干した竹にコーティングを施して、新しく使う。古い竿は、コートが剥がれはじめているので、私が風呂の焚き付けにする。

 私もやりたい!このコーティング作業は面白いのだ。ちなみに弟は今、ぐったりして寝ている。

「手伝うでー、お姉ちゃん!」

「あ、ありがとー。じゃあ、竹のおさえ、やってくれる?」

「りょーかい」

 姉は「タイフーン」に手を入れる。

「そりゃあ!『竹竿コーティングシート』オオ!」

 農協ストアで買ってきたものだ。農協ストアは、関係者だとどの商品も一割引で販売してくれる。

 包装を開き、水色のコーティングシートをとり出す。そして、それを竹の先からとおしていく。シートの端を持って、姉が私のところに来た。

「ここ、よろしく」

「りょーかい」

 私は、シートの余った部分、十㎝ほどのところを竹の内側に折りこむ。姉も、反対側で同じことをしていく。

 五本の竹すべてにシートが装着された。まだ、シートは竹にぶかぶかの状態で、このままでは竿としては使えない。

「さーて、そろそろ、えーころやねー」

 台所から大ヤカンを持ってきた。

「サポートよろしくー」

「はーい。私にもやらせてねー」

「おーけーおーけー。いっくよー、そりゃああ!百度の熱湯よ、ほとばしれええええ!」

 竹の端から熱湯をかけていくと、シートがしゅるっと引き締まり、竹にぴったり付いていくのだ。かかった部分から、しゅるしゅるとくっついていく。私のところまで来た。念入りに、竹の先端に熱湯をかけている。折り込んだシートが、ぴたっと竹の内側にくっついた。一本、仕上がった。こうなると、どう見ても竹のデザインのプラスチック製の竿にしか見えない。

「次、どーぞ」

 私もかけていく。やはり、熱湯をかけるはしから締まっていく姿はオモシロイ。

「さてと、干そうかねえ」

 軒にかけて乾かす。今年度のウチの物干し竿の完成である。


 夕方、姉はアジの開きを焼いている。今夜はこれと、祖母がつくってくれた豆とタケノコと厚揚げの荷物だ。私は風呂を焚いていた。空が赤くなっている。私は風呂の焚き口を閉じると、ノコギリで古い竹竿を切る。

 姉は、干していた竿をしまいにいった。周囲には、この時期特有の甘い匂いがただよう。焚き口の中で、薪がはぜる音がしている。

「トモ美!トモ美!来て!見て!田んぼ!すごい!」

 ノコギリを置き、急いで行ってみた。

 すぐにわかった。辺り一面、水を張った田んぼに夕焼けの空が映っているのだ。

「すっごおおおーーーーーーい!」

「キッレーーーーーーーーーイ!」

 空も、山も赤い。桃の花も赤い。

 上も下も、目の前のすべてが、赤い。


          田植えの巻 終




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