エピローグ
お茶を飲み終えた佑介は、自分の部屋に行ってパソコンの電源を入れる。
やたら疵のついた勉強机、薄汚れたクリーム色のカーテン、天井の所々にある雨漏りの染み。しかし、それらのすべてが新鮮なものに見えた。
残された時間はあと5分だ――。
複雑な表情のままミニコンポのスイッチを押す。人工的な青い色を伴ってパネルが光る。突然流れてきたのは、リチャード・クレーダーマンのピアノの鍵盤を叩くように聞こえる単純なメロディだった。
佑介はまとまりのつかない気持を整理するように机に肱をつき、両手で顔を覆った。この1週間の出来事がフラッシュバックのように際限なく浮かびあがってくる。
これでよかったのだろうかと自省する。悔悟することは数限りなくあったが、すべてがあらかじめストーリーに組み込まれていたものだと諦観したりもする。もし、このまま入江先輩のように机に突っ伏したとしてもそれもストーリーの内なのだ――。
あと1分。
1分後は自分自身がどうなっているのだろうと想像した時、これまで深い森の奥を歩いているように鎮まっていた心が、徐々にざわめきはじめた。間違いなくあと1分――それで生か死の決着がつく。
佑介は机に伏せて目を強く瞑った。黒い闇のキャンバスにオレンジ色の斑が幾重にも折り重なりながら明滅する。以前どこかで見たことがある映像のような気がした。
――
佑介は机からそっと頭を上げる。そしてゆっくりと目を開く。目の前に見慣れた景色が展がっていた。
ミニコンポの時計は0:02を表示していた。
(やった―ァ)
佑介は心の中で大きく叫んだ。
(オレは生きている。生きてるゾ。誰がなんといおうと生きている)
佑介はメーラーを立ち上げ、最初に真行寺宛にメールを送った。LINEよりかこちらのほうがいいと思った。
真行寺さん、安心して下さい。このとおり僕は無事です。
暗号にあった庚安寺に行って来ました。正直、ちょっとビビりましたがなんとか家に戻ることができました。
こうして無事にメールを送ることができるのもみんな真行寺さんのおかげです。
もし真行寺さんがいなかったら――と考えるとゾッとします。
本当にありがとうございました。
佑介は送信ボタンを押した。もっといろいろと書きたかったが、気ばかりが急いて思うようにいまの気持を伝えることができなかった。
次に弘務にLINEを送る。
弘務、やったぜ!
オレはいまおまえに送るメールをサクサクと打ち込んでる。
暗号は完全に解くことができた。おまえが最初から気にしていた、同じ読み方の文字が多いというのがヒントになった。
もうひとつ助かったことがある。それは入江さんの家から持って来た暗号だ。
3つの暗号が揃ったことで共通項が見つかり、それが解読への手懸りになった。
それは真行寺さんもいっていた。
解読できた3つの暗号を解読した内容は明日ちゃんと学校で話すから。
オレは、いい友だちを持って幸せだよ。
本当にサンキュ!
送信文を打ち終えた佑介は、大きく息を吸い込んだ。
残るはあと茜だけだ。頭の中で懸命に文章を組み立てる。なにから書いていいのか逡巡したまま、キーボードに指をのせる。祐介にはパソコンのメールで送らなければならない理由があった。
茜、オレのために最後まで協力してくれて、ありがとう。
茜と別れて一目散に庚安寺に向かって走ったよ。寺について境内に入ろうとした時、
マッポに職質された――ここでなにやってるって。
期限の時間まで少ししかないのに、なんだかんだと訊いてくるから、
正直オレはマジ、ビビッた。
あの時ほど自分の命に未練を持ったことはなかった。
でもなんとか時間ぎりぎりでお寺の境内に足を踏み入れた。
そして時間までそこにいて、それから家に帰った。
茜も弘務もみんなオレのために全力を注いでくれた。
オレはどうやってふたりに報いたらいいだろう。
とにかく、感謝! 感謝! 感謝!
佑介はそこでキーボードから手を離し、目を瞑ったまま気持を整理しようとしている。
胸が痛くなってきた。
しばらく凝っと考えていたが、なにかが吹っ切れると同時に急いでキーボードを叩いた。
茜にはいいそびれたことがあります。
これまでに何度も話そうと思ったことがあるけれど、
なかなかいい出すことができなかった。
あの真行寺さんの家のベランダでもそうだったけど、
坂の上から夜景を見た時もそうだった。
咽喉の奥まで出てはいるんだけど、それを口に出す勇気がなかった。
別にいまそう思ったんじゃなくて、前々から茜のことが気になっていたんだ。
嘘じゃない。オレの気持を素直に表現するよ。
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